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先の大戦で、孫子の兵法を厳守したスイス

2018-05-12 19:45:56 | 可笑しな日本の憲法

以下文は、将軍アンリ・ギザン・意志決定を貫く戦略・植村 英一 原書房 1985、ウィキペディア等々を参考にしています。孫子の兵法はウィキペディアを参考にしています。

 

今から2500年位前、孫武が著したとされる兵法書・孫子に書かれている、孫子の兵法・・・孫子以前は、戦争の勝敗は天運に左右されるという考え方が強かったとも言われています。孫子の兵法は勝利のための指針を理論化したものです。先の2次大戦でのスイスの策は、孫子の兵法を厳守したと思います。戦後日本人の多くは、日本の平和を守るのは孫子の兵法を厳守したら丸く収まると言う短絡した考えがあると思います。企業活動での応用は可能だと思いますが・・・

孫子の兵法が出来た当時の時代背景を調べると自国の軍力、国民の強い意思があってその上で論が成り立つ事を前提にしていると思います、この事実を明白に示したのがスイスです。私達日本に何が欠けているか、現日本で孫子の兵法は成り立つか・・・今後未来の日本に何が必要かを明白に示していると思います。

 

孫子・全13篇

1 計篇・無謀な戦争はしない。戦争決断をする前に、避けるべきか、被害の大きさ等考慮

2 作戦篇・戦争長期化を避ける。戦争長期化は国の利益にならない。

3 謀攻篇・戦わずして勝利を収める。百戦百勝が最善ではない、戦闘を行わずに敵を降伏させることが最良である。

4 形篇・防御強化し勝利の形を作る。防御の形を作ると兵力に余裕が生まれるが、攻撃の形を作ると兵力が足らなくなる。攻撃はチャンスを見て迅速に行う。

5 勢篇・兵を選ばず、自軍の勢いを操る。戦闘開始される際の勢いを巧みに利用

6 虚実篇・主導性発揮、敵が攻撃できないように、敵が防御できないように戦う。敵を思いのままに操り、自軍は操られない。

 

7 軍争篇・敵よりも早く戦地に着く。まわり道をいかに直進の近道にするか。兵士集中を統一、敵の気力を奪う。

8 九変篇・将軍は戦局の変化に臨機応変に対応、危険を予測、敵に攻められても大丈夫なよう備え、攻撃させない態勢をとる。

9 行軍篇・戦場では敵の事情を見通す。戦争は兵士が多ければいいものではなく集中して敵情を見れば、勝利することが可能

10 地形篇・地形に合った戦術、優れた将軍は自軍、敵軍、土地のことを考え行動

11 九地篇・地勢に合った戦術、はじめのうちは控えめに、チャンスができたら一気に敵陣深くに侵入

12 火攻篇・利益にならない戦争は起こさない。火攻めは将軍の頭の良さによる。滅んだ国は再興せず、死んだ者は生き返らない。

13 用間篇・間諜(スパイ等)を使い敵情偵察、敵のスパイも上手く誘ってこちらのスパイに仕立てる。

孫子の兵法の特徴としては、簡単に戦争を起こすことを避けたり、長期化させて国力を弱めることを避けたりという非好戦的な面が挙げられます。如何に自軍が主導権を握るかを重要視、細部にまでこだわった観察と臨機応変に対応することを述べています。

孫子の兵法では、負ける者は戦った後に勝つにはどうすれば良かったかを考えます・・・準備が不十分なため、行き当たりばったりの戦い方になってしまいます。

勝つ者は準備の段階で勝てる態勢を整えています・・・ときにはスパイを使って敵の情報を手に入れ、敵の動きを前もって知っておきます。周到な準備によって勝つ確率を上げて行きます。

孫子の兵法では、負けない戦いをすることが勝つための基本だとされています。そのため負けない準備をすることが重要で、負けないための準備はあらかじめ自分で行うことができます。ただ勝てるかどうかは敵の状況によって変わってきます。

