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日本人の心、本居宣長と小津安二郎

2017-09-17 15:45:39 | 日本社会

以下の文は、「小津安二郎新発見」(講談社+α文庫、2002)、ドナルド・リチー著 山本喜久男訳「小津安二郎の美学〜映画の中の日本〜」(教養文庫、1993)、日本の古代を読む(文春学藝ライブラリー文庫)、ウィキペデア等々を参考に一部コピー等して書いています。

 

日本人の心、家族とは・・・難しい質問でもありますが小津安二郎・監督の東京物語は答えています。欧米の日本研究では必須の映画でもあり、今も世界の映画人から賞賛、極めて高い評価をされています。日本映画界でも極めて大きな影響を与えた監督の一人で、山田洋二監督の目指す方向性に大きく影響を与えたと思います。

東京物語(白黒)は、現在もユーチューブで無料で自由に見れます。淡々とした映画で他の映画と違い、カメラが主人公を追いかけることはありません。

特に欧米人が日本人とは理解する一助となる映画とも言われています。

私達も日本人とは!・・・大和心(山桜のように派手さは無いが優雅、愛らしさ、咲いてる間は精一杯可憐に咲き、時期が来ればさっと散る・・・本居宣長)を知ることが出来る映画で、この映画は日本の庶民を風情ある家族ドラマに仕上げ、家族の感情を情緒豊かに表現しています。

 

東京物語

1953年作で女優・原節子が紀子を演じ、経済成長を背景に日本の家族体系が変化する様を描いています。数回見ると小津安二郎の心が分かってくる映画です。ズバリ大和心を表していると思います。

親子関係は万国共通の尽きせぬテーマで、今日の核家族化と高齢化社会の問題を先取りしています。この作品は各国で選定される世界映画ベストテンでも上位に入る常連作品です。郷愁の念を込めて描かれる節制、礼節を重んじる古い世代の日本人、合理性の衣を纏って新しい時代を生きる日本人が対比的に淡々と描かれています。

 

過去、山田洋次監督は文化勲章受章に際してのインタビューで、「東京物語」をベースにして「東京家族」を作ったことに関して、50年前、映画監督になりたてのころには小津監督の映画には興味がなく、古臭いと思っていたこと、しかしある時期から小津作品を、すごい映画だと思うようになり50年かけて世界で一番の映画じゃないかと思うようになったことを明かしています。

この世界一の映画を真似することは何も恥じることではない、思い切り真似してやろうと思ったとも述べています。映画最後の画面でもでも、小津安二郎監督に捧ぐと最大限の尊敬の気持ちを表明しています。

 

尾道に暮らす周吉とその妻のとみが東京に出掛ける。東京に暮らす子供たちの家を久方振りに訪ねるのだ。しかし、長男の幸一も長女の志げも毎日仕事が忙しくて両親をかまってやれない。寂しい思いをする2人を慰めたのが、戦死した次男の妻の紀子だった。紀子はわざわざ仕事を休んで、2人を東京名所の観光に連れて行く。周吉ととみは、子供たちからはあまり温かく接してもらえなかったがそれでも満足した表情を見せて尾道へ帰った。ところが、両親が帰郷して数日もしないうちに、とみが危篤状態であるとの電報が子供たちの元に届いた。子供たちが尾道の実家に到着した翌日の未明に、とみは死去した。とみの葬儀が終わった後、志げは次女の京子に形見の品をよこすよう催促する。紀子以外の子供たちは、葬儀が終わるとそそくさと帰って行った。京子は憤慨するが、紀子は義兄姉をかばい若い京子を静かに諭す。紀子が東京に帰る前に、周吉は上京した際の紀子の優しさに感謝を表す。妻の形見だといって時計を渡すと紀子は号泣する。がらんとした部屋で一人、周吉は静かな尾道の海を眺めるのだった・・・

この作品に世界中の映画人が大絶賛しました。

日本を代表する監督といえば、やはり黒澤明の名が挙がってきますが、小津安二郎監督は日本人とはと言う、大変難しい質問に映画で答えた人と言えそうです。

四季があり、伝統的な日本文化をこれほど正確にかつ魅力的に語る監督作です。東京物語はそんな彼の特徴が抜きん出て表現していると言われています。当時の日本の一般家庭を描くことで日本人とはを忠実に表現しています。

高度経済成長を期に若者が仕事を求めて都会に出ていくようになりました。この家族もその例外ではなく、子供は成人すると都会へ出ていきました。すると子供はどんどん親元を離れ始め、核家族が始まります。

