東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

お知らせ;文字を大きくしています 他

2007-12-20 21:33:30 | 訪問者のみなさまへ

フォントを大きくしました。
ブログへの訪問者の方々がどんなブラウザを使ってどんなふうに見ているのか、まったく謎であるが、わたし自身のブラウザでは文字が小さすぎて読みにくいのでかえました。
過去の記事と体裁が違って、かえって読みにくいかもしれないが……。

わたしのブログへたまたま来訪する方の大部分は、googleのweb検索から飛んでくると思われる。
詳しいアクセス解析はしていないが、それ以外の検索サイトでは、わたしのブログは底に沈んで捜せないでしょうから。
msnサーチは、キャッシュすら拾ってくれていないようだ。yahoo! はだいたい底に沈んでいる。
なぜかgoogle だけは、〈書名&著者〉で検索すると、上位10位にはいったりする。
google はエライ!
まあ、これは、ヒット数が500以下の場合で、ウェブ上に実質的な情報がない本の場合ですが、そんな本をレビューすると、上位にあがるというわけでしょうか。

最近、ブログ記事自動生成ツールというミョーなものがあるようで、わたしのブログの記事も前後の脈絡なくコピー・ペーストされて、まったく関係ないタイトルをつけられることがある。
こういうツールを開発したり、実際に使っているやつがいるというのが、仰天であるが、まあ、こんなとんちんかんなやつは必ず出現するもので、しょうがないか。
幸い、この自動生成ツールによって、わたしのブログが検索されにくくなる、という事態はないようである。

以下、最近半年から一年の間に書いて、下書きのままだったのをアップします。
断片的な感想や、書誌事項だけのものもアップ。

アンソニー・バージェス,『マラヤン・トリロジー』,1964

2007-12-18 20:17:34 | コスモポリス
邦訳なし
Anthony Burgess, The Long Day Wanes A Malayan Trilogy, Norton Paperbacks, 1992
『ザ・ロング・デイ・ウェインズ』というタイトルで、三作がひとつにまとまっている。以下、マラヤ三部作と呼ぶ。

バージェスの作品は、超有名な『時計仕掛けのオレンジ』をはじめ、かなりの数が翻訳されているが、この処女作を含む初期3作は未訳。
"Time for a Tiger" 1956 (略称「タイガー」)
"The Enemy in the Blanket" 1958 (略称「ブランケット」)
"Beds in the East" 1959 (略称「ベッズ」)
独立を目前にひかえたマレー半島の架空の州、架空の都市を舞台に、各作品に主要登場人物10人ほど、ヨーロッパ人、さまざまのマレー人、インド各地からの移民、華人がいりみだれるブラック・コメディである。
中心人物、全作品に登場するのがヴィクター・クラブという教師(のちに教育関係官庁の官職をつとめる)、そのまわりの人間たちが、お互いにいがみあい、憎みあい、けなしあい、時には愚痴をこぼしあう、という話。
ストーリーはべつにどうでもいい。登場人物の行動もいきあたりばったり、短いエピソードが連続して、小さい事件がおこり、適当に収まるという結末。

さて、この490ページ近くの小説、第3部の途中でほったらかし中、かなり難易度がたかい。
わたしが小説を読みなれないせいもあろうが、会話文のニュアンスがつかみにくいし、意味のとれない文もけっこう多い。どんどんとばして読んでも、人物のキャラクターはつかめるので、それだけでもおもしろいが、くっきり情景が結べないシーンもあるのだな。ははは。

かといって、バ-ジェスが研究書をだしているジョイスのような一行も読めない作品ではない。
『時計仕掛けのオレンジ』のような難解な作品でも翻訳されているのに、この作品が未訳なのは、題材が受けないからか。
英語圏・東南アジアの英語読者の間では、かなり有名かつ評価の高い作品であるようだ。(もちろん批判もあり。)
東南アジア研究を学科にもつ大学の推薦図書に挙げられたり、旅行ガイドブックのおすすめ本にも挙げられている。

てっとりばやく知りたい人は、英語版wikipediaにも項目がある。(ただし、ネタバレが多く、これから読もうとする人は見ないほうがいい)
シンガポール国立大学のTamara S. Wagner という人物による紹介が
www.scholars.nus.edu.sg/post/uk/burgess/allusions.html

