申し訳ありません

私は誇りに感じるだろうたびに家の外に。

芭蕉の代表的な句

2015-11-25 14:01:15 | 日記

 


この句は、穿鑿(せんさく)好きを感じさせる、ユーモラスな響きがある。
ところが、そんな「ほのぼの」とした趣きとは違って、
実際は、芭蕉の足腰が弱り病状が悪化し、病床に臥せった状態で、
隣りの部屋にいる人に思いを馳せ、詠んだものらしい。

そういう病気の状況は、みじんも感じさせないところが、
芭蕉の持ち味かもしれない。

隣りが気になるのは、穿鑿好きばかりとは限らない。
今年こそは、独身から、そろそろ結婚を考えている人も、
隣りの人が気になったりする。
「婚活」の文字が新聞やネットの中にもかなり溢れている。
実際、世の中は独身の比率がかなり高くなってきたという。

昔は、世話焼きおばさんがいて、
何かにつけて、アンテナを立物理補習てて、縁結びみたいなことをしていたが、
そんなおばさんは、敬遠されるのか、ほとんど見かけなくなった。

今日、11月11日は、中国では、独身の日と呼ぶそうだ。

奇数月と、同じ数字が並ぶ日は、何らかの節句。
1月1日が、お正月。3月3日は、桃の節句。5月5日は、菖蒲の節句。
7月7日は、七夕。9月9日は、重陽の節句となる。
ところが、11月11日は、奇数月なのに何もお祝い事がない。
そこで、1本1本が横一斉に並ぶ日だから、
視覚的に独身をイメージして、独身の日と呼ぶそうだ。

来年も「独身の日」を祝う(?) ことがないように、
世の独身男性諸氏は、よき水光槍伴侶を求め、
「隣りは何をする人ぞ?」というところだろうか。

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今の国際情勢を見るにつけ

2015-11-20 11:35:12 | 日記

 

孔子の生きた時代は、周代末期、いわゆる春秋時代と呼ばれた頃。
その当時は、孔子と言えど、諸子百家の一人。
一思想家と言える存在に過ぎなかったが、一説に3千人ほどの弟子がいたとされる。
その中で「身の六芸Dream beauty pro 脫毛に通じる者」として七十人の弟子がおり、
特に優れた高弟は孔門十哲と呼ばれる。
それらの弟子を状況に合わせて使い分けて対処していたようだ。
その中で光っていたのは、やはり顔淵と呼ばれた顔回。

その彼と孔子とのやりとりから生まれた
『暴虎馮河(ぼうこひょうが)』という故事成語がある。
このエピソードを簡単に紹介すると、

「顔回よ、『自分の才を認めてくれる者のところでは遺憾なく腕を振るうが、
自分を解雇するような者の同珍王賜豪ところでは、才能を隠す』
こんな芸当が出来るのは、私とおまえぐらいだな、ワッハッハ」
と孔子が話していると、
そばで聴いていた子路が孔子に訊ねる、
「先生が大軍を率いると、誰と行動をともにしますか?」


(子路は、政治や軍事にかけては自分が最も優れていると自信があったので、
当然、顔回に言ったように「子路、おまえぐらいだな、ワッハッハ」
という言葉を期待していた)
ところが、その答えは、
『暴虎馮河(=素手で虎と戦ったり、黄河を歩いて渡ろうと) し、
死んでも悔いがないと考え、無謀なDr. Schafter減肥行動をする人物とは一緒にやりたくない。
慎重に計略を練り上げて戦いに臨む、そんな思慮深い者と事を共にしたい』
というものだった。


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衝動買い”なるものがある

2015-11-18 13:55:50 | 日記

つい大きな買い物をしてしまうことを意味する言葉。
買ったものの中には、”衝動”が働いたものもあるが、
とりたてて欲しい訳でもなかったのDR-MAX教材に買ってしまったというものがある。
あとで、ムダな買い物だったと思えるものもかなりある。
さきごろのニュースには、
そんな買い物で、一人年間17万円にもなると出ていた。
それにつけ込んでいる訳ではないだろうが、お商売をする方も、なかなか巧みで、
レジで並んでいる間に、ふと、傍らに並んでいるものに目がいき、
これもあったらいいかもしれないと、ついカゴに入れてしまうことがある。
年間17万円というのも真実をついている額かもしれないと思う。

落語に出てくる登場人物といえば、長屋住まいなどをしている典型的な庶民層。
こんな人間にとっては、潤沢な生活は望むべくもないので、
ムダは極力避けたいと思うのが当然。
そんな人間が、織りなす落語のネタに『花見酒』というのがある。
これは、長屋の住人で花見に行こうとするが、
ただ花見に行くのは”ムダの骨頂”として、酒を仕入れて花見がてらに売れば、
花見もできて儲けも出る。として、三升の酒を仕入れ、酒用の湯呑みも用意する。
釣り銭用の十文を持って出る。釣り銭としDR-MAX 教材ても充分ではないが、
「ムダを出さない」というのでいえば叶っている。


