風に聞け

外資系企業に勤めるビジネマンです。時たまアジア・ヨーロッパ映画についても書きます。

幸せは想い描くものと違う形で訪れるときもある ~ 映画「シェルブールの雨傘」フランス

2010年05月17日 | ヨーロッパ映画
舞台はフランス北部の港町のシェルブール。全編に流れる甘く哀しいメロディは、映画よりも有名で、誰もが一度は聴いたことのあるものだろう。

始まり
シェルブールで雨傘店を伯母に任され営む娘ジュヌヴィエーヴと自動車整備工ギィは恋をする。
「子供は女の子でも男の子であっても、フランソワーズにしたいわ」「雨傘店は売りましょう」「ガソリンスタンドを買おう」と将来を語る。しかし、叔母のエムリが二人は若すぎると結婚に反対している。やがて、そんな幸せな日々の中、突然ギィに召集令状が届く。そしてその日2人は結ばれる。入営の日、二人はシェルブール駅でジュヌヴィエーヴと別れを告げる。

1年後
ジュヌヴィエーヴはギイを待ち続けるが、手紙は途絶えがちになる。傘店の経営は難しく、金策のためにジュヌヴィエーヴは宝石を売りに宝石店に行った。宝石商ローラン・カサールがその場で購入したが、彼はジュヌヴィエーヴを見初めていたのだ。2月、ジュヌヴィエーヴの妊娠が判明するが、心優しいカサールは「お腹の子は私達で育てましょう」というと求婚し、二人はシェルブールを離れしパリに移住する。

そして更に1年後
負傷し帰郷ギィ。雨傘店は所有者が変わっていた。そして、ジュヌヴィエーヴが他の男と結婚したと聞かされる。修理工場で働き始めたギィだが、体も心も傷つき、荒れた生活が続く。おばエリーズが死去し、ギィはおばの遺産でガソリンスタンドを購入、心優しく彼を支える女性マドレーヌと結婚する。

さらに4年後
時は流れある年の雪の夜、妻マドレーヌと息子フランソワがクリスマスの買い物に出ていった後、ギィのガソリンスタンドにベンツが入ってきた。運転席にはジュヌヴィエーヴと助手席に小さな女の子が座っている。ギィは運転席ジュヌヴィエーヴに気づき、事務室に招き入れる。短く言葉を交わして互いの無事を確かめ、給油の終わったベンツはスタンドを出てゆく。 車の中では、今では母となったジュヌヴィエーヴが助手席の娘に言う。
「さあ、フランソワーズ(かつて二人が考えていた子供の名前)いきましょう」


僕が初めてこの映画を観たのは中学生だった。観終えた後は、何故ジュヌヴィエーヴはギィを待ち続けなかったのか、結ばれず終えた余りにも哀しいラストに心が酷く痛んだ。

その後、僕も大人の仲間入りし、再びこの映画に再会する。観る前は、昔観た余りにも哀しいラストの記憶があり、観る事を躊躇したが、観終えた感傷は昔観た後のものと違っていた。
哀しい結末ではなくなっていた。

皆さんも機会があれば、大切な人と観て頂きたい映画のひとつ。古きヨーロッパ映画の哀しい恋物語作品の中では、「ひまわり」と並ぶ名作。また、映画音楽としても「ひまわり」に並び余りにも有名。

by yan...xxxyanxxx@mail.goo.ne.jp

忘れさられた幸せの翼

2010年05月15日 | 心の旅
忘れさられた翼

人には本来、失意や困難を乗り越える力が備わっている。しかし、それを邪魔するのは、過去の自分や自分を取り巻く人々。

そんな事は出来ない、無理にきまっている、いぜんも駄目だったじゃないか。今度も駄目に決まっている。

それらの言葉は、周囲の人々によって過去に語られた言葉が記憶として残って未来の邪魔をする。時には、それらは最も短かな人たちから語られた言葉だ。

信じる心の力は、困難を乗り越える力になる。信じる心は可能性という翼を広げてくれる。

本当は、誰もが翼をもっている。しかし、何度となく繰り返す失敗や困難によって、やがてはその翼の存在は忘れさられてしまう。

自分らしい人生を歩いていこうとすりならば、自分自身の中のあるいは周囲からのネガティブな言葉に決して耳をかなさいことだ。

人は本来、大空に飛び立つ翼をもっているからだ。

「二度と歩けないだろう」と医者は言った。でも母は、「また歩ける」と言った。私は母を信じた。(ウイルマ・ルドルフ)

