この道はカーブを続けながら博多駅の方向へ向かう。
たぶん、このあたりは以前の「みのしま駅」があったのではないかと思う。
現在は歩道として整備されているが、左側のコンクリートの階段は駅のホームの名残りとして残してあるのだろう。
筑肥線は現在は市営地下鉄に乗り入れしていて、姪浜から南側を通っていた軌道は一部が道路となった以外は面影がなくなってしまった。
それでも、こんな形で筑肥線の一部が残されているのは筑肥線の利用者だった私としてはうれしい。
私の知る筑肥線は、唐津くんち、お弁当と白いプラスチック容器に入ったとびきり熱いお茶、海岸線の景色、無人の駅などゆっくりとしたローカル線だ。
現在でも前原より先、浜崎までは変わらずほとんどが昔の筑肥線の軌道を走っている。
ディーゼルの力強い音や、座席のしたからのムッとする暖房はないけれど、当時とほとんど変わらず海岸線の景色を楽しめるはずだ。
時々昔を思い出して懐かしむのは楽しいものだ。
しかし思い出はいいけれど、思い出せるのは一部の場面ばかりで時系列がわからなかったり、なぜそこにいたとか、その後どうしたといった、思い出せない部分があるというのはもどかしい。。。
なんとか記憶をつなげてしっかり思い出せないものか。
たぶん、このあたりは以前の「みのしま駅」があったのではないかと思う。
現在は歩道として整備されているが、左側のコンクリートの階段は駅のホームの名残りとして残してあるのだろう。
筑肥線は現在は市営地下鉄に乗り入れしていて、姪浜から南側を通っていた軌道は一部が道路となった以外は面影がなくなってしまった。
それでも、こんな形で筑肥線の一部が残されているのは筑肥線の利用者だった私としてはうれしい。
私の知る筑肥線は、唐津くんち、お弁当と白いプラスチック容器に入ったとびきり熱いお茶、海岸線の景色、無人の駅などゆっくりとしたローカル線だ。
現在でも前原より先、浜崎までは変わらずほとんどが昔の筑肥線の軌道を走っている。
ディーゼルの力強い音や、座席のしたからのムッとする暖房はないけれど、当時とほとんど変わらず海岸線の景色を楽しめるはずだ。
時々昔を思い出して懐かしむのは楽しいものだ。
しかし思い出はいいけれど、思い出せるのは一部の場面ばかりで時系列がわからなかったり、なぜそこにいたとか、その後どうしたといった、思い出せない部分があるというのはもどかしい。。。
なんとか記憶をつなげてしっかり思い出せないものか。