きのつらゆき(Kino_Tea)

紀貫之のごとく、気の向くままに、つらつらと、(書いて)ゆきましょう。
ブログというより備忘録。スケート関連多い。

アリーナ・ザギトワとエテリ・トゥトベリーゼの出会い (The first meeting between Alina Zagitova and Eteri Tutberidze)

2016-12-22 | Skating

名前の由来、家族、スケートを始めた年齢、エテリとの出会いなど

※記事の抄訳をさらに要約したが、原文または抄訳を必ず読む必要がある(くらい勝手な解釈をしている)。

原文抄訳(「あれこれ」様ブログより) (感謝、Cпасибо、Thanks!)


(1)名前の由来
「アリーナ」は、新体操の「アリーナ・カバーエワ」元選手から名付けられた。

(2)家族
・妹のサビーナも、同じようにフィギュアスケートをやっている
・父親のイリナス・ザギートフは、(元アイスホッケー選手で、)現在はイジェフスクにあるホッケーチーム『イジスターリ(Ижсталь)』のコーチ
・母親はスポーツ選手ではない。スケートを少しやったが挫折し、叶わなかった自分の夢を娘に託し、後押しした。

 

Alina Zagitovaさん(@azagitova)がシェアした投稿 -11月 11, 2016 at 1:58午後 PST

(3)自分の性格
困難であればある程、より良いという人間だ。父母と同じだ。私が粘り強いのは、パパ譲りだ。

(4)スケートを始めた年齢
専門的にフィギュアスケートを始めたのは7歳からで、それまではただ滑っていた。10歳まで一度も表彰台に上ったことがない。

(5)エテリとの出会い
試合のためにモスクワにやって来た時(2014年末?、12歳)、競技最終日に、(同行していた)ママを説得し、サンボ70のエテリの元を訪れた。帰りの鉄道の時間が迫っていたが、エテリの元で40分滑り、「正月過ぎにまた来て」と言わた。その後、念願がかなって、エテリの元でトレーニングを開始した。

(6)エテリに追い出された
しかし、3か月後にエテリに追い出された。
追い出されて(しばらく同じリンクの)アンナ・ツァリョーワの元にいたが、怪我の療養などを経てエテリに別れの挨拶をしに行ったところ、再びエテリの指導を受けられるようになった。そうでなければ故郷のイジェフスクに帰るつもりだった。

(7)なぜ追い出されたのか?(エテリの発言)
原文抄訳(「マトリョーシュカのいるところ」様ブログより)

アリーナが練習を始めて3か月後、私は彼女を追い出し、その後戻らせた。
理由は、「スケーター自身が自発的に練習する」という「私たちのトレーニングのシステム」をアリーナが理解していなかったから。誰かが誰かにはっぱをかけることはなく、練習させることもなく、叫ぶこともない。大事なのは、(選手本人の)練習したいのか、したくないのかという気持ちだ。

(8)グランプリシリーズのデビューについて
グランプリ大会の前は、不安もあり、「立派に滑らなければ」と思っていた。2戦目のグランプリ大会のほうが緊張した。初戦は、グランプリ大会が一体何なのかが良く分かっておらず、注目も浴びていなかった。しかし1位になり、2戦目も良い滑りをして、ファイナルに行かなければならないと、初めて理解した。


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