極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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維新の混乱を救った、徳川慶喜

2016-04-30 20:33:27 | 日本社会

1963年、第36代アメリカ大統領、ジョン・F・ケネディー
就任後、日本人の記者団と会見が始まりました、その時記者の一人が日本人で最も尊敬する日本人は誰ですか?と質問したそうです。
すかさずケネディーは、上杉 鷹山(うえすぎ・ようざん)、徳川慶喜(とくがわ・よしのぶ)、東郷平八郎と答えました、戦後生まれの日本人記者はこれらの人物に、ピンとこなかったと言われています。

戦中、前の人だったら極普通に出てくるの名前です。
いかに世界のリーダーに、徳川慶喜(とくがわ・よしのぶ)の大義(人間が行うべき大切な道義)に生きる生き様が評価されていたかを物語ると思います。
以下の文は、徳川慶喜―最後の将軍(講談社 火の鳥伝記文庫)、 ネット等々の資料を多用し、徳川慶喜について自分なりに記します。

徳川慶喜、幕末の激動期の日本にいたから今日の日本があると言っても過言ではないと思います。
徳川 慶喜は水戸藩主、徳川斉昭の七男として誕生、以後、一橋家に養子に出され、江戸幕府第15代征夷大将軍に任じられています。江戸幕府最後の将軍となります。水戸徳川家にとっても最初にして最後の将軍です。

父・斉昭より天皇を崇拝することを家訓として授けられた慶喜は、偽の勅を操り、天皇を担ぎあげ倒幕をせまる官軍と全面対決することなく大政奉還を実施、270年の江戸幕府は幕を閉じました。もし全面対決していたら日本は弱体化し、欧米の策に騙され、極めて大きな国益を失っていたでしょう。

当時の世界情勢は、白人による植民地政策の最盛期で、世界の国々の独立が奪われ、アジアで独立を保ったのは、タイ(微妙な独立)と日本だけという状況でした。
白人による植民地政策は、最初宣教師を送りキリスト教を布教、しかし豊臣秀吉、徳川家康は見抜き、布教禁止にしたため先兵が送りこまれる危機を脱していました。
次の戦術は内戦です!
国内の勢力同士を戦わせ弱体化させるのです!(これらの策には以後、坂本龍馬等々も最後には見抜いていたように思えます、そのために殺害されたか?)
植民地化の際、目立った戦もないまま、なし崩し的に併合されていったのは、この内戦による疲労を待っていたと言われています。
イギリス、フランス、ロシア、アメリカ・・・各国が入り乱れ各勢力に分かれ内戦になるのを待っていたようです。
徳川慶喜の戦を避けるための退却、徹底した新政府側への恭順の姿勢、新政府側、徳川側とも力を消耗することなく政権が引き渡されました。日本は戦いによる国力低下を免れ、次の時代に引き継がれました!

徳川慶喜は戦わなかった!
徳川慶喜は日本の歴史のなかで、負けて勝利した名君と言えると思います。
内戦に突入しなかったことで、間違いなく西欧列強からの干渉を抑えたと言えると思います。
戦っていたら日本は疲弊し、西欧列強の介入を許し、日本は違った歴史を歩んでいたと思います。この付近の評価が欧米のリーダーに尊敬される所以かも知れないですね。

徳川慶喜を育てたものが、水戸徳川家の家訓(もし徳川宗家と朝廷との間に戦が起きたならば躊躇うことなく帝を奉ぜよ)と藩校・弘道館(藩士が、武芸一般、医学・ 薬学・天文学・蘭学など幅広い学問を学ぶ場所)・・・何よりも偽勅をあやつる新政府軍より、皇室への尊崇の念が大きかったようです。

徳川慶喜は、結果的に偉大な敗者となりましたが、最後は勝ったと言うべきです。
明治天皇と徳川慶喜は、明治末期に会食の機会がもたれ、かつての居城、皇居にて面会された記録があるそうです。
貴族として最も、位の高い公爵を授けていることから、明治天皇より特別な計らいがあったと言われています。

