東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

石澤良昭 他編,『岩波講座 東南アジア史 2 』 コメント2

2009-06-07 21:25:57 | 通史はむずかしい
第2巻から感じることの二番目は、例外的な地域に碑文や遺跡が集中している、ということ。

この場合の例外的というのは、人口が稠密で農業が発達した地域である。
他の世界なら、ちっとも例外的ではないが、東南アジアの場合、農業生産力が高く、王朝が生まれ、荘厳な宗教建築が聳えるというのは、ごくごく例外的である。

アンコール王朝を別にして、(いや、アンコールもカンボジアの先祖であるが)本巻で扱われるベトナム北部・エーヤーワディ河流域・ジャワ島東部の三地点がのちのベトナム人・ビルマ人・ジャワ人の国家の基礎になる。現代の国家に連続する、という歴史も書かれる。

しかし、東南アジア全体では人口希薄な山地や熱帯林、島々をつなぐ海、河口や島嶼の港が主役である。
主役である、という見方には異議も唱えられるが、人口稠密で農業主体の地域だけが発展した、という見方は否定される。
土着の王権と農民が作る社会ではなく、外来の商人や布教者が訪れ、森林採取物産や海産物や舶来品が取引される場所が東南アジアらしい風景になる。

アンコール王朝という、東南アジアらしからぬ(とまで断言できないが)王朝が生まれ、それが後の政体や拠点都市に結びつかないのは、このアンコールが、例外的な風土にムリをして存在した帝国であるから。……と断言してしまうと文句が来るだろうが、少なくとも、あのアンコールを東南アジアの代表と捉えることはできない。(アンコール遺跡の研究者、ファンの皆様を貶しているわけではない。あくまで、生態と環境が特殊だといいたいのである。)

総論を執筆している石澤良昭が以下のように述べている。

従来、巨大建築が造営されるのは、強力な権力があったからだ、という説が支配的であった。東洋的専制というやつで、支配者は水を管理し、住民を支配するというモデルである。

これに異議を唱えたのが、ウォルタースの「マンダラ論」1982年。

つまり、アンコールのような地域は、支配体制が脆弱で、官僚制も未成熟な段階だからこそ、巨大モニュメントで力を誇示し人々を威圧しなければならない。
支配者は、個人としての強力なパワーやカリスマを持つ人物でなければならない。

結果として、カリスマとパワーを持つ人物が消えると後継者が同じようにカリスマとパワーを持つとは限らない。
それゆえ、東南アジアでは、権力の中枢が常に移動し、そのつどパワーを持った政体が、まわりに小さいパワーを持つ政体に影響を与えながら存在する。

こういった体制を「マンダラ」と名づける。

このマンダラ論はひじょうに広範に受け入れられ、現在、どの時代どの地域に適用するかの論議はあるものの、基本的な理論となっている。(マンダラという名称を避け、銀河系とかソーラー・システムなどと呼ぶ学者もいるが、あんまり新語を作っても意味ないような……)

そうすると、本巻が扱う、パガンとクメールは、環境は特殊でも、権力の形態としては代表的なマンダラ世界と捉えられる。さらに、紅河デルタの北部ベトナム、チャオプラヤー・デルタのアユタヤ、ジャワ島、大陸山地のタイ人世界、すべてマンダラ的な世界だ。
さらに、マラッカ海峡一帯もマンダラの点在する地域である。反対論異論続出であるが、現代の東南アジアもマンダラ的な性格が続くと理解することも可能だ。

ともかく、領域国家、帝国、民族などといった言葉を使わず歴史を語るために、マンダラという用語は便利である。
ただ、〈港市〉あるいは〈港市国家〉が高校の教科書にも用いられているのに、マンダラはまだまだ一般化していない用語であるようだ。

高校の指導要領の用語をこれ以上増やすのは問題だろうからしょうがないが、一般人が読書していくうえでは、たいへん便利で有益な概念だ。だいたい、ほとんどの研究者が、特にことわりなくマンダラという用語を使っている。

東南アジアの権力=マンダラ

と、覚えておく。


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