アメリカ人女性で初めて、1回のオリンピック(1960年ローマ大会)で3個の金メダルを獲得した黒人女性ランナー
by yan...xxxyanxxx@mail.goo.ne.jp


幸せになっていい

2010年05月14日 | 心の旅
自分に優しくする
それは自己中心的
自分勝手
わがまま

わたしたちひとは自分を大切にすることを
まるで悪いことのように教えられてきた

しかし「自分を大切にすること」と
自己中心との大きな違いを教わらなかった
間違った教えをも受け入れてしまった。

自分を大切にするということは
自分の「心」を大切にすることにほかならない

無理に人にあわせたり
人を嫌な思いをさせないため
自分の心を犠牲にしてはいけない

一番大切にしてあげるのは自分の心
自分に優しくしてあげないで
どうして人に優しくできるだろうか
それは自己中心でも自分勝手でもない

あなたは愛し愛されるため生まれてきた
だからまず、あなたはあなたを優しく愛してあげていい
幸せになっていい
それに気づくことだ

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ディズニー姉さんの悩殺技に、お父さん敗れたり!

2010年05月14日 | ホントはおバカ
あるコンサルタントの方から、こんな話を聞いた。

ディズニー・ランドには多くの家族づれが訪れる。その多くは父親・母親そしてその子供たち。

ディズニー・ランドにいる間の子供たちと母親はもう夢の中。彼らはその夢の世界を存分楽しんでいる。

しかしながら、多くの父親は、その間ずっとしかめっつらで、早く帰りたくて仕方がない。これも子供のためという親ごごろであるが、どうしても顔には気持ちがでてしまうものである。

昼間は多少喜ぶ子供のためと思いき、時折にっこりともするが、ディズニー・ランドを去る夜にもなれば、もうその顔は鬼瓦状態から抜け出せないでいる。

いよいよ、ディズニー・ランドを去る夜である。 思う存分夢の世界を楽しんだ子供の顔は天使そのもの。母親はその子供を見て、ディズニーランドのもつ独特の世界にひたり、その喜びは人生の素晴らしさ・家族愛にまで発展し、ひとり感動している。すこし恍惚状態であり少し目頭も熱くなっている。属にいう"うるうる"という状況である。

しかし、父親はやっと帰れる嬉しさはあるが、仕方なくお供しているからか、その疲れもピークに来て、その顔はディズニーランドのイルミネーションに照らされた能面状態である。属にいう"恐い顔"になっている。

ゲートから出ようとする家族。ゲートの係りのお姉さんが、にっこりと微笑み子供達ひとりひとりにやさしく声をかける。
「今日は、楽しかったあ? また、ミッキーに逢いにきてねえ」

子供たちは、「うん!また来れるよね?お母さん、お父さん」できればもうここに住みたい気分である。

それに答えるお母さん。
「楽しかったねえ、また今度きっと来ようねえ」ディズニー愛の家族劇場に酔っている目で答える。

それに対して無口なお父さん。
「…・・・」顔は硬直状態である。もう自らの意志ではこの状況は抜けだせない。

しかし最後に、ゲートのお姉さん(必ずといってよいほどチャーミングな女性が並んでいる)は、そんな能面お父さんににっこりと微笑んで一言。
「お父さんも、一日ご苦労さまでしたっ。」 て。

ディズニーは父親にも心づかいを忘れない。父親達の顔にはニパっと笑顔がもどり、子供たちに「また、来ようなあと」 ディズニー・ラン
ドを後にするのである。 もう、父親達には疲れは残っていない。

これが、ディズニー・ランドがリピーターに支えられる極意であるらしい。

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今でも海が見えるだろうか

2010年05月13日 | 風のふくままエッセイ
都内から羽田空港へ向かうバスは、暫くするとハイウィイにのった。都内から羽田へのハイウィイは海沿いを走る。 「東京にも海があったのか」 と、この海沿いの高速道路を走るたびに思う。

海に関する僕のもつ最も古い記憶は、小学生の1年生の時に見た瀬戸内の海である。 それは小学校の遠足であったのではないかと思う。小
学校に入学した時の初めての担任の先生は、まだ大学を卒業したばかりの優しい女性の先生だった。その先生に連れられて、他の子供達と共に見た海が、僕の最初の海の記憶である。

