花椿夕月の『雪*星*さざれ石』

日本映画ネタ、雑ネタなど

☆3月18日 映画「北上川悲歌(エレジー)」を見た

2018年03月18日 | この映画見ました

花椿です。 最近、ヤフオクでかつて新東宝が制作した「北上川悲歌」と「思い

出月夜」のDVDを買って即刻見た。 新東宝ってのは1961年に倒産したノ

リの軽いB級映画を大量に生産していた映画会社であるが、天知茂、丹波哲郎、

菅原文太、宇津井健、三ツ矢歌子、大空真弓、高倉みゆき、池内淳子らの専属ス

ターを擁していてなかなかの顔ぶれである。 三原葉子という日本映画界の伝説

的グラマー女優も新東宝の偉大なるキャラだ。


あえて説明するとB級映画専門はダメというわけではない。 昭和30年代前半

までは一般家庭にテレビが普及していなくて人々は毎週のように映画館に通って

映画を見ていた。 その中で80年代の2時間ドラマのようなサスペンスものや

戦争ものやメロドラマを低予算で制作して日本中にばらまいていたのが新東宝だ。


で、最近は新東宝の作品が再評価されていて、新東宝映画の研究本なんか多く出

版されているしスカパーでの放映やDVDの発売も少なくない。 個人的には天

知茂と丹波哲郎が好きであれこれと映画作品を探すうちに新東宝にぶち当たって

集中的に見ている。


前出の三原葉子と天知茂が主演した「女体渦巻島」とか「黄線地帯」なんかヤフ

オクで1枚6千円も出して入手したくらいだ。 一方、今回の「北上川悲歌」は

1枚800円。 発売されたばかりで廃盤じゃないから安かった。 映画の制作

年は1961年(昭和36年)だ。 俺が小学校へ入学した年。 新東宝が倒産

する直前の最後の映画である。(総天然色)


ストーリーを簡単に書けば、岩手県の北上地方に住むある若いカップルが「北上

川夜曲」という曲を作る。 しかし男(田浦正巳)は東京で音楽家を目指しなが

ら挫折した時に暴力団とのゴタゴタに巻き込まれて今さら歌手として一本立ち出

来ない事情があった。


それで女(杉田弘子)の弟が歌手を目指していたのでこの曲を贈ったわけ。 こ

の曲を高く評価した有名作曲家の手助けもあって大々的にデビューするんだが、

たまたま田浦が会場にいるのが暴力団の知るところとなって襲撃される。


田浦は杉田とその弟をかばって自分自身は銃弾を浴びて死ぬというドラマ。 なん

て事もないB級の歌謡ドラマじゃあるけど、それなりに楽しめた。 まず「北上川

夜曲」の曲がめちゃめちゃいい。 もちろん当時の大ヒット曲なので映画化された

わけやけど、俺は島倉千代子のCDに入っていたので知っていたが、あらためて聴

くとやはりいい曲なのだ。 国民的名曲だと評価して良いと思う。

(知らない人はYouTubeで「北上川夜曲」で検索すれば出てくる。 この曲を名曲

じゃないとは言わせないよ。)


それにこの時代の歌謡映画らしく音楽場面がやたら多くて踊る指揮者で有名なチャ

ーリー石黒と東京パンチョスの演奏場面は一見の価値あり。 「白鳥の湖」をジャ

ス風に編曲した奴やけどチャーリー石黒が踊りながら指揮するのを見たら、このシ

ーンと曲だけでも1枚800円でDVDを買った意味があった。 三原葉子がヒロ

インの友人役で登場したのはサプライズ。


役者については主人公の田浦正巳については全く知らない。 初めて見た役者だ。

杉田弘子は松竹のメロ映画に時々出ていたのは覚えているがヒロイン役を見るのは

初めてである。 映画出演時に27才だけども老け顔なので35才くらいに見える。


もっとも、この時代は女の平均寿命が73才くらいだし、当時の女の27才は今の

35才くらいで普通だったのかも知れない。 みんな22才前後で結婚していて

25才の独身女がオ-ルドミスと呼ばれた時代だもん。


じゃあね、

2018年、3月18日、22時半記。 録画した『そこまで言って委員会NP』

見ながら。
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新東宝最後の映画です (さすらい日乗)
2019-04-12 20:56:17
新東宝が作った最後の映画です。
この後、大宝と言う配給会社ができ、ここで6本公開されました。大島渚の『飼育』も、その1本です。

これは昔、中学生の頃にテレビで見ました。それは新東宝が倒産するとき、多数の旧作をテレビに売ったからでした。平日の午前中などによくやっていました。

新東宝の倒産とニュース映画、文化映画の減少は、そのスタッフたちによってピンク映画の興隆になります。

ピンク映画は、日本の大手でもセックス映画の流行にあり、ついに1971年には日活ロマンポルノになるのです。また、ATGも「芸術エロ」作品でヒットを生むことになります。

ロマンポルノの結果、日本映画界からは、美人女優を追放することになります。女で、裸になれば、誰でも女優になれるという時代になったのです。

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