昨日は六月四日でした。
「六四」と言えば、「天安門」事件です。
先ずは、先月二十七日「産経新聞電子版」の記事をご覧下さい。
『天安門事件23年でデモ 香港で2千人参加』
2012.5.27 20:42
「中国の民主化運動が
武力弾圧された1989年の天安門事件から6月4日で23年となるのを前に、
香港で27日、民主派団体が恒例のデモを行った。
約2100人(主催者発表)が
「事件を忘れてはいけない」などと訴えて市街地を練り歩いた。
デモは香港市民愛国民主運動支援連合会が毎年開催しており、
参加者は中国政府に対し、
当時の民主化運動を正当に評価するよう要求。
「民衆の手に政治を返せ」などと書かれたプラカードを掲げ、
繁華街から香港政府庁舎までの数キロを約2時間かけて行進した。
若い世代に、いかに事件を伝えていくかも課題とされる中、
デモに参加した中学3年の男子生徒(14)は
「香港の学校でも事件について詳しく教えてくれないので、
自分で新聞を読んで勉強した。
民主化こそ正しく、
一党独裁を永遠に続けることは不可能だと中国政府に訴えたい」と話した。」
以下は、その時の映像です。
香港で中国の民主化を求めるデモ、天安門事件から23年を前に
そして、以下は「時事ドットコム」の昨晩の報道です。
『天安門事件23年で大集会=「18万人参加」と主催者-香港』
2012/06/04-23:57
「中国民主化運動が武力弾圧された天安門事件から23年に当たる4日夜、
香港最大の民主派団体
「香港市民愛国民主運動支援連合会」(支連会)が
事件の犠牲者を追悼し、
民主化を求める大集会を開いた。
支連会によると、昨年より約2割多い18万人以上が参加した。
警察の推計でも8万5000人と昨年より8000人多かった。
中国本土から観光の名目で来た参加者もおり、
司会者は広東語に加え、
標準中国語も使用。
会場からは標準語で「ありがとう、香港」と叫ぶ声が聞かれた。
集会には
天安門事件で戦車に両足を切断された民主活動家、方政氏(米国在住)が車椅子で参加し、
中国民主化運動に対する香港の支援に謝意を示した。
事件当時学生リーダーだった王丹氏(台湾在住)も
ビデオメッセージを寄せた。」
記事はここまでです。
小平達は民主化運動を「動乱」と断じましたが、
総書記(当時)趙紫陽は、
運動を「愛国的」と評価しました。
天安門事件が武力によって制圧された後、
趙紫陽は全ての公職を解かれ、
民主化運動は、挫折したかに見えましたが、
小平の改革開放政策は、
趙紫陽の失脚後、
却って加速し、近代化が進みました。
更に、小平は、次の国家主席に江沢民を指名し、
その次の主席には胡錦濤を指名するという異常な人事を行いました。
さて、中国の経済発展は目を見張る物がありますが、
二千年代以降は、デモ、ストライキ等が相次ぎ、
現在は一年に二十万件近い集団事件が発生していると言われています。
多発するデモは、
経済面の改革だけでなく
政治面での改革の必要性を示しています。
共産党の次の課題は、
温家宝が両会後の記者会見でも述べたように、
政治面での改革なのだと思います。
とは言え、それは一歩間違えば、
天安門事件よりも酷い騒ぎになりかねず、
その上、天安門の弾圧を支持する事で政権を得た江沢民一派が、
権力を得ている間は行うことが出来ないように思います。
実際「唐人電視台」などは、
温家宝が天安門事件の再評価、
特に、罪を問われた人々の名誉回復を訴えても、
江沢民派の薄煕来によって却下されている、
と報じています。
民主化の前には、
江派が立ちふさがっていますが、
集団事件は増加傾向にあります。
私は、結局、中国は、
共産党の分裂・一党独裁の放棄・暴動等の危険を孕みながらも、
二十三年前に、
ひょっとすると、小平も考えたかもしれない
趙紫陽が示した道を、
或いは、
広東省烏坎(うかん)で成功したような道を、
歩む他はないのではないかと思います。
ただ、その前には、江沢民派の一掃という大仕事もあるわけですが、
日本は、惑わされることなく、
無論、江派の手助けなどせず、
中国の民主化の手助けが出来ればよいと思うのです。
