『蜻蛉洲大和の国のサンライズタイム』ー外国人参政権反対、移民政策反対、背乗り工作反対!盗聴・盗撮は日本では犯罪です!ー

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自虐史観派の見識

2011年02月14日 18時03分31秒 | 日記
例えば、A教授は1950年生まれだったとします。

彼は、70年代に大学生です。


日本は1945年に玉音放送が流れて、終戦に到りますが、

中国とは1972年まで書類上は戦争状態にあります。

ですから、A教授が大学生の頃はまだ、

中国との国交は回復していません。

更に、中国では1966年から1976年までは、

「プロレタリア文化大革命」の真っ最中で、

普通の日本人は、

入国は出来なかったはずです。


この時期、日本人がもし真面目に中国と向き合おうとしても、

台湾に留学に行くか、

香港に旅行に出かけるか、

何れにせよ、

小さな窓から、或いは、何かのフィルターを通して、

中国という物を覗くような接し方しかできなかったはずです。


ですから、

相当高名な研究者が、

「文革」を肯定するような、

トンチンカンも起こりました。

知ろうとしても叶わなかったのかもしれませんが、

要するに、実情を知らず、特定の思想に基づいて、

勝手に「文革」肯定の論調をひねり出し、

礼賛しました。


日本人が大陸に旅行に出かけるようになるのは、

80年代に入ってからです。

1950年生まれの場合、30代後半、

仕事と家庭をもっています。

この世代が、大陸に行こうと思えば、

職場で一年間の留学か、

休みを利用しての観光旅行です。

既に、語学習得には困難な年齢に達していますし、

かりに、語学に堪能だったとしても、

大陸で自由に動けたとも思われません。


日本で『ワイルドスワン』がもてはやされた時期、

知り合いの中国人が一言、

「あの本に書かれているのは、

それ程、悲惨ではないよ、

金持ちは、物を無くしたけど、

貧乏人は、命をなくす他なかったからねぇ。」


今では何処にでも見かける、

「日本を非難する中国人」

しかし、早期に於いて、

自虐史観の人々の書籍に登場する

「日本に謝罪を求める中国の民衆」を、

彼等は何処で見たのだろう、と思います。

西部邁ゼミナール 2011年1月15日放送