My事件簿

「そろそろ自分の人生で体験した事件を忘れないうちに記録しておこうと思い」My事件簿のページを作りました

初の裁判員裁判 候補者が見て感じたものは!?

2009年08月06日 | 事件簿
初の裁判員裁判 候補者が見て感じたものは

 大きな注目のなかで6日に判決を迎える全国初の裁判員裁判。東京地裁の裁判員候補者になっている人は審理から何を感じたのか。初日から3日間連続で傍聴してきた主婦(55)と、報道を通じてこの裁判を見てきた2人に感想を聞いた。

■肝心な情報、もっと欲しい

 3日目は開廷後まもなく、裁判員全員が質問しました。朝一番や昼休み直後なら、事前にゆっくり考えたり裁判官に相談したりできるので、裁判員が質問できる場面をそういう時間帯に設定するのはいいことだと思いました。

 初めての傍聴はとてもいい勉強になりましたが、嫌な思いや「不完全燃焼」という感じのほうが多く残りました。

 たとえば、肝心な、殺害の引き金となった被告と被害者の口論の内容が被告の話からしかわからなかったこと。被告は、被害者に挑発され、生活保護の受給を馬鹿にされたと主張しました。でも被害者の声は聞けず、一方的な言い分しかわかりません。

 生活保護のことも、いつか他の人に言われたことなのかもしれない。私の義母は加齢とともにニュースや昔の出来事をいま自分に起きたことだと妄想するようになりました。被告にそのような傾向はなかったのでしょうか。

 こんなことも含め、十分な判断材料が得られないまま結審してしまったように思います。被告はどんな人物なのか、被害者はどんな方だったのか、事件の状況は――。市民に参加を求めるには、まだまだ情報が足りない印象です。

 検察は懲役16年を求刑しました。なぜ15年でも17年でもなく16年なのか。「この手の事件はこのくらいだから」では、私たちが参加する意味がない。考えすぎかもしれませんが、考えずに決めるわけにもいきませんよね。

 このまま評議に参加して量刑が決まっても、たぶんすっきりしません。被告や検察が控訴したら「あの日々は何だったんだろう」とも、「私も納得していないのだから仕方ないか」とも思うでしょう。

 被告は殺害直後、自分の口座から4万円を下ろしたと言っていました。「警察に行くにあたって金が必要だから。(勾留(こうりゅう)先に物を)差し入れしてくれる人がいないから自分で用意した」と説明しました。そんな孤独な状態のまま、刑務所で老いていくのでしょうか。罪は罪ですが、何だかやりきれない思いもしました。

 この事件自体は大きく報道されるようなものでもなく、「単純な事件」と思っていました。でも、全然単純じゃなかったなあと感じています。

■被告の日常生活、聞きたい

 「自分が裁判員に選ばれたら、ベストは尽くしたい」という気持ちで報道を追ってきましたが、被告の言い分を聞いた後と、遺族の話を聞いた後では、事件の印象ががらりと変わってしまいました。

 お互いの言い分を聞いて、真相を探るというのは難しい。たとえば、事件と離れて、被告には「燃えるゴミの回収日に、燃えないゴミが交じった袋を見つけたらどうするか」といったことを聞いてみたら、どうでしょうか。日常生活でなにを許せて、なにを許せないのかを知ることで、被告の思考回路が分かりやすくなるかもしれません。

 被告のこれまでの行いからみると、長く刑務所にいても自分を変えられるかは疑わしいです。変われないなら、懲役が10年だろうと16年だろうと、社会に戻ってほしくはない。刑務所でどんな教育をしているのか、初めて興味がわきました。

■犯罪なくす、考える機会に

 こんなに大騒ぎになるとは思わなかった。裁判員の一挙一動がテレビで報じられ、裁判所も厳戒態勢。もしも自分が裁判員になっていたら、おかしな質問をして赤恥をかいたんじゃないか、と急に自信がなくなってしまいました。

 ささいなことから隣人を殺した被告は、とんでもない人のようにも見えますが、自暴自棄になっている時に、近くの人を憎しみのターゲットにしてしまう気持ちは、私にも経験がないわけではない。一方で、「被告の気持ちが理解できる」というのを刑を軽くすることにつなげていいとも思いません。

 だから、「自分の感覚を生かして」と言われても、何年の懲役が適切かということは、感覚では判断できそうにない。むしろ、裁くためというより、市民として「どうすれば犯罪をなくせるか」といったことを考える機会になるかな、と感じています。

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