ウィリアムのいたずらの開発?日記

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「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」を見て来た。右翼や左翼が今の国会より民主主義してた!

2020-11-23 11:34:54 | そのほか
11月22日に、池袋の「新文芸坐」で「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」と「潮騒」(久保明、青山京子版、1作目)と「愛の渇き」を見て来た!三島由紀夫VS東大全共闘は、よかった!(ほかは…)

確かに「熱情」だけは感じて、それで見切ってしまったかんじ。
熱情で駆け抜ける疾走感は嫌いじゃない。
ただ、疾走しないで立ち止まって考えちゃうと、「うん?」と思い、
「まあ、50年前だからねえ~今は違うよねえ~」と思う点がある。

それよりもなによりも、右翼(三島氏)も左翼(全共闘)も原稿みてないでちゃんと議論しいる。いまのメモ見てて話しあっていない国会とは大違いで民主主義してるかんじだ!皮肉にも…
国会も、あのくらい議論しないとヤバくないか?

ま、それはそうとして、今と違う相違点というか、違和感というかは、以下の2点かなあ~

・名前づけや歴史を否定してしまっているのに、言葉で議論している?

・知性主義と反知性主義は背反するものなのか
 →時間軸を否定しているから、これが背反できるので時間軸を導入
  すれば、知性主義(思考)から反知性主義(行動)への飛翔という
  ことが考えられるわけで、ここに面白みを感じるのでは?

そして1点気付いたこと。
・三島由紀夫氏のいう天皇は、生きている人間天皇とは違う
 →討論中言っていたけど、社会主義の理想を神に割り当てたのが
  宗教で、それを天皇にしたのが、三島由紀夫氏のいう天皇
  つまり、

   三島由紀夫の思想ー天皇=全共闘

では、それぞれ詳細




■名前づけや歴史を否定してしまっているのに、言葉で議論している

途中、名前付けとか歴史とかを否定する話の議論をしていると思うけど、
もし、名前も時間もなかったら、何もないはず(空)。
でも、それはなんにでもなれる(色)可能性を潜在的に持っている。
(空即是色)

 つまり、事物は目的や歴史に関係なく、たしかに存在するんだけど、それに対して、人間(だけじゃないけど説明の便宜上人間とする)が目的(ゴール)を与えてみたとき、その事物(オブジェクト)は目的を達成するように機能する「はずである」。

 そのとき、この「目的+機能」を表現するのが「名前」(これ以外にも名前を付ける理由はあるが省略)で、その事物に対して、目的を達成するために何らかの「操作」をする。操作をするってことは、操作する前(目的を達成している前)と操作した後(目的を達成した後)というのが存在するはずで、この前・後が違っている状態遷移を「時間が経過した」と考え、時間軸を導入する。時間軸が導入されると、歴史というものが「生まれてしまう」

というのが、ゴール指向分析で、このブログを見ている人はわかると思うけど、自分はこの指向を支持しているので、名前づけや歴史を否定してしまっている=空=議論はできないと思ってしまう。・・・この辺に違和感。




■知性主義と反知性主義は背反するものなのか
 知性主義は「知性が正しい」という「状態」であり、
 反知性主義は「行動が正しい」という「状態」だとすると、
この状態は同時に成立しないので、二律背反になる。そりゃわかる。

 だけど、言葉で議論する場合、名前を組み合わせて論を立てる。上述した通り、名前には「目的」というものが存在する(ちなみに目的が異なる場合には異なる名前を与えたほうが良い)。目的(=ゴール)で議論する場合、ゴールは状態から状態への状態遷移と考えられている。
 だから、知性主義→知性主義とか、反知性主義→反知性主義もあるけど
知性主義→反知性主義、反知性主義→知性主義という状態遷移もありえる。
つまり、時間軸を入れて考えると、知性主義→反知性主義という流れも考えられて、この流れを疾走するところに、自分は面白みを感じている。




あ~この辺の疾走感とか、多分この名前っていうのは、ラベリングとかステレオタイプのことだと思うけど・・・っていう話とか。三島由紀夫氏の唱える天皇とか、書こうと思ったら、もう時間がないので、とりあえずここまででUP
続きはまた今度
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