アルバニトハルネ紀年図書館

アルバニトハルネ紀年図書館は、漫画を無限に所蔵できる夢の図書館です。司書のWrlzは切手収集が趣味です。

どうどうめぐり

2012-08-31 | daily

 風邪が完治しないと、どうでも良いことをついつい考えてしまう。
 「そもそも、風邪とは何なのか」とか、「風邪を治す方法」とか、「なぜ人間は風邪を引くのか」とか。

 「菌」と「ウイルス」との違いは、理科の授業をきちんと聞いていなかったので、私は良く知らない。だから、風邪の原因となる物質のことは、何となく「バイキン」と、私は総称している。
 すると、「バイキンが先か、風邪を引いた人間が先か」という疑問を抱いてしまう。私が風邪を引く場合、全てのケースに於いて、「誰かからうつされて」いる。例えば、南極の基地では、人は風邪を引かないらしい。それに対する説明としては、「気温が低すぎて、バイキンが生存できない」という物と、「バイキンのやりとりをする人間どうしの接触がないから」という、二つを聞いたことがある。

 私が想像している、風邪の感染経路は、以下のような物だ。

 1.地球にバイキンが存在する→2.バイキンによってヒトが風邪にかかる→3.風邪を引いた人間が、更に他人に風邪をうつす→4.バイキンは増えて、地球上に存在し続ける→1.に戻る

 この、上記の「連鎖」は、どこで断ち切ることが可能なのだろう。あるいは、断ち切っても良いのか、いけないのか。いわゆる「ループ」にはまってしまうのだ。
 仮に地球上にバイキンが存在しなければ、ヒトは決して風邪を引かない。ところが、「バイキンが生存していない」という状態は、「ヒトも生存できない」と紙一重だ。「バイキンが生存できないような、生物にとって過酷な環境」では、ヒトもただでは済まないはずだ。

 おそらく、風邪の「究極の治療法」は、天然痘のように、人類の叡智(えいち)を以て「根絶」させてしまうことだ。それでも、万一に備えて、天然痘の「株」は保管されている。

…という、とって付けたような不自然なブログを書いてしまったけれど。
「これ、『入金しなさい』の表示が出たら閉じよう」と思っていたら、最後まで無料で読めてしまった。ぼく、今後、電子書籍の悪口を書くのやめます(笑)


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倭の国

2012-08-30 | Weblog

 このところ、日本と近隣諸国との間で緊張が高まっている。
 現代に於いて、特定の国家や民族を「見下(くだ)す」ことは、してはならないというのが国際社会の理念であり、もちろん私も同感だ。

 単に「事実」だけを羅列すれば、まず、古代に於いて、日本人は「独自の文字」は持っていなかった。それでも、「倭の歴史」は、きちんと魏や後漢の歴史書に記載されている。

 「645年、大化の改新」というのは、皆が暗記させられた内容だ。これは、ほぼ間違いなく史実である。ただ、その大化の改新の「踏み込んだ内容」は、義務教育ではあまり習わない。おそらく、変な知り方をしてしまうと、「日本って大昔からすごかったんだな」という、「偏った思想」を産んでしまうからだろう。
 明治時代に定められた、「西暦1940年は紀元2600年(B.C.660年に日本は建国された)」というのは、おそらく史実ではない。「これは確実に史実だ」という信憑性があるのは、A.D.57年頃に、「倭の王が漢から金印をもらった」という辺りからだろう。

 近隣諸国の蛮行と過激なナショナリズムを非難するのであれば、我が国(の国民)も極端な国粋主義を振りかざすのは避けたほうが賢明だ。日本に確実に「国家」が存在したのは、記録の上では1世紀頃からだ。本気で「今年は皇紀2672年だ!」と叫ぶと、単なる「ウヨク」に成り下がってしまう。合理的に考えれば、「今年は日本に、"わりと国際的に認められていた、比較的大きなクニ"ができて、だいたい二千年くらい」だ。よその国の、自国の歴史を「五千年」とか「七万年」と誇張する「珍説」は、放っておけば良い。



