今日は憲法記念日です。1947年5月3日に日本国憲法が施行されたのを記念して祝日に指定されたようですが、ぜんぜん嬉しくありません。占領憲法である上に、緻密な計算のもとに作成された物でもなく、事実にそぐわないからです。
施行から既に七十年近く経過していますが、この間、発展なのか進歩なのか、ひょっとすると退化かもしれませんが、例えば、仕事ならばリヤカーからオート三輪、軽トラックへ、家の中でも、台所ならば、竈(かまど)からガスがま、炊飯ジャーへ、トイレもくみ取り式から水洗、更に、便座の暖かい温水式へ。ずいぶんと便利になりました。
着る物だって、私の祖母の普段着は、着物でしたし、私は小学校の低学年の頃まで、寝るときには寝間着を着せられていました。夏場など、冷蔵庫は氷で冷やしていましたが(さすがに、竈は無くなっていましたし、冷蔵庫は物置に押し込められて、使われていたのは見ていません)、今は、勝手に氷ができます。団扇や扇子から扇風機を越えて、空調へ、治安が悪くなったこともありますが、蚊帳の出番は、既に無くなりました。(蚊帳の、あの香りは良い物でした)
道具や衣類だけが変わったのではありません。中学生になるときには、男子は皆、坊主頭になりましたし、三世代・四世代が一緒に住み、長男は家業を継ぐのが当たり前でした。家の中では、家長、或いは、父親が一番威張っていました。平日の昼間、そこら辺をふらふらしている十代の学生など見た事はありません。学生同士のいじめも、誰かが虐められていたら、必ず、誰かが助けました。公的機関には権威があり、日本の人口は、増え続けて、そのうち列島からあふれ出すのではないかと心配されていました。
テレビは、白黒からデジタルへ。アナウンサーは美しい日本語を話し、それは、日本語の一つの基準であったはずですが、現在は、「てにをは」さえ間違いますし、カタカナ英語がやたらに増えました(あのカタカナ英語、皆さん解って話しているのでしょうか?)。
これほど世の中が変わり、しかも、変化を喜んで受け入れていたはずなのに、憲法のみ墨守しようというのは、おかしな話です。だいたい、「平和を愛する諸国民」などどこにもいない事は、気の利いた小学生でも知っています。憲法と空想科学小説が同列では困ります。
さて、以下は「産経新聞」電子版の記事です。私は、憲法については門外漢ではありますが、「憲法は国民に大局的指針を示す格調ある法典」という位置づけは、なかなか好いと思っています。
『本紙「国民の憲法」要綱を発表 「独立自存の道義国家」』
2013.4.26 05:00
「産経新聞は創刊80周年と「正論」40周年の記念事業として進めてきた「国民の憲法」要綱をまとめ26日、発表した。わが国にふさわしい「新憲法」として国柄を明記、前文で国づくりの目標を「独立自存の道義国家」と掲げた。平和を維持する国防の軍保持や「国を守る義務」、緊急事態条項を新たに設けた。「国難」に対応できない現行憲法の致命的欠陥を踏まえ「国民の憲法」要綱は危機に対処でき「国家の羅針盤」となるよう目指した。
■12章117条、「天皇は元首」「軍を保持」明記
「国民の憲法」要綱は昨年3月からの起草委員会の27回に及ぶ議論を経てまとめた。国家や憲法とは何かなどから議論は始まり、現行憲法の不備を正しつつ堅持すべき事柄も精査した。
「国民の憲法」要綱は、前文のあと、「天皇」「国の構成」「国防」と続き、12章117条で構成する。
まず、わが国が天皇を戴(いただ)く立憲君主国という国柄を第1条で定めた。現在の「国民統合の象徴」に加えて天皇は「国の永続性の象徴」でもあるとした。たびたび議論があった天皇の法的地位も国の代表者である「元首」と明記。皇位も「皇統に属する男系の子孫」が継承するとした。
