♬英語の本の題名は「The power of now 」ですが日本の題名は下記のとおりです。
エックハルト・トール著「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」より
第3節 個人的な関係で「手放すこと」・・・・・・・・・・・・・・p282
問い では、私を利用しよう。操ろう、コントロールしようとする人たちには、どう対処すればよろしいんでしょう?
答え そういう人たちは、「大いなる存在」に繋がっていない為、無意識の内に、あなたからエネルギーやパワーを奪おうとしているのです。無意識に生きている人間だけが、人を利用しようと、巧みに操ろうとしているのです。ひるがえって、人から利用され、操られてしまうのも、無意識に生きている人間だけであるというのも、これまた事実です。誰かの無意識な行動に抵抗したり、それと闘ったりすると、自分自身も無意識状態に引きずり込まれてしまいます。
「手放すこと」は無意識な人たちからいいように利用されていい、という意味ではありません。まったく違います。心では完全に「手放し」をしていると同時に、相手にたいして、きっぱりと明確に「ノー」と言ったり、状況から立ち去ったりすることは、十分に可能です。
ただし、「手放し」をしている際には、感情的リアクションではなく、その時点の自分にとって、何が正しくて、何がそうでないかという判断に基づいて「ノー」というのです。更なる苦しみをこしらえないために、感情反応ではない「ノー」、威厳のある「ノー」ネガティブ性を一切含まない「ノー」にするのです。
問い 職場で不愉快な問題があるので、「手放すこと」をしようと試みましたが、とてもできそうにありません。抵抗の気持ちが、とめどなく湧き上がってくるのです。
答え 「手放す」ことができないなら、すぐになんらかの行動を起こしなさい。その状況を変えるために、はっきりと意見を述べるか、何か手を打つのです。状況から身を引くことも一つの方法です。この二つが、自分の人生に責任を持つ方法です。
美しく輝いている、あなたの「おおいなる存在」を、そして地球をネガティブ性で汚染させないでください。自分の内面の「すみか」にどんな形の不幸も与えてはなりません。
仮に、現在事情があってなんの行動もとれない状況にあるなら、その人にはふたつの選択肢があります。抵抗することか、手放す事です。しがみついているか外的状況から心が解放されていること。苦しみか、心の平安、どちらを選びますか?
問い 「手放すこと」は暴力に対して無抵抗で応ずると言った具合に、物理的な面でも実践するものなんですか? それとも心の状態に限られているんですか?
答え 内面の状態に気を配ればいいんです。なにをおいてもそれが一番大切です。内面を整えれば、外的な行動や人間関係なども、自ずと変化するからです。
「手放すこと」をすれば、人間関係は、深いレベルで変わってきます。「すでにそうであるもの」を受け入れられない人は、誰をもありのままに受け入れていない、ということを意味します。つまり、人に対して判断を下し、批判し、レッテルを貼り、拒絶するか、自分の思い通りにその人を変えようとしてしまいます。
また「いま」を「目的達成の為の踏み台」とみなしていると、自分が出会う人たちをも、目的達成のための踏み台にしてしまいます。当然の結果として、人間関係、つきつめると人間そのものが、その人にとってあまり重要でなくなります。極端な場合には、まったく意味のないものになってしまう事もあるでしょう。物的な利益にしても、権力でも、身体的な快楽やエゴの欲求をみたすことでも、人から何を獲得できるかが、その人の最大の関心事になります。
人間関係において、「手放すこと」を具体的にどのように実践すればいいか、例を挙げて説明しましょう。たとえば、パートナーなどの身近な人と、もめごとの状態にあるとします。そんな時はまず、自分の言い分が攻撃された時に、いかに自分が防衛的になるか、または相手の言い分に対して、いかに自分が攻撃的になるかを観察するのです。自分が自説に固執している、という事実を知りましょう。自分は正しく、相手は間違いでなければならないという考えの原動力となっている、感情、思考のエネルギーを感じましょう。それがエゴ的思考のエネルギーなのです。エゴ的思考の存在をきちんと認識することで、また十分に感じることで、それを意識に変容してしまえるのです。
この観察をしていると、口論の最中に、自分には防衛、攻撃以外にも選択肢があることに突然気づき、その感情的リアクションを止めてしまうかもしれません。これが「手放すこと」です。ただしリアクションを止めるというのは、心の中で「私は子供じみた無意識を超越しているんだ。」と言いながら、「そうそう、君の言うとおりだとも」と口先だけで負けを認めることではありません。これは相変わらず、抵抗がそこにあり、優越意識を持ったエゴ的思考にコントロールされている状態です。本当に「手放す」にはエゴ的思考と感情をすべて放棄しなければなりません。自分が驚くほど、軽やかになり、深い平和に包まれていると、はっきり感じられるなら、「手放すこと」の境地に到達できたしるしです。
「手放すこと」をした後、相手の行動が、どんな風に変わるか観察してごらんなさい。思考から解放された時、やっと真のコミュニケーションが始まるのです。
問い 暴力や攻撃といったものに対する「無抵抗主義」はどうなんですか?
答え 私の言う「無抵抗」は必ずしも「なにもしないこと」を意味するのではありません。私の言う「無抵抗」はどのような行動も、感情的リアクションにならないということです。「相手の力に抵抗してはなりません。身をゆだねることで打ち勝つのだ」という東洋の格闘技の奥義である深遠な知恵を胸に刻んでおきましょう。(♬ 格闘技=合気道の事だと思います)