神戸から少し西にある須磨浦海岸だったと思う。 先生とクラスメート全員で、電車に乗り、その海岸へ行った。僕らはそれぞれ、海岸で貝殻拾いや砂遊びなどしたりしながら、生まれて初めての遠足を楽しんだ。 まだ、6歳か7歳の児童であるので、僕たちはかなり賑やかに遊びまわっていたのではないかと思う。

そんな騒然としたなか、一人の子が海を指差して、
「あ、アメリカがみえる!」と叫んだ。 今まで、大騒ぎで遊びまわっていた僕らはみんな一斉に、霞のかかった水平線に目を細めた。

「ほんまや、アメリカや。ぼくもみえる!」
「おおいしせんせい!わたしもみえるー」 と児童それぞれが歓喜の声をあげ、海の彼方にある大陸を見つめた。 確かに見えた。不思議なことに、そこにいた僕ら"全員"に、見えるはずのないアメリカが霞がか
かった春の海の彼方に見えた。

「あれがアメリカか、大人になったら行けるのだろうか・・・」とそれぞれが想いながら眺めていたのであろう。6-7歳児であるので、外国といえばアメリカしか知らなかった。

今でもあの時の記憶には、瀬戸の海の向こうに大陸が見える。 先生は、ただ優しく微笑ながら、「うんうん」とうなずいていた。

あれから20年以上を経て、20代の後半。僕は初めて憧れのアメリカの大陸に立った。外資系企業に勤め、カリフォルニアにある米国本社に赴任したのだ。 僕の家とオフィスを結ぶ道路は太平洋に面した海沿にあった。僕は、毎朝毎夕その道を走った。

ある日、仕事を終えいつものようにその道を運転していた時、あまりの夕陽の美しさに車を停めた。そして暫くの間、目の前に大きく広がる太平洋に沈みゆく陽を眺めながら、想った。
「この海のの向こうには、日本があるのか」 そう想うと、 遥か海の向こうに陸らしきものが見えた気がした。

そしてそれからまた10年以上を経た今、僕も40代となり人生の半分が過ぎさった。 そんな今でも、
「まだアメリカが見えるだろうか」 と想いながら、僕を乗せたバスは、羽田空港へと到着した。


「輝かしい未来とは、夢のもつ素晴らしさを 信じる者たちだけのものです」 エレノア・ルーズベルト

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それは神様からのメッセージ

2010年05月12日 | 心の旅
Stressed  (意味)Stressの受身形。ストレスを受けるの意味。

逆にすると、

Desserts  (意味)果実。

今日の困難は、明日への果実
今の苦しみは、未来への約束

Stressed...
それはきっと神様からのメッセージ

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命の帰る場所

2010年05月12日 | 忘れえぬ人々
ある年の秋。ドイツとイタリアへ出張に行った。ドイツでの所用を終えた僕は、次の目的地ミラノへ行く前に、ミュンヘンに立ち寄るこ
とにした。昔訪れたことのあるミュンヘンが、東西ドイツ統一後どのように変化したのか見たくなったからだ。 訪れてはみたが、ミュンヘンは魅力のある街ではなかった。街の風景にはさしたる変化はなかったように思えたが、その街に住む人々の表情には、以前よりも少し荒れた感があった。僕はミュンヘンで一泊するつもりだったが、その日のうちにミラノ行き最終の夜行列車に乗り込んだ。

ヨーロッパの国際列車は、ほとんどが6人個室のコンパーメントになっている。 この夜乗り込んだコンパーメントには、既に2人の男が既に座っていた。 一人は20代後半と思われる若者と、もう一人は50代と思われた。二人ともイタリア人だった。若者の方は、英語が話せた。 最初、彼らが連れ同士かと思っていたが、たまたま同じになっただけであることがわかった。それは、後に若者との会話を通じてわかったことである。

二人とも故郷の街を離れ、若者はオランダ、50代と思われる男性は
スイスで、それぞれ仕事をしているらしかった。この列車へは、二人の目的地は違えど故郷の街へ帰るためらしかった。 今でも多くのイタリア人は、こうして故郷の街を離れ出稼ぎに出るものが多いのだと、若者は言った。