前文ではわが国の文化、文明の独自性や国際協調を通じて重要な役割を果たす覚悟などを盛り込んだ。連合国軍総司令部(GHQ)の「押しつけ」とされる現行憲法で、特に前文は「翻訳調の悪文」「非現実的な内容」「日本の国柄を反映していない」といった批判があった。憲法は国民に大局的指針を示す格調ある法典でもあるべきだとして、全面的に見直した。
国民」「領土」「主権」や国旗・国歌について第二章「国の構成」で新たに規定した。国民主権を堅持し、国家に主権があることも明確にした。主権や独立などが脅かされた場合の国の責務も明らかにした。
現行憲法で「戦争の放棄」だった章は第三章「国防」と改めた。国際平和を希求し、紛争の平和的解決に努めつつも、独立や安全確保、国民の保護と国際平和に積極貢献できるよう軍保持を明記。国家の緊急事態条項では、不測の事態下での私権制限が可能とした。
国民の権利、義務の章では、家族の尊重規定や国を守る義務を新設。権利と義務の均衡を図りつつ環境権や人格権など新しい権利を積極的に取り入れた。
国会では参議院を「特色ある良識の府」にすべく諸改革を提言。内閣では首相の指導力を強化するよう条文を見直した。憲法判断が迅速化するよう最高裁判所への専門部署の設置を提言したほか、地方自治の章では、地域に主権があるかのような主張を否定した。
要綱の提言を通じ本紙は国民の憲法改正への論議が豊かで実りあるものとなるよう期待している。
■独立自存 他の力に頼ることなく、自らの力で生存を確保することをいう。哲学者、西田幾多郎も著書「善の研究」で独立自存の重要性を説いている。」
「国民の憲法」要綱発表シンポジウム
『産経新聞80周年「国民の憲法」要綱 前文』
「日本国は先人から受け継いだ悠久の歴史をもち、天皇を国のもといとする立憲国家である。
日本国民は建国以来、天皇を国民統合のよりどころとし、専断を排して衆議を重んじ、尊厳ある近代国家を形成した。山紫水明の美しい国土と自然に恵まれ、海洋国家として独自の日本文明を築いた。よもの海をはらからと願い、和をもって貴しとする精神と、国難に赴く雄々しさをはぐくんできた。
日本国民は多様な価値観を認め、進取の気性と異文化との協和によって固有の伝統文化を生み出してきた。先の大戦による荒廃から復興し、幾多の自然災害をしなやかな精神で超克した。国際社会の中に枢要な地位を占め、国際規範を尊重し、協調して重要な役割を果たす覚悟を有する。
日本国は自由主義、民主主義に立脚して、基本的人権を尊重し、議会制民主主義のうえに国民の福祉を増進し、活力ある公正な社会を実現する。国家の目標として独立自存の道義国家を目指す。人種平等を重んじ、民族の共存共栄をはかり、国際社会の安全と繁栄に積極的に貢献する。
われら日本国民は、恒久平和を希求しつつ、国の主権、独立、名誉を守ることを決意する。これら崇高な理想と誇りをもって、ここに憲法を制定する。
◇
≪解説≫
まず国家論、簡潔に前文改稿
「国民の憲法」前文は、日本の伝統文化を基礎に「国のかたち」を簡潔に示すことを心がけた。国民主権や基本的人権を尊重し、議会制民主主義を堅持することはいうまでもない。
起草委員会はまず、現行憲法の前文が米国憲法やリンカーン米大統領演説など「外来歴史的文書のつぎはぎ」であることを問題視した。とくに、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との一節は、自らの生存を他国にゆだねる悪文と判断した。そこには当時の占領軍が、二度と米国に刃向かわない国家にしようとした意思が刻まれていた。
■ ■ ■
そこで現行憲法前文を白紙に戻し、日本の国柄を意識しながら全面的に書き直した。初めに日本の伝統的な価値観と、新しい価値観との融合を討議した。独自の伝統文化としては、国の統一と永続性の象徴である天皇を「国の基(もとい)」と表現し、日本が立憲君主国家であることを定義した。
