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"跡" を 辿って。

陸前大沢駅・黒川小野駅 跡 | 仙台鉄道

2015-05-25 17:00:21 | 鉄道跡・廃線



仙台鉄道 陸前大沢駅 ( 宮城県仙台市泉区大沢2丁目1-1 )



山の寺駅 から国道 4号線沿いを北上、 GS ENEOS Dr.Drive セルフ 泉インター店辺りが 陸前大沢駅 だ。駅前のタバコ屋 は 那須野商店、現在の ローソン仙台泉インター店 である。 途中、現 ガーデンオート泉インター店 裏手の 要害川 岸に 橋脚の遺構 があるらしいので、機会に恵まれる交通状況の折には確かめてみたい。



陸前大沢駅から線路は左にカーブして、泉ヶ丘小学校 前を経由し、工業団地造成で往時の見る影も無くなりつつありながら、まだ若干残る 旧道 に沿い、黒川小野駅 へと至る。( 写真は、泉ヶ丘・富ヶ丘団地 裏、造成された工業団地を抜けて 大和町 小野 地区 に入ったばかりの所にある竹林川に架かる 仙台鉄道の 橋の跡。港北出版印刷の北西 )












仙台鉄道 黒川小野駅 ( 宮城県黒川郡大和町小野新道 )



なぜ、路線は 奥州街道 沿いを通らず、山奥へ分入ったのだろう。



黒川小野駅 跡 の周辺を見回すと、山合いの盆地に長閑な田園が広がり、立派な蔵のある 大きな農家 が 多く残っていることに気づく。



今でこそ黒川郡大和町小野と言う地名だが、1955年(昭和 30年)に 大和町 として 合併 するまでは、伊達家の分家 が 治めた 由緒正しい 宮床村 の、集落のひとつだった。 年貢のたっぷり納まる豊かな地域だからこそ と知ると納得がいく。 一方、奥州街道における 仙台市泉区 と 黒川郡富谷町 の境(大清水)は長く急な坂を登り下りせねばならず、昭和に入っても尚、山賊 が出るとの噂があったほどの、かなりの 難所 でもあったらしい。







線路はここでも 旧道 に沿って敷かれていた。開発が進み、小野 の駅前に タバコ屋 の気配はもうない。角にある 現美容院 がその跡かな?



仙台鉄道の駅跡は、宮城交通の営業所 に使われたり、 農協の倉庫 が 置かれていることも多い。農産物の物流はもちろん、木材や石炭・亜炭などの燃料輸送にも一役買っていたかららしい。



ちなみに、仙台駅 から 大和町 小野宮床 を経由して 大和町吉岡 までを結ぶ路線が、暫く前まで 宮城交通バス に引き継がれ、運行されていた







駅舎向かいの、 大和町宮床小学校・小野分校 跡。少し前までは遊具もあった気が。現在の 大和町立小野小学校 は近くの新しい団地( 杜のまちもみじケ丘日吉台 )内の中に、再配置されている。往時とは逆の、比較的マンモス校だ。



さて、黒川小野駅 を出た線路は現役の道路に沿って北上し、荒井公民館( 大和町小野荒井121-1 ) 手前から右手の農道に入り、竹林川 を越えて 富谷駅 へと進んだ。橋脚跡 を探してみたが、農地改良等が進んでおり見つけられ無かった。



話は変わるが、アララギ派の歌人・ 原阿佐緒 は、黒川小野駅 跡 から西にひと山越えた、宮床村 の 中央部の集落に、伊達家御用達の 豪商の娘 として生まれた( 昔はこの峠は越せなかったと思われる )。あの有名な、 石原純 との逃避行 にも、この鉄道は利用されたらしい。当時の交通網から、下車はおそらく次の 富谷駅 と言う気はするけれども。




七北田駅・山ノ寺駅 跡 | 仙台鉄道

2015-05-20 17:00:00 | 鉄道跡・廃線


仙台鉄道 七北田駅 ( 仙台市泉区市名坂万吉前12 )



仙台鉄道 は 八乙女駅 を出ると、七北田川 を渡り、石留神社 東側から 宮城県警交通機動隊警ら隊旧運転免許センター( 運転免許試験場 ) 跡地 である 仙台市立市名坂小学校( 2004年 4月に七北田小学校 から分離して開校 )の 西側を通って、コーポ七北田 北側の 七北田駅 に到着する。



仙台鉄道の 駅前に必ずある タバコ屋 と同じく必ずあるのが 農協などの大きめの倉庫 だ。ここでは、一ノ蔵酒類販売(株)地酒のリエゾン 敷地内にある倉庫が、それであるように感じる。




