Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

1953年人民日報

2010-09-28 14:17:54 | 時事
中国人船長を釈放しても、河北省石家荘市で拘束されたフジタの4社員は解放される兆しがない。日中関係は回復するどころか、ますますギスギスする様相を見せている。そんななか、28日付毎日新聞の「記者の目」で毎日OBの辻康吾さんが興味深い情報を寄せられた。中国は1953年1月8日付の「人民日報」で、尖閣諸島を日本の領土と紹介していたという事実だ。


辻さんの文章のなかで紹介した当時の人民日報の引用部分を、長くなるが紹介すると、
「琉球群島はわが国の台湾東北部と日本の九州島西南部の間の海上にあり、尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、トカラ諸島、大隅諸島、など七つの島嶼で、それぞれに多くの小島があり、総計五十以上の名のある島と、四百余りの無名の小島があり、(中略)その内側はわが国の東海(東シナ海=Takepu加筆=)、外側は太平洋の公海である」との地理的説明に続き、「自由、解放、平和を求める琉球人民の(反米・基地)闘争は孤立したものではなく、日本人民の闘争と切り離せないものである」--。

辻さんの原稿によると、人民日報にはこう書かれていたという。
つまり、中国名「釣魚島」でなく、「尖閣諸島」と記しているばかりか、境界の「内側は東海、外側は太平洋」と中国領でない、日本領だと事実上認めている。
人民日報は中国共産党中央機関紙であり、記事は「資料」だったといい、事実上、中国の公式見解と考えるのが普通だ。

さすが、辻さん。
日本が日清戦争直前に尖閣諸島について10年間調査して、他国が領有していないことを確認してから、1895年1月の閣議で日本の沖縄県に編入したこと(念のため、台湾を日本の植民地にした下関=馬関=条約は4月の締結なので、台湾を尖閣諸島とともに日本統治下に編入したわけではない)、日本の敗戦で進駐軍が沖縄以下、尖閣諸島も占領下においたときも、尖閣諸島も含めて沖縄を日本に返還したときも、中華人民共和国も中華民国も抗議をしていないこと、1970年代に有望な油田があるとの調査結果が出てから領有権を主張し始めた、というのは日本でも多く報じられている。

辻さんの原稿は1953年から1971年までは少なくとも、中華人民共和国は尖閣諸島として日本の領土と認めていたという明快な証拠を提示したことになる。

彼をご存じない若い人や日本語でブログを読まれている中国の人に紹介すると、辻康吾さんは毎日新聞の香港、北京特派員を勤めたあと、大学教授に転じ、中国問題に大変詳しい専門家であるだけでなく、中国を愛する優秀な学者だ。決して右翼反動でも、左翼日和見でもない。筆者も学生時代に恩師の教授に紹介され、仕事部屋にうかがったことがある。大変お世話になった。香港駐在時代に香港でお迎えしたこともある。

辻さんは日中関係が教科書問題でおかしくなったころ、北京特派員として苦労した経験もあり、この期に及んで、このような記者の目を寄稿されたのだろう。

ところで、中国は船長を返しても強硬姿勢を崩そうとしない。右翼的なのか、無知なのか、日本の評論家たちの多くは怒りをぶちまけている。日本の政治の舞台でも民主党と自民党が別々の考えを示しているのに、中国が一枚岩だと思っているのだろうか。つまり、中国はいま権力闘争のまっただなかだと考えるのが普通だ。「戦略的互恵関係」を打ち出し、日本との関係改善を進めていた胡錦濤・温家宝コンビを代表する共産党青年団出身の派閥(団派)に対して、軍事費削減を認めず周辺海域での軍事的存在感を誇示したい軍部と、かつての指導者の子弟によるグループ(太子党)が反日をあおることで、胡・温コンビを牽制している。もし中国が対日姿勢を緩和させたら、ネット世論をあおって「弱腰」と胡・温コンビを攻撃、失脚を狙うところまでいくかもしれない。
かつて中国指導部でもっとも開明的といわれた胡耀邦・元党総書記も、親日であることが失脚の理由のひとつとなった。胡耀邦の系列に属する胡錦濤、温家宝がそれを知らないわけがない。

10月には中国共産党第17期中央委員会第5回総会、いわゆる「五中全会」が開かれる。来年から始まる第12期五カ年計画の雛形を作るのが主だが、昨年の「四中全会」で最高指導者へのステップとされる中央軍事委員会副主席に就任できなかった「太子党」の習近平・国家副主席は、今度こそ軍事委副主席になるため、ものすごい党内工作を行っているはずだ。これに対して胡・温ラインは直系の李克強・副首相に譲りたいと考えているだろう。そのため四中全会時には習軍事委副主席就任を阻んだはずだ。そういう時期に胡・温コンビが「親日」のレッテルを貼られて立場が危うくなるのは大変不利だ。4人のフジタ社員も、五中全会が終わるまで、あるいは少なくとも、その大勢が固まるまで解放されないのではないか。

また、菅政権、外務省も反日の江沢民・前党総書記兼国家主席が後ろ盾となっている習近平より、「戦略的互恵関係」の胡・温ラインを継承する李克強のほうが、日中関係にとっても、将来の中国の民主化にとっても利があると考え、「弱腰」と批判されるのは覚悟の上で船長を釈放し、名を捨て実を取ったのではないか。