四方を海に囲まれた海洋国家としてのありようは、聖徳太子の十七条憲法や明治天皇の御製を織り込んで、和の精神と雄々しさを表した。とくに、戦後の復興や東日本大震災後に示した日本人の高い道徳性を踏まえ、道義立国という概念を提起している。
その結果、尊厳ある国家の目標として「独立自存の道義国家」を掲げ、国際協調によって積極的に平和に貢献することを誓っている。同時に国の主権、独立、名誉が損なわれる場合には、断固たる対処も辞さない覚悟を示した。
起草委員の問題意識には、国家論なき憲法はありえないとの思いがあった。従来の「憲法は国家権力を制約する」との一面的な憲法観を排除し、国民が参加して自由に議論すべきことを提起している。」
もう一つ「産経新聞」から、
『護憲派の親米ぶりに感心する』
2013.5.2 11:32
「熱心な護憲派ほど、ときに極端な米国追従主義者に思える。彼らがいかに「アメリカ いいなり もうやめよう」(共産党のポスター)と主張しようとも、米国製の憲法を後生大事に押しいただいている姿をみると説得力は薄れてしまう。
「(現行憲法は)連合国軍総司令部(GHQ)の憲法も国際法も全く素人の人たちが、たった8日間でつくり上げた代物だ」
安倍晋三首相がこう指摘する通り、憲法が事実上、占領中にGHQに押し付けられたものであるのは今では多くの人が知っている。
ところが戦後長く、憲法が米国主導でつくられたことに言及するのはタブーとされ、「押し付け論」を口にすると「右翼だ」「反動だ」と袋だたきに遭った。
本当のことを言ってはならないという「閉(とざ)された言語空間」(文芸評論家の江藤淳氏)が日本全体を覆っていたのだ。その原因はGHQによる巧みなマインドコントロールである。
GHQは占領下の日本で、「中国に対する批判」「戦争犯罪人の正当化および擁護」「占領軍兵士と日本女性との交渉」など30項目の検閲指針を設け、厳しい言論統制を実施した。
その項目の一つが「連合国最高司令官・司令部(SCAP)が憲法を起草したことに対する批判」だ。その結果、「日本の新憲法起草に当たってSCAPが果たした役割について一切の言及」も禁じられた。
GHQは同時に「出版、映画、新聞、雑誌の検閲が行われていることに関する一切の言及」も不許可としたため、国民は検閲が実施されていることもろくに知らないまま、憲法は日本人がつくったと信じ込まされたのである。
「新憲法は今は『押し付けられた』という言い方をされているが、そのうち必ず尊重を受ける」
米誌「ニューズウィーク」の外信部長だったハリー・カーン氏は同誌の1947(昭和22)年6月23日号で予言していた。首相も著書にこう書いている。
「アメリカは、自らと連合国側の国益を守るために、代表して、日本が二度と欧米中心の秩序に挑戦することのないよう、強い意志をもって憲法草案の作成にあたらせた」
ところが、ここまで好き勝手にされても、いまだに「押し付けではない」と言い張る護憲派が政界には少なくない。時代や国際環境の変化に目もくれない彼らには、「どれだけ米国製品が好きなのだろうか」と感心させられる。
ちなみに、4月25日に発足した憲法96条改正に反対する超党派議員連盟「立憲フォーラム」の役員名簿には、次のような豪華メンバーの名前が連なっていた。
菅直人元首相(顧問)、江田五月元参院議長(同)、岡崎トミ子元国家公安委員長(同)、近藤昭一元環境副大臣(代表)、水岡俊一元首相補佐官(副代表)、辻元清美元国土交通副大臣(幹事長)…。
さぞかし、米国の教えを真面目に守ってきた親米派ばかりなのだろうと推察する。」
ネット世論調査「内閣支持率調査 2013/4/24」結果
ひょっとして、「改憲」がTPPの防御策であるならば、上記の「国民の憲法」でも足りません。「護憲」など論外、更に日本の国家像を明らかにし、主権を強化する内容である必要があるのではないでしょうか。