七北田 の 村には 1601年 の 仙台開府 以後、宿場町 が置かれた。七北田宿 は、仙台輪中( 城下町 )から北へ下って ひとつ目の宿場町だ。 これら宿場が整備されることにより 奥州のメインストリート は、太白区郡山から 多賀城 へと通じるものでなく、旧国道4号線であるこの通りを指すようになる。


七北田駅 は、この宿場町の外れに設置された。 本陣 はじめ 旧家 の多いメインストリート沿いをもくもくと煙を上げて軽便が堂々通り過ぎる筈はない。駅では、木材などの上げ下ろしが行われたものか、確か近隣に材木問屋があった気がする。 因みに、七北田宿の次の宿場町は、富谷宿 その次は実話を元にした 映画『 殿、利息でござる。』 の舞台・吉岡宿 である。


今でこそ 仙台市営地下鉄南北線 泉中央駅 周辺は、仙台の副都心 であるかのような様相を呈しているが、軽便が通っていた頃は田畑のみしかない 七北田村 の 隣村との境目みたいな場所で、真っ直ぐな道路なんて殆ど無かった。 平地は田畑、少し高まりになっているところは民家で、それらを繋ぐ道はいわゆる 生活道路。くねくね、ご近所とのやりとりの都合や農作業の都合で、曲がりくねっている。 今でも、泉中央 地域の古来からある区画に入ってしまうと、予想もしない場所に連れて行かれ、出て来れなくなるので注意したい(笑)。


さて、泉中央駅 から西北、泉パークタウン街区の境、将監団地10丁目にある中堅進学校・宮城県泉高等学校 だが、昭和の時代、遠くからここに通う生徒は 七北田バス停 を利用した。仙台-古川(大崎市)間を運行する 急行バス も、ここに停車し、たくさんの学生や市民を運んだ。







仙台鉄道 山の寺駅 ( 仙台市泉区大沢2丁目1-4 )



ゆるやかに右カーブする現存道路はまさに 線路 跡、やがて国道 4号線と交わる。その後 蛇行を繰り返す様から暴れ川だったことが窺える 要害川 と幾度か交差して 山の寺 洞雲寺 入口に来ると、そこが 山の寺駅 だ。



ここには古くからバス停があった。「 山の寺向陽台 」、仙台-古川間を結ぶ急行バスも停車する要所的バス停だった。 利用者は決して多くないので何故ここに急行が停車するのか不思議に思っていたが、この駅があった 慣例 によるものだろうと納得がいった。



尚、山の寺 洞雲寺 は、日本三山寺( 滋賀大津の 石山寺、山形の 立石寺 )のひとつ。 1338年(暦応元年)開山、1518年(永正15)鋳造で 県内最古青銅鐘 がある。 1943年(昭和18)仙台鉄道 の排煙から山火事が発生し、寺院は 全焼、鉄筋コンクリートで再建されるも 2011年(平成23)3月11日に発生した 東日本大震災 の 揺れ により建物は 全壊 した。 現在は解体され更地となっており、周囲に点在した 岩谷窟 も 崩落の危険があって近寄れない状態という。



ページトップのストリートビューは、七北田駅を出た線路の、国道 4号線との合流地点。






▪️ 参考資料
〈 当時から利用されていた倉庫の残る七北田駅前 跡 〉
〈 七北田駅~山ノ寺駅 〉

東照宮前駅・八乙女駅 跡 | 仙台鉄道

2015-05-15 17:00:00 | 鉄道跡・廃線


仙台鉄道 東照宮前駅 ( 仙台市青葉区宮町5丁目3-10付近 )



始発の 北仙台駅 を 出た 仙台鉄道 は、現在の ロイヤルホスト 北側を通って 仙山線 に平行しつつ 市立 上杉山中学校 東角へカーブし、宮城教育大学付属中学校 裏を通る 現存道路を進んで(一部一方通行有) 東照宮前前駅 に 到着する。



JR と 仙台鉄道 が接するのは、始発の 北仙台駅東照宮前駅 と 終点の 中新田駅 のみ だか、何故、始発から 2駅目のここも JR と接することになったのだろうか、現代発想で考えると至極不自然な気がする。



これはあくまで想像なのだが、その理由は 東照宮門前町である 宮町( 仙台市青葉区宮町 ) にあったのではないだろうか。



門前町エンドーチェーン
宮町 は、仙台城 造営当時の 城下町 の 町割りに入らなかった町だそうだ。葛西・大崎一揆制圧後、伊達政宗 と 徳川家康 が宿陣した場所に、のちに 徳川家 の許可を得て 東照宮 を 造営。次第に 門前 に町が形成されていった。この通りは、大年寺 まで直線的に続いており、東照宮からの眺めも素晴らしかったらしい。仙台城下中心部には、大町 という 由緒正しき商店街があるが、宮町 は一層庶民的な町として定着したのではないだろうか。沿線の町村からは 東照宮 への 参拝客 だけでなく、宮町 への 買い物客 も たくさんいただろう。東北初のスーパーマーケットエンドーチェーン 」の初出店もここ、宮町 4丁目( 6-21、1962年。【 参考 】 )だった。