尾道という穏やかな田舎に住む老人と、時代の最先端を行く東京に身を置く若者を対比的に描くことで、家族体系の移り変わりを現実的にを映します。

母が亡くなり里帰りしてきた子供たちは葬式が終わると早速母からの形見をもらおうとしたり、その日に帰ろうとする姿を見た嫁入り前の末っ子京子が憤慨し、それを紀子に訴えるシーンが最後の方にあります。

紀子は兄姉の母に対する対応に怒っている京子に対して、みんな年をとるとそうなる、今は私(紀子)も京子に賛成だけれども、年をとると彼らのようになるのだと返答、彼女は彼らを決して非難することはありません。

最後のシーンにて父は子供ではない紀子に母の形見である時計をあげます。そこに紀子と義父の間の友情を感じることが出来ます。過激なアクション、映画の王道芸を少しも描かず、家族像を描くことのみに重点を置き、家族をひたすら描き続ける小津安二郎・監督、必要のない全ての観点を捨て、家族内の感情や時代に翻弄される彼らの姿を描くことを貫いた映画で東京物語は映画として完成後が高いものは世界に数少ないと思います。

 

山田監督の「東京家族」

震災後の絆のテーマに加えて、高度経済成長期の学歴競争社会の功罪が大きなテーマとして扱われています。

学歴競争社会の価値観の下で、高度成長期の日本社会に相応しい人材を送り出す教育現場の一翼を担ってきた教師という設定で、いわば学歴競争社会の形成に与ってきた張本人でもあります。

学歴競争社会とは、良い大学、良い会社に入って出世をすることが人生の目標であり幸せであるといった考え方に集約されます。大企業の社員や官僚になって安定した暮らしすることばかりに多くの価値を置き、そうなれないニートやフリーターの若者にダメ人間の烙印を押してしまいます。

定職に就かない人間はいわば社会の生産活動に寄与していない、役立たずの人間として裁断されて、一人前の社会人として認知しない社会風潮が流布します。

しかし・・・学歴競争社会の行きつく先には、節制に欠け大人になりきれない大人たちや引きこもりの若者たち、或いは非行や問題行動に走る少年たちが増える今の日本、競争原理や成果主義ばかりが持てはやされ、社会的弱者が隅に追いやられる、偏見に満ちた格差社会・・・

 

山田洋次監督が様々な映画作品の中で追い求めた、現代社会が失ってはならない大切なものではなかったのか・・・流れ者、テキ屋の寅さんが疲れを癒すために帰って来る、とら屋・・・善良で実直な人間が遠慮なく、本音の飾らぬ語らいを楽しめた憩い空間、派手な喧嘩や立ち回りも、すべてを優しく許容して受け入れてくれる家族や隣人たちが待っているからこそ、人間関係に疲れて心痛めたマドンナたちも寅さんに誘われるように心の安らぎ場所に集まって来ます。人を引き付けてやまない時空間です。

 

多くの日本人が知っている、本井宣長(もとおり・のりなが)・・・

18世紀最大の日本古典研究家、伊勢国松坂(三重県松阪市)の人で木綿商家生まれ、医者となりますが、医業の傍ら源氏物語などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆しています。日本人の心とは・・・大和心を追求した人でもあると思います。

有名な大和心を表現した「敷島の大和心を 人問はば 朝日ににほふ山桜花」
敷島は枕言葉で、日本人の心とはと尋ねたなら・・・山桜は派手さは無いが優雅、愛らしさ、咲いてる間は精一杯可憐に咲き、時期が来ればさっと散る・・・朝日に照り映える山桜の花のようだと大和心を私達に伝えています。

本井宣長も日本人の心を万葉集、以後古事記に追い求めました。その最終的な拠り所は古代ヘブライ語であり、万葉カナを経て万葉集、古事記に行き着き、大和心を見つけていると思います。

小津安二郎・監督も同じように日本人の心を追い求めました。

小津安二郎・監督の先祖を辿れば、本井宣長の直系・親戚でもあります。本居宣長は伊勢の人で、以前の名は小津宣長です。多くの海外の著名な研究科の間では知られています。私達日本人の多くはこの事実を知りません。

古来から続く、世界が絶賛する素晴らしい日本人の心、大和心を映画で表現した小津安二郎・監督・・・私達日本人には分け隔てなく、大和心が宿っているとも言えると思います。

大和心とは、「敷島の 大和心を 人問はば  朝日ににほふ山桜花」

今、日本に生きていること、日本人であることに感動を覚えます。

 

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