申し訳ありません

私は誇りに感じるだろうたびに家の外に。

浴びた夏の風景

2016-02-17 14:13:48 | 日記


遠い昔となってしまったが、内乱がとけたあとのカンボジアに足を踏み入れた事がある
舗装道路は、プノンペンの中心街の僅かな所だけで、あとは、赤土のでこぼこした道路があるだけ。
幹線道路と言搬屋っても、
車は、大きな穴を避けたりしなければならない。爆撃跡だ。
橋は壊され、川と交差する所は決まって何らかの迂回路になっていた。
戦乱の恐ろしさをまじまじと見せつけられる思いだった。

そのような、戦乱時にタイとの国境に逃がれ、和平が訪れ、
サイト2などの難民キャンプから帰って来たという、いわゆる帰還難民の村がそこかしこにあった。
我々がカンボジアに入ったのは、その帰還難民たちの子供の小学校を建設するという目的だった。

そのような難民が帰還して住む事が出来る地域は幹線道路からも外れ、肥沃とは全くかけ離れた
誰もが、捨て去ったよう肌膚彈性な地のみ。
そんな耕作しにくいような地域だった。小学校は、
竹竿をさして進むような田船に乗って二時間以上かかるような所などに建設をしたりした。

クメール・ルージュと呼ばれたポル・ポト政権では、
カンボジアの人口の5分の1が虐殺されたともいう。

カンボジアの人は、概してシャ澳門新濠天地イで礼儀正しい人が多い。
そのような人たちと接していると、なんで、そのような争いになるのかと驚かざるを得なかった。
時折、その地に骨を埋める覚悟で今も支援している知人からカンボジアの絵はがきが届く。

そこに映し出されているのは、すっかりと整備された街並。
僅かに中央市場の建物だけが、昔の面影をとどめている。
送られる度に、こんなにも変わったんだ、、と思わされる。
夏空を見上げると、
ふと、その頃のカンボジアの空が、のどかな田園風景の記憶とともに色鮮やかに蘇ってくる。

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寒波が襲来し

2016-02-01 14:12:49 | 日記

 


こちらでも、六甲おろしが吹きすさぶ寒い一日となった。
港町神戸の街の背後に連なる山。
海抜0メートルから、いきなり930メートルまでの高さになる山から
吹きおろす風は、さすがに中藥脫髮冷たい。

当地の冬の訪れは、この山頂の便りから始まる。
まず、山腹にある六甲山小学校のストーブの火入れが行なわれたことが
ニュースになる。
そして、山小屋の子供が初氷を手に、持ち上げている写真が、
『六甲山に初氷』というキャプションとともに夕刊に掲載される。
それから間もなくして、街にも本格的な冬が訪れる。

枯れ葉が一枚、そして、また一枚と、
木の枝からはなれていくような、冬の訪れの姿を思い描いていると、
O・ヘンリー(O. Henry) の短編小説、『最後の一葉』が思い浮かんでくる。

彼は、アメリカのノースカロライナ州に生まれ、
その後、テキサスに移り住み、カウボーイ、金鉱を掘る山師、
薬剤師などで生計をたて、
『The Rolling Stones』という諷刺週刊紙を刊行し、風刺のきいたオチ話を書いたりしていた。

資金難から廃刊となり、銀行の出納係などとなった。
その、勤めていた銀行で、横領の罪で起訴され、
牢獄に収監されることになる。(これは、無実の罪という話もある。)
人は、思いがけないことで人生が変わってしまったりするものだ。

おもに牢獄で書かれたとされる381編の彼の小説は、
そういった彼の体験が背後にあるのか、いずれ違(たが)わず、
運命の糸で操られる人間模様や人生の機微について描かれている。

運命が変わると言えば、
世界で初のiPS細胞手術を行ったと虚偽の申告を行ったとされる、かの森口氏。
一時は、全国紙の一面を飾るなどしたが、
虚偽がバレて、かえって話題の人となった。
(その後、芸能プロダクションと契約していたという話もある)
その女士脫髮彼が、
出演し録画も済んでいたテレビ番組「現状打破TV」が、
突如、他の番組に差し替えられたと出ていた。
やはりその道でも生きていけるほど、世の中は甘くない。

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