例えば、A教授は1950年生まれだったとします。
彼は、70年代に大学生です。
日本は1945年に玉音放送が流れて、終戦に到りますが、
中国とは1972年まで書類上は戦争状態にあります。
ですから、A教授が大学生の頃はまだ、
中国との国交は回復していません。
更に、中国では1966年から1976年までは、
「プロレタリア文化大革命」の真っ最中で、
普通の日本人は、
入国は出来なかったはずです。
この時期、日本人がもし真面目に中国と向き合おうとしても、
台湾に留学に行くか、
香港に旅行に出かけるか、
何れにせよ、
小さな窓から、或いは、何かのフィルターを通して、
中国という物を覗くような接し方しかできなかったはずです。
ですから、
相当高名な研究者が、
「文革」を肯定するような、
トンチンカンも起こりました。
知ろうとしても叶わなかったのかもしれませんが、
要するに、実情を知らず、特定の思想に基づいて、
勝手に「文革」肯定の論調をひねり出し、
礼賛しました。
日本人が大陸に旅行に出かけるようになるのは、
80年代に入ってからです。
1950年生まれの場合、30代後半、
仕事と家庭をもっています。
この世代が、大陸に行こうと思えば、
職場で一年間の留学か、
休みを利用しての観光旅行です。
既に、語学習得には困難な年齢に達していますし、
かりに、語学に堪能だったとしても、
大陸で自由に動けたとも思われません。
日本で『ワイルドスワン』がもてはやされた時期、
知り合いの中国人が一言、
「あの本に書かれているのは、
それ程、悲惨ではないよ、
金持ちは、物を無くしたけど、
貧乏人は、命をなくす他なかったからねぇ。」
今では何処にでも見かける、
「日本を非難する中国人」
しかし、早期に於いて、
自虐史観の人々の書籍に登場する
「日本に謝罪を求める中国の民衆」を、
彼等は何処で見たのだろう、と思います。
西部邁ゼミナール 2011年1月15日放送
彼は、70年代に大学生です。
日本は1945年に玉音放送が流れて、終戦に到りますが、
中国とは1972年まで書類上は戦争状態にあります。
ですから、A教授が大学生の頃はまだ、
中国との国交は回復していません。
更に、中国では1966年から1976年までは、
「プロレタリア文化大革命」の真っ最中で、
普通の日本人は、
入国は出来なかったはずです。
この時期、日本人がもし真面目に中国と向き合おうとしても、
台湾に留学に行くか、
香港に旅行に出かけるか、
何れにせよ、
小さな窓から、或いは、何かのフィルターを通して、
中国という物を覗くような接し方しかできなかったはずです。
ですから、
相当高名な研究者が、
「文革」を肯定するような、
トンチンカンも起こりました。
知ろうとしても叶わなかったのかもしれませんが、
要するに、実情を知らず、特定の思想に基づいて、
勝手に「文革」肯定の論調をひねり出し、
礼賛しました。
日本人が大陸に旅行に出かけるようになるのは、
80年代に入ってからです。
1950年生まれの場合、30代後半、
仕事と家庭をもっています。
この世代が、大陸に行こうと思えば、
職場で一年間の留学か、
休みを利用しての観光旅行です。
既に、語学習得には困難な年齢に達していますし、
かりに、語学に堪能だったとしても、
大陸で自由に動けたとも思われません。
日本で『ワイルドスワン』がもてはやされた時期、
知り合いの中国人が一言、
「あの本に書かれているのは、
それ程、悲惨ではないよ、
金持ちは、物を無くしたけど、
貧乏人は、命をなくす他なかったからねぇ。」
今では何処にでも見かける、
「日本を非難する中国人」
しかし、早期に於いて、
自虐史観の人々の書籍に登場する
「日本に謝罪を求める中国の民衆」を、
彼等は何処で見たのだろう、と思います。
西部邁ゼミナール 2011年1月15日放送