 『古事記』『日本書紀』という書が、我が国には存在する。すごく単純な喩えをすれば、前者は「神話を整理した本」であり、後者は「歴史上の出来事を起こった順に書いた本」である。どちらも「原本」は見つかっておらず、何度も書き写された「写本」がいくつも残されている。
 これらの書が最初に書かれたとされる8世紀、アジアで最大の強国は唐だった。そして、古事記は漢字を使った日本語で書かれており、日本書紀は漢文で書かれている。当時の価値観では、「漢文で書かれた物のほうが立派」とされていた。律令、つまり法律も、おそらく漢の時代にまで遡れる隋や唐のシステムを、日本はマネして自国流にアレンジした。そういう点に於いては、中国は間違いなく「日本にとってのお手本」であった。
 今でも、「教養のある人」といった場合、それは「中国の古典を知り尽くし、漢文の読み書きができる人」と同義である場合が多い。へりくだった言い方をすれば、日本は他国の優れた文化の「いいとこ取り」をしてきたのだ。明治維新を境に、お手本が「中国」から「ドイツやイギリス」に変わったと言っても、あながち的外れではない。



 そして、アジアの国々には、大きく分けて以下の二種類が存在すると、思う。

1.「国民は皆、平等であり、誰でも学校に通ったり選挙に行く権利がある。本を読むのもわりと自由で、申し込んで気長に待っていれば、史料の現物や昔の公文書もそれなりに見せてもらえる」

2.「学問は支配階級だけの物であり、民は禽獣(ケダモノ)に過ぎない。民は政治を理解できないので、為政者に服従させておいたほうが国が治めやすい」

 どちらの理念や制度が「良い」のか、私は決め付けない。


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人生に於ける挫折

2012-08-29 | 少年漫画

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 三年へ組、絶望(いとしきのぞむ)先生。
 この度は、ご完結おめでとうございます。先生には、絶望、後悔、慚愧(ざんき)、そしてフロシキの畳み方など、沢山のことを教えて頂きました。
身長を伸ばそうとしていた先生を、桃色若社長から引き離そうとしたあの春が、走馬灯のアレみたく浮かびます。って思ったら、やっぱあれはマボロシだったのですね。僕たちは、延々と七年、蝶になった男みたく、ずうっと幸福な夢を見ていたのですね。

 人は「挫折」を味わいながら成長すると、先生は教えて下さいました。奇しくも、僕は今、大きな挫折を味わっています。
 スタンプが、スタンプが、貯まらないのです。
 でも、僕は思います。これって絶対、途中で挫折しちゃう人のほうが多いだろうな、って。だって、僕がたばこを買うお店はセブ○イレブンだけじゃないんです。もしもこの世にコンビニがセブ○イレブンしかなかったら、余裕で十個貯まったと思います。それって独禁法に触れますが、僕は身勝手なので、「自分にとって便利」であれば何でもいいんです。
 僕だって努力はしました。もはや昭和ではなく、平成で、電子マネーの時代だからと、色んなカードを作りました。でもやっぱり、本物のお札や硬貨しか信用できないんです(「オレってゴルゴみたいでCOOL!!」と気取っているわけでは、断じてありません)。共同幻想って何だろうと思っていたら、このことだったのですね。円高ユーロ安も、欧州危機も、単なる思い込みで、事実夢魂(じじつむこん)なんスね。

 全ての始まりの終わりは、アナグラムでした。

行けばたばこ買ってポイントが貯まるの


インポが勃(た)ったルカと駒場の競馬


 スタンプが、スタンプが、貯まらないのです。期限は九月七日です。
これって、夏休みの宿題のアレみたいですね。七月が終わったばかりの頃は「余裕だよ」と思っていても、八月が終わる直前にイキナリ焦り始める。僕は夏休みの「自由研究」を思い出します。本来なら一ヶ月かけて何かを「研究」すべきなのに、夏休みが終わる直前になって、大急ぎで何かを書き写して提出しちゃうアレ。
 僕は、スタンプラリーに挫折しました。きっと締め切り間際になって、近所のコンビニで残り六個をまとめ買いしちゃうんです。

 なんか私怨みたくなってしまいましたが、ご完結を心からお祝い申し上げます。確かにじょしらくは面白いですが、僕は先生がバラバラだとは、思ってません。現に僕は、絵ではなく、フキダシの中のセリフに爆笑しています。
 新しい学校でも、先生が楽しい連載もとい、教員生活を送れることを、わりと本気で願っています。どの程度本気かというと、新たに購入する雑誌は増やさないと思うけど、単行本は確実に買うという程度です。
 あと、DVDとか出ても、どうやら僕は四枚くらい買った時点で途中下車してしまうようです。もちろん僕はアニメが大好きですが、どのアニメもファーストガンダムと比べてしまうのです。あらゆる新作アニメを「ファーストガンダムと比べると○○だな」と比べ始めた時、僕の中のアニメオタクは鬼籍に入ってしまいました。
 今の僕は本にしか興味がないので、本だったら高くても買い続けると思います。装丁に凝っていたら、少しくらい高くても僕は嬉しいです。

