lizardbrain

だらだらぼちぼち

新しくない地図

2018年11月23日 13時06分03秒 | 無駄話

どうしてもこれが判明しないと不都合が起きるわけではないが、どうにかして解明できないかとず~っと引っかかっている事がある。

きっかけは15年前に母親が亡くなって、その後の手続きに取り掛かった時だった。

必要な謄本類が何種類かあって、その中の「母方の祖父を筆頭とした謄本」がワタクシの居住地の役所には無いと言われたので驚いた。
居住地の役所に無い理由は、母方の祖父母は、母親が生まれた当時にはここではない大阪市内に居住していたからだと聞いて、再び驚いた。
それまで、ワタクシはすっかり、母親は、今住んでるイナカ町に生まれて育ってきたものだと思い込んでいたのだ。
ちなみに、母方の祖母(つまり母親の母親)は母親が幼いころに亡くなっていたし、母方の祖父(つまり母親の父親、、、、ああややこしい)はもう少し長生きしたらしいがワタクシが生まれた時には存命ではなかったので、ワタクシ自身は母方の祖父母ともに対面した事は無い。

ともかく大阪の区役所の問い合わせ先を教えてもらって、謄本を取り寄せた。
それは母方の祖父を筆頭とした除籍謄本というやつで、読みなれない書体をじっくり読んでみてわかったのは、
祖父母は大正8年11月に『大阪市南区長堀橋筋〇丁目〇番地』から『大阪市西区江戸堀北通〇丁目〇番地』に転居していて、母親が生まれたのは江戸堀北通に転居した後だったという事だ。
大阪市内にはさほど長く住んだわけではなく、やがてワタクシが今住んでいるイナカ町に移ったようだ。

母親が亡くなる2、3年前、それまで部屋でLPレコードやらCDを聴いているだけでは飽き足らなくなっていたワタクシは、コンサートホールでの生演奏に足を運ぶようになっていて、たまたまその時期には2ヶ月に一度くらいのペースで大阪市内のホールに出没しだした頃だった。
改築前のフェスティバルホールや昔の厚生年金会館などに行くときには、江戸堀あたりのビジネスホテルに泊まる機会も多くなっていたので江戸堀という地名に馴染みかけていた事も関係したのだろう、
この機会に、大正8年当時に祖父母一家が当時に住んでいた場所を探してみようか、という悪だくみが頭をもたげてきた。
それも、できるだけピンポイントで。

大正時代の事なので、当時から住居表示が変わっている可能性は覚悟していた。
考えられる障害はそのくらいの事だろうし、さほど手間なく簡単にわかるものと思ったのだが、ただどこで調べればいいのかの見当が付かず、まず謄本を取り寄せた区役所に行ってみた。
ところが、区役所に行ってみると話は簡単ではなかった。
確かに、住居表示は当時とは変わっていた。
昭和36年に江戸堀3~5丁目が土佐堀に編入されて、1丁目~2丁目は江戸堀のままとなったらしいが、果たして当時の江戸堀1丁目あるいは2丁目が現在の江戸堀1丁目あるいは2丁目と全く同じなのか、それがわからないと言われた。
それがわからないと、当時の番地が現在の番地がどう違うのかが判明しない。
区役所の人が言うには、過去の住居表示から現在のを調べる事は難しいらしい。

ワタクシとしては、単に、現在のどの辺りに居住していたのかを知りたいだけであって、その事が新たな手続きを行うのに必要なために調べているわけではない。
言わば興味本位なだけだから、わからないままでも全く差支えは無いが、乗りかかった船というヤツである。

どうやら区役所ではそれ以上わからないらしいが、もしかしたら図書館で当時の地図を調べてみるとわかるかも知れない、と言われて、図書館にも行ってみた。
図書館では、地籍図を調べてみてはどうかと提案されて、当時の地籍図を見せてもらった。
初めて耳にした地籍図とは、土地の登記者名が記入された地図だった。
とりあえずだいたいこのあたりと見当をつけてさがしてみたが、予想通り地籍図には祖父の名は無かった。
祖父母一家が借家住まいだった事は当然予測していたし、この地籍図でわかったところで現在の位置は判明しないのだ。
意気込んで大阪まで出かけておきながら、成果は乏しいものだった。

結局、ほとんど判明しなかったのだが、わからないという事がなんか悔しいという思いがくすぶり続けていた。
すると、3年ほど前、偶然にも、『所蔵地図データーベース』というサイトに出くわしてしまった。
ここでは、主だった都市の古い地図がデータベース化されているのだ。
このサイトで調べてみたのだが、やはり、現在の住所番地をピンポイントで調べる事はできなかった。
ただ、大正時代には大阪市内のこの辺りには今よりもたくさんの川が流れていて、その川には今よりもたくさんの橋が存在していた事が良く分かった。
大阪人ではないので良く分からないが、昔の川の上に道路が建設されて、今は外からは見えない川もあるかもしれない。

ちなみに、祖父母が江戸堀に移る前に居た当時の長堀橋筋〇丁目〇番地は、大まかに言うと今の西心斎橋あたりらしい。
ところが、どういうわけだがワタクシは、長堀橋の方は大して気にならなくて江戸堀という地名の方が気になって仕方ないのだ。

もしかすると、『所蔵地図データーベース』の中のまだ見ていない地図にそのヒントが隠れているのかも知れない。
早い話が、
もしも大正時代にゼンリン住宅地図があれば、簡単に解決するだろうという事は間違いないのだよ。



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