にあり。その他、アマゾンなど書店サイトにも簡単な紹介やレビューあり。
Malayan Trilogy Anthony Burgess でサーチせよ。

プラムディヤ,『ガラスの家』,コメント2

2007-12-18 20:10:53 | フィクション・ファンタジー

プラムディヤ・アナンタ・トゥール,『ガラスの家』の構造についてのコメントとして、〈ビッグ・ブラザー〉の訳語について。

オーウェルの『1984』(「一九八四年」"Nineteen Eighty-fore")の〈ビッグ・ブラザー〉の訳語についての話だが、山形浩生が書いてる記事があった。
cruel.org/jindex.html
≪オーウェル『一九八四年』をはじめた。やってみると、ビッグブラザーがカタカナなのがちょっとかんに障る。これは「兄貴」と訳すとか(あーっ!版)、「お兄さま」と訳すとか(萌え版)したいところだが、まあこれはいずれ。(2006/9/25) ≫

このジョークは、すでにアンソニー・バージェスの小説に原型があるのだが、山形浩生さんは、これを読んでいるのか?(あの人だから、読んでいそうだが……)

「お兄ちゃんが見てるぞー!」というと、なんか萌え系のセリフみたいだが、これはバージェスの小説中では、
Si-Abang Memandang Awak
というマレー語として登場する(小説の時代ですでにマレー語に翻訳されていたわけではないだろう)。マレー語のニュアンスでは、「お兄ちゃんが見てるぞー」にしかならない。独裁者のスローガン「ビッグ・ブラザー・イズ・ウォッチング・ユー」も、マレー語にするとこうなってしまう、というジョーク。(このバージェスの小説は、全編ブラック・ユーモアとパロディでマレー半島の架空の州を舞台に、独立直前のドタバタを描いたもの。)

マレー半島の架空の州の長官、スルタンに次ぐ位にあるアバンは、国中に自分のスローガンを載せたポスターが貼られる状況を夢見る。
しかし、彼の住民は、ポスターの意味を理解できないだろう。国民意識がない状態では、独裁者になる意味はない。スローガンは、マヌケな意味しかもたないだろう。

オーウェルが監視する側を人格のない無色透明の存在にしたことは、この作品『1984』を、なんにでも適用できる、普遍的な作品にする結果になった。そういう意味ではみごとだ。

一方、プラムディヤの『ガラスの家』は、監視する側を語り手にし、その葛藤を描く。
付録としてはさまれているしおりに、白石隆による「パンゲマナンとは誰か」という小文が載っている。
白石隆によれば、小説の時代である1910年代に、パンゲマナンのような存在、思想調査、政治警察のような組織は存在しなかったという。つまり、この『ガラスの家』のパンゲマナンという人格はフィクションである。ミンケの存在が早すぎた民族主義者であるように、パンゲマナンも早すぎる監視者である。

このように、フィクションとしての思想警察・政治警察のトップに、ミナハサ出身でフランスのソルボンヌ大学へ留学した〈混血児〉を設定した、というのがこの作品の視野をどーんと深く、広い世界へひろげる。
この監視者は、無人格の血の通っていない冷血漢ではない。単純な倫理主義者でも啓蒙主義を信奉する人物でもない。自身のコンプレックスを隠すため、暴力行為にはしるテロリストでもない。
それどころか、プリブミの覚醒を呼びかけるミンケを師とあおぐ。ミンケのまわりのイスラム同盟のプリブミや東インド協会のオランダ人よりもずっと深くミンケを理解する人間。
そのパンゲマナンは、開明的な政策を宣伝する東インド政庁の内部で、汚れた仕事を担う。
政庁にとって危険な民族主義、ジャーナリズム、労働運動を監視し、しかるべき手段を講ずるのが彼の任務である。

タイトル『ガラスの家』とは、植民地権力による監視の網、透明なガラスの中を示す。
植民地政庁の内部のパンゲマナンの上司たち、彼らはさまざまな意味でプリブミに理解を示すヨーロッパ人である。その中でパンゲマナンはひとり卑しい汚い仕事を受持つ。しかしまた、彼こそが一番パンゲマナンを理解しようとし尊敬している。内心の葛藤がこの第4部の焦点である。

******

バージェスの小説は邦訳なし。1956年から59年に発表された。
Anthony Burgess, The Long Day Wanes A Malayan Trilogy, Norton Paperbacks, 1992
『ザ・ロング・デイ・ウェインズ』というタイトルで、三作がひとつにまとまっている(まだ全部読んでいないので詳細はそのうちに)

土屋健治,『カルティニの風景』,その2

2007-12-13 23:19:41 | コスモポリス

2007-04-25 に メアリー・ウルストンクラフト・シェリー,『フランケンシュタイン』,1919
のレビューを書いたとき、『カルティニの風景』との関連をほのめかしたけれど、まだまとめられない。

