昨今の日本での中国人のデパート等々での爆買い、日本人から見たら羨ましいと言うのが本音かも?・・・中国の経済発展、どうして富裕層が生まれたのだろうか、興味が尽きません。
中国、四川省広安市小平古里管理局の資料を一部参考にしています。素人の見た中国と言うことで書いています。
極端な貧富の差があるとは言え、何故中国人は豊かになったか。
やはり1990年代、小平氏(中国を代表するスファラディー・ユダヤ人で旧約聖書上の本当のユダヤ人です。日本にも天皇家を頂点としたスファラディー・ユダヤ人が数百万人いると言われ、古来から日本を先導してきたと言われています。現日中間は表面上は対立していますが、見えないある一面は絆で結ばれていると思います。)が貧弱な国営企業等から民営化等など多くの分野で経済改革を行ったからと言えると思います。
小平氏に対する評価は賛否緒論ありますが、市販の本等読めば日本、欧米でも高く評価されてるのは間違いなさそうです。
小平氏は1998、9年の日米訪問等により先進国の現状を知り、当時の貧しく経済発展が著しく遅れていた中国の現状等から生産力増大を第一に考え、「不管猫白猫・捉到老鼠就是好猫」・・・「白猫(しろねこ)であれ黒猫(くろねこ)であれ、鼠(ねずみ)を捕(とる)るのが良(よい)い猫(ねこ)である。」との有名な言葉を残しています。
1978年10月、日中平和友好条約の批准書交換のため中国首脳として初訪日、中国の指導者としては初めて昭和天皇と会見、千葉県君津市の新日鉄君津製鉄所、東海道新幹線、トヨタ自動車等の先進技術、施設の視察を精力的に行っています。訪日で小平氏が目の当たりにした日本の物、人の躍進振りは、以後の改革開放政策(農業、工業、国防、科学 技術の「四つの近代化」に向けた、国内改革および対外開放政策)の動機にとなり、以後、先ずは鉄による国作りのため新日鉄との提携で上海に宝山製鉄所を建設が決定されています。(鉄作り、日本の明治維新に似ていますね。)
1979年1月に米中国交樹立、小平氏は同28日~2月5日に訪米、大統領ジミー・カーターとの会談後、ヒューストン、シアトル、アトランタなどの工業地帯を訪問、ロケット、航空機、自動車、通信技術産業を視察、前年の日本訪問、この訪米で立ち遅れた中国という現実を直視した氏は改革開放の強力な推進を決意、同年7月に党中央は深圳市など4つの経済特別区(一部地域に限り外資の導入を許可、促進することで経済成長を目指すという政策)の設置を決定しています。
世界の中で生きる中国の進むべき道を考えた、小平氏の心は、日本に学べ!であったでしょう。
中国の歴史を変えた経済改革は、安い労働力を利用、海外企業の資金を使った製造業の目覚しい成長、当時の日本はバブル時代、多数の企業がコスト競争の為に人件費が格安の中国に工場を作り、技術支援を行ってきたと言われています。
結果、中国の投資家等は潤い、中国各省の税収も増加、銀行からの投資も可能に。先ずはインフラの交通網等から不動産事業に始まっているようです。当時の中国のGDPは年間20%成長、驚異的な数値です。
昨今の中国の成長率は、下方修正が続いているようですが(相当深刻かも・・・)、まあ、自国の本当のGDP等々を発表する国は世界中無いでしょう、当然自国益等々を考慮し、数値を操作した値を一般に発表するのは極当然でしょう。
中国は余りにも自由に任せた為、大都市で発生する公害(PM2.5等々)、偽ブランド、特許問題、汚職など多くの問題を露呈してしまったと言われていますが、これらの一部は先進国も大して変らないように思います。
公害、偽ブランド等々を除き、中国と先進国は巧妙さのレベルが違います。汚職等に関しては先進国は極めて巧妙で大して中国とレベルは変らないように思います。
今の中国は諸規制を厳しくしてコンプライアンス意識を向上させると皮肉にも経済成長がストップしてしまう・・・資金の海外流出の可能性があるとも言われています、中国の現状はどうも野放しのようになってるように思います。
中国国内の労働賃金も高くなり、多くの企業がベトナム、タイ、ミャンマーなど少しでも安い低賃金国に移転していると言われています。
中国は成長した現経済力を背景に、アジアインフラ投資銀行(AIIB)を利用し、中国流の手法で世界へ影響力を強くすると思います。