天秤棒を「熊」と「辰」のふたりで担いで行くが、まず「熊」が
酒を一杯呑みたいと言って、手に持っていた十文を「辰」に渡して呑む。
「辰」も呑みたいと、今「熊」からもらった十文を「熊」に渡して呑む。
そんなこんなをしながら、やっと花見の場所に着いた。
店を開くとさっそく客が来た。だけども酒がない。
「売った」「買った」を繰り返しながら全部の酒を呑んでしまった。
そして、手もとには「辰」が握りしめた十文だけ。
それを見て「熊」が言った。
”ふたりだけ” で呑んDR-MAX 教材だんだから、『コイツは、ムダがない!』。

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世界に ”トロンプ

2015-11-09 12:17:56 | 日記

言葉としては、フランス語で「眼だまし」という事になるが、
もっと端的に言えば「だまし絵」のこと。
これは飾り窓であったり、壁にドアを描いて入り口があるように見せたり、
遠近法を使って奥行き迪士尼美語 好唔好が広いように見せたりする技法。
茶目っ気のあるアートでもある。

「だまし」の代表格と言えば「ニセ金」。
「ニセ金」は、この世に「通貨」が誕生して以来、寄り添うように、
ほぼ同じ年数の歴史を刻んでいる。
通貨を発行する側から言えば、「ニセ金」が作られないように、
透かしを入れたり、磁気を入れたり、ホログラムを施したりと、
様々な工夫を施して来た歴史がある。
だけども、酷似したものが登場するという歴史を繰り返して来た。
中には、どこに違いがあるの変わらないほど見事なまでに精巧なものが
出て来たりする。


ところが、どんなに精巧なニセ金も、必迪士尼美語 世界ずどこかに本物とは違う箇所があるという。
それは、技術的にマネが出来ないという訳ではなく、
「ニセ金」を作る側の矜持(きょうじ) だという話もある。
そっくりそのままのものを作った場合、それは単に普通の通貨になって
流通してしまうだけ。
作る側の職人根性から言えば、それでは満足できない。
お札のちょっとした隅などに、微妙な違いを出して、敢えて忍ばせる。
決して、完コピにならないように、
そして、誰か判る者だけにしか判らないように作る。
これが「ニセ金」作りの職人の心意気ってモノらしい。

考えてみれば「だまし絵」の技法も、決して”リアル”を追寰宇家庭求している訳ではない。
そういったアーティスティックなセンスを楽しんでいるもの。

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高い塀に見えた

2015-11-04 17:44:12 | 日記

    刑務所の入り口までは広い公園になっていて、わたしはそこで一人待たさ願景村 洗腦れた。子どもは刑務所の中には入れないのである。
 一体何時間待っただろう。天気がよかったので公園に生い茂る樹木の下で飛び回る虫たちの姿を見つめながら、時間が過ぎるのを待った。
 公園内を掃除している清掃員のおじさんが声を掛けて来たが内容は忘れてしまった。こんな所に小さな子どもがいる事自体が不思議であり、よほどの事情があったのだろうと思ったのかもしれない。
 随分長い時間を待たされてようやく大きな刑務所の門が開いた。わたしはそれをかなり離れた距離から見詰めていた。
 最初に伯父の姿が現われ、その後に白い開襟シャツを着た父の姿が見えた。父は少し笑蔡加讚っていた。本当ならここでドラマのように父に向かって走り出し抱きつくシーンを思い起こすだろうが、そんなテレビドラマのように劇的な風景とは裏腹に父との会話は全くなかった。
 出所する時、刑務所から僅かだが現金が支払われる。服役中は誰でも労働するわけだからそれに対する報酬が出るのであるが、それは本当にわずかな金額で、刑務所から故郷に帰る交通費と飲食代程度のものだった。
 幼いわたしとしては折角東京まで来たのだからせめて東京タワーに登ってみたかったが、そんな時間は全く残ってはいなかった。
 帰りは午後から雨になり静岡行きの列車も満員で座る事が出来ず乗車口の所に立っていた。通り過ぎる雨に煙る薄暗い空に東京タワーが天を突刺しながら「ボク、また追いで」と言っているように思えた。
 同じ乗車口に居た綺麗なお姉さんがわたしにパンをくれた。お腹の空いていたわたしにとっては美白去斑有り難い思いがけないご馳走だった。パンに喰らい付くわたしを見て、父が優しく「お礼を言えよ」と言った。

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