カルティニの書簡には、性や身体にかんする話題はないようだ。これは当然で、オランダ人に対し、原住民の乙女が、その種の話題を持ちだせるはずがないからだ。

書簡の中で美しい風景を賞賛し、ジャワ人の良き伝統を語るカルティニも、生身の女性として出産したとたん、産褥で死亡する。
メアリー・シェリーの母親の場合と同じく、出産で命をおとすというのは、当時普通にみられたことである。
『フランケンシュタイン』の怪物は、言語を獲得し思索にふけると同時に、自分をうけいれない世界を呪い、自分の姿の醜さを嘆くのである。
一方、カルティニには、閉ざされたジャワの上層社会に対する不満はあるものの、自己を呪われた醜いものと見る視点はない。

もしもカルティニがオランダに留学し、オランダ人の中で生活したならば、こうした肉体や肉声、立ち居振る舞いについてのコンプレックス、かならずしも劣等感ばかりでなくオランダ人を醜いものと見る感情も含むアンビバレンツな心情が生まれたのではないか、と想像するのであるが。
こうした恨みやコンプレックスに無縁なまま、美しく短い生命を終えたことは、カルティニを国民英雄にする国家の側からみても、安全な存在だったであろう、と考えるのはひねくれすぎだろうか。

そう、カルティニには、恨みをいだく敵の姿が、明確になっていない。
後のナショナリストたちが対決しなければならなかったのは、倒すべき敵はなにか、味方にすべき仲間はなにか、というドロドロした問題である。
プラムディヤ・アナンタ・トゥールも土屋健治もそのドロドロ、仲間割れと排斥を、保身と裏切りを、狂信と迷走を、なんとかインドネシアの歴史の中に位置づけたいと考えたのだろう。

そういうことは、カルティニの時代よりも、何層も複雑で困難なことであるように思える。

うーむ、やっぱり、まとまらないな。

すでに読んだ人買った人には不用だが、おおむかし読んだときに気になった部分の引用。(全体の論考のごく一部です!)
「うるわしの東インド」の旅
東南アジアの自然と風景を西欧世界はどのように描いてきたのか

(1)熱帯の自然が描かれる過程は、植民地主義の浸透と関連していた。その浸透がふかまるほどに、自然は「うるわしいもの」として描かれてきた。

(2)この植民地主義はポシビリズムつまり環境可能論と関連し合っていた。可能論とは人間の能力や社会の進化の度合いは自然や風土によって決定されるのではなく、それによってなんらかの影響を受けるが、人間や社会は逆に行動主体として自然に働きかけることが可能である、というものである。人間も社会も変えることが可能であるならば、そのことによって「熱帯の野蛮な人々」もかえられるのである。このことは、熱帯の人々に文明のヒカリを与えること、つまり植民地主義を正当化するものであった。植民地主義と環境可能論は相互に正当化をはかってきた。

(3)西欧の人々が東南アジアについて描いた初期の絵画は、熱帯の原始性と野蛮が強調されていた。それはロマン主義の持つ怪奇への傾向性の現れでもあった。そこでは、極楽鳥は無脚鳥つまり永遠に飛翔するものとしてイメージされていた。ウバスという毒の木、猿のように尾のある原住民というイメージが熱帯には付されていた。

(4)植民地の支配領域が拡大し、これと軌を一にして探検が進み、また、一九世紀以来博物学者が熱帯に入るようになるにつれ、熱帯の自然の豊穣さがあらためて西欧に認識されてきた。

(5)だが、熱帯の自然のこの豊穣性と美しさに対する「美の感受性」について、白人はきわめてシニカルな考え方をしていた。それは「豊かな自然とおろかな(怠惰な)人々」という図式であり、自然美に対する感受能力は白人のみが持つという考え方である。だから、白人が表現しない限りこの美しさは存在しないに等しい。白人はそのことを「絶望的な美しさ」と考えていた。つまり白人が介在しない限り、この限りない美しさを表現し伝えることは絶望的であるというのだ。

(6)それに関連して、熱帯に成立してきた現地の王権は熱帯の自然をこわすものであり、それを阻止するためには「植民地の平和」を確立することが必要であると考えられていた。

(7)熱帯の気候に対する考え方には、ある種の二分法が成立していた。つまり、渚や海辺や鳥やそこを吹き渡る海風は健康で美しいのに対して、ジャングルの中の山、夜に吹きつける陸の風は瘴気を含み、病を運んでくるという二分法である。