東照宮前駅 を出るとそのまま一方通行の細道を道なりに北上し、市立小松島小学校 西側を舐め、交差点を直進した辺りで軌道跡は住宅地に消える。全国的に有名な 東北高校 の 西側で再び現れると、仙台市営地下鉄・旭ヶ丘駅 に合流、台原森林公園 の 黒松入口 に出る。そこから 奥州街道 と並んで走り、八乙女駅 に到着する。






仙台鉄道 八乙女駅 ( 仙台市泉区八乙女中央3丁目8 )



仙台鉄道 八乙女駅 の 駅舎は、仙台市営地下鉄・八乙女駅 北東にある マンション・プラウド八乙女中央 の 東に隣接する駐車場辺りにあった。駅前のタバコ屋 は、及川商店(仙台市泉区八乙女1丁目5-1 )。現在は リバーサイドヒル及川 と言うビルになっており、1F で 営業する ファミリーマート八乙女駅前店 が その名残を感じさせている。



ページトップのストリートビューは、JR 仙山線と立体交差する仙台鉄道の軌道跡。( 東照宮前駅-八乙女駅間 )




北仙台駅 跡 | 仙台鉄道

2015-05-10 17:00:00 | 鉄道跡・廃線


仙台鉄道 北仙台駅 ( 仙台市青葉区昭和町3-33 )



アイオン台風 で 大打撃を受けて廃線となった 仙台鉄道 の始発。 厳密には 通町駅 だけれども、仙台市電 が走ることになったため、早いうちに廃止になったらしく、実質ここが 始発駅 扱い。 現在は、大規模マンション ・ライオンズタワー仙台青葉 が建っているが、2003年 までは 宮城交通の 本社 並びに 北仙台営業所 があった。



仙台鉄道の 路線 は 廃線後、 バスとして宮城交通に引き継がれ ており、駅跡が営業所 流用 されている 所も 幾つかある。 ここもそのひとつだ。



仙台鉄道 はここから、JR 仙山線・東照宮駅 近くを経て、仙台市営地下鉄・旭ヶ丘駅 前( 台原森林公園内 ) を通り、八乙女・七北田・陸前大沢( 東北自動車道 泉 I.C. 付近 )を経由し、加美郡加美町( 旧 中新田町 )、大崎市の JR 陸羽東線・西古川駅( 旧 古川市 )に接していた。










駅前にタバコ屋まだ あったのには驚きだ。 仙台鉄道の駅前や並びには必ずと言っていいほど タバコ屋 がある が、ここは大都会、とっくの昔に無くなっていると思っていた。今尚現存しているのは本当にすごい、感動する。





道路対面には、仙台浅草が今なお。




たばこ屋( 現在コインランドリー・2Fカフェ )の手前( 南側 )にはランドマークのセブンイレブン





それと蛇足だか、北仙台駅 から 通町駅 までの軌道跡の両面には、仙台で有名な繁華街のひとつ、 仙台浅草 が設けられた。 JR仙台鉄道市電 と、駅が集中する要衝ゆえ往時の賑わいが偲ばれる。




ちなみに、現在の県道 仙台泉線の、上杉通り~ドン・キホーテ仙台台原店 前の道路は、仙台鉄道 開通当時 は無かった。奥州街道は、東三番丁北十番丁 の角から 七北田宿 へと向かった。現在の 七十七銀行 北仙台支店 北東角がそこである。






▪️ 参考資料
〈 北仙台駅~東照宮駅 軌道跡 1 〉 〈 北仙台駅~東照宮駅 軌道跡 2 〉
〈 宮城交通本社・北仙台営業所跡 〉 〈 仙台浅草 〉
〈 空中写真で見る仙台鉄道 〉








はじめに

2015-05-05 17:00:52 | Policy

これは、 " 跡 " を、感じたいブログです。




写真としては、
なんとなく 昔が分かるもの を、
記録していきます。




往時 が 彷彿 としないものに関しては
極めて主観的にスルーすることが多いと思いますが
あしからず。



リクエスト画像・情報の提供追加情報アドバイス などいただけば
追跡取材・調査してどんどん 加筆・修正 していくつもりです。



よろしくお願いします。