僕が住む世界と行く末...

思考なくして行動なし。行動なくして結果なし。 日記感覚ではじめました、色んな意見・コメント待ってます。

在りし日の南港

2006-01-30 | バイク・車という世界
昔週末といえば、南港だった。

平日はトラックばかりの臨海の工場地帯のとある南港の埠頭は
週末になればドリフト仕様車やそのギャラリーが何百台、何百人も集まり
その中で大きな交差点をドリフト走行で曲がっていく。

車のケツがすべる感覚は説明しようがない今までにない感触だった。
車を横に滑らしながら爆音とともに交差点を走り抜ける。
そして何百人と集まったギャラリーはみんなこっちを見ている。
画像で分かりますでしょうか?
ガードレールの向こう側のギャラリー(一部)の多さが

追いかけてくるパトカーはスピンターンで振り切り
帰りの環状線の料金所は余裕の突破。。

そしてなにより景色が最高だった。
臨海の石油工場の蒸留灯?は散りばめられたダイヤモンドみたいに光っている。
不気味な夜の埠頭工場地帯でも、果てしなく高い橋の上から見下ろすと
大阪市内の夜景、黒い海、ライトが絶景だった。

車、ドリフト、大量の人間、景色
なにもかも全てが新鮮だった。

17歳の僕はそんな南港に先輩に初めて連れらてからはすっかりドリフトに魅了された。
国道をただ流す暴走族とはまた違う衝撃的な世界だった。

僕もドリ車を買ってあそこで走る!
そんな事ばかり考えていた。
今度はいつ連れて行ってくれるのか、週末の先輩の電話が楽しみだった。

やがてタメのミンナがちゃんと免許を取り始めた18歳になった頃は
みんなで週末いろんな所に遊びに行くついでに南港にギャラリーをよくしに行った。
気づけば朝、そんな週末だった。

浪人時代を経て19になる頃、僕はやっとドリ車であるセフィーロを買った。
だけどその時にはその埠頭には変化があった。

爆音の直管にベタベタの車高の違法改造
はげしく鳴り響くタイヤのスキール音
ガードレールやバス停は事故で破壊、トラックの下にもぐり込んでしまう悲惨な事故もあった。
そして南港はドリ車だけでなく、いわゆるVIPカーや音響車も多く集まる。
そんな集団暴走に警察が黙っている訳はなく
度重なる一斉取り締まり、検問、法律改正の末、
その埠頭には大きな中央分離帯ができた。

それでも別の埠頭に移動し半年ほどはそこで盛り上がるが
そこでもやっぱり封鎖されてしまい、別の場所に移動。
それでもカメラで撮られて逮捕という意味不明な取締りの末
今では南港はすっかり寂れている。
待機場所の埠頭のコンビニ前に何百台と集まるあの風景は幻覚だったと思わせるほど嘘のようである。

そして僕は愛車を事故でなくし華やかな埠頭のドリフトスポットは潰れた。
もちろん違法なことではあるが、、

日々変わっていく周りの環境、仲間の事情、
そんな諸行無常の世界が最近無性に寂しい。

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1 コメント

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なつかし~な (こーちゃん)
2007-11-04 13:46:08
昔 自分も南港走ってました
10年ほど前ですが・・・
DURてゆうチームした、色んなチームあったな
MARKS、FAIRY、FINAL,POWERLIVE、Tinker NonCrash
みんな今何してるのかな?