以上は
Savage, V.R., Western Impressions of Nature and Landscape in Southeast Asia. Singapore University Press, 1984.
を土屋健治がまとめてくれたものの孫引き。

土屋健治,『カルティニの風景』,めこん,1991

2007-12-12 21:25:39 | コスモポリス

なんどか断片的に読みかえしている本だが、感想や批評を書きにくい本だ。

いいたいことはわかる。
19世紀末から20世紀初頭、まだナショナリズムとか〈インドネシア〉という概念がなかった時期に出現したカルティニという女性(少女とか乙女といってもいいのだが、当時のジャワ世界では行かず後家の部類にはいる年齢だったから、女性と書こう)、そのカルティニがオランダ語で書いた書簡をめぐる回想と、ジャワおよびインドネシアの文化である風景画とクロンチョンなどの民衆文化を捩りあわせたもの。

三つの話題、風景画・クロンチョン・カルティニの書簡、これらに共通するのは、現実のジャワやオランダ領東インドではなく、過去にあったとされた懐かしい景色、ノスタルジックなリズムとメロディ、書簡にみられるジャワの風景や人情、これらはみなフィクションである。しかも、特定の時代や特定の地域に限定されない、どこにもない風景であり、特定の民族や身分をこえたクレオール文化である。

それら無国籍でノスタルジックな文化が、〈インドネシア〉という国家、民族の文化と認識されることがナショナリズムの発生である。
カルティニの先駆性は、オランダ語とジャワ人の感性の混じったクレオール文化を、無意識のうちに書きつづったことである。

と、いうこと。
インドネシアや東南アジアの研究者に違和感を与えるとともに、一般読者に強烈
な印象を与えた一冊である、ようだ。

違和感、というのは、以下のような感じだろう。(桜井由躬雄,『緑色の野帖』をヒントにして述べる。)
つまりだ、政治思想や王権思想、教育やジャーナリズの研究でまっとうな業績をあげ、並ぶものなき評価を得ている土屋さんが、こんな雑な論議をすることはないんじゃないか。
風景画やクロンチョンのすばらしさはわかる。しかし、それを国民文化という枠でとらえようとすると、ひじょうに窮屈で限定的になるのじゃないか。
カルティニの先駆性はわかる。しかし、彼女は結局、オランダ政府や開明派に利用され、悲劇の死をとげたから〈革命の殉教者〉に祀りあげられるのであって、それを外国人研究者が、真剣にとりあげる必要があるのか。

以上のような批判は、土屋健治自身が自覚していた、と思う。
編集者の桑原晨もわかっていたのじゃなかろうか。(桑原社長は、もっとすごいものを書かせたかった、編集者として著者からもっと搾り取りたかった、と追悼集で書いている。)

ただやはり、土屋健治は書かずにおられなかったのだろう。本書は、2週間ほどで一気に書かれたようで、実証的研究では書ききれない思いを描いたもの、文学作品になった。
実証的研究に齧りつけない一般読者にアッピールしたのは、やはり、組織論・イスラーム・王権思想・さまざまな条例や法規の記述、そんなことより重要そうな(じじつ重要であろう)文化や心性を描いてみせたからだ、と思う。

わたし自身はといえば、やはり、こんな入口がないと、サリカット・イスラムがどうのタマン・シスワがどうのという点から出発したのでは、興味がもたない。
一方で、ナショナリズムには、マキャベリズムも妥協も捏造もついてまわるものであって、民衆文化や文学を楽しむように、クレオール性とコスモポリタン性を持上げるだけではすまない、と思うのだが。

いやいや、こういうレベルのことは、土屋健治はとっくにわかっていたと、思う。

本書を他人からすすめられて読もうという人はめったにいないだろうが、
本書で描かれるのは、都市の文化、都市の住民のことがらであり、農村や辺境のフロンティアのことではない、ということに注意。
あとやっぱり、クロンチョンは聴かなきゃわからないな。

プラムディヤ選集7『ガラスの家』へのコメント

2007-12-10 21:45:17 | フィクション・ファンタジー

前々項のオランダ解放百周年について、別のテーマから描かれる。

1913年、オランダ東インドでは、オランダ王国の解放百周年を祝う祝典が大々的に開催されることになる。100年前の解放とは、次のような次第である。

1811年、オランダはフランスの一部となり、皇帝ナポレオンの弟であったルイ・ボナパルトは併合を歓迎した。
東インドでは、フランス領となった植民地を狙うイギリス軍の侵攻にそなえ、原住民の犠牲のもと要塞と軍用道路が建設された。
総督ダーンダルスはナポレオンに召還されてロシア遠征へ加わる。
後任の総督ヤンセンスのときイギリス艦隊の攻撃があり、ジャワとスマトラはイギリス領となる。
1813年、ヨーロッパ諸国軍がナポレオンを倒すとオランダは〈フランスから解放された〉。その百周年が、1913年である。

