みなさん、こんばんは。。
結局、この三日間何もせずにダラダラ過ごしてしまいました。
明日は日曜日ですが、明日から普通に授業です(中国は元旦だけが祝日で休み、三連休にするために、2日(金)を休みにする代わりに、明日は振り替えで金曜日の授業があります)。。
まあ。。。
もうすぐ冬休みですから、少しの我慢ですけどね。
というわけで。。。
今日も特に何もなかったので、新沂旅行の続きを書きます。
12月27日(土)。。
午前は窯湾古鎮の見学。。。
そして、午後は。。。
イメージ 1
馬陵山のハイキングです。
馬陵山は紀元前341年、戦国七雄の魏と斉が戦った場所です。。
魏の名将?涓(ほうけん)と斉の軍師孫濱(そんぴん)は元々同じ師の下で学んだ仲。。しかし、能力的に孫ぴんより劣っていることを自覚していたほうけん、孫ぴんを罠に陥れてうまく罪人に仕立て上げ、足切りの刑に処して牢に放り込んでしまします。孫ぴんはなんやかんやで、上手く牢屋を脱走、斉の国に逃れて軍師となり、彼は復讐を誓います。
そして紀元前341年。。。魏と斉が激突します。
まず、孫ぴんは、わざと負けてほうけんを奥地に引き込みます。
連戦連勝のほうけん。。。斉軍の宿営地を奪い取るたびに、(食物を炊く)窯の数が減っていくのを見て。。。
ほうけん「ふふふふ。これは斉軍に脱走兵が沢山出ているからに違いない。敵軍の士気はかなり低いぞ。よし、一気にケリをつけてやる!者ども、出撃じゃ!」
ほうけんは、一足先に騎馬兵だけを引き連れて斉軍を追撃しました。
一方、孫ぴんは逃げ場のない、この馬陵山に伏兵を置いて。。。
そして、馬陵山の山道に立つ一本の大木。。。孫ぴんは部下に命令します。
孫ぴん「この木に『ほうけん、ここに死す』という文字を彫ってくれ。。。。今晩、魏軍はここを通るはず。その時、松明を持って、この木に近づいてくる者がいたら、そいつが敵将ほうけんだ。その松明めがけて矢を放て!」
夜。。。
馬陵山にやってきたほうけん。。。大木に彫られた文字に気づいて、何が書いてあるのか読むために、松明を持って大木に近づきました。
ほうけん「なになに・・・『ほうけん、ここに死す』・・・・しまった!これは罠だ!」
逃げ場のない馬陵山に引き込まれたことに気づいたほうけんでしたが、時すでに遅し。。。ほうけんに向かって一斉に放たれる矢、ほうけんは蜂の巣になってしまいました。
「孫ぴんのやつに歴史に名を成さしめてやってしまった」、ほうけんはこう言って絶命しました。
孫ぴんは兵法家として歴史に名を残し、『孫子』を著します。。孫子の兵法、武田信玄の風林火山に安芸国人のむふふナンパ術と、後世に多大なる影響を残すわけです。。(ちょっと薀蓄になりますが、ふた昔前までは『孫子』はこの孫ぴんの作とする説があったのですが、今は孫ぴんの祖先、呉の国に使えた孫武の作と考えられています。孫ぴんも兵法を書いているのですが、40年ほど前に2000年前のお墓の中から、孫ぴんが書いた『孫子』が発見されて、今の『孫子』とは別物ということがわかったんですよね。というわけで、ここの部分はネタとして読んでいただけるとありがたいです)
戦国の覇権を握りつつあった魏は馬陵での敗戦で没落し、秦と斉の二強時代に突入します。(例のごとくウル覚えの記憶で書いたので、細かいところで間違ってるかもしれません。)
で。。。
伝説では上記の写真がその馬陵の戦いの舞台になった山道・・・・らしいです。が、実際戦争が行われた場所はここよりもう少し北へ40キロ行ったところ(山東省臨沂市?城)だったようです。。。
さて。。。
ちょっと長い説明になってしまいましたが、旅行記を続けます。
長寿泉で長生きできる水を飲んだ後。。。
イメージ 2
山道を歩いて行きます。。。
この辺りは、タイガー巣・・・・昔はトラがたくさん棲んでいたようです。
と。。。
イメージ 3
トラが出現!
