それで、この一冊。
必読!最適!おもしろい!
というか、これを読まなかったら、東南アジアの歴史のイメージはつかめなかったでしょうね、わたしは。
全体が二種類に活字で組まれているが、ひとつは東南アジア史の短い概説。もうひとつは著書の旅と研究生活の記録。ぜんぶの章に地図入り、旅の記録は日付入り。
前項『東南アジア世界の形成』でとびだした、「ヌガラ」とか「ムアン」という概念がなぜ必要とされたか、そもそもなぜ東南アジア史を研究するのか、そういった事情が著者自身の経歴として語られる。この類の、悪くいえば自分史みたいなものになってしまう事情を、ちゃんと他人にわかるように書いてくれる歴史研究者はあんまりいないので、とても参考になる。
歴史研究のモーティベーションというか、目的というか、そのへんがわからないと、いくら新概念や新発見を説かれてもわからないのだよ。
さらにわかりやすくて楽しいのは、各章が短い旅行記になっていること。
第13章の終わりを見よ。著者・桜井由躬雄は、王国の呪術者であり長老である人物から、宮廷の賓客として認証され、王国の歴史家になるのだ!その「宮廷」「呪術師」「王国の歴史家」がどんなものかは、各自が本書を読めばわかるが、こんなエピソードがあるからこそ、歴史書の背景がわかる。
あるいは第11章のスマトラ・バルス。「新唐書・室利仏逝伝」「諸蕃志」の記述やトメ・ピレスの情報、マースデン『スマトラ志』の記述、タミル語碑文、などなどの史料に描かれたスマトラ・バルスがどんな世界だったのか、「インド化」とはどういう状況のことだったのか、世界市場向け商品を生む地に暮らすバタックの神話が外の世界とどう関連するか、そういうことがよーくわかる。
先史時代から摩天楼とドイモイの時代まで時空を旅するのであるから、当然、東南アジア全域をカバーするわけではない。
しかし各時代の焦点となるようなトピックと場所を描くことにより、全域・全世界の歴史のイメージが浮かび上がる。フィリピンもビルマもまったく描かれていないが、それは本書のイメージと方法を応用して他の本を読めばわかっているというものだ。
歴史家はむづかしい語句やいいまわしや専門用語を使うことに慣れているから、難解な文章になってしまい、一般読者にちんぷんかんぷんになっていまいがちだが、本書の文章は微妙な問題を扱いながらも読みやすい。ああ、わかりにくい部分があるとすれば地名や生態用語や植物名だろうが、それくらいは自分で調べよう。インターネットも事典も図鑑もあるんだから。