以上が地の文で解説される。
これでは、つまり、オランダは、すすんでフランスに併合され、そのどさくさに東インドはイギリスに占領された、ということではないか。東インド総督ダーンダルスはみずからオランダ旗を下げ、ナポレオンに協力してロシア遠征へ。

植民地政庁の官僚であるフランス人R氏は、〈フランスからの解放〉というお祭り騒ぎに憤懣やるかたない。彼にすれば、ヨーロッパ文明を最初に作りあげたのがナポレオンである。
不満をぶちまけられた語り手パンゲマナンは、
「お国のフランスはオランダと東インドを支配した。わたしは、オランダ人として、原住民を支配する側に加わった。そしてオランダに追従した原住民として、同胞を監視することになった。これ以上なにか言うべきことがありますか。」(p289)

フランス人R氏の怒りは、御用新聞が煽る祝典のバカ騒ぎに向けられるべきだ。しかしR氏は、むしろ、祝典を批判する東インド党の新聞へ怒りの穂先をむける。
混乱している。

一方、パンゲマナンは、R氏を相手にした場合は混乱していない。
自分は、プリブミ(原住民)であり、植民地側の官僚になって、プリブミを監視する職務である。それだけだ。
しかし、ミナハサ生まれのカトリック、フランスに留学し妻もフランス人、息子たちをフランスに留学させている人間として、オランダ東インド政庁が〈フランスからの解放〉を祝うのは、文明化されたプリブミとして素直に納得できるものではないはずだ。

*****

『足跡』の中で、ミンケの母のセリフ。(p90 - 95)
「もし人間がみな同じ権利だとしたら、母親のわが子に対する権利はどうなるの」
「たしかにヨーロッパ人は、自分のことはなんでも自分で背負い込むものなのでしょう。でもあなたにはこの母がついているのに、そんな必要はありますか」
「フランス革命をそんなに信じてはなりません。あなた、その革命のうたい文句はなんだと言ったかしら。自由、平等、博愛? それがみな真実なら、このジャワにいるオランダ人の立場はどうなるのですか……」

『ガラスの家』で、パンゲマナンの自宅を訪れたR氏へ、子供たちが蓄音機でレコードをかけて聴かせる。
フランスで流行の歌を聞いてR氏は、
「パリ!人間がつくったものでパリほど美しいものはない!」
「そして、フランス人歌手の声ほど美しい声はない」
と感激する。
しかし、実は、この歌手は、第3部『足跡』で、一度ミンケと婚約した少女、フランス人傭兵とアチェ人女性の間に生まれた〈混血〉である。
フランスこそは、オランダ東インドと同様に多民族を武力で、あるいはもっと強力な文明の魅力と魔力で結びつけた国家である。

押川典昭 訳,プラムディヤ・アナンタ・トゥール,『ガラスの家』,めこん,2007
以上、断片的なコメント

押川典昭 訳,プラムディヤ選集7,『ガラスの家』,めこん,2007

2007-12-09 18:55:59 | フィクション・ファンタジー

無事読了。あいだ4日間ぐらいあいたが、正味15時間ぐらいで読んだ。

前々回の疑問は解けなかった。
小説は、アジビラでも論説でもない。膨大なテーマを飲みこんで読者に投げる。だからこの『ガラスの家』であつかわれるさまざまな問題も、作者が解答するものではなく、読者が考えるべきもの、というわけ。

めこんのサイトに、池澤夏樹・本橋哲也・高地薫(JICA専門家、この方知らない)森山幹弘(南山大学教授、この方も知らない、失礼)の書評が載っている。
うーむ、池澤夏樹さんや橋本哲也さんの書評では、あたりまえすぎて、ああそうですか、という感じ。
もっと全然ちがう方面からの、たとえば目黒考二さんとか、大森望さんとか、まったく違う方面からの批評がないものか!!

