極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

I am grateful that I can freely write my daily thoughts

沖縄県民にとっての尊厳

2015-03-26 16:34:31 | 沖縄

 常に平和の狭間で苦悩してきた沖縄、我々本土から見た場合は、可笑しなマスコミ等のため一方的に沖縄を見てしまいがちですが、沖縄の歴史を知ることは重要だと思います、特に明治以降・・・那覇市には今も久米という地区がありますが、琉球王国時代の中枢を司っていた優秀な官僚が住んでいた特定の居住地です・・・この優秀な官僚達は中国から来ており、琉球王国と中国の深い繋がりが知ることができます。

 戦後の米軍統治からの現在までの歴史を客観的に見た場合、やはり理屈ではなく沖縄県民への想いと共に、率直な意見を沖縄県側へ勇気をもって言うことも必要に思います。

 沖縄県民が本土側に求めてる根底は「沖縄県民の尊厳」に他ならないでしょう。本土側の感覚では沖縄県民の尊厳と言われても、ピンとこないかも知れませんが、長きに渡る米軍統治、・・・戦前の沖縄県民への一部本土側差別、戦中の地上戦、年寄り、女性、子供の想像を絶する犠牲、本土側の原爆等々とは違った悲劇を生じています。まさに沖縄は戦前、中、後は辛苦の歴史そのものです・・・差別は目に見えない形で今も散見されます。現在も県民の心は、大きく揺らいでいると思いますし、揺らぎ続くでしょう。

 米軍統治の実態は、人種差別の面が多々現れています、一例として沖縄では米軍雇用は復帰前等々、同じ日本人なのに本土、沖縄県民の給与でさえ一部は差があったと聞いております。米軍人の一部の人たちは、本土の人を日本人、沖縄住民を沖縄人と呼んで、日本人とは異質である、間違いなく蔑視していたと言われています。

多くの日本本土側の国民はこれらの事実を殆ど知りません。

沖縄県民の心の中には沖縄が受けてきた差別の歴史は消えることは無いと思います。

 戦後の米軍はネガティブな面ばかり語られますが、特筆すべきは米軍による良策の一つに、マラリア撲滅、緊急医療整備、看護婦等の高度教育等々、県民の健康福祉向上のため心血を注いだことで素晴らしい成果を上げ、復帰前にも多くの本土側医療関係者が沖縄の緊急医療等を逆に学んでいます。敗戦直後から沖縄県民の中にも、未来の沖縄の福祉等々の増進のために積極的に活動されてた多くの人達がいた事に感動を覚えます、やはり敗戦後は多くの県民は路頭に迷った人が多かったでしょうが、それに報いた米国、軍の対応も良かったようです。これらの事実は報道されることはほとんどありません。
 特に徳州会病院等は緊急医療等々の多くを沖縄から学んだと言われていますし、24時間受け入れ可能緊急医療等々の厳しい対応等が、厳しい対応を受け入れたくない日本医師会と確執を生んだと言われています。バッシングされる根底には・・・

 昨今の沖縄キャンプシュワーブ沖の工事問題、確かに防衛等問題を選挙等結果で変えるのは適切ではないですが、現知事は県民の選挙公約結果で誕生しており、民主主義国家である以上当然尊重すべきでしょうし、政府は難しい舵取りになると思います。根底のにある敗戦国の厳しい現実は・・・他国に自国の防衛を一部任せている現実、何か妥協点が無いものかと祈らずにはおれません。

 一つ残念なのは知事就任後、就任挨拶に東京へ行ったのに政府要人に会えなかった事!これは大人気ないですね。安部総理と言うより周りの方達でしょう。どれほど大事な県であるかを分かっていないようですね。目先の感情論が走ってしまったとでも言うのでしょうか。


 今回のボーリング調査等では、選挙結果で沖縄県側では徹底した反対側に回っておりますが、何か就任挨拶等、政府対応が一部影響してるように思える時があります。今後は何か妥協点を見つけることが必要でしょうし、再度信頼関係を対話等々により醸成する等しかないように思えます。
 