昭和八十七平成二十四年八月吉日
乗客代表 バロン=ピエール・東郷(PN)



お薦め度:★★★★☆


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【検索用】さよなら絶望先生 久米田康治 30
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風邪が治らないから暇なんだぜ

2012-08-27 | daily

 『花とゆめ』18号のふろくの、スキビのドラマCDを爆笑しながら聞いてます。セツカ(キョーコ)を演じている声優さんがすごく良い。

 上の画像は、amazonにある「商品の画像」を使うためだけに作ったfc2ブログのスクリーンショット。ここのgooブログは(無料で)アフィリエイト投稿ができないので、fc2のブログを併用します。今後、「本の表紙の画像」だけ、そっちのfc2ブログに載せます。

 そのamazonのサイトを閲覧していると、「結局、私は"本"にしか興味がないんだな」ということに気付いてしまう。人は、生まれた瞬間から、様々な物に興味を持ち始める。ところが、30歳を超えた頃から、「新しい物」への関心は薄れるような気がする。仮に興味を持ったとしても、上辺だけで、深い所にまで行かない。
 昨日、「笑点」を見ようと思ってテレビをつけたら、24時間テレビが放映されていた。生放送の大喜利だけ見て、チャンネルをNHKに戻したら、歌番組をやっていた。「AKBなどくだらん」という意見があるけれど、私は「これは今、一番流行っているのだから」と、頭ごなしに否定しないように気をつけている。おそらく、「くだらない」から興味が持てないのではない。私が「老いた」から、今の音楽に興味が持てないのだ。

 二十年前、私はyesを聴いた時、初めて「お金を払ってCDを買おう」と思った。当時は、「1970年代の名盤がCDで復刻」と謳(うた)われ、ロックは割と正当な評価を受けていた。しかし、彼らが活躍し始めた1970年代、プログレの社会的地位は低く、世間の評価では「くだらなかった」のだ。それはバンドに非があったのではなく、私たちファンが幼稚だったという面もあると思う。「お酒の席でこんな醜態をさらしてしまったことがあります」という程度の過去なら人に話せても、「これだけは絶対に知られたくない」という、「なかったことにしたい過去」というのは、ほとんどの人にあると思う。

 まんがを読んだり、音楽を聴いたり、切手を集めたり、たばこを吸ったり、「趣味」と呼べる物はたくさんある。ただ、「新しすぎる」と、私はついていけない。顕著な例は、「電子書籍」だ。わりと新しい端末と、かなり便利な決済方法が用意されているのに、私は「絶版になった昔のまんが」しかダウンロードしていない。そして、「本当の意味」でこの本を手に入れたければ、根気よく古書店を回るしかないんだな、という結論に至ってしまう。
 これって結局、「端末」という表面をいくら新しくしても、「まんがというのは本で読むものなんだ」という長年の習性を改められない、自分の「悪い所」なのだろう。

 風邪が治らないので思考が後ろ向きです(笑)


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『オオカミ少女と黒王子』第4巻/八田鮎子

2012-08-25 | 少女漫画

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カッコイイふうに言ってるけどさあ
たんに佐田くんが
意気地なしってだけでしょ?

(神谷望から佐田恭也へ)


 軽~く読めてしまうコメディ作品が、意外に練りに練って創られていると気付くことがある。もちろん、私が愛読している『オオカミ少女と黒王子』のことだ。

 第4巻から登場する神谷と、佐田っちとの絡みに、なんだかとても爽快感がある。
 もちろん、この漫画は「ラブコメ」であって、作者の意図する処は違うかもしれない。
ただ、「こうした方が、人生はもっと楽しくなるよ」という、一見して「普遍性」のある理屈に対して、「そんなのは、どうしようとオレの勝手だ」と、それを撥(は)ね付けられるほど、図太い人間ばかりではないのだ。「自分の生きたいように生きて何が悪いんだ?」という、おそらく多くの人が抱いている本音を、恭也が代弁してくれているのは、この漫画の大きな魅力の一つだと思う。