兎も角も、日本人による、日本国のための「憲法」が施行された上での、「憲法記念日」が待たれます。
施行から既に七十年近く経過していますが、この間、発展なのか進歩なのか、ひょっとすると退化かもしれませんが、例えば、仕事ならばリヤカーからオート三輪、軽トラックへ、家の中でも、台所ならば、竈(かまど)からガスがま、炊飯ジャーへ、トイレもくみ取り式から水洗、更に、便座の暖かい温水式へ。ずいぶんと便利になりました。
着る物だって、私の祖母の普段着は、着物でしたし、私は小学校の低学年の頃まで、寝るときには寝間着を着せられていました。夏場など、冷蔵庫は氷で冷やしていましたが(さすがに、竈は無くなっていましたし、冷蔵庫は物置に押し込められて、使われていたのは見ていません)、今は、勝手に氷ができます。団扇や扇子から扇風機を越えて、空調へ、治安が悪くなったこともありますが、蚊帳の出番は、既に無くなりました。(蚊帳の、あの香りは良い物でした)
道具や衣類だけが変わったのではありません。中学生になるときには、男子は皆、坊主頭になりましたし、三世代・四世代が一緒に住み、長男は家業を継ぐのが当たり前でした。家の中では、家長、或いは、父親が一番威張っていました。平日の昼間、そこら辺をふらふらしている十代の学生など見た事はありません。学生同士のいじめも、誰かが虐められていたら、必ず、誰かが助けました。公的機関には権威があり、日本の人口は、増え続けて、そのうち列島からあふれ出すのではないかと心配されていました。
テレビは、白黒からデジタルへ。アナウンサーは美しい日本語を話し、それは、日本語の一つの基準であったはずですが、現在は、「てにをは」さえ間違いますし、カタカナ英語がやたらに増えました(あのカタカナ英語、皆さん解って話しているのでしょうか?)。
これほど世の中が変わり、しかも、変化を喜んで受け入れていたはずなのに、憲法のみ墨守しようというのは、おかしな話です。だいたい、「平和を愛する諸国民」などどこにもいない事は、気の利いた小学生でも知っています。憲法と空想科学小説が同列では困ります。
さて、以下は「産経新聞」電子版の記事です。私は、憲法については門外漢ではありますが、「憲法は国民に大局的指針を示す格調ある法典」という位置づけは、なかなか好いと思っています。
『本紙「国民の憲法」要綱を発表 「独立自存の道義国家」』
2013.4.26 05:00
「産経新聞は創刊80周年と「正論」40周年の記念事業として進めてきた「国民の憲法」要綱をまとめ26日、発表した。わが国にふさわしい「新憲法」として国柄を明記、前文で国づくりの目標を「独立自存の道義国家」と掲げた。平和を維持する国防の軍保持や「国を守る義務」、緊急事態条項を新たに設けた。「国難」に対応できない現行憲法の致命的欠陥を踏まえ「国民の憲法」要綱は危機に対処でき「国家の羅針盤」となるよう目指した。
■12章117条、「天皇は元首」「軍を保持」明記
「国民の憲法」要綱は昨年3月からの起草委員会の27回に及ぶ議論を経てまとめた。国家や憲法とは何かなどから議論は始まり、現行憲法の不備を正しつつ堅持すべき事柄も精査した。
「国民の憲法」要綱は、前文のあと、「天皇」「国の構成」「国防」と続き、12章117条で構成する。
まず、わが国が天皇を戴(いただ)く立憲君主国という国柄を第1条で定めた。現在の「国民統合の象徴」に加えて天皇は「国の永続性の象徴」でもあるとした。たびたび議論があった天皇の法的地位も国の代表者である「元首」と明記。皇位も「皇統に属する男系の子孫」が継承するとした。
前文ではわが国の文化、文明の独自性や国際協調を通じて重要な役割を果たす覚悟などを盛り込んだ。連合国軍総司令部(GHQ)の「押しつけ」とされる現行憲法で、特に前文は「翻訳調の悪文」「非現実的な内容」「日本の国柄を反映していない」といった批判があった。憲法は国民に大局的指針を示す格調ある法典でもあるべきだとして、全面的に見直した。