彼はいかにもヨーロッパの若者らしい風貌で、ジーンズとTシャツ、そして耳にはピアスをしていた。聞くところによると美容師をしているということだった。時折、暗い車窓の外を眺める彼の横顔に、僕はなにか思いつめたような印象をもった。

しばらく軽い会話を断片的に続けていた僕らであったが、彼はいきなり僕に問いかけた。
「人は死ぬとどうなると思う?」 突拍子もない質問のもつ意味に戸
惑った僕は、どう答えてよいものか悩んだ。
「おやじが危篤なんだ。そのたに故郷に帰るんだ」 イタリアへは、もう何年も帰っていないらしかった。希望という荷物だけをもって、家出に近いかたちで故郷の街を出たものの、現実は厳しくあちらこちらを転々するばかりの生活が続いた。そしてやがては、ドラッグにも溺れていったらしい。 しかし今では、歩き違えた道から抜け美容師として立派にやっていけていると、彼は語った。

「おやじが癌なんだ。もう何度も手術をしている。今度はもうだめだと、今朝おふくから連絡があったんだ。 一度も帰ってない。でも今朝帰ることを決め、この列車に飛び乗ったんだ。」
僕は、ただ頷いて聞いているだけだった。どう答えてよいかわからないし、彼も僕の答えを期待しているのでもなかったと思う。そんな僕の戸惑いを感じたのか彼は話題を変えた。

「イタリアではどこに行くんだい?」彼は聞いた。
「ミラノへ行って、そこからベニスに行こうと思う」僕は答えた。 「フローレンス(フィレンツェ)に行くといい。ほんとのイタリアが見れる。ベニスやローマでは見られない本当のイタリアさだ。僕らイタリア人はみんな、フローレンスで生まれたんだ。」彼は、熱心に続けた。

故郷イタリアを捨てた彼が、たまたま出会った旅行者の僕に、熱心にその故郷の話をするのもおかしなことであるが、何年かぶりに帰郷する彼の心の中には、話つづけているうちに今までずっと持ち続けていた故郷への強い想いが、湯水のように湧き出てきたのかもしれない。

「僕も落ち着いたら、フローレンスには行ってみたい」という言葉を最後に、彼はまたぼんやりと車窓の外を眺めた。 僕は、彼の問いかけ・・・人は死んだらどうなるとう?・・・という答えを、想い続けていたが、その答えを見つけることのできなあまま、列車はやがてオーストリア国境を超えイタリア国内へと入った。 そして、ひとつの小さな駅への到着のアナウンスが車内に流れた。

彼は僕に言った。
「僕は、次の駅で降り別の列車に乗り換えなければならない。短い間だったけど、出会えて良かったよ。是非、一度フローレンスには訪れてくれ。君の旅の安全を祈ってるよ。」
まだ彼への答えが見つからない僕はただ、
「どうも有難う。君も元気で」とだけ答えた。 そして列車は小さな駅に到着し、彼は深夜のプラットホームへと消えて行った。

あれから長い年月を経て、あの夜の記憶を蘇らせ彼への答えを想う。 人は長い旅を終えると、再び生まれた場所に戻ってゆくのではないだろうか。君のように。そしてそれは命というものに最初から深く刻まれた道しるべなのかもしれない。

by yan...xxxyanxxx@mail.goo.ne.jp

眠れぬ夜のために

2010年05月11日 | 心の旅
大小様々な思い煩い、過ちへの罪悪感、心の奥底にある消えない傷、終わりがないように思える重荷。

精魂つきた一日が終わり眠りにつくとき、目を閉じれば、それらがエンドレステープのように、頭の中を駆け巡る。

こんな経験は誰しもあるものだ。変えることの出来ない過去への後悔は頭を巡り、誰かしらから受けた傷は化膿してゆき、今の重荷は永遠に続くように思える。

だが、「まだ見ぬ明日を思い煩う」のはやめようと、心に誓おう。

今日の苦労は今日一日だけで十分だ。明日のことは、明日思い煩えばいい。今、思い煩っても、何も変わらない。

明日は単に昨日の続きではないことに気づこう。明日は全ての人に平等に、「全く新しい24時間」が準備されている。

子供は明日のことで、思い煩ったりしない。今その時だけを生きているからだ。眠りにつくときは、「全ての衣服を脱ぎ捨て」赤ん坊のように、眠ればいい。

眠るぬ夜には、心を空にして、静かに目を閉じ、次の言葉をゆっくりと、噛み締めるように繰り替えしてみるといい。

導きたまえ
優しき光よ
わが歩みを守りたまえ。
ひとあし踏み出せば足れり
遥か彼方は見ずともよし
(アーサーヘイズ サルバーガー)

