『蜻蛉洲大和の国のサンライズタイム』ー外国人参政権反対、移民政策反対、背乗り工作反対!盗聴・盗撮は日本では犯罪です!ー

キラキラネームは日本の漢字文化を破壊するための、カルトの工作活動です!公務員の国籍条項と外国人土地法の復活求む!

漢字の話(キラキラネームの秘密、五)

2016年06月01日 00時56分24秒 | 日記
※当ブログの「漢字の話」及びその他の記事については、許可無く転載を禁じます。何処かで全く同じ内容を発表している場合には、ご一報ください。世の中には、他人のブログを盗んで、自分の名前で発表する馬鹿がいるので困ります。


・増え続ける漢字

さて、どの時代に幾つの漢字が存在したのかという問題は、歴代の字典を調べれば容易に分かります。殷末に4500文字だった文字は次第に増加し、後漢の許慎(きょしん)の著した『説文解字(せつもんかいじ、100~121年の間に成立)』では9353字、三国時代の魏の張揖(ちょうゆう)が編じた『広雅』(隋の煬帝の諱が煬広なのでそれを避けて『博雅』とも言う)では18151字、南朝梁の顧野王(こやおう、519~581年没)の著した『玉篇』が22726字、北宋の陳彭年らの編で1008年に完成した『広韻』には26194字、清の康煕帝(こうきてい)の命により、六年を費やして康煕五十五年(1716年)に完成・印行した『康煕字典』には、42174字が収められています。そして、日本で作られた『大漢和辞典』の親字は5万字です。

殷墟から発掘された「甲骨文字」と、許慎の著した『説文解字』の間には、約1500年間の隔たりがあります。許慎は後漢の人なので、『説文解字』には、秦の始皇帝の統一した文字である「※小篆(しょうてん)」と彼の時代に残っていた秦以前の文字が使われていますが、「甲骨文字」と小篆には、「鶏」や「奚」など殆ど同じ文字が存在しており、また、占卜の内容から考えて、周・秦・漢の文字と「甲骨文字」の表す言語の間には、いちじるしい断絶はないと言われています。

※篆書(てんしょ)とは字体の事です。周の太史籒(ちゅう)の作った文字を大篆と言うのに対して、秦の李斯(りし)の作った文字を小篆と言います。現在でも、篆刻(てんこく)と言って、印章に刻まれる文字として使われています。

私は随分長い間、「亀甲獣骨」の「亀甲」というのは、亀の背中側の甲羅を使った物だろうと思っていました。そんな物によくも文字が書ける物だと。しかし、北京の「中国歴史博物館」に行ったときに、殷の第二十二代 武丁の時の亀甲と言われる物が展示されているのを見ましたが、大きな腹側の亀甲に、数行にわたって文字が書かれていました。出土したときからそうなのか、それとも誰かがその後に着色した物か、朱色の文字までありました。それを見たときには少なからず感動し、ヒエログリフや楔形文字は、既に亡んで伝わってはいないのに、現在まで、この文字の流れが伝わっているのだ、と。

殷の甲骨文字は、マラリヤの特効薬として売買されていました。清末、王懿栄(おういえい)が甲骨文字に気付くまで、いったいどれだけ長い期間、薬として売られていたのだろうと思います。

亀甲獣骨は、始め、農民が掘り出して薬屋に売った物でした。秦の始皇帝陵の兵馬俑も、農民が井戸を掘っていて発見しました。農家は、大地の正統な後継者です。甲骨文字で占卜をした王族や秦の何千年か後の後裔が、先祖の遺産を発掘した物だと勝手に思う事にしています。もっとも、北京原人で有名な周口店遺跡も、薬屋で扱っていた骨片が手がかりとなって発見されたようですが。


