下巻の一部だけレビュー。
フィリピン・バタン島のイトブット(Itbut)村、1970年の調査。
ヤムイモとサツマイモを主作物とする輪作畑作農耕の村。
イモを栽培するさい、ニワトリやブタの血を供犠する儀礼がある。著者の推定によれば、これは古い時代の雑穀ないしは陸稲焼畑の儀礼が根菜農耕に起源があるものである。
フィールド調査とともに、ふたつの日本からの漂流記録も参照される。
寛永年間(1660年代)と天保年間(1830年代)の記録である。
この2種の漂流記録から、過去の農耕や儀礼、食物調理を再現する。
サツマイモはスペイン人の渡来とともに持ち込まれたようだ。
過去の記録にアワ栽培の記録はない。
大型獣つまりブタ・ウシの供犠がある。
サトウキビからつくった酒やキンマも天保期には記録されている。
*****
台湾・屏東県・霧台(ブタイ)郷・去露(キヌラン)村での1971年の調査。
まったく平坦面がない村で、斜面の焼畑でサトイモ・アワ・サツマイモ・ラッカセイを主作物とした農耕。
ここではアワの栽培にさいして禁忌や儀礼があり、アワモチやアワ酒などハレの食品として意識されている。
しかし、収穫量や日常重要な作物は、サツマイモでありサトイモである。
*****
というように、照葉樹林帯からはずれた、根菜農耕を主体にした焼畑民のあいだでも、アワや雑穀栽培にみられる儀礼が存在する、ということ。
一方では、おそらく古層の文化である動物供犠の儀礼も残っている。
そして、新大陸産の作物であるサツマイモ・トウモロコシ・ラッカセイなどが日常の作物として、収穫量も消費量も多くなっている、ということ。
なんかあたりまえのことばかり書いているようだが、〈照葉樹林帯〉の核心域での調査が困難な時期に、メラネシアやウォーレシアに共通する生態を調査したことが、のちに〈照葉樹林文化論〉を訂正・発展させるさい、視野をひろげることになったと思う。
それからやはり、日本文化と結びつけた議論よりも、ブタや水牛のいる村、トウモロコシやサツマイモといった新大陸産の作物のインパクト、キンマやサトウキビ酒など日本列島にない文化、そういうことを含めたフィールド調査話のほうが、わたしには興味があるのだが。