怖いですね。。。
というか。。。
イメージ 4
ここの通り。。。トラの口に似ているという、馬陵山の観光スポットの一つのようです。
イメージ 5
僕もトラの口の中をあるきます。。
イメージ 6
ドンドン狭くなって。。。
イメージ 7
最後はしゃがんで這うように前に進みました。。。
イメージ 8
次は。。。
宿北大戦記念碑亭(日本語でsubei戦争記念館)。。。
も、もしや。。。好日関係の記念碑か。。。だったらやだなあ・・・と思っていたのですが。。
イメージ 9
大丈夫・・・国共内戦関係の記念碑でした。。。
イメージ 10
湖に出ました。
イメージ 11
しばらく、彼女と湖を眺めながらまったり過ごしました。
イメージ 12
続いて、大岩の上を歩いていると。。。
赤↑でガイドさんが説明。。。
イメージ 13
ガイドさん「むかし、ここにトラの棲家があって、麓の村々にやってきて悪さをしていたの。そのトラを退治するために、リーさんと言う人がトラと取っ組み合いをして、トラを退治してくれたの。赤↑はそのときの取っ組み合いのリーさんとトラの足跡よ」
た、たしかにそれっぽい足跡ですね。。。
イメージ 14
ギャルが実際足跡に自分の足をはめてました。。。リーさん、トラと取っ組み合いをするほどの怪力の持ち主なのに、足の大きさはギャルと大体同じぐらい。。。意外と華奢だったのかも。
イメージ 15
さらに歩いていくと。。。
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三仙洞。。。。『聊斎志異』にも紹介されている伝説が残る有名な場所(といっても、僕は当日まで知りませんでしたが)なんですが、今日はさっき長々と馬陵の戦いについて書いて疲れてしまったので、次回書きたいと思います。
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洞の中。
イメージ 17
こちらは、七真岩洞。。。
イメージ 19
この後。。。
下山。。。
イメージ 20
2時間ほどで。。。
楽しいギャルとのハイキングが終わりました。
次回は、ムフフ夜の新沂・・・のご紹介です。
お楽しみに。
結局、この三日間何もせずにダラダラ過ごしてしまいました。
明日は日曜日ですが、明日から普通に授業です(中国は元旦だけが祝日で休み、三連休にするために、2日(金)を休みにする代わりに、明日は振り替えで金曜日の授業があります)。。
まあ。。。
もうすぐ冬休みですから、少しの我慢ですけどね。
というわけで。。。
今日も特に何もなかったので、新沂旅行の続きを書きます。
12月27日(土)。。
午前は窯湾古鎮の見学。。。
そして、午後は。。。
イメージ 1
馬陵山のハイキングです。
馬陵山は紀元前341年、戦国七雄の魏と斉が戦った場所です。。
魏の名将?涓(ほうけん)と斉の軍師孫濱(そんぴん)は元々同じ師の下で学んだ仲。。しかし、能力的に孫ぴんより劣っていることを自覚していたほうけん、孫ぴんを罠に陥れてうまく罪人に仕立て上げ、足切りの刑に処して牢に放り込んでしまします。孫ぴんはなんやかんやで、上手く牢屋を脱走、斉の国に逃れて軍師となり、彼は復讐を誓います。
そして紀元前341年。。。魏と斉が激突します。
まず、孫ぴんは、わざと負けてほうけんを奥地に引き込みます。
連戦連勝のほうけん。。。斉軍の宿営地を奪い取るたびに、(食物を炊く)窯の数が減っていくのを見て。。。
ほうけん「ふふふふ。これは斉軍に脱走兵が沢山出ているからに違いない。敵軍の士気はかなり低いぞ。よし、一気にケリをつけてやる!者ども、出撃じゃ!」
ほうけんは、一足先に騎馬兵だけを引き連れて斉軍を追撃しました。
一方、孫ぴんは逃げ場のない、この馬陵山に伏兵を置いて。。。
そして、馬陵山の山道に立つ一本の大木。。。孫ぴんは部下に命令します。
孫ぴん「この木に『ほうけん、ここに死す』という文字を彫ってくれ。。。。今晩、魏軍はここを通るはず。その時、松明を持って、この木に近づいてくる者がいたら、そいつが敵将ほうけんだ。その松明めがけて矢を放て!」
