東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

岡野薫子,『太平洋戦争下の学校生活』,平凡社, 2000

2008-12-06 18:48:29 | 20世紀;日本からの人々
新潮社 1990年刊の再刊,平凡社ライブラリー版。

幼いころに父親を病死で亡くし、母子家庭であった著者の戦時中の記録。しかし、都会の中産階級の暮らしであり、下層の経験とは違うし、農村や外地の暮らしとも全然異なるであろう。
なにしろ、著者の大伯父・岡野繁蔵という人物は、オランダ領東インドで、大信洋行という貿易業・デパートを経営していたという桁違いの人物。(神戸大学のデジタルアーカイブで検索すると、この人物に関する新聞記事やインタビューが読める)
著者の家族は、この大伯父から援助を受けていた。
ガイジンが国外退去した後の野尻湖の別荘を管理する、などという時流を見る目がある人物で、著者は大伯父の招待で昭和19年の正月にスキー旅行!

小学校卒業後、女学校に進学するのが当然と思うような家庭である。
それに生活環境もよく、都心の家なのに庭があって、道路で遊べる時代だったのである。
小学校・女学校の級友や恩師とも、よい関係であったようで(よい関係すぎる、教育者の立場からの記述が多いなあ)、本書執筆に際してもアンケートをとったり、思い出話を聞いている。1943年(昭和18年)ごろまでは、明るく楽しい学校生活であり、敗戦や空襲など真剣に考えられないのんびりした生活だったのである。

大恐慌の年1929年に生まれた著者の記憶は1930年代前半から始まる。
日常の思い出や感想を記すとともに、大事件の報道、歌や映画の思い出、勅語や詔書、法規や制度がほどよい分量で挿入される。(この分量が重要で、あまりに引用ばかりだと、うんざりするし、個人の思い出話というのも単調なものである。)

*****

われわれ1950年代生まれの者は、この種の知識は映画か小説からしか得られなかった。ほどよくまとまった本は1980年あたりまでなく、従軍記は被害者意識ばっかり、内地の記録は食糧難の話ばかり、戦記や歴史は単調な事実の羅列ばかり、という状態であった。

冷静にこの時代が記録されるようになると、今度は読者の側が、基本的な知識がない、という状態になった。
上下水道もガスもないし、家風呂がないのがあたりまえなのに、それを悲惨な状況と思ったり、義務教育期間が短いことを後進国の欠点と考える。
さらに、記録する側の記憶が歪み、悲惨さが強調されたり、逆に昔はよかった風になると、正確なイメージが浮かばない。

そんなわけで、昨今、〈ほんとうはこうだった〉〈真実の日本は……〉てな調子の論議もおこるわけだが。
本書ぐらいの分量で、本書ぐらいの冷静な筆致がちょうどよいと思われる。

当時の小学生、女学生が当然のこととして知っていた勅語・歌・ものがたりが載っているし、授業や集会、掃除、行事についても詳しい。
〈ニッポンジンとして……!!〉と力む前に、勅語や詔書ぐらい暗唱できるように!

前項のトピックにひきつづき、日本列島でのヤプーの飼育記録であります。前項、『アーロン収容所』や『家畜人ヤプー』に対して、雌ヤプーの側からの反論・批判はないんでしょうか?わたしがさがせないだけで、いっぱいあるのだろうか?

*****

こまかい話だが、本書の中で一番驚いたのは……(p325-7)

蚕というのは桑の葉を食べて育つ昆虫であるが、東南アジア各地には、別の食性を持つ蚕の仲間が多数存在する。(日本にも)
その中で、アッサム原産で、ヒマ(ひまし油を採る樹木)の葉で育つヒマ蚕というものを、著者は育てる。
学校の先生からもらって、飼育日記をつけていた。

そのヒマ蚕(正式名称は恵利蚕)は、繊維原料の減産を補う目的で鐘紡が研究所を設け、高松宮殿下も飼育していると報道されていたんだそうだ。ジャワなど南方での衣料材料として有望視されたんだそうだ。

ほんとに飼育に成功して繭ができる直前まで育てた著者はすごい。(観察ノートは正体不明の外部の人間に没収された。女学生の研究成果を参考にしようとしたのか?何か別の意図か?)
それにしても、現実離れした政策はともかく、外来種による生態の攪乱など考えなくともよいのんびりした時代であったのだ。
『本』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
« 会田雄次,『アーロン収容所... | トップ | 『エマニエル夫人』,1974,フ... »

コメントを投稿

20世紀;日本からの人々」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事