戦わずに勝つ・・・負けない準備では、敵よりも戦力が大きくなるまで待ち続け、それまでは戦いを避けることも大事だとされています。負けない戦略とは100回戦って100回勝つことがベストではありません。孫子の兵法において最善の策とされるのが、戦わずに勝つことです。100回勝ったとしても、当然100回も戦えば兵士は疲労困憊(ひろうこんぱい)、当然資源、お金も減ってしまいます。ただ戦わずに相手を屈服させることができれば、自分の兵士や資源はもちろん、相手の兵士や資源も無傷のまま取り込むことができます。滅んでしまった国は再興はできず、死んだ者は生き返りません。優れた将軍は国家の安穏や兵士の無事を考え、軽率には戦争を起こさないとされています。

 

スイスのアンリ・ギザンと聞いても多くの方はご存じないと思います。2次大戦時のスイス軍の総司令官を務めた人です。

アンリ・ギザン(Henri Guisan、1874年 - 1960)はスイスの軍人、第二次世界大戦下の非常事態下において軍の最高司令官(将軍)となり、事実上のスイスの最高指導者で、スイス西部のヴォー州メジエールにて、フランス系プロテスタントの医師の家に生まれ、ギザンは幼くして母を亡くし、父親の愛情を受けて育っています。ローザンヌ大学に進学したものの、進路に迷った末にフランスやドイツに農業技術の研究のために留学、やがて兵役に就いたことをきっかけに軍の仕事に興味を持って職業軍人に転じ、主に砲兵として活躍、第一次世界大戦の頃には陸軍中央学校の教官、軍の作戦司令部の参謀として、近代戦の研究に励んでいます。1932年には軍団長大佐(平時のスイスにおいては将官は設けられないため、大佐が最上位となる)兼国家国防委員会委員となり、実質上の武官のトップの地位に就いた方です。

スイスはご存知の通り2次大戦には参戦していません、永世中立国です。しかしスイスは参戦していませんが徹底した戦時体制をとっていました、これは戦わないための戦いの準備をしています。これらのスイスの策には、孫子の兵法が生かされています。

ドイツがオーストリア、チェコスロバキアを併合すると、近接するスイスは次はスイスだと考えました。スイスは自分の国だけは安全だろう!こちらから何もしなければ相手も攻めて来たりしないだろう!とは考えていませんでした。

スイスは自国を守るための戦争準備を開始しています。更に外交では国際連盟が行う制裁に参加しないことを連盟に承認させ、絶対中立主義へと回帰しています。日本では中立と国際連合は親和的なものに思われがちですが、スイスにしてみれば国際連盟を中心とした外交はかえって中立を危険にすると考えていたようです。中立とは争っている国々のどちらにも加担しないこと、国際連盟の名において制裁に参加すると紛争当事国の一方に加担となってしまいます。

国際連盟決議でドイツ、イタリアへの経済制裁に参加して恨みを買い、自国が侵略されるのはご免だということです。仮にドイツ軍がスイス領へ殺到したとしても、血を流して戦ってくれる兵士を国際連盟が送ってくれるわけではありません。戦争中は欧州の国は国際連盟を信じていましたが何者にも守られることなく大国に踏みにじられ、外交上の供物として使い捨てられています。早々に国際連盟に見切りをつけて国際機構など知った事か。まずは我が身を守るのが最優先だとしたスイスの切り替えの早さはいい面で考えさせられます。

1939年の9月、2次大戦が始まりましたが、スイスは直前、戦雲を読んでただちに戦時体制に移行しています。スイスは戦時における最初の手を打っています。8月28日、法令に従って穀物・油脂・砂糖類の食料品の取引販売を一時禁止、配給制度への切り替えを準備するためです。29日に、総動員を見込んで、動員部隊の集結を掩護するために国境警備隊その他の部隊を招集、同時に非常臨戦事態の発生を宣言

8月30日、臨時スイス合同議会開催、議会は連邦政府に国家緊急事態の間、やむを得ない場合は、憲法の規定にかかわらず事を処理できる全権を委任することを議決しています。これにより通常の憲法一部停止、議会の反対を気にせず政策断行する権利が政府に与えられています。

有事には、議会の議論を待たず、時には憲法の規定さえ超越した強権による非常の政策が必要なこともあるという考えから、このスイスのように憲法秩序すら越えた大権を一時的に政府や軍に与えることを国家緊急権と言われています。