 沖縄県民が本土に対し不信感を持っている一つに、移設、訓練等問題・・・何処の県も、移設、訓練等々には立派な意見等を言いますが、いざ自分の県が受け入れるかと言うと頑なに反対します。現実に米軍は在日しており、少しでも沖縄の米軍の訓練、騒音軽減等のためには、いくら沖縄が地政学的、重要戦略的地域とは言え、当然各県は分担すべきでしょう。将来憲法が改正され、明確に防衛任務が明記されて自衛隊が軍となり自国の防衛は日本軍がやるべきことを実施する、結果在日米軍が日本から最小の施設のみ残し撤退することが実現するまでは、現実を無視することは困難でしょう、その間は当然全国が分担すべきでしょう。

 佐賀県が佐賀空港オスプレイ等々受け入れの可能性を模索していますが、前佐賀県、古川知事は総務省時代沖縄勤務を経験しており、真剣に日本の安全保障、沖縄等々の現実等を認識されていたと思います。日本の中にも真剣に安全保障、沖縄問題、米軍訓練等を考えていた知事が本当にいたことを我々は知るべきです。本土側は、今後沖縄の米軍訓練、騒音問題等の軽減のため均等に積極的に本土側で受け入れるべきでしょうし、多くの一般国民が安全保障を考える機会になってほしいですね。

 過去、政府側の一部の方は沖縄問題は金銭的に解決しよう、出来ると言う風潮が出来上がってるように思える時があります、勿論沖縄県の極一部の人も問題ですが、安全保障の問題は日本にとって重要ですが、だからと言って本土で訓練等々受け入れ可能なものまですべて沖縄県に負担させいる現実は沖縄県民にとって・・・「沖縄県民の尊厳」とは何かを多くの我々国民が問うことは重要と思います。

 
 写真等で子供達の日焼けした顔に輝く目を見ると、沖縄県民に幸あれと願わずにはおれません!


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不思議なガン

2015-03-26 12:39:41 | 健康等々

高倉健さんは83才で亡くなりましたが、83才と言えば男性の平均寿命以上と思います。
高倉健さんは、公表されていませんでしたが肝臓がんと言われておりましたが、発病後から抗がん剤は使用していなかったと言われています。抗がん剤を使用してたら?・・・一般的に用いられてる抗がん剤は本当に効果があるのか疑問に思える時があります。

身近な私の例
妻の当時の友人(当時55歳)も、乳がんで余命6ヵ月と宣告されていましたが入院することなく、自宅でも極普通の生活をし、現在10年経過していますが、その後検査もしてなくて現在に至りパートの仕事をしています・・・(定期検査無し・・・定期検査しないのも問題に思いますが・・・)がんとは何なのと思う時があります。

もう一人は、私の知人で60才代(現在も週1回程度会っています。)でF、K市のS有名病浮院に肝臓がん(3箇所転移)、糖尿病等々した・・・余命1年を宣告されていました、末期のため病院から自宅で自由に生活してくださいと言われて、抗がん剤の使用を停止・・・数ヵ月後、腹水等が減り始め、現在は腹水は無いようです。今は仕事に復帰、車の運転(150km程度)も出来るようになり4年経過していますが、体は結構疲労感があるようです。
退院後はパワーヘルス(怪しいような感じもします。)を毎日数時間使用・・・糖尿病の注射は毎日(2回位)打っています。この知人は可也の酒好きで、今も毎日缶ビール3~4本飲んでいます。勿論毎月血液検査は行っていますが、何とか血液値をキープしてるようです。
病院入院中は、手すりを持たないと歩けない状態で、腹水が数日で溜まっていた時を思うと不思議です・・・担当医に本人が聞いてみると過去の例が無く何とも言えないとのこと・・・この現実をどう捉えるか、難しいところです。

