東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

日埜博司,『クルス『中国誌』』,講談社学術文庫,2002

2009-02-08 17:31:06 | 翻訳史料をよむ
矢澤利彦「学術文庫版のための序」が冒頭に。
それによれば、
長南実・矢澤利彦 訳,ゴンサーレス・デ・メンドーサ『シナ大王国記」,1965
は、クルスの著作を大量に引用・剽窃したものであり、一次資料としては、本書『中国誌』のほうが格段に正確であるのだそうだ。
メンドーサの訳者がじきじきに言うのだからほんとうだろう。

ただし記述が正確であることが即、史料としての価値を高めるかというと、そうでもないのだ。

どういうことか。

つまり、メンドーサ『シナ大王国記」のほうは、当時のヨーロッパ人のシナに対する憧れ、幻想、過大な賞賛、事実を歪めた描写があるわけだが、そのマチガイや勘ちがい、誤解を知るために重要な史料であるわけだ。

それに対し、本書のほうは誤解や曲解が少なく、だいいち著者本人がシナ本土を見たファーストハンドの記録である。
当然、内容に信頼はおける。
しかし、その事実の部分というのは漢文史料そのほかで容易にわかる内容である。現代の日本人読者で、当時のシナを知るために、まず本書にあたるという読者はほとんどいないだろう。

ここに、「序」の著者・矢澤利彦が書いている憤懣の理由があると思う。
どんな憤懣かというと、矢澤らが訳したものは、ほとんど読まれていない、批判もされない、ということだ。

かくいうわたしも「シナ大王国記」は、ぺらぺらめくっただけで、降参。
実に読みにくいのである。
なぜ読みにくいかというと、当時のポルトガル人記録者の誤解や偏見やマチガイをできるだけ原型をとどめるように訳しているからだ。
だから、固有名詞も地名もポルトガル語のカタカナ表記をつけ、シナ語をポルトガル風に書いたものの原綴をひとつひとつ示す。
たしかに史料翻訳としては当然の努力であるが、一般読者としてはしんどい。

一方、本書は実に読みやすい。
めんどうな文献的注、言語学的注を省略し、本文がすらすら読めるように書かれている。
注は、記述が妥当かどうか、メンドーサの記述との差異、当時の事情など内容そのものに関することをまとめて読者に説明する。
春名徹氏が書評で絶賛したそうだ。

もっとも、あんまりすらすら読めて、見逃してしまう危険もあり。
「大航海時代叢書」など読んでいる人は先刻ごぞんじだろうが、〈中国〉〈インド〉などという訳語、知らない人が読んだら誤解しそうである。

凡例に明記されているように、〈インド〉というのは、南北アメリカ大陸だけではないのは当然だが、本書の時代はインド洋から日本列島あたりまでを含む。もちろん、日本列島という地理的概念はまだないが。

書名としては最初の『十六世紀華南事物誌 ヨーロッパ最初の中国専著』のほうが適切だと思うが、これじゃますます売れないだろうな。

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原書出版1570年、クルスは印刷完了直前にペストで死亡。

初版は、
『十六世紀華南事物誌 ヨーロッパ最初の中国専著』,明石書店,1987
改訳、改題して再刊は
『クルス「中国誌」 ポルトガル宣教師が見た十六世紀の華南』,新人物往来社,1996

本文庫は、新人物往来社版を底本として、序文やあとがきを付ける。文献的註釈は省略。索引なし。