*****

1999年、プラムディヤがミシガンに行った時のインタビュー記事
www.umich.edu/~newsinfo/MT/99/Sum99/mt9j99.html

インタビュワーはミシガン大学のスタッフ(本作品の翻訳者が通訳)。
アメリカ合衆国で、どんな観点から読まれているかわかっておもしろい。

映画化のオファーがあったが、主人公をミンケではなく、アンネリースにして……という話だった。うーん、なにを考えているのだ。ノーベル賞候補といっても、この程度の理解なのかよ。
映画化はインドネシア国内の撮影が可能になれば簡単だろうが、ことばの問題をきちんとやってくれないと意味ないと思う。
つまりだ、この小説ほど、登場人物が○○語で言った、しゃべった、という断り書きが多い小説は、(わたしの狭い了見では)ほかにない。
登場人物が、何語で家族と語り、学校で学び、演説し、新聞を発行するか、というのが大きなテーマであるのに、これを全部ひとつの言語(たとえばインドネシア語)でやられたら、意味ない。しかし、そうすると、全編字幕入り、ということになる。これでは、一般観客をよべる映画にはならないよなあ。

*****

年表をみればあきらかなことでも気づかずにいること、その関連をおもいしらせてくれる小説だ。
ジェパラの乙女(実在のカルティニをモデルにする)は日露戦争の直前に死亡する。
カルティニによりもはるかに広い世界を知る美少女・安山梅(メイ)、上海のカトリック修道院で育った孤児であり、オランダ東インドに密入国したテロリスト、物語中では、主人公ミンケとイスラム式の婚姻をすませる。中国人女・メイは、
「ロシアも日本も、巨体を犯す梅毒=トレポネマ・パリズムのようなものよ。」と、看破する。
梅毒菌は、ちょうどこの時代、ドイツ人医師フリッツ・シャウディンとエーリッヒ・ホフマンが淋菌とは別の病原菌として同定していた。

中心人物ミンケは、海域華人世界のソン・イッセン(孫文)のように、医者の道から政治とジャーナリズムの世界へ身を投ずる。
海域華人世界からジャワにやってきたメイ(安山梅)は、英語世界を知る女テロリストだ。

一方で、ジャワ語は、外の世界から閉ざされた、自由なコミュニケーションを妨げる言語とみなされる(少なくとも第1部から第3部までの語り手のミンケの描き方からは)。世界に開かれていないことは当然として、オランダ語による支配を補填する、反啓蒙的で暗愚な支配層の言語。(しかし、それはミンケと母をつなぐ唯一の言語である。)

物語中で〈ジェパラの乙女〉と呼ばれるカルティニ。実在のカルティニと彼女をめぐる事件を忠実に描いているのか(つまり、フィクションが混ざっているのかいないのか)判断できないが、この〈ジェパラの乙女〉は、オランダ語の読み書きを学び、オランダ語を広い世界を知る窓として、文通による表現を開始する。
〈ジェパラの乙女〉が、オランダ東インドの枠の中でオランダ人の開明派(倫理政策派)に利用され、からめとられていく……と、小説は描いている。(この点は、わたしの勝手な判断ではないよね。)

以上のような事情が、インドネシア現代史の中で、言語の問題、言語政策がおおきな論点となる背景である。
外界のニュースを伝える新聞も、医学のような新技術も、オランダ語経由でしか伝わらない。ジャワ語は、礼節を重んじ、ワヤン劇の宇宙を語る言語、新時代に対応できない不自由な言語、と規定される。

こうした中、主人公ミンケは、マレー語(マライ語、その中でも教科書的マレー語ではなく、市場マレー語といわれる口語)の新聞を発行する。このへんは、当事の複数のジャーナリスト・政治指導者をモデルとしてストーリーにしているようだ。

では、オランダ支配体制を揺るがし、プリブミが主体となる政治・社会をつくるためには、ジャワ語を捨てるべきか。
オランダ領東インドの住民でも、ミンケの悩みは少数派である。
物語が進行する時代、つまり20世紀初頭に東インド政府軍に敗れたアチェーやバタック、ずっと前に支配下にはいったアンボンやミナハサの者たちにとっては、共通語としてマレー語を使うことは当然であり、ジャワ語にはなんの未練もないし拘束されていない。
一方でジャワ貴族層・商人層もジャワ語の使用を当然とかんがえている。

さらに、〈プリブミ〉という枠におさまらない者たち、〈アラブ人〉〈中国人〉は、〈プリブミ〉勢力に先立って組織をつくり、外の世界の動きを知り、東インド内で商業や教育の基盤をつくりはじめている。

そして、〈インド〉とよばれる、〈オランダ人〉と〈プリブミ〉の〈混血〉たち。
この、一番不安定な、プリブミには妬まれ、オランダ人に利用されて軽蔑されるものたち。

そして第4部『ガラスの家』の語り手は、プリブミでありながら、フランス人の家庭の養子になり、ソルボンヌに留学しヨーロッパ思想を体現した男。ミナハサ生まれでカトリック、フランス人の美しい妻を持つ男。

上記のスケッチは、この小説のごく一部であるので、この方面にテーマだけにこだわらないように!