まあ、理想です。
「六四」と言えば、「天安門」事件です。
先ずは、先月二十七日「産経新聞電子版」の記事をご覧下さい。
『天安門事件23年でデモ 香港で2千人参加』
2012.5.27 20:42
「中国の民主化運動が
武力弾圧された1989年の天安門事件から6月4日で23年となるのを前に、
香港で27日、民主派団体が恒例のデモを行った。
約2100人(主催者発表)が
「事件を忘れてはいけない」などと訴えて市街地を練り歩いた。
デモは香港市民愛国民主運動支援連合会が毎年開催しており、
参加者は中国政府に対し、
当時の民主化運動を正当に評価するよう要求。
「民衆の手に政治を返せ」などと書かれたプラカードを掲げ、
繁華街から香港政府庁舎までの数キロを約2時間かけて行進した。
若い世代に、いかに事件を伝えていくかも課題とされる中、
デモに参加した中学3年の男子生徒(14)は
「香港の学校でも事件について詳しく教えてくれないので、
自分で新聞を読んで勉強した。
民主化こそ正しく、
一党独裁を永遠に続けることは不可能だと中国政府に訴えたい」と話した。」
以下は、その時の映像です。
香港で中国の民主化を求めるデモ、天安門事件から23年を前に
そして、以下は「時事ドットコム」の昨晩の報道です。
『天安門事件23年で大集会=「18万人参加」と主催者-香港』
2012/06/04-23:57
「中国民主化運動が武力弾圧された天安門事件から23年に当たる4日夜、
香港最大の民主派団体
「香港市民愛国民主運動支援連合会」(支連会)が
事件の犠牲者を追悼し、
民主化を求める大集会を開いた。
支連会によると、昨年より約2割多い18万人以上が参加した。
警察の推計でも8万5000人と昨年より8000人多かった。
中国本土から観光の名目で来た参加者もおり、
司会者は広東語に加え、
標準中国語も使用。
会場からは標準語で「ありがとう、香港」と叫ぶ声が聞かれた。
集会には
天安門事件で戦車に両足を切断された民主活動家、方政氏(米国在住)が車椅子で参加し、
中国民主化運動に対する香港の支援に謝意を示した。
事件当時学生リーダーだった王丹氏(台湾在住)も
ビデオメッセージを寄せた。」
記事はここまでです。
小平達は民主化運動を「動乱」と断じましたが、
総書記(当時)趙紫陽は、
運動を「愛国的」と評価しました。
天安門事件が武力によって制圧された後、
趙紫陽は全ての公職を解かれ、
民主化運動は、挫折したかに見えましたが、
小平の改革開放政策は、
趙紫陽の失脚後、
却って加速し、近代化が進みました。
更に、小平は、次の国家主席に江沢民を指名し、
その次の主席には胡錦濤を指名するという異常な人事を行いました。
さて、中国の経済発展は目を見張る物がありますが、
二千年代以降は、デモ、ストライキ等が相次ぎ、
現在は一年に二十万件近い集団事件が発生していると言われています。
多発するデモは、
経済面の改革だけでなく
政治面での改革の必要性を示しています。
共産党の次の課題は、
温家宝が両会後の記者会見でも述べたように、
政治面での改革なのだと思います。
とは言え、それは一歩間違えば、
天安門事件よりも酷い騒ぎになりかねず、
その上、天安門の弾圧を支持する事で政権を得た江沢民一派が、
権力を得ている間は行うことが出来ないように思います。
実際「唐人電視台」などは、
温家宝が天安門事件の再評価、
特に、罪を問われた人々の名誉回復を訴えても、
江沢民派の薄煕来によって却下されている、
と報じています。
民主化の前には、
江派が立ちふさがっていますが、
集団事件は増加傾向にあります。
私は、結局、中国は、
共産党の分裂・一党独裁の放棄・暴動等の危険を孕みながらも、
二十三年前に、
ひょっとすると、小平も考えたかもしれない
趙紫陽が示した道を、
或いは、
広東省烏坎(うかん)で成功したような道を、
歩む他はないのではないかと思います。
ただ、その前には、江沢民派の一掃という大仕事もあるわけですが、
日本は、惑わされることなく、
無論、江派の手助けなどせず、
中国の民主化の手助けが出来ればよいと思うのです。
まあ、理想です。