徳川慶喜の息子(徳川 達孝)は、大正天皇を支える侍従長に就任、最も天皇に近い側近として、天皇家を支えていったと言われています。

徳川慶喜は義に生きた人と言えると思います。


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米国大統領、日本の首相の継承順位

2016-04-30 16:24:13 | 可笑しな日本の憲法

有事、緊急事態、大災害時等の混乱の中、日本の総理、臨時代理予定者6名が死亡、責務不能の時はどうなるのだろうか・・・素人ながら考えて見ると意外な面が分ります。

米国の場合、有事、非常時、病気等々で大統領が死亡等した場合、大統領継承法、憲法第2条、修正第20、25条で継承順位(18位まで)を明確に定めています。

日本の場合は、2000年4月に発足した第1次森内閣以降、組閣時に内閣法9条(内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたとき は、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う。昭和22年1月16日法律第5号)により内閣総理大臣死亡、責務不能時等の内閣総理大臣臨時代理、就任予定者5名をあらかじめ指定(官報に掲載されます。)するのが慣例となっているようです。

有事、非常時等、首相及び臨時代理予定者5人の計6人が死亡等々、執務不能となった場合、どの閣僚が首相臨時代理を務めるか明文化されていないように思います。6人も死亡するような有事、緊急時等に国会(特別会)が速やかに開ければいいですが・・・
原則、内閣官房長官たる国務大臣が第1順位、第2順位~第5順位は閣僚の大臣歴、議員歴等を総合的に勘案して指定されるようです。これらの事実は、官報等見ない限り殆どの国民は知りません。官報等を見る人は極一部の人でしょう。

継承順位例、1・官房長官、2・法務相、3・外務相、4・農水相、5・国家公安委委員長・・・これらの閣僚が死亡した場合、国会の特別会を開き、新たに首相を指名して内閣を組閣、その後総理大臣が承継することになるでしょうが、混乱した有事、大災害、非常事態時に国会の特別会が開けない場合、無政府状態になる可能性が予想されます・・・その場合、日本の安全保障を担保してる米軍が国連の旗の下で日本統治する可能性が極めて大きいと思います。
そうならない為にも有事、非常事態を考慮した総理継承法を作り継承順位、マニュアル等細部を作成、整備し、国民に公表するべきと思います。

やはり米国の凄いところは、如何なる事態でも大統領継承法、憲法第2条、修正第20、25条により国家機能喪失状態が生じませんし、平時、有事の大統領死亡時の大統領継承者を国民に明確に示しています。

米国は1947年の大統領継承法、憲法第2条、修正第20、25条で死亡、辞任、解任、執務不能などの理由により、大統領と副大統領の双方が大統領の責務を果たし権限を執行できない場合には下院議長が、下院議長と下院議員を辞職したのちに大統領としてこれを行うとしたうえで、その次を上院仮議長・・・その次からは内閣の閣僚を所轄省庁の設立年の古い順に並べ、継承順位を第18位まで定めています。
但し、場合によっては資格適用外になる人もおります。これは大統領継承法に規定しており、生まれながらの市民でない者、35才未満、米国居住暦が14年未満の人は憲法上、米国大統領となる資格を持ちません。

1・副大統領、2・下院議長、3・上院仮議長、4・国務長官、5・財務長官、6・国防長官、7・司法長官、8・内務長官、9・農務長官、10・商務長官、11・労働長官、12・保健福祉長官、13・住宅都市開発長官、14・運輸長官、15・エネルギー長官、16・教育長官、17・退役軍人長官、18・国土安全保障長官・・・継承した場合の大統領任務の細部手順、マニュアルが常に最新の状態で整備されていると言われています。

日本を取り巻く環境は激変しており、最悪を想定した総理継承策を講じることは、結果的に日本の国益、国民を保護することになると思います。


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