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尼子晴久の失敗

2011-06-03 10:22:56 | FP
尼子晴久は山陰・山陽8カ国にまたがる広大な領地を支配した戦国大名である。戦国時代の初期はいわゆる職業軍人は少なかったので、兵士の数が多ければ、戦に勝つということはなかった。戦いに優れた1兵団をもつことが戦陣を切りくずしていくことになった。今で言うアメリカの海兵隊のような存在で、彼らが戦端を開き、敵を突破し、その後を、多くの兵士で制圧していくようなものである。だが、この種の兵士は戦いの場では心強いし、なくてはならない存在なのだが、いざ、戦いが終われば、態度は傲慢だし、約束事は守らないし、始末が悪い。尼子晴久にも、新富党という戦のプロ集団を抱えていた。彼らが主君の命令と共に、戦いに参じ、晴久が戦国大名として、君臨できたのは、まさにこの新富党という存在があったからである。しかし、晴久が大大名となり、政治が安定すると、彼らの存在が疎ましくなった。計略を持って、この新富党を滅ぼしてしまうのである。しかし、これが尼子氏の滅亡へとつながる。尼子晴久は新富党なき3万の大軍で、毛利氏の居城吉田城を攻めるも、撃退されてしまう。そして、中国地方は毛利氏の支配へと移り変わっていく。さて、今の民主党である。民主党にとって、小沢グループとはこの尼子氏における新富党のような存在だ。戦いに終わり、政権を取ったときに、追い出されようとしている。しかし、尼子氏の例ではないが、小沢グループが追い出されたときには、民主党の明日もない。

Y-FP Office Japan

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