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溝口雄三について

2013年03月17日 11時34分56秒 | 日記
溝口雄三

2010年7月、

東京大学名誉教授、中国思想史専門、

パーキンソン病のため

東京都練馬区の老人ホームで13日死去、77歳。


溝口雄三の『中国の衝撃』

によれば、

「われわれが中国への謝罪という行為を通じて解消したいと思うのは、

まさにこの東アジアの

歴史認識上の優劣構図およびそれの鬼子としての

反「自虐」意識にほかならない。」


この人物の、思索の痕跡なのか、

それとも、何か直接言うと拙いことを、

覆い隠したいのか、

故意に判りにくくしたような文章です。

そもそも、

「われわれ」とは誰なのか、

「東アジア」とは何処なのか、

言葉遣いからして、

好きではありません。

「歴史認識上の優劣構図およびそれの鬼子としての

反「自虐」意識」を解消するために、

ひょっとして、

謝罪の為に、日本国を差し出せ、と言いたいのでしょうか。

ところで、

この人物に関して、

図書館員が、

面白い噂話をしていました。


この人物、

大学に籍を置きながら、

北京(北京大学)に一年ほど研修に出かけ、

帰国して、

教授の傍ら、図書委員をしていました。


夏休み明け、北京旅行をしてきた図書館事務員が、

溝口教授に向かって、話しかけました。

「北京に行って、

北京原人と盧溝橋(ろこうきょう)を見てきました。」

と話しかけると、

「へー盧溝橋って北京にあったんですか。」

「えっ?ええ」


口さがない女性のこととて、

溝口教授は一年北京にいて盧溝橋も知らないと、

図書館員の間で大噂になりました。


盧溝橋というのは、

北京の西南20km程にある橋です。


1937年(昭和12年)7月7日

この場所で、

日本軍と中国国民革命軍との衝突事件が起こりました。

日本では盧溝橋事件、

中国では七七事変、

これがきっかけで

日中戦争(支那事変)が起こりました。


この橋は、

永定河に架かる石橋で、

1192年建造。

全長260m、幅7.5m、橋桁は11のアーチで構成され、

欄干の上には、全てが異なる姿の獅子の石像が約500体ならんでいます。

別に、歴史に興味が無くとも、

美術的にも、非常に美しい橋です。

マルコポーロがここを訪れ、

『東方見聞録』の中で、

「これほど美しい橋は、

世界中何処を探しても、

他には見つからない」

と書かれたこともあり、

マルコポーロブリッジとも呼ばれています。


自虐史観肯定派でも否定派でも良いのですが、

近現代史を専門としながら、

盧溝橋の場所がわからないのでは、

話になりません。

それとも、事実を突き詰めると、

何か拙いことでもあったのでしょうか?

或いは、知らない方が自虐史観に邁進できる?

何か、自虐利権でもあるのでしょうか?


まあ、図書館事務員の噂話です。

真実かどうかは判然としませんが、

私が、ストーカー教員について苦情を言った直後、

40項目以上の架空の業績を計上させて

左ストーカーを教授に昇格させたのは、

この溝口雄三です。

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