国民」「領土」「主権」や国旗・国歌について第二章「国の構成」で新たに規定した。国民主権を堅持し、国家に主権があることも明確にした。主権や独立などが脅かされた場合の国の責務も明らかにした。
現行憲法で「戦争の放棄」だった章は第三章「国防」と改めた。国際平和を希求し、紛争の平和的解決に努めつつも、独立や安全確保、国民の保護と国際平和に積極貢献できるよう軍保持を明記。国家の緊急事態条項では、不測の事態下での私権制限が可能とした。
国民の権利、義務の章では、家族の尊重規定や国を守る義務を新設。権利と義務の均衡を図りつつ環境権や人格権など新しい権利を積極的に取り入れた。
国会では参議院を「特色ある良識の府」にすべく諸改革を提言。内閣では首相の指導力を強化するよう条文を見直した。憲法判断が迅速化するよう最高裁判所への専門部署の設置を提言したほか、地方自治の章では、地域に主権があるかのような主張を否定した。
要綱の提言を通じ本紙は国民の憲法改正への論議が豊かで実りあるものとなるよう期待している。
■独立自存 他の力に頼ることなく、自らの力で生存を確保することをいう。哲学者、西田幾多郎も著書「善の研究」で独立自存の重要性を説いている。」
「国民の憲法」要綱発表シンポジウム
『産経新聞80周年「国民の憲法」要綱 前文』
「日本国は先人から受け継いだ悠久の歴史をもち、天皇を国のもといとする立憲国家である。
日本国民は建国以来、天皇を国民統合のよりどころとし、専断を排して衆議を重んじ、尊厳ある近代国家を形成した。山紫水明の美しい国土と自然に恵まれ、海洋国家として独自の日本文明を築いた。よもの海をはらからと願い、和をもって貴しとする精神と、国難に赴く雄々しさをはぐくんできた。
日本国民は多様な価値観を認め、進取の気性と異文化との協和によって固有の伝統文化を生み出してきた。先の大戦による荒廃から復興し、幾多の自然災害をしなやかな精神で超克した。国際社会の中に枢要な地位を占め、国際規範を尊重し、協調して重要な役割を果たす覚悟を有する。
日本国は自由主義、民主主義に立脚して、基本的人権を尊重し、議会制民主主義のうえに国民の福祉を増進し、活力ある公正な社会を実現する。国家の目標として独立自存の道義国家を目指す。人種平等を重んじ、民族の共存共栄をはかり、国際社会の安全と繁栄に積極的に貢献する。
われら日本国民は、恒久平和を希求しつつ、国の主権、独立、名誉を守ることを決意する。これら崇高な理想と誇りをもって、ここに憲法を制定する。
◇
≪解説≫
まず国家論、簡潔に前文改稿
「国民の憲法」前文は、日本の伝統文化を基礎に「国のかたち」を簡潔に示すことを心がけた。国民主権や基本的人権を尊重し、議会制民主主義を堅持することはいうまでもない。
起草委員会はまず、現行憲法の前文が米国憲法やリンカーン米大統領演説など「外来歴史的文書のつぎはぎ」であることを問題視した。とくに、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との一節は、自らの生存を他国にゆだねる悪文と判断した。そこには当時の占領軍が、二度と米国に刃向かわない国家にしようとした意思が刻まれていた。
■ ■ ■
そこで現行憲法前文を白紙に戻し、日本の国柄を意識しながら全面的に書き直した。初めに日本の伝統的な価値観と、新しい価値観との融合を討議した。独自の伝統文化としては、国の統一と永続性の象徴である天皇を「国の基(もとい)」と表現し、日本が立憲君主国家であることを定義した。
四方を海に囲まれた海洋国家としてのありようは、聖徳太子の十七条憲法や明治天皇の御製を織り込んで、和の精神と雄々しさを表した。とくに、戦後の復興や東日本大震災後に示した日本人の高い道徳性を踏まえ、道義立国という概念を提起している。