土屋健治,「「原住民委員会」をめぐる諸問題」,1997

2007-12-09 11:17:12 | フィクション・ファンタジー

岡崎京子の「トーキョー・ガールズ・ブラボー」にこんなシーンがあったっけ。(現物が今手元にないので、記憶にたよる。)

主人公のアーパーな少女が東京の学校に転校してくる。転校第一日めの自己紹介で、「ショーライのユメはガイジンになることでーす!」と宣言する。
あほか……。

オランダ領東インドに生まれた少女・カルティニが、級友のオランダ人に「将来なにになりたい?」と訪ねられたとき、カルティニはそれまで感じたこたがないような混乱を感じた。
狼狽して家にかえったカルティニは、母親に級友の問いを告げたという。
母親は笑って、幼い子を抱きしめた。
幼い原住民のカルティニには「ガイジンになることでーす!」という考えは、まったくおもいもよらないことであった。その後カルティニは、オランダ語を通じ、啓蒙の時代の精神をいくのだが……。

彼女の死後、オランダ領東インドの原住民で、「ガイジンになったら」と考えた者がいた。

スワルディ・スルヤニングラット、彼は、
「もしも私がオランダ人であったら」というパンフレットを執筆した。

その結果どうなったか?
ジャワ人であるスワルディは、ジャワ追放、島流しの刑を宣告された。
あはは!どうして、ガイジンであったら、なんてアーパーな文を書いただけで島流しになったんだろう?

以下、
土屋健治,「「原住民委員会」をめぐる諸問題」,『東南アジア研究』15巻2号,1997年9月(http://www.cseas.kyoto-u.ac.jp/seas/15/2/150201.pdf)
に基づく。パンフレットの日本語訳もついているので、ここで要約しない。

スワルディが罰せられたのは、そのパンフレットの内容が違法だったからではない。
そうではなく、彼の執筆したパンフレットが、東インドの秩序と安寧を乱す、と見なされたためである。あくまで、内容ではなく、その結果の秩序の乱れを阻止しようという、植民地官僚の実務的な対応である。(と、土屋健治は分析している。)

植民地官僚たちは、原住民のスワルディに、このような高度な論説、「やつし」と「風刺」を駆使した文章が綴れるとは考えなかった。
おそらく、オランダ人混血の跳ね上がり分子であるデッケルの差し金、デッケルの論旨のオウム返しのコピーぐらいだろうと、考えた。
原住民にこのような高度な論旨と風刺が独創できるわけがない。これは、一部の悪質なオランダ人の影響をうけた原住民の猿真似であろう。

つまりこういうことだ。
カルティニの場合は、原住民の貴族の子が(それも女の子が)じょうずにオランダ語を綴り、すなおに西洋文明を賛美した、植民地政庁にとって安心できる存在だった。しかも、彼女は、旧弊な婚姻慣例の犠牲になり、こどもを生んだとたんに産褥で死亡する。ジャワの旧弊の犠牲者、西洋の文明の光を浴びたとたんに逝ってしまった不運な子、と宣伝され、解釈された。(こういう見方に対する批判は山のようにあり、土屋健治自身も『カルティニの風景』の中でも書いている。また、当事の状況はプラムディヤ『足跡』にくわしい。)

土屋健治は、スワルディの文章からジャワ伝統のワヤンに登場する道化の語りを読みとる。サントリ(クシャトリア階層)やバラモンを皮肉り、観客を笑わせ、ワヤン劇の神聖な構造をかっくんと骨抜きにする存在。
スワルディは、ジャワの伝統をオランダ語で表現した先駆的な知識人(グル)であり、道化であった。

しかし、オランダ植民地政庁は、内容を理解することなく、秩序を乱す存在として、実務的に処理して切り抜けようとした。

というのが、土屋健治の分析だ。

プラムディヤの『ガラスの家』では、この事件が描かれるが、「もしも私がオランダ人であったら」には言及されない。
そのかわり、別の面から、実務的に処理せざるをえないユーラシアンの官僚・パンゲマナンと、はらわたが煮えくりかえるような怒りを感じるフランス人官僚R氏を描いている。