 「こうした方が、絶対に得だよ」と指摘されて、「それでも自分はこのやり方がいいんだ」と内心、反発した経験は、多くの人にあると思う。ところが、そういう場面で、「自分はこのやり方で、断じて損などしていない」と、相手を説き伏せられる人は少数だ。私は「ああ、そうかもしれないね」と、否定も肯定もせず、結局やり方を変えずに済ませてしまうことが多い(要するに、議論するのがめんどくさいw)。
 当たり障りのない喩えをすれば、未来からやってきた電子書籍の愛用者に、本で埋め尽くされた私の部屋を「非効率的だ」と指摘されても、私は議論しようとは思わない。未来人が片手の端末をかざして、「この中には1億冊の漫画が入っているけれど、この部屋にはどんなに無理しても5万冊しか収まらないね」と言ってきたら、「それでも私は、あなたのような本の読み方をしようとは思わない」と言い返すのがせいぜいだ。
 
 そういう場面(上述の喩えはちょっと違うけど)で、恭也は逆に、「損をしているのはお前だ」と、相手をやりこめてくれるのだ。

 だから私は、恭也の言動にスカッとさせられる。


お薦め度:★★★★☆


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【検索用】オオカミ少女と黒王子 八田鮎子 4
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それでも凹版はかっこいい

2012-08-22 | コレクション

 前回のようなやりとりがあって、なんだか自分の「痛さ」が露呈してしまったような気がする。

 おそらく、私は心の底で、凹版印刷を「最も贅沢でカッコイイ」と思い込んでいる。本当は、印刷機で回す版を作る過程の違いに過ぎないのだけど、それでもやはり、私の中で「凹版はカッコイイ」のだ。
 その源にさかのぼると、高校で美術部に入部した時に、顧問の先生に「今、日本にデューラー(の版画)が来てるよ。絶対に見に行くべきだ」と勧められたのが始まりだったと思う。

正直言って、感激した。「自分の小遣いで美術館に行く」という行為が初めてだったので、(大人になった気がして)そのことにもワクワクしたけれど、版画を見て、「この世に、こんなに美しい印刷物があったんだ!」という感動のほうが大きかった。
 「同じ物をいくつも作る」という点に於いては、版画も「印刷物」に含まれる。ところが、デューラーの版画は、銅版画であれ木版画であれ、「何かが違った」のだ。売店で一番高いカタログを買ってきたけれど、二十年前に「実物」を見た時の感動にはとうてい敵わない。

 著名なところでは、ミュシャも見に行った。ミュシャのリトグラフは、平版である。

 カレンダーやポスターを手がけていた頃のミュシャは、今で言う「自営業者」のような存在だ。彼は「商売」として、版画を描いていた。それでも、彼の版画は素晴らしい。何がどう違うのか、私には言葉で説明できない。ただ、「たとえ印刷物であっても、"実物"を見ることには意味がある」ということだけは、断言できる。

 「版画は本当に芸術なの?」と訊かれることがある。「そうだ」とも「違う」とも言える。「単に元の絵を複製しているだけ」という点に於いては、確かに芸術ではない。例えば、「ものすごく性能の良いコピー機で、元の絵をすごく奇麗に複製しただけ」であれば、それは断じて芸術作品ではない。これに関しては、「絵画商法」と呼ばれる詐欺の弊害(へいがい)も大きいと思う。
 極論すれば、「印刷物の金銭的価値」というのは、「それを見た自分が勝手に決めて良い」のだ。そして、切手や紙幣という印刷物は、おそらく「個人が実物を所持できる物」の中では、最高の部類に入る。

 明治時代の、10銭切手(凸版)。カッコイイよね。私はこの封筒に、100円以上払ったと記憶している。


 それが、使用済みで全種類揃っている。千円以上払った記憶があるけれど、全く後悔していない。


 グラビア6色。デザインがすごく好きだ。


 グラビアに凹版をかけあわせると、怖いくらい奇麗だ。




 何かを「集める」という行為は、その楽しさを他人に説明するのがとても難しい。
 「だってカッコイイんだもん」。この一言で、全てを正当化する以外に、方法はないのかもしれない。


 ↑の凹版の3枚、かっこいいと思いませんか?