間違いなく言えることは、退院後は抗がん剤の使用を止めています。たまたま親戚にあった、電気治療器のパワーヘルス(何か怪しいように思いますが、血液検査で数値が変化し正常値に近ずくようです。)が影響してると思います。パワーヘルス使用、前後は間違いなく値が変化します、血液検査前後で確認していますが、病院には言ってないそうです。このパワーヘルスが功を奏してるか・・・何ともいえません。持って生まれた宿命か・・・素人の私には分かりません。だからと言って病院の指示に従わないのもどうかと思います・・・私の身近な2人の不思議な間違いない事実を書きました。あくまで参考で、やはり病院の指示等に従ったほうがいいと思いますが・・・

どうしたら、がんを減らせるか・・・過去、米国ががん撲滅のため国を上げて実施した運動、米国のナチュラルハイディーン運動(50%減等々)が参考になるかと思います。どういうわけか、日本国内で報道は全くされませんでした、国を上げての運動で、大きな成果を上げましたが・・・

注目の記事

がんより怖い「がん治療」の実態 (@DIME) - Yahoo!ニュースより、原文のままです。
「がんより怖いがん治療」(小学館刊)より。

がん治療、がん検診、医者の裏側を赤裸々に明かしたのは、『患者よ、がんと闘うな』(文藝春秋刊)で日本の医療界を敵に回した近藤誠氏。40年間にわたり医者として活動してきた慶応義塾大学病院で見てきたことや経験してきたことなどから、医療界の真実の姿を浮き彫りにする。

ともに怖い、手術と抗がん剤治療
 第1章と第2章で明かされるのは、がん治療の怖さ。次のような実態を知れば、怖くなるだろう。勘三郎さん(歌舞伎俳優の中村勘三郎さんのこと)は、食道がんの手術から約4か月後に亡くなった。真の死因は食道の全摘手術にある。胆汁や消化液を誤嚥し、ARDS(急性呼吸窮迫症候群)を引き起こしたのは、手術によって胃や気道の機能に障害を起こした結果だからだ。(※同著より)

 がんに冒された食道を全摘出し、胃袋を引き上げて代用食道を作る大手術の結果が「術死」。誰にでも起こり得ることだけに、手術への不安がかき立てられる。ならば、抗がん剤が安全かといえば、そうともいえない。

 抗がん剤が効かない最大の原因は、がん細胞を殺すと同時に、正常細胞を殺してしまうことにある。(中略)最も危険な側面は、生命に関わる重要な臓器に害を与えることだ。骨髄、循環器、呼吸器、消化器、泌尿器、中枢神経などの機能を低下させる。その結果、体は異常を来して、ひどくなると死亡する。(※同著より)

 手術も抗がん剤も信じられない。がん治療が信じられないものになっているのは、患者第一ではない医療界の体質にあった。手術は、19世紀に始まったときから、がん治療の最新、最良の技能と見なされ、医療界に君臨してきた。(中略)手先が器用で手術がうまければ、論文など書かなくても、つまり研究しなくても、出世の道が開けるのが外科である。(中略)よって、切除できそうががんは手術になって、臓器が取られてしまう。(※同著より)

 抗がん剤治療の恐ろしさは、新薬の実験台(被験者)にされることだ。(中略)第2相試験の実験台に選ばれるのは、もう何をしても治る見込みのない患者たちだ。対象になるのが、乳がん、胃がん、肺がん、卵巣がんなど、もともと抗がん剤が効かない種類のがんだからである。さらに、すでにほかの抗がん剤を使って効果が見られない患者を選んでいるからである。(中略)しかし、治る見込みがないなら、残された人生をできるだけQOLを保ちながら、穏やかに暮らしたい人も多いだろう。それを医者は、ゼロに等しい効果をちらつかせて、実験台にしてしまうのだ。(※同著より)

 がん患者は、出世と実験のために利用されるということか。医療界には、病に苦しむ人を救うという崇高な理念は微塵も残っていないのか、と絶望したくなる。

■がん検診に意味はなし
 しかし、がん治療よりもある意味で恐ろしいのが、がん検診だ。第3章では、がん患者がつくり出される現実を示す。健常者をがん患者に仕立てるのは、治療より怖い。こんな信じられないことがまかり通っている現実に、背筋が凍る。
 がん検診に意味がないことは、日本のがんによる死亡者がいっこうに減らない事実を見ればわかる。厚生労働省の統計では、がん死亡者が1950年以降、増えつづけているのだ。定期検診や人間ドックが普及し、「早期発見・早期治療」が推奨されている。検診推進派が言うように、早期がんを早期治療すれば、進行がんにならないのだとしたら、日本では早期がん患者が増えているのに、なぜ死亡者は減らないのだろうか。早期発見されるがんの多くが「がんもどき」であるからだ。(※同著より)