国家緊急権は民主主義の手続きの一部を停止することになりますが、国が亡んでドイツに併合されてしまえば、一部どころか民主主義の全部が失われてしまいます。1940年12月、国防強化のため徴兵適齢前の青少年に対する予備軍事教練を義務化する法律案が政府によって議会に提出され通過しています。この法案は戦時中にもかかわらず国民投票にかけられましたが結果、否決です。理由は予備軍事教練が当面必要であれば、戦時下政府に委任してある権限で実行すればよい、連邦の法律として恒久的な法律で定めるのは、非常時に便乗した自由の破壊につながるおそれがあると、主権者である国民の大部分がそのように判断したからです。

戦争という非常時には、非常の政策が必要なこともあるでしょう。非常の政策は非常時に限定のものです。

スイス人は、非常時にあっては政府に憲法秩序すら越えた強権を与えつつも、与えた強権が非常時だからといって濫用されないよう監視することで、二重の賢明さを示しています。議会は、スイス全軍を統率司令官として、ギザンを将軍に指名しました。スイス軍において将軍は全軍の司令官を意味、有事にのみ指名されるシステムと言われています。

将軍の次は兵士の増員、ドイツの侵攻した翌日の9月2日、政府はギザン将軍と協議の上、総動員令を発令、総動員とは、徴兵期間を終えてふつうの仕事をしている人たちを呼び集めることです。兵士以外にも、戦時には軍事活動に協力すべしと定められている組織や人、医者、看護師も動員、全人口の一割以上が戦争に備えて武器とり、あるいは配置、スイスから他国へ侵攻しようとしたのではありません。

 

ドイツ、フランスは国境線に要塞を築いて睨み合っていました。その要塞線の南側にあるのがスイスです。ドイツ軍がスイスに侵攻すれば、フランスの要塞マジノ線を迂回してカンタンに攻め込めます。スイスは独仏両軍にとって通路、実際、先の第1次大戦ではベルギーらの国々がドイツ軍に通路として利用するためだけに攻め込まれ戦場となっています。

スイスの地理的位置、地形上の特性を考えると…スイス中立に少しでも不安を感じたならば、両者とも先を争ってその領有を図ることは、火を見るより明らかです。中立国の領土不可侵の権利は、自らの領土防衛の義務のうえに立って主張できます、一片の条約上の文字だけに頼れるものではありません。

ギザン将軍は、先ず第一に、その抵抗の意志、力を示してスイスの中立をドイツ、イギリス、フランスの両陣営に信用させることが必要と考えています。スイスは、我が国を通路にしようとしても、撥ね付けるだけの軍事力がスイスにはある、スイスは確かに中立を守ることができると、見せる必用があったと思います。

スイス軍は、アルプスの山や川といった地形を利用して、リーマット線と呼ぶ防衛線をはり北方防御の態勢を取っています。北からのドイツの侵攻に備えたものです。防御に適した地形で戦うということは、それより国境よりの地方は戦わずして見捨てるということを意味します。リーマット線よりドイツ側、チューリッヒらの諸州を防衛できないことになります。

国境線の真上で戦って、領土を完全に守ろうと思えば、敵を圧倒するだけの軍事力が必要、小国のスイスにはそんなものはありません。国の独立を守るため、一時的には国境沿いの町や村を放棄する作戦をたてるのも、やむを得ないと考えたようです。他国領土に入ることなく、専守防衛の防衛戦略をとるということは、外国を刺激することも少ないかわりに、いざ戦時のときは自国の国土を戦場にする覚悟が必要です。専守防衛とは本土決戦です、防御に適さない、国境近くの地域が一時的に見捨てられるのは、軍事力に劣る国にとって致し方のない選択だったようです。圧倒的なドイツ軍は、強さを見せつけていました。スイス軍は、国土の全てを守る余裕など考えられないことだったようです。最新鋭のドイツ軍に対し、ギザン将軍はどう迎え撃つつもりだったでしょうか・・・