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痛い空回り

2012-08-21 | daily

 「やっぱり紙の本は良いよね」という話を、たまにする。特に、昔の本は、活字の部分が盛り上がっていて、触るとザラザラして、あれが魅力的だったという人がいる。私も同感だ。そこから、印刷の方式に話題が発展したのを境に、私の「熱さ」だけが空回りしてしまったことがある。
 一言で言えば、「凹版印刷」と「凸版印刷」と「平版印刷」に対する認識の差が、周囲と私とでは大きかった。自分が口走った台詞を振り返ると、確かに何を言っているのか、よく分からないし、不正確な部分もある。

 「だからさ、版の凹んでる所にインクをつければ凹版で、出っ張っている所につければ凸版で、インクを弾く所と弾かない所に分けれぱ平版だよ」

 「例えばさ、デューラーの銅版画は凹版じゃん。小学校の図工でやった木版画は凸版じゃん。普通のポスターとかは平版じゃん」

 「原版ってのはほら、輪転機でぐるぐる回るあれだよ」

 「例えばほら、郵便局で1円切手をシートごと買うと前島密が100人じゃん。でもあれは、前島密をわざわざ100個彫ったわけじゃないじゃん」


 私が言いたかったのは、「凹版」「凸版」「平版」という分け方は便宜上の物に過ぎないということだったのだけど、それを言葉で伝えるのは難しい。なんだか自分でも自信がなくなってきたので、最後は、いろんな印刷物の実物を見せて説明してしまった。

戦争中の日本の切手です。これは、まだ日本が戦争に勝っていた頃。


負けそうになってきた頃。


負けてしまう寸前。


 ただ、こういう例を示すと、「凹版が一番優れていて、平版が一番安上がり」というような印象になってしまう。違うんだ…そういう意味ではなかったんだ…。

 小学校の社会科見学で、お金(紙幣)を印刷するところをもっと見に行かせるべきだと思う。


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映画が面白い

2012-08-15 | Weblog

 『椿三十郎』のDVDを観て、感激。

椿三十郎(’62) - goo 映画
椿三十郎(’62) - goo 映画

 「映画ってこんなに面白かったんだ!」というのが、幼稚かもしれないけれど、今の私の感想だ。
 私は映画のことをほとんど知らないので、誰かの参考になるような感想は書けない。
ただ、「高尚だ」「素晴らしい芸術だ」「さすがは世界が認めた黒澤明だ」という類いの感想は、全く抱かなかった。私はこの映画を見ていて、最初、コメディかと思った。そのくらい楽しくて笑えるのだ。かと思うと、息を呑むような迫力のある場面や緊張感に引き込まれ、主人公のかっこよさに魅せられながら夢中で見終わった。
 (余談ながら、何と言ったのか聞き取れなくて字幕を表示させて確認した台詞は、「いい汐(うしお)」「禄(ろく)にありつける」「曲(きょく)がない」の三つ。)

 こういう、「すごく面白い!」という感動は、時代や技術に全く左右されないのだろう。おそらく、この世に「娯楽」が誕生した頃から、人類が何に「面白さ」を感じるのかという勘所(ポイント)は変わっていない。映像技術に関心がない私の極論を書いてしまえば、全ての映画がカラーであったり3D(立体)である必要は全くない。この世に存在する映画は、「面白い映画」と「面白くない映画」の二種類だけだ。そして『椿三十郎』は、私にとっては間違いなく前者だ。

 上述のような極論は、私が映画について無知だから出てしまうのだろう。私は映画があまり好きではない。どちらかといえば苦手だ。映画を見て「良かった」と感じたことは何度もあるけれど、それは「原作の魅力を見事に再現している」という次元での感想でしかなかったような気がする。
 もしかしたら、小学校で受けた教育が、あまり良くなかったのかもしれない。私は自分が初めて見た映画の題名を覚えていない。映画に関しては、何かの学校行事で「映画を見て戦争の悲惨さ、平和の尊さを学びましょう」と言われて見せられた記憶が最も古く、映画に対する私の第一印象は最悪だった。

