神様は言っている。
この世(地球の世界)には 本当の意味での善人は ほとんどいないんだよ。表面的に善人に見える人はいっぱいいる。人間をそのように創ってあるからだよ。あるのは程度の差だけだ と。
この世は本当の自分でない体験をするためにわざわざ創った世界なのだから。本当の自分でないものの世界なのだ。本当の自分でない自分が 本当の自分には出来ない体験をここでしているんだよ と。
だから自分は不幸だといって嘆いてばかりいてはここに生まれてきた目的が達成できないのだよ と。
この仕組みの究極の目的は 善も悪も 正しいも間違いも あらゆる体験をしてみて 本当の自分とはどんな存在なのかを知ることなのだよ と。
不幸を体験してみて 初めて幸福とはどんなものかを知ることが出来る。あちらには幸福しかないからだよ と。
完全で完璧な存在が完全で完璧な世界に住んでいたら 自分はどんな存在かわからないのは当たり前だ。良いか悪いかさえわからないだろ? と。
あちらの体験にはないこと あちらとは反対の体験をして あちらの世界では自分はこのような存在なのだということ知るためだよ と。
だから完璧な善人はこの地球にはいないのだよ。もともと完璧で完全な存在が こちらに来て同じことを体験する必要はないのだ と。
ほとんどの人間がこの世で善人であろうと努めているのは 本当の愛の精神からというよりは 極楽往生が出来ないという恐れとか この社会では罰せられないようにとか 親や世間から悪いことをしてはならないと教えられたからだよ。とにかくその方が安全だからなのだよ。本当の愛の気持ちから善であろうとする人は少ないのだ と。親鸞は少なくともそのことを伝えたかったのだよ と。
そこへ行くと 「悪人」は「善人」であることの意味を教えてくれているのだ。
少なくとも善人とはどんなことなのかを教えてくれている。
彼らも あるいは彼らこそ救われねばならないのだ。彼らは追い詰められた人なのだよ。彼らを非難するのではなく救うことによって悪は減るのだから と。
善人も悪人も いずれすべての人が完全に救われるのだ。それは間違いがない。神が保証するのだから間違いがない と。
悪人悪人と気安く言ってるが(笑)そうではないのだよ。特別な任務を帯びていると言えるのだよ。人々に悪いことをして見せて 愛と平和を学ばせる役目だ。嫌われ憎まれさげすまれる役目を選んでいるのだ。いずれどの人も死んだらそのことはすべてがわかることなのだ と。
(第7話終わり)
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