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旅の途中

2010年05月11日 | 心の旅
千マイルの旅であっても、それは飛行機のフライトの2時間遅れから始まるのです。 (ボ ブ・レビー)

思い描くシナリオ通りにいかないことのほうが多い毎日。
またその連続。
そして、それによる焦燥、時には絶望感。

先の見えない自分の人生。

ドラマのシナリオのように、次のページは読むことができない。
なぜなら、
人はそれを自らそのページを書きながら、毎日という時間を生きているから。

今は何千マイルも続く「旅の途中」
この停滞も、空港で待つフライトの遅れのように、心静かに捉えることができたらいい。 やがては、大きく飛び立つことができるのだから。

by yan...xxxyanxxx@mail.goo.ne.jp

幸せの方程式

2010年05月10日 | 心の旅
「不幸な物語のあとには、 かならず幸福な人生が出番をまっています」 寺山修司

生きるうえで、失敗や挫折は避けられない。そしてそれによる焦躁、哀しみ。
しかし長い人生の中では、不幸と幸せの足し算という方程式によって、きっと帳尻があ
わされているのだろう。

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幸せの扉

2010年05月08日 | 心の旅
「人生は幸せの扉がしまると、ずっとそのドアばかり見てしまう。でも、人生にはまだ別のとびらが、準備されています。」(マザーテレサ)

生きている限り、人生は困難や失意は避けられない。それは自分がおかしてしまった過ちへの後悔。あるいは何も行動に起こさなかったことへの責める気持ち。様々な過去の出来事が入り混じり、それが現在の自分を縛りつける。

負のスパイラルにはまりこんでしまった人は、それが実体のないものであることになかなか気づかない。

過去の過ちばかり神経を向けながら人生を生きることは、バックミラーだけを見て車を運転するようなものだ。前にあるものが見えない。

全ての人には、毎日新しい扉を開けると、そこにはまっさらな一日が用意されている。そしてその一日の中には、溢れんばかりの恵みがある。

大切な事はただひとつだけだ。昨日は昨日。今日は今日として、目の前にある新しい部屋のドアを開けてみるという行動だけだ。

by yan...xxxyanxxx@mail.goo.ne.jp


悲しくなったときは 寺山修司と荒井由美 

2010年05月07日 | 風のふくままエッセイ
元気がでない時というのは、誰でもある。この理由もなく疲れてしまう時、あるいは悲しい時というものは、ある一定のサイクルでめぐってくる。これをバイオリズムといったり、五月病といったり、様々である。なんとか元気を取り戻そうと、駅のホームで腕を腰にあててオロナミンCを一気に飲んでも駄目な時もある。あと30円出して150円のリポディタンDを飲んでもやっぱりだめな時は駄目なのである。

寺山修司の「悲しくなったときは」という詩がある。僕は、この詩が荒井由美の「卒業写真」と非常に似ていると思う。両方の詩とも、その内容は違えども、そのメッセージは同じように思えるからだ。「悲しい時・落ち込んだ時・元気のでない時、人は何を求めるか」という意味で、この二つの詩は同じだ。

擦り切れた自分を回復させてくれるもの・・・人がそれぞれにも「不変のなにか」。

いかなる時であってもいつも変わらにあるもの。それは寺山修司の詩の中では「海」であり、荒井由美の詩の中では「卒業写真のあの人のやさしい目」なのであろう。それらが磨り減った自分を癒してくれる。人は時と空間を越えて不変の懐の中に包まれたいと想うDNAをもって生まれてきている。

自分自身の不変のものとは何だろうと考えてみたがみつからない。子供の頃からよく親から「根無し草」とよく呼ばれたが、さすがに親は本質を見抜いていたのかもしれない。


「悲しくなったとき」(寺山修司)