 例えば、いつの時代も「本を読まない子供が増えている」というようなことが言われるけれど、私も小学生の頃は、読書が嫌いだった。
「文学を読んで、教養を身に付けましょう」だの、「本を読んで感受性を豊かにしましょう」というような、あれが良くない。「テストに出ますよ」なんて、読書嫌いを増やしてしまう原因の最たるもので、諸悪の根源だ。
 「学校(の教育)を悪者にする」という論調は卑怯かもしれない。しかし、私は学校で「これは優れた文学だから読みなさい」と勧められて読んだ本を、「面白い」と思ったことは一度もない。だから、世間で「名作」と呼ばれる文学を私は全く読んでいないし、本を読んで「感銘を受けた」り、「人生について深く考えさせられた」ことは全くない。

 ハヤカワSF文庫の『クローム襲撃』(バーニング・クローム)に出会うまで、私は「小説」が嫌いだった。ギブスンの『クローム襲撃』という短編集は、サイバースペースを舞台に繰り広げられる、ドラッグと盗みのスリルに塗(まみ)れた、犯罪者とジャンキーばかりが出てくる、ロマンチックな大傑作だ。この本は、当時の文部省の定義では「文学」ではなかったのかもしれない。少なくとも、「SF小説が豊富な学校の図書室」を私は学生時代に目にしたことがない。しかし、私はギブスンの「小説」に魅せられていって、読書が好きになった。
 正直言って、「文学」や「芸術」が何なのか、私は未だに理解していない。十代の頃、私にとって小説とは、「SF小説」と「それ以外の小説」の二種類しか存在しなかった。
 それでも一応、私は高校生の頃からはわりと本を読むようになって、「まんがではない、字ばっかりの本」も、読めるようになった(まんがは年に何百冊も読むので、それに比べれば微々たる量だけど)。芥川賞や直木賞にあまり関心がないだけで、世間で「小説」と呼ばれる本も、それなりに読んでいる。今の私は、小説を「面白い小説」と「面白くない小説」の二種類に分類している。

 私の「映画って見るのがめんどくさいよね」という食わず嫌いは、かつての自分の「小説って読むのがめんどくさいよね」に近いのだと思う。
 『椿三十郎』は、最高に面白い映画だ。これだけは断言できる。


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i総理~ご生誕38周年を迎えられて~

2012-08-09 | 今日は旧暦のエイプリルフールです

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 平成二十四年八月九日、38歳のお誕生日を迎えられた、WRLZことバロン=ピエール・東郷先生は、総理大臣を目指すことを決心された。
 先生が出馬を決意されたきっかけは、当選率を飛躍的に向上させるアプリ「i総理」(アイムソーリー)が登場したことだ。WRLZ先生のご生誕を祝いながら、「i総理」(税込み3億1500万円)の魅力にも迫ってみよう。

 アプリを起動すると、登録情報をもとに、「自分の選挙区がどこか」などの基本から教えてもらえる。選挙区を変える場合も、転出届などの手続きは、アプリが役所のサーバーやクラウドと連携しているので簡単だ。


 次に、「党員集め」をしてみよう。デフォルトでは、snsでの党員募集が選択されている。もちろん、無所属での立候補もサポートしてもらえる。


 ショップで街頭演説の原稿を購入しよう。高額を支払えば有名脚本家に書いてもらうことも可能だが、ここでは、短い演説が12本セットになって315円の「お試し版」を購入した。街頭演説のスポットも、アプリを使いながら自然に覚えられる。


 そして、このアプリが本領を発揮するのは、「当選してから」だ。WRLZことバロン=ピエール・東郷先生は、二十年後の58歳のお誕生日に首相に就任するのを目標に、今日も「i総理」をいじりながら、天下国家のことを考えていらっしゃる。



 以下は、田山元首相に、実際にi総理を体験してもらった時のインタビューだ。

--田山さんは最初、i総理に対して懐疑的でしたね。
田山 はい。でも、それは間違いだったと気付きました。
 例えば僕の場合、首相在任中に、よってたかって不信任案を出されました。僕は結局、(不信任案の)否決は無理だなあと悟って、(衆議院を)解散して総理を辞めちゃった。けれど、もしも当時の僕がi総理を使っていたら、全く違う選択をしたと思います。
--具体的には、どういう行動をとったと思いますか。
 実際に使ってみて驚いたんですが、これ(i総理)の機能の一つに、「ガバナンスのリカバリーとマニフェストのデコードをクラウド経由で複数のデバイスを同期させた上でオポジションを最適化しながらアクティベーションする」※編注: 4.0から加わった機能というのがある。これは僕が大臣だった時代にはなかった発想です。あの頃にこれを持っていたら、僕は今も総理を続けていて、20年くらいの長期政権になったんじゃないかな。3億円なら、ちょっと無理すれば買えない値段じゃないしね(笑)。
--本日はお忙しい中、本当にありがとうございました。

