●1989年7月13日(木)
朝6時に着いて、すぐ4人で道に迷い、さまよい歩いたあげく、結局タクシーでホテルにたどり着いた。チェックインにはまだ早かったので、荷物を預けてみんなと別れ、とりあえずシャンゼリゼ通りに向かった。
途中で道を尋ねたおばあさんはメトロまで連れて行ってくれ、メトロでは路線地図を、ワケが分からず呆然と見ていたら30代後半くらいのパリジャンがどうしたのと聞いてくれて、シャンゼリゼに行きたいというと、自分もこれからそこに行くからいっしょに行こうと連れて行ってくれた。
シャンゼリゼはさすが、人通りが多かったが、偶然にも前田君と出会って、いっしょに通りのカフェで日替わり定食を食べる。
それから2人で通りに沿ってオランジュリー美術館(モネの「睡蓮」の部屋はとても落ち着いた)に行ったり、バトー・ムッシュー(観覧船)に乗ったりした。
夜はモンパルナスでクレープ料理を食べたあと、59階建てのビルに上がり、ようやく薄暗くなった(夜10:30頃)パリの美しい街の灯を見物。風が強く少し肌寒かったが。
朝6時に着いて、すぐ4人で道に迷い、さまよい歩いたあげく、結局タクシーでホテルにたどり着いた。チェックインにはまだ早かったので、荷物を預けてみんなと別れ、とりあえずシャンゼリゼ通りに向かった。
途中で道を尋ねたおばあさんはメトロまで連れて行ってくれ、メトロでは路線地図を、ワケが分からず呆然と見ていたら30代後半くらいのパリジャンがどうしたのと聞いてくれて、シャンゼリゼに行きたいというと、自分もこれからそこに行くからいっしょに行こうと連れて行ってくれた。
シャンゼリゼはさすが、人通りが多かったが、偶然にも前田君と出会って、いっしょに通りのカフェで日替わり定食を食べる。
それから2人で通りに沿ってオランジュリー美術館(モネの「睡蓮」の部屋はとても落ち着いた)に行ったり、バトー・ムッシュー(観覧船)に乗ったりした。
夜はモンパルナスでクレープ料理を食べたあと、59階建てのビルに上がり、ようやく薄暗くなった(夜10:30頃)パリの美しい街の灯を見物。風が強く少し肌寒かったが。