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日中友好の為に(二)

2012年03月03日 22時40分59秒 | 日記
「南京大虐殺」に関して、

今回のように、

日本側から否定する意見を出した場合は、

撤回などするべきではありません。


例えば、チベットの場合、

1949年の中国建国から文革(1966年~76年)までに、

中国が侵攻して行った虐殺の結果

犠牲者は、

チベット側の報告で120万人。


チベットに侵攻を続けた50年代には悲惨を極め、

毎年のように10万人前後のチベット人が、

解放軍によって虐殺されました。


90年代に入っても

度々動乱が起こっていましたし、

ご記憶の方も多いと思いますが、

昨年からは、僧侶の焼身自殺が相次いでいます。


ところで、

「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館」(南京虐殺記念館)の

設立の経緯については、

例えば、「Wikipedia」によれば、


「建設の経緯

日本からの要請と寄付

日本社会党委員長を務めた田辺誠は1980年代に南京市を訪れた際、

当館を建設するよう求めた。

中国共産党が資金不足を理由として建設に消極的だったため、

田辺は総評から3000万円の建設資金を南京市に寄付し、

その資金で同紀念館が建設された。

3000万円の資金のうち建設費は870万円で、

余った資金は共産党関係者で分けたという。

また記念館の設計は日本人が手がけた。


建設

1982年、田辺の再三の建設要求と破格の資金提供に対し、

中国政府の小平ならびに中国共産党中央委員会が、

全国に日本の中国侵略の記念館・記念碑を建立して、

愛国主義教育を推進するよう指示を出した。

この支持を受けて、

1983年、中国共産党江蘇省委員会と江蘇省政府は

南京大虐殺紀念館を設立することを決定し、

中国共産党南京市委員会と南京市政府に準備委員会を発足させた。

小平は1985年2月に南京を視察に訪れ、

建設予定の紀念館のために

「侵華日軍南京大遇難同胞紀念館」の館名を揮毫し、

小平の視察直後に紀念館の建設が着工され、

抗日戦争40周年に当たる同年8月15日にオープンした。」


中国側が、南京での被害者を30万人と主張する背景には、

チベットで行われた本物の「大」が関係していると思われます。

南京の「大」は、

日本側からのお墨付きもあるわけですから、

チベットでの蛮行を覆い隠すために、

「30万」どころか、

本当は、

死者「120万」ぐらいは言いたいのかも知れません。


例えば、

92年、天皇陛下が北京に行かれたことで、

中国全土に「日中友好」の気運がみなぎっていたものを、

95年、村山富市氏が土下座外交をして、

あっさり「排日運動」が始まりました。


その間、

チベットで、ウイグルで

中共と少数民族との間に武力衝突が起こり、

法輪功信者に対する迫害が始まりました。

また、共産党・人民解放軍内部では、

汚職・腐敗が蔓延、

社会には格差と公害…等、

現在、中国社会の抱える問題の多くは、

この時代に醸成された物です。


日本の土下座外交が、

日本の地位を下げるばかりではなく、

中共の腐敗を助長させてしまう一面のあることは、

否定できません。

或いは、腐敗しているからこそ、

中共は、それを隠そうと、

謝罪を要求するのかも知れません。


さて、話は変わって先月2月7日、

中国成都にあるアメリカ総領事館を

警察車輌70台が

取り囲むという事件が起こりました。


重慶トップ 薄煕来(はくきらい)による暗殺を恐れた、

重慶副市長 王立軍が、

6日、機密文書を携えてアメリカ領事館に逃げ込み、

亡命を希望、

それを知った薄煕来(はくきらい)が、

王立軍を粛清すべく警察車輌70台を重慶から成都に送り込み、

24時間 総領事館を包囲。

翌日、アメリカ側が王立軍を北京に引き渡す条件で、

事件はひとます落着。

秋の国家指導者の世代交代(18回全国代表大会)を控え、

薄煕来を排除しようとする胡錦濤周辺が、

王立軍に、汚職の証拠を集めさせた事が事件の発端と言われています。


事の詳細については、

また別の機会にお話しますが、

ここに登場する、

王立軍は、もとは遼寧省で公安局長を努めた人物、

一方、薄煕来(はくきらい)は、

2010年、スペイン国家裁判所から

法輪功学習者に対する迫害で、

江沢民・賈慶林(かけいりん)等と共に提訴された人物です。


遼寧省は、また、法輪功犠牲者の最も多い地域ですので、

法輪功擁護の「唐人電視台」などは、

王立軍の持ち込んだ機密文書には、

国家機密の他、

薄煕来による臓器狩りの証拠があったのではないかと分析しています。

そう言えば、遼寧省大連には、

プラスティネーションの工場もありました。


機密文書の内容については推測の域を出ませんが、

王立軍が領事館に逃げ込んだ事は、

アメリカ側も認めていますので、

現在、中国指導部内は、

党中央政治局常務委員会の9人を始め、

「権力闘争」の真っ最中で

もろもろ過敏になっているのではないか、

と予想できます。


さて、中共が権力闘争真っ最中という状況下での、

今回の河村市長の発言ですが、

中国側の動きとしては、私は、

「中国指導部が河村発言を勢力争いに利用するべく大騒ぎする」

というような可能性は少なくて、

寧ろ、「中国指導部は、更なる混乱を避けるために、

河村発言は無視して、国内に集中する」か、

或いは、

「中共が騒ぎもしないのに、

日本側の「虐殺記念館」建設を推進したような人々が、

河村発言を撤回させるべく、日本の世論と中共指導部を煽って大騒ぎする」

というような事が、起こるのではないかと思っています。


以下は、「読売新聞」電子版の記事です。


『河村発言、名古屋市と南京市で解決を…藤村長官』

(2012年3月2日21時07分 読売新聞)

「藤村官房長官は2日の記者会見で、

河村たかし名古屋市長による南京事件を巡る発言を受け、

南京市で今月9~11日に予定していた

文化行事「南京ジャパンウイーク」

が延期されたことを明らかにした。


藤村氏は

「主催者が出演者の安全面の確保などを総合的に考慮したと聞いている。

国交正常化40周年の今年の

しかるべき時期に開催できるよう調整していく」と述べた。

政府は河村氏の発言について、

「名古屋市と南京市という地方自治体の間で適切に解決されるべき問題」(藤村氏)としている。」

記事は此処までです。


2010年9月の

中国漁船衝突事件では

日本側から行動を起こしておきながら、

中国側の圧力に屈して法を曲げ、

大恥を晒したのでした。


河村市長には、

一度発言した事は撤回せず、

最低でも、

時間切れ引き分けにもっていって頂きたいと思います。

公人の食言は、みっともないですし、

第一、その様な事が起これば、

今度こそ、民主政権は倒れると思います。

別に、民主政権の心配はしていませんが、

日本が、これ以上恥をかくのは願い下げです。


それに、

どうせ撤回するなら

田辺誠氏の言動をこそ、

撤回して頂きたいものです。

中国でSARSに似た感染症出現


これは先週の記事です、SARSは不味いですよね。


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