(この記事は、2012年8月9日0時1分に、自動的に公開されます。書いた人:wrlz)


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かく、実験

2012-08-08 | Weblog
 
 この記事は、gooブログの「予約投稿」の実験です。書く、実験(今まで使っていなかった機能を私が試してみたいだけなので、気にしないで下さい)。
2012年8月8日、21時35分00秒に、自動的に投稿されるように設定。
画像を表示、横幅320ピクセル。

ブログ村の、「ブログの記事、ブログの話題」というトラコミュにもリンクを設定。

書いた人:wrlz

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9月の新刊

2012-08-05 | daily

 あくまでもギャグとして、十数年後の近未来を想像してみた。

「節電のため、まんがは深夜に購入しましょう」
「節電のため、端末は寝ている間に充電しましょう」
そして私のような者は、「庶民の分際で本を欲しがるなんてゼイタクだ。電子書籍で我慢しろ!」と言われる。やっぱりそんな未来はイヤだw


9/5
あきづき空太『赤髪の白雪姫』第8巻/420円
さいとう・たかを『ゴルゴ13』第166巻/580円

9/7
麻生みこと『路地恋花』第4巻(完結)/600円

9/13
末次由紀『ちはやふる』第18巻/440円

9/20
鈴木ジュリエッタ『神様はじめました』第13巻/420円
『神様はじめました13.5 公式ファンブック』/700円
高尾滋『忘れ雪の降る頃 高尾滋作品集』/420円

9/25
椎名軽穂『君に届け』第17巻/420円
中原アヤ『ラブ★コンTWO』/420円
渡辺カナ『星屑クライベイビー』/420円

9/28
黒丸・夏原武『新クロサギ』第16巻/550円
星野之宣・J.P.ホーガン『星を継ぐもの』第4巻/1,400円


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電子書籍の「まんが」

2012-08-01 | Weblog

 電子書籍で「まんが」を読むことを、少しだけ覚えました。
 現時点で私が感じていることを、ダラダラと書き連ねます。なお、「目が疲れる」「慣れない」などの電子書籍特有のデメリットに関しては、端末の進歩や時間が解決してくれるかもしれないので、ひとまず触れないでおきます。

 E社という、電子書籍の販売サイトの会員登録をしました。電子書籍を読むためのソフトもダウンロード。
 E社の謳(うた)い文句の一つに、購入した電子書籍を、自分が所有する他の端末でも読めるというのがあります。これにはやや魅力を感じました。

■作品その1。
 Sという、私の大好きな作家の、まだ読んだことがない『D』という作品の「立ち読み版」(無料)が目にとまりました。早速ダウンロードしました。DLは数秒で完了。
 『D』というのは、『G』という有名な作品にも登場したキャラクターが主人公の作品。紙の本は既に絶版です。
 冒頭の52ページが無料で読めました。私はSのファンなので、続きを読みたいと思いました。

 (a) 古本屋で見付けられれば、全3巻で1,500円くらいが相場のようです。
 (b) E社の電子書籍を買えば、420×3=1,260円。

 私は、(b)よりも(a)を買いたいと思いました。もしも、この作品の単行本にすごいプレミアが付いていて、古書店で何万円もするのであれば、私の選択肢は(b)だけです。けれど、ほんの数百円の差で「紙の本」が手に入るのであれば、少しくらい傷んでいても私は(a)を買います。
この時点で、私にとって(b)の最大の利点は、「探し回らなくてもその場で購入できる」という点です。


■作品その2。
 私が現在、単行本を買っている『Y』という作品の、電子版第1巻がE社で売られていました。
 私は既に、『Y』の既刊を全て持っていて、続刊も従来の単行本で買い続けるつもりです。紙の本は1冊が税込み420円です。対して、電子版の第1巻は税込み395円とありました。
 この電子版の「395円」という価格に対して、私は「高い」とも「安い」とも、決め付けることはできません。読者は本という「物体」だけにお金を払うのではなく、主にまんがの「内容」にお金を払うわけです。仮に電子版が、製本された紙の本と同額の420円であったとしても、高くはないはずです。逆に、全巻を電子書籍で購入する行為に対して、「通常よりも安く買いやがって」などのネガティブな感情を、私は抱きません。つまり、電子版の「395円」という価格を、私は「高くもなければ安くもない」=「おおむね妥当」と感じました。