・ケーブルテレビの失敗

漢字は古い文字なのですが、もう一つ特筆すべき点があります。

殷の甲骨文字 4500文字
後漢『説文解字』9353文字
三国時代『広雅』18151文字
南朝梁『玉篇』22726文字
北宋『広韻』26194文字
清朝『康煕字典』42174文字
昭和『大漢和辞典』5万字

殷の時代に約4500文字だった物が、昭和に編纂された『大漢和辞典』では約十一倍の5万字に増えています。しかも、それで文字の変化が終わったわけではないのです。


私は以前、ケーブルテレビで翻訳の仕事をしていました。台湾や大陸の連続ドラマやバラエティー番組を、翻訳する仕事です。知っている人は知っている、知らない人は全く知らない『超級星期天(スーパーサンデー)』や『菅芒花的春天』等を担当していました。

『超級星期天(スーパーサンデー)』(バラエティー番組)は早口ですし、数名が一度に話します。何とか楽しさが伝わるように、笑いどころや、突っ込みが分かるようにと苦心惨憺、言葉をひねり出していました。実話をもとにしたドラマ『菅芒花的春天』は、梶原一輝と台湾の女優のラブストーリーで、加勢大周さんや阿部さんも出演している、けっこう人気のドラマという事しでした。バラエティーにせよドラマにせよ、もとの番組が面白いので、苦労はしても、基本的には楽しい仕事でした。

そんなある日、会社から電話があり、

「翻訳家が急に降りたので、代わりにお願いできませんか。」

と言います。私が、

「どんな内容ですか?」

と聞くと、

「香港のCM大賞なんですが、台本も来ていますので、お願いできませんか。」、と。

声は明らかに焦っています。

「期日は?」

「○○日までです。」

指定の期日は一週間ほど先でしたが、当時は原稿を「FedEx(フェデックス)」で香港に送って確認を取り、翻訳した原稿を画面に打ち込んでいたので、放送までは一週間ですが、実質、五日間しか無かったように思います。香港は広東語圏ですし、文字は旧字体です。恐らく、途中で投げ出した人でも出たのだろうと思いました。

私は広東語は習った事はありません。しかし、台本はあると言う事ですし、『大漢和辞典』と現代中国語の「中日辞典」さえあれば、何とかなるだろうと思いました。そこで、

「分かりました。テープと台本を送って下さい。」

と、気軽に引き受けました。

ところが、いざ翻訳を始めると『大漢和辞典』にも手元の『中日辞典』にも載っていない文字が出てきます。台本を見ても意味が通じない所がありますし、文法も北京語とは微妙に違う気がしてきます。送ってもらったテープで映像を確認しても、広東語なので細かなところがわかりません。もし、私が投げ出せば、番組に穴が開きます。今ならば、ネット上で調べる事も容易ですが、パソコンのOSがWindows95の時代の話しです。私は、この原稿を途中で断った人物の見識の高さを羨み、己の浅はかさを呪いながら、もう、半泣きで三日間外に出ず、最後の丸二日は徹夜をして何とか原稿を仕上げましたが、朝の光の中でバイク便を呼んだ時には、クビを覚悟していました。

その後、私の原稿は、香港で字幕になりケーブルテレビで流されましたが、会社からは、間違いを指摘され、

「これはペナルティ一回分ですが、こちらが急にお願いしたので、その一回は無しにしておきますね。」

などと慰められました。情けない事です。二度と広東語には手を出すまい、と誓った事は言うまでもありません。その後もテレビ会社からは仕事を頂く事ができましたが、残念な事に、90年代の終わり、経営不振に陥ってその会社は無くなってしまいました。

※漢字は、広東語圏でも増え続けていますし、日本でも日常的に使われているにも関わらず『大漢和辞典』に掲載されていない文字もあります。例えば、『大漢和辞典』は『康煕字典』からも文字を取っていますが、『康煕字典』には、元素記号を表す文字は入っていません。また、「癌」と言う文字は『大漢和辞典』にはありません。漢字は、時代の変化に対応しながら、現在も増え続けているのです。

まだまだ続きます。