その結果、尊厳ある国家の目標として「独立自存の道義国家」を掲げ、国際協調によって積極的に平和に貢献することを誓っている。同時に国の主権、独立、名誉が損なわれる場合には、断固たる対処も辞さない覚悟を示した。
起草委員の問題意識には、国家論なき憲法はありえないとの思いがあった。従来の「憲法は国家権力を制約する」との一面的な憲法観を排除し、国民が参加して自由に議論すべきことを提起している。」
もう一つ「産経新聞」から、
『護憲派の親米ぶりに感心する』
2013.5.2 11:32
「熱心な護憲派ほど、ときに極端な米国追従主義者に思える。彼らがいかに「アメリカ いいなり もうやめよう」(共産党のポスター)と主張しようとも、米国製の憲法を後生大事に押しいただいている姿をみると説得力は薄れてしまう。
「(現行憲法は)連合国軍総司令部(GHQ)の憲法も国際法も全く素人の人たちが、たった8日間でつくり上げた代物だ」
安倍晋三首相がこう指摘する通り、憲法が事実上、占領中にGHQに押し付けられたものであるのは今では多くの人が知っている。
ところが戦後長く、憲法が米国主導でつくられたことに言及するのはタブーとされ、「押し付け論」を口にすると「右翼だ」「反動だ」と袋だたきに遭った。
本当のことを言ってはならないという「閉(とざ)された言語空間」(文芸評論家の江藤淳氏)が日本全体を覆っていたのだ。その原因はGHQによる巧みなマインドコントロールである。
GHQは占領下の日本で、「中国に対する批判」「戦争犯罪人の正当化および擁護」「占領軍兵士と日本女性との交渉」など30項目の検閲指針を設け、厳しい言論統制を実施した。
その項目の一つが「連合国最高司令官・司令部(SCAP)が憲法を起草したことに対する批判」だ。その結果、「日本の新憲法起草に当たってSCAPが果たした役割について一切の言及」も禁じられた。
GHQは同時に「出版、映画、新聞、雑誌の検閲が行われていることに関する一切の言及」も不許可としたため、国民は検閲が実施されていることもろくに知らないまま、憲法は日本人がつくったと信じ込まされたのである。
「新憲法は今は『押し付けられた』という言い方をされているが、そのうち必ず尊重を受ける」
米誌「ニューズウィーク」の外信部長だったハリー・カーン氏は同誌の1947(昭和22)年6月23日号で予言していた。首相も著書にこう書いている。
「アメリカは、自らと連合国側の国益を守るために、代表して、日本が二度と欧米中心の秩序に挑戦することのないよう、強い意志をもって憲法草案の作成にあたらせた」
ところが、ここまで好き勝手にされても、いまだに「押し付けではない」と言い張る護憲派が政界には少なくない。時代や国際環境の変化に目もくれない彼らには、「どれだけ米国製品が好きなのだろうか」と感心させられる。
ちなみに、4月25日に発足した憲法96条改正に反対する超党派議員連盟「立憲フォーラム」の役員名簿には、次のような豪華メンバーの名前が連なっていた。
菅直人元首相(顧問)、江田五月元参院議長(同)、岡崎トミ子元国家公安委員長(同)、近藤昭一元環境副大臣(代表)、水岡俊一元首相補佐官(副代表)、辻元清美元国土交通副大臣(幹事長)…。
さぞかし、米国の教えを真面目に守ってきた親米派ばかりなのだろうと推察する。」
ネット世論調査「内閣支持率調査 2013/4/24」結果
ひょっとして、「改憲」がTPPの防御策であるならば、上記の「国民の憲法」でも足りません。「護憲」など論外、更に日本の国家像を明らかにし、主権を強化する内容である必要があるのではないでしょうか。
兎も角も、日本人による、日本国のための「憲法」が施行された上での、「憲法記念日」が待たれます。