押川典昭 訳,プラムディヤ選集6,『足跡』,追加

2007-12-01 18:43:21 | フィクション・ファンタジー

小説の内容に関する言及あり。
先入観なしに読みたい方は、以下、無視してください。

まだ、『ガラスの家』にとりかかってないので、その前に気になること。
ひょっとして、第4部で追求されているのかもしれないが……

ミンケをめぐる三、四人の女性について。
第1部から3部まで、語り手であり中心人物であるミンケは三人の女性と結婚する。
最初が、絶世の混血美少女・アンネリース
つぎが、上海で育ち東インドへ秘密結社の活動のため上陸した、これも美貌の梅(メイ)。
三人目が、カシルタ島(マルク)から父王と共に流刑中の〈プリンセス〉。

リアリズム小説(といっていいか?)にあるまじき(?)美少女・美女の連続。
それ以外に、フランス人画家にして東インド政府軍の傭兵であったジャンとその敵であるアチェ人女性の間に生まれたメイサロとは一時婚約。
〈インド〉(東インド生まれのユーラシアン)弁護士の妻・オランダ女性のミルとの間で***。

第一部から三部まで登場するニャイ・オントロソ、この女性は主要登場人物の中で、もっとも精彩をはなつ人物で、ジャワ人である。この女性のみジャワ人。あとは、みんなジャワ人ではない。

おっと、最重要人物(?)を忘れていた。語り手のミンケの母。ジャワ女性の典型のような、いや、典型そのものである女性だ。

この母、その母の期待を裏切り続ける息子、息子の妻たちは、みなジャワの伝統のかけらもない異人である。
物語は、母のとまどいと悩みを無視して進行するのだが。このことは、小説のテーマとして、第4部で扱われるのか、それとも、無視して進行するのか??

というわけで、第4部へ!

押川典昭 訳,プラムディヤ選集6,『足跡』,めこん,1998

2007-12-01 18:41:35 | フィクション・ファンタジー

『ガラスの家』が刊行された。
これで押川典昭畢生の名訳によるプラムディヤ・アナンタ・トゥール「ブル島四部作」完結!

というニュースを知って、どんな反応があるだろう。

1.おお!と思いさっそく購入、すぐ読了した!(日本全国で約50人?)
2.ああ、あの作品か。すっかり忘れていたよ。前の巻はどこにしまったっけ?(日本全国で約500人?)
3.そういえばそんな人いたっけな。インドネシアの作家か。全四部?うーむ。(日本全国で約1000人?)
4.ああ、共産主義とかの小説でしょ。ノーベル文学賞候補だったって?イスラム教徒なの?へんなの?(日本全国で??人)

わたしはといえば、おおよそ2.のタイプである。
実は、第2部の途中で中断。どうせ、まだまだ第4部はでないだろうから、そのうち、と思っているうちに第4部完結編が出た。

第1部から読み直す気力と時間はない。しかし、まったく第3部を知らず終わるのもなんだと思って、第3部、この『足跡(そくせき)』をひもとく。

小説は、内容その他よりも、そのときの体力や気分で読み通せるかどうか決まる。今現在、体調や気分から読んでいけそうだ。
ずんずん読める!

それで最初に書いた 2. のタイプのみなさん!とりあえず第3部を読もう!
しおりに第2部までのあらすじと登場人物も載っている。第1部からよみなおす時間や余裕のない方も、ここからいこう!

さて、この作者や作品名を知っていても、まったく手にとったことがない方々へ。

まず、全4部は連続しているので、最初から読んでいく以外ない。これは原則だ。
タイプとしては、わたしの狭い見識からいえば、トルストイやドストエフスキーやのタイプ。あわわ。こういうと、ますます避ける人が多くなるか。たぶんドイツやアメリカ合衆国にも、似た感じの作家がいるだろうが、わからん。『虹色のトロツキー』や『スターウォーズ』のようなアクション・シーンはないが、この方面の話だと思ってくれ。

とにかく長い物語が好きな人なら読める。

ノーベル賞候補なんて、おもしろくない作品の代名詞じゃねえか、という予断をおもちの方、そんなことはないぞ。政治的立場その他、まったく考慮する必要なし。
それから重要なことは、
予備知識は必要なし!!
力強い文学作品が、半端な知識を必要としないように、この作品も歴史的バックグラウンドなんか必要ない。だいたい、必要かつ十分に知っているのは、訳者の押川典昭さんやその周辺の人だけだ。

おそれることなくアタックしてもいいぞ!(だいたい第1部『人間の大地』あたりは、図書館でホコリをかぶっているはずだ。まず、ページを開いてみよう!)