将来、中国がくしゃみをすれば世界が風を引く、世界は中国を無視できない現実、何か新しいアジアの時代がそこまで来てるかも知れないですね。
中国、四川省広安市小平古里管理局の資料を一部参考にしています。素人の見た中国と言うことで書いています。
極端な貧富の差があるとは言え、何故中国人は豊かになったか。
やはり1990年代、小平氏(中国を代表するスファラディー・ユダヤ人で旧約聖書上の本当のユダヤ人です。日本にも天皇家を頂点としたスファラディー・ユダヤ人が数百万人いると言われ、古来から日本を先導してきたと言われています。現日中間は表面上は対立していますが、見えないある一面は絆で結ばれていると思います。)が貧弱な国営企業等から民営化等など多くの分野で経済改革を行ったからと言えると思います。
小平氏に対する評価は賛否緒論ありますが、市販の本等読めば日本、欧米でも高く評価されてるのは間違いなさそうです。
小平氏は1998、9年の日米訪問等により先進国の現状を知り、当時の貧しく経済発展が著しく遅れていた中国の現状等から生産力増大を第一に考え、「不管猫白猫・捉到老鼠就是好猫」・・・「白猫(しろねこ)であれ黒猫(くろねこ)であれ、鼠(ねずみ)を捕(とる)るのが良(よい)い猫(ねこ)である。」との有名な言葉を残しています。
1978年10月、日中平和友好条約の批准書交換のため中国首脳として初訪日、中国の指導者としては初めて昭和天皇と会見、千葉県君津市の新日鉄君津製鉄所、東海道新幹線、トヨタ自動車等の先進技術、施設の視察を精力的に行っています。訪日で小平氏が目の当たりにした日本の物、人の躍進振りは、以後の改革開放政策(農業、工業、国防、科学 技術の「四つの近代化」に向けた、国内改革および対外開放政策)の動機にとなり、以後、先ずは鉄による国作りのため新日鉄との提携で上海に宝山製鉄所を建設が決定されています。(鉄作り、日本の明治維新に似ていますね。)
1979年1月に米中国交樹立、小平氏は同28日~2月5日に訪米、大統領ジミー・カーターとの会談後、ヒューストン、シアトル、アトランタなどの工業地帯を訪問、ロケット、航空機、自動車、通信技術産業を視察、前年の日本訪問、この訪米で立ち遅れた中国という現実を直視した氏は改革開放の強力な推進を決意、同年7月に党中央は深圳市など4つの経済特別区(一部地域に限り外資の導入を許可、促進することで経済成長を目指すという政策)の設置を決定しています。
世界の中で生きる中国の進むべき道を考えた、小平氏の心は、日本に学べ!であったでしょう。
中国の歴史を変えた経済改革は、安い労働力を利用、海外企業の資金を使った製造業の目覚しい成長、当時の日本はバブル時代、多数の企業がコスト競争の為に人件費が格安の中国に工場を作り、技術支援を行ってきたと言われています。
結果、中国の投資家等は潤い、中国各省の税収も増加、銀行からの投資も可能に。先ずはインフラの交通網等から不動産事業に始まっているようです。当時の中国のGDPは年間20%成長、驚異的な数値です。
昨今の中国の成長率は、下方修正が続いているようですが(相当深刻かも・・・)、まあ、自国の本当のGDP等々を発表する国は世界中無いでしょう、当然自国益等々を考慮し、数値を操作した値を一般に発表するのは極当然でしょう。
中国は余りにも自由に任せた為、大都市で発生する公害(PM2.5等々)、偽ブランド、特許問題、汚職など多くの問題を露呈してしまったと言われていますが、これらの一部は先進国も大して変らないように思います。
公害、偽ブランド等々を除き、中国と先進国は巧妙さのレベルが違います。汚職等に関しては先進国は極めて巧妙で大して中国とレベルは変らないように思います。
今の中国は諸規制を厳しくしてコンプライアンス意識を向上させると皮肉にも経済成長がストップしてしまう・・・資金の海外流出の可能性があるとも言われています、中国の現状はどうも野放しのようになってるように思います。
中国国内の労働賃金も高くなり、多くの企業がベトナム、タイ、ミャンマーなど少しでも安い低賃金国に移転していると言われています。
中国は成長した現経済力を背景に、アジアインフラ投資銀行(AIIB)を利用し、中国流の手法で世界へ影響力を強くすると思います。
将来、中国がくしゃみをすれば世界が風を引く、世界は中国を無視できない現実、何か新しいアジアの時代がそこまで来てるかも知れないですね。