「がんもどき」とは、他臓器に転移しておらず、放置しても転移が生じないがんのこと。「がんもどき」をがんとして取り扱い、治療に持って行くのは、医療は産業でもあるからだ。「医は算術」という側面が露骨なまでに表出している。

 しかし今や、がん検診は多くの人の生活を支えている。検査料を稼ぐだけでなく、発見したがんを治療することで二重に稼ぐことができる。がん検診からがん治療に至るコースは、病院の大きな収入源になり、医者や職員を養っている。(中略)しかし病気になる人の数は、毎年だいたい同じである。市場規模は決まっているのだ。そこで新たな市場として、健康な人を病人に仕立て上げようとする。そのための手段が検査。(中略)今や健康な人たちが、医療産業にとって米であり石油なのだ。彼らがいないと医療産業は回っていかない。(※同著より)

 本来、「医は仁術」であるべきなのだろうが、産業としての側面もあることは理解できる。しかし健康な人を病人に仕立てるのは詐欺そのもの。医療機関に対する信頼が、音を立てて崩れていくような衝撃を受ける。

不必要な検査や医療は受けないで
 第1章から第3章は、高い専門性を利用し、がん治療でやりたい放題のことをしている医療界の印象を強く印象づけたが、第4章以降は、間違った治療や検診に立ち向かう著者の戦いにシフト。どのように戦い、その過程で達した新境地が中心になっている。

 苛烈な戦いに、著者には味方する者などおらず、孤独な戦いを強いられる。そのため採用した戦法が、メディア利用し患者を味方につけることだった。『文藝春秋』にある論文が掲載されるとき、二人の娘に対して語ったことが、戦いの苛烈さを物語っている。
 原稿を編集部に渡し、輪転機が回っている頃、ぼくはふたりの娘を呼び寄せて語った。「パパはこれから外科を相手に一戦かまえる。それで、いろいろ迫害されて、うちは貧しくなるかもしれない。覚悟しておいてくれ」と。(※同著より)

 そして、戦いは無傷では済まず、代償が伴う。著者が支払った代償は、出世の道を完全に断たれたことだった。覚悟を決め、万年講師の道を受け入れた著者だが、覚悟を決めた人間は強く、しぶとい。万年講師生活で得られた時間を使って最新の医学論文を読み込み、メディアを利用してこれまでのがん治療やがん検診を真っ向から否定する言論活動を活発に展開する。その真骨頂といえるものが、『患者よ、がんと戦うな』であった。

 面白くないのが、真っ向から否定された医療界。なりふり構わず著者を潰しにかかる。しかし、そんな医療界をよそに、患者は著者に味方し、著者の外来を訪れる新患は後を絶たない。セカンドオピニオンを求めて来る人が多いことから、著者は治療をせず相談だけを受けるセカンドオピニオン外来を開く。医療界との戦いから著者が読者に伝えたかったことは何か。それは、次の記述で明確に示されている。
 人は自然にまかせて生活するのが一番健やかに、長生きできる。だから読者には、不必要な検査や医療を受けないようにしてもらいたい。そのためには医療や治療法の知識以外に、医療業界の有り様について知っておくことも必要だろう。知らないとカモにされるのである。ほかの業種ならカモられたところで、お金や財産を失うだけだが、医療では最悪の場合、命がなくなる。(※同著より)

 医療は産業。治療代と検査代を稼ぎたい病院に、製薬会社や医療機器会社の思惑も絡む。様々な思惑が絡む複雑な構図の中で病院の言いなりにばかりになっていれば、助かる命も助からないことだってある。長生きしたければ、賢くなるしかない。これが、著者が読者に伝えたいメッセージである。
文/大沢裕司


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