夜。。。
馬陵山にやってきたほうけん。。。大木に彫られた文字に気づいて、何が書いてあるのか読むために、松明を持って大木に近づきました。
ほうけん「なになに・・・『ほうけん、ここに死す』・・・・しまった!これは罠だ!」
逃げ場のない馬陵山に引き込まれたことに気づいたほうけんでしたが、時すでに遅し。。。ほうけんに向かって一斉に放たれる矢、ほうけんは蜂の巣になってしまいました。
「孫ぴんのやつに歴史に名を成さしめてやってしまった」、ほうけんはこう言って絶命しました。
孫ぴんは兵法家として歴史に名を残し、『孫子』を著します。。孫子の兵法、武田信玄の風林火山に安芸国人のむふふナンパ術と、後世に多大なる影響を残すわけです。。(ちょっと薀蓄になりますが、ふた昔前までは『孫子』はこの孫ぴんの作とする説があったのですが、今は孫ぴんの祖先、呉の国に使えた孫武の作と考えられています。孫ぴんも兵法を書いているのですが、40年ほど前に2000年前のお墓の中から、孫ぴんが書いた『孫子』が発見されて、今の『孫子』とは別物ということがわかったんですよね。というわけで、ここの部分はネタとして読んでいただけるとありがたいです)
戦国の覇権を握りつつあった魏は馬陵での敗戦で没落し、秦と斉の二強時代に突入します。(例のごとくウル覚えの記憶で書いたので、細かいところで間違ってるかもしれません。)
で。。。
伝説では上記の写真がその馬陵の戦いの舞台になった山道・・・・らしいです。が、実際戦争が行われた場所はここよりもう少し北へ40キロ行ったところ(山東省臨沂市?城)だったようです。。。
さて。。。
ちょっと長い説明になってしまいましたが、旅行記を続けます。
長寿泉で長生きできる水を飲んだ後。。。
イメージ 2
山道を歩いて行きます。。。
この辺りは、タイガー巣・・・・昔はトラがたくさん棲んでいたようです。
と。。。
イメージ 3
トラが出現!
怖いですね。。。
というか。。。
イメージ 4
ここの通り。。。トラの口に似ているという、馬陵山の観光スポットの一つのようです。
イメージ 5
僕もトラの口の中をあるきます。。
イメージ 6
ドンドン狭くなって。。。
イメージ 7
最後はしゃがんで這うように前に進みました。。。
イメージ 8
次は。。。
宿北大戦記念碑亭(日本語でsubei戦争記念館)。。。
も、もしや。。。好日関係の記念碑か。。。だったらやだなあ・・・と思っていたのですが。。
イメージ 9
大丈夫・・・国共内戦関係の記念碑でした。。。
イメージ 10
湖に出ました。
イメージ 11
しばらく、彼女と湖を眺めながらまったり過ごしました。
イメージ 12
続いて、大岩の上を歩いていると。。。
赤↑でガイドさんが説明。。。
イメージ 13
ガイドさん「むかし、ここにトラの棲家があって、麓の村々にやってきて悪さをしていたの。そのトラを退治するために、リーさんと言う人がトラと取っ組み合いをして、トラを退治してくれたの。赤↑はそのときの取っ組み合いのリーさんとトラの足跡よ」
た、たしかにそれっぽい足跡ですね。。。
イメージ 14
ギャルが実際足跡に自分の足をはめてました。。。リーさん、トラと取っ組み合いをするほどの怪力の持ち主なのに、足の大きさはギャルと大体同じぐらい。。。意外と華奢だったのかも。
イメージ 15
さらに歩いていくと。。。
イメージ 16
三仙洞。。。。『聊斎志異』にも紹介されている伝説が残る有名な場所(といっても、僕は当日まで知りませんでしたが)なんですが、今日はさっき長々と馬陵の戦いについて書いて疲れてしまったので、次回書きたいと思います。
イメージ 18
洞の中。
イメージ 17
こちらは、七真岩洞。。。
イメージ 19
この後。。。
下山。。。
イメージ 20
2時間ほどで。。。
楽しいギャルとのハイキングが終わりました。
次回は、ムフフ夜の新沂・・・のご紹介です。
お楽しみに。