悲しくなったときは 海を見にゆく
古本屋のかえりも 海を見にゆく
あなたが病気なら 海を見にゆく
こころ貧しい朝も 海を見にゆく
ああ 海よ 大きな肩とひろい胸よ
おまえはもっと悲しい
おまえの悲しみに
わたしのくらしは 洗われる
どんなつらい朝も どんなむごい夜も
いつかは終わる
人生はいつか終わるが
海だけは変わらないのだ
悲しくなったときは海を見にゆく
一人ぼっちの夜も 海を見にゆく

「卒業写真」(荒井由美)

悲しいことがあると 開く皮の表紙
卒業写真のあの人は やさしい目をしてる
町で見かけたとき 何も言えなかった
卒業写真の面影が そのままだったから
人ごみに流されて 変わってゆく私を
あなたは遠くで ときどき叱って
話しかけるように 揺れる柳の下を
通った道さえ今はもう 電車から見るだけ

あの頃の生き方を あなたは忘れないで
あなたは私の 青春そのもの

人ごみに流されて 変わってゆく私を
あなたは遠くで ときどき叱って
あなたは私の 青春そのもの

by yan...xxxyanxxx@mail.goo.ne.jp

「さらば、わが愛~覇王別姫」 チェン・カイコー監督作品 【香港・中国・台

2010年05月06日 | アジア映画
人はそれぞれの運命に責任を負わなければならない。自らの力ではどうしようもないような生まれ育った境遇、そして生きたその時代、たとえそれらがどんなものであったとしても、人は運命に自ら責任をもつよう強いられている。 『さらば、わが愛~覇王別姫』は、京劇の古典『覇王別姫』を演じる一人の女形役者の波乱の生涯を通じて、観るものの心に、運命とというものがもつ哀しみを深く刻みこむ。

<プロローグ>
厳冷のある日、母の暖かい腕に抱かれれた少年・小豆子。しかし、娼妓である母は、小豆子を、孤児や貧民の子供たちが集まる京劇の養成所に連れてゆく。母は泣き崩れながら養成所の老師に訴える。
「遊郭では大きくなってゆく我が子を育てられない」。 しかし、
「指が6本ある」という理由で老師に断わられる。そして母は小豆子の指を一本切断する。わが子の将来を想うがゆえのものとはいえ母は子を捨てる。こんな衝撃的なプロローグから始まるこの壮大な物語に観るものは引き込まれる。

<養成所の日々>
小豆子は娼妓の子として他の子供たちからいじめられたが、彼を弟のようにかばったのは小石頭だった。養成所での過酷な修行の毎日。女性的な小豆子は「女になれ」と老師に躾けられる。しかし、頑なな小豆子は、何度殴られようともうけいれない。そんな小豆子に老師は「覇王別姫」の物語りを語る。

「覇王別姫」は楚と漢の争いを背景にした物語りである
楚はどのような人物であったのか
勇将の誉れ高い無敵の英雄
敵の大軍を討ち破ったこと数知れず
だが、運は彼に見方しなかった
兵を進めたとき
漢王劉邦率いる伏兵に遭遇
その夜、強風に乗じて
劉邦の兵は楚の歌を歌い
楚の兵たちは王を見捨てて敗走を始めた
いかなる英雄いえども
定められた運命には逆らえないのだ
かつては絶大権勢を誇った楚王
だが最後に残ったのは一人の女と一頭の馬
馬を逃がそうとしたが馬は動こうとせず
愛姫も王のそばにとどまった
愛姫は王に酒を注ぎ
剣を手に王のために最後の舞を舞って
そのまま剣で我がのどを突き
王への貞節を全うした
覇王別姫の物語は、我々に何を教えているのか 人はそれぞれの運命に責任を負わねばならぬ、ということだ。


<京劇役者の日々>
やがて、時の流れとともに、女性的な小豆子は女役に、男性的な小石頭は男役者として見事に成長する。小豆子は程蝶衣(レスリー・チャン)、小石頭は段小(チャン・フォンイー)と芸名を改め、京劇『覇王別姫』の名コンビとして京劇界の華となる。しかし、その絶頂期に生じる溝。段小と演ずる京劇「覇王別姫」が人生のすべての程蝶衣、京劇はあくまで生きるための手段ですぎない段小。