ドイツ軍の戦法は主に電撃戦を多く用いています。敵の防御線の一点に爆撃をあびせ戦車部隊で穴をあけ、機動力の戦車部隊、自動車にのった機動歩兵で突破部を拡張、そこから敵の後方に素早くまわりこんで、敵軍を混乱させ、あっという間に勝利する策です。これを防ぐには、突破してきた敵軍を大量の大砲で撃ちまくってストップさせ、我が方も大量の戦車をもって、敵の突出部を叩くことですが小国スイス軍にそんな重武装はありません。平地で戦えば、ドイツ軍の戦法にやられるでしょう。そこで、アルプスを要塞として立てこもる策です。爆撃で混乱させようにも、スイス兵がアリのように山地の地下陣地にもぐりこめば、爆弾はむなしく土を叩くばかり、戦車突破も険しい山岳では発揮できません。このような防御作戦がうまくいくためには、地形だけでは難しく全てに優勢なドイツに迫られながら、いつまでも粘って守りつづける兵士たちの精神力が必須です。

ギザン将軍は、徹底した要点防御戦略を採用、ドイツ軍が国境を越えれば、スイスの主要な道路やトンネル、橋などをことごとく爆破(現在もスイスのトンネル、橋には破壊のための爆破箇所を設けています。)サルガンス、ゴダール、マティーニの3つの山岳要塞を重点に全軍でアルプスの天険に立てこもります。山岳部に立てこもるということは、少ない軍事力では、それ以外は見捨てるということです。リーマット線においてはチューリッヒなどドイツ寄り地域を捨てるだけであったのが、今度はそれどころでは済みません。守るべき国土国民を置き捨てて、山の中に逃げ、ただ軍隊だけが生き延びて、いつまでも敵と戦い続ける態勢をとること。 それがスイス軍の選択でした。スイス軍は国民を守らない、極悪非情の軍であるように見えます。しかし実は、それこそが戦争そのものを防ぐための、この場合ただ一つの方法でした。

 

1940年の7月12日、ギザン将軍・・・

スイス連邦が、この枢軸国の直接攻撃の脅威を免れることができるのは、ただ次のような場合だけです。それは、ドイツの国防軍総司令部が、作戦準備の段階で、我々スイスに対する作戦は、うっかりすると長い期間と莫大な費用がかかることに気がつき…彼らの全体計画の遂行を阻害するのが落ちである、との結論に達したときです。

我々の今後の国土防衛の目的と根拠は、隣接する国々に、スイスとの戦争は長引き、多額の費用のむだ使いになる冒険であることを示すことに、終始一貫して置くべきです。我々は、戦争を回避したいと思えば、我々の皮膚ー国境ーをできる限り高価に売ることが問題です・・・この考え方は、軍事力によって敵を圧倒できないまでも、敵が戦争によってその目的達成するのを拒否できる程度に力を持つことで、その意図を未然に防ぐことです。この戦略は成功しました。ドイツ軍はスイス侵攻を何度となく検討したけれど、その都度、撤回しています。

勝てるとしても、時間がかかる上、損害は大きく、しかも勝ったあとにはスイスの主要交通路はことごとく破壊されているから、得るところが少ないと計算したためです。外交的には中立、軍事的には専守防衛という条件の中で、非情なまでに徹底したスイス軍の防衛戦略が、最後まで功を奏しました。ただ軍だけの功績ではなく、必要な支援を与えつづけた政府、政府に非常時の大権を与えた議会、そしてそれらを支持した国民の存在です。

 

大切なのは、戦争を回避できる国とは他国から見て、あの国は簡単には落ちないと思われる凛とした国家で、巧みに戦争を遂行できる国が、固い決意をもって防御的に振る舞うとき、初めて戦争を回避するができる事を示しています。

今、置かれている日本の状況・・・孫子の兵法で国益を上げるためには相応の軍力、国民の決意が不可欠であることを、スイスが自ら示唆していると思います。相応の軍力、国民の決意があって孫子の兵法は成り立つと理解すべきだと思います。

今、日本がより確かな未来を確保するために成し遂げなければならないことは防衛義務、非常事態事項等の憲法への記載だと思います。記載は決して戦争のためのものでは無く、平和、秩序を維持、自国民の安全、益を確保するために他ならないと思います。

 

 

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