東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

中根千枝,『未開の顔 文明の顔』,中央公論社,1959

2009-05-19 21:27:27 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
これは意識的に避けていた本。安易な日本人論がはやった時期に『タテ社会の人間関係』など発表していた方なので避けていた。
ただ、戦後日本人として初めてマニプールに入った人物であるようで、そのマニプール(ウクルルまで行っている)を含めた見聞録。

まあ、読む前から内容が想像つくのだが、その想像どおりのことが書いてあるのだ。
この種の滞在記、インドとヨーロッパと日本の比較、現地日本人社会や政府官僚との付き合い、などなど、ある種のパターンの原型といえるだろう。
1953年から3年ほどインドに留学し、留学というけれど現在の言葉でいえばフィールド調査でしょうが、その後ヨーロッパにも滞在した人物である。

インド滞在中はアッサム州でガロ族のフィールド調査。家族組織や婚姻をおもな研究対象とする社会調査である。今日の水準からみて、どうのこうのと言ってもしょうがないが、せっかくナガ族の踊りを見ているのに、音階のこともリズムのこともなんにも書いてないのがツライ。ちなみに小泉文夫(1957年インド留学)よりも早くインドに滞在した貴重な調査であったわけだが。
佐々木高明や石毛直道は、悔しくてうらやましくて歯ぎしりしたであろう。中尾佐助がブータンやシッキム、アッサムに行く5年以上前だ。同じころ(1956年)堀田善衛がインドで考えているが、つきあったのはインテリだけである。

日本軍の話を聞くという、後のフィールド研究者がたびたび遭遇する、微妙な感情を記録したもっとも初期の記録である。さいわい当地では日本軍は勇敢で規律正しかったようだ。よかったよかった。

シッキムがまだインドの州になる前の時代のガントック。
ここでは、シッキム王第一王女ククラ姫とおついきあいする。姫に、ブーティア族の調査だったら、ラチェンやラチュン(シッキム)へ行けばよいとすすめられる。しかし、外国人の入域はインド政府から厳禁されている。
さらに、「ごいっしょにラッサにいらっしゃらないこと。私たちと同じ顔をしていらっしゃるんですもの、チベット服を召したら絶対にわからないことよ。ラッサはそれはすばらしいの。」とお誘いを受ける。おお!

後半は、ストックホルムとイギリスでの短期滞在、帰途のギリシャの旅も記されている。

……と読んでいって、これ、以前に読んでいたと気づいた。
最初に意識的に避けていた、と書いたのはウソです。中公文庫のこの種の紀行はずいぶん読んでいるから、本書も読んでいたのだ。記憶がどんどん薄くなっている。まあ、まったく内容を忘れてしまっているよりはマシか。

〈読む前から内容が想像つくのだが、その想像どおりのことが書いてあるのだ。〉と書いたが、以前読んでいたから当然だ。