<盧溝橋事件~日本統治時代>
段小は遊郭の娼妓・菊仙(コン・リー)と結婚する。この時から、程蝶衣と段小との間に更に深い溝が生まれる。そして、北京は日本軍に占領される。 ある日段小は楽屋で騒動を起こし連行されてしまう。菊仙は日本側に取り入ってもらえるのだったら段小と別れてもいいと程蝶衣に懇願する。程蝶衣の協力で釈放された段小なのだが、日本の犬と程蝶衣を罵り菊仙を連れて去る。そして程蝶衣と段小は別の道を歩むこととなる。傷ついた蝶衣はやがてアヘンへと溺れてゆく。 しかし、アヘンに溺れる程蝶衣を救ったのは、段小と菊仙だった。

<共産党政権樹立、そして文化大革命>
日本軍の敗退で抗日戦争は終わり、共産党政権の誕生とともに程蝶衣と段小は再び舞台に立つが、京劇は革命思想に沿うよう変革を求められていた。変革に懐疑的な蝶衣は批判され、『覇王別姫』の虞姫役を奪われてしまう。 そして、その後訪れた文化大革命の波。政治的圧力を受け、反共分子として段小は程蝶衣の過去の罪を摘発せよと強制される。段小はそれに屈し、程蝶衣がかつて日本軍将校のために歌を歌ったことを訴える。同時に娼婦だった菊仙など愛していないと言ってしまう。ショックを受けた程蝶衣は、菊仙がかつて遊郭の娼妓であったことを摘発する。そして菊仙は自らの命を絶つ。

<終止符>
文化大革命も終焉し、2人は11年ぶりに再会する。蝶衣と段小は無人の体育館で2人だけで『覇王別姫』を演じる。空白の長い月日も二人の演技には陰りをおとしていない。 しかしながら、 舞い終わった時、程蝶衣はその生涯に終止符をうつ。 母に捨てられた境遇。「男として生まれた、女ではない」と頑なに女形として生きることを受け入れない養成所の日々、だがやがては『覇王別姫』の愛姫役に自らの人生を重ねるようになる。愛した人・段小は遊郭の娼妓・菊仙と契ってしまう。それゆえ彼女を深く憎む。だが同時に彼女に遊郭の娼妓であった母の姿を重ね合わせる。アヘンに溺れた絶望の日々、そこから救ったのは菊仙の深い愛情。しかしながら、その菊仙を死に追いやってしまう。 蝶衣にとって最期に舞う『覇王別姫』。それは、女としていきること、段小への想いの終止符、そして菊仙への償いを自らの死という形で負うことであった。少年の頃、養成所の老師に聞いた「『覇王別姫』の物語が教えているもの、それは『人はそれぞれの運命に責任を負わねばならぬ。』ということだ。」という言葉が重くのしかかる。

by yan...xxxyanxxx@mail.goo.ne.jp

人と比較してはいけない

2010年05月06日 | 心の旅
人と比較してはいけない
勝たなくていい
負けなければいい

人生は勝ちだけで
決まるものではない
得ること、失うことで
人生のすべてが決まるものでもない

それは人生の最終章の最後の一行までわからない

ぼくたちは子供の頃から
勝負けで評価されてきた
何度も何度も
数えきれないくらいに
勝つことで
自分が認められると 思いこんできた

常に他人と比較されてきた
そして気づかぬうちに
自分でも他人と自分を比較する習慣にしがみついてきてしまっている

しかしそれは 世の中が決めた判断基準
僕たちに信じこませたものだ
気づかないうちに
「自分と他人を比較」することで、
今の自分を評価している

頑張らなくていい
焦らなくていい
しかし
絶対に人と比較してはいけない

自分という生にだけに与えられた毎日
その日与えられた生を生きるだけでいい
自分にだけ与えられたその生を懸命に生きれば十分なのだ
by yan...xxxyanxxx@mail.goo.ne.jp


聞こえぬ少女への詩

2010年05月05日 | 風のふくままエッセイ
君の耳が聞こえないなら
世 界中の美しい花を
見せてあげよう

君の目が見えないなら
世界中の美しい鳥の歌を
聴かせてあげよう

君の手が動かないなら
世界中の美しい山に
登らせてあげよう

君の足が歩けないなら
世界中の美しい話に
触れさせてあげよう

たとえ君に
何かがないとしても
それ以上の別のものが
この世界にはあることを教えてあげよう

ないものでなく
君が気づいていない
君の周りの沢山のものに
君が感謝できるように

(追記 知り合いの少女にむけて書きました。)
by yan...xxxyanxxx@mail.goo.ne.jp