■作品その3。
 『C』という、私がまだ読んだことがない作品の第1巻が一冊丸ごと、期間限定で無料でダウンロードできました。206ページをDLするのに、30秒ほどかかりました。
 『C』の第1巻を、まるごと一冊、無料で読みました。良い作品だと感じました。また、電子書籍は、私が『C』という作品を知る「きっかけ」となりました。ところが、この作品は現在も連載が続いていて、単行本も第1巻から確実に新品が手に入ります。
もしも私が『C』を購入するなら、以下の3つの選択肢があります。
 (1) 新書を本屋で定価(530円~560円)で買う。(第28巻まで買うと、15,200円)
 (2) 古本屋で最新刊までのセットを買う。(およそ1万円)
 (3) 電子版を1冊525円で買う。(第2巻~第27巻まで買うと、13,650円)



■まとめます。
作品その1『D』に関して:私にとっての理想を言えば、この作品をもう一度、新装版などの形で再版してほしいです。例えば1冊の価格が税込み630円であれば、私は嬉々として全3巻を1,890円で購入します。現に、この本の作者Sの『K』という過去の作品が、昨年から月に1冊のペースで1冊630円で再版され、私は全9巻を5,670円で買い揃えました(仮に電子版で購入したら3,780円)。私はこの5,670円の買い物にとても満足しています。

作品その2『Y』に関して:既に紙の本で購入している作品を、「次の巻から電子書籍で買う」という選択肢は、今の所、私にはありません。完結するまで紙の本を買い続けます。

作品その3『C』に関して:ここは、「自分がどのくらい、その作品または著者のファンか」という度合いで、選択肢が変わります。
もしも私が『C』にとても魅せられたり、作者の熱烈なファンであれば、選択肢は(1)の「新書を本屋で買う」以外にありません。
『C』が私にとって「好きな作品の一つ」というくらい魅力的な存在であれば、「(2)最新刊までを古本で買い、(1)以後の新刊は新書で購入」という選択を視野に入れます。
(3)を選択するのは、「本を所有できなくても読めればいいや」という程度の、浅い愛着しかない場合です。ただし、「最新刊の電子版が今後も継続的にE社で購入できる」ことが保証されていなければ、私は(3)を選ぶことを躊躇(ちゅうちょ)します。


 そして結局、私が購入を決めたのは、作品その1『D』の全3巻です。生まれて初めて、「お金を払って買った電子書籍」です。しかし私は思うのです。
 『D』という作品の、「内容」だけは購入できた。再版される可能性は低いから、電子版で読めるだけでもありがたい。でも、いつか、どこかの古本屋で、"『D』の実物"を見かけたら、ぜひ買いたいなぁと。

 なお、多くの電子書籍サイトが「置き場所に困らない」というようなキャッチフレーズを掲げますが、私はそれにはあまり魅力を感じません。私にとっては、「置き場所に悩む」までが「読書」の楽しみです。


■利点。
 上段で一旦まとめたら、電子書籍に対してかなり否定的な内容になってしまいました。私は電子書籍にも利点を感じました。「今まで縁がなかったまんがを知るきっかけになる」というのは、大きな利点です。

当然のことながら、あらゆるジャンルのまんがに、私がその存在を知った「きっかけ」があります。
0. 「まんが」の存在そのもの→小学生の時に、両親が買ってくれた小学館の学習雑誌で知った。
1. 少年漫画→子供の頃、自分の小遣いで『コロコロコミック』を買うようになって知った。
2. 少女漫画→友達が貸してくれたので知った。
3. 青年漫画・劇画→貸してもらって知った。
4. 成人向け漫画(エロ漫画)→貸してもらって知った。
5. 漫画同人誌全般(エロ・BL・百合を含む)→コミケに行って知った。

 上記の、大きく分けて5つのジャンルのまんがを、私は「それなり」に知っていて、面白そうな作品を、ある程度は自力で見付けられます。「知っている」と自信を持って言えないのは、同人誌に含まれない「レディースコミック」と「ボーイズラブコミック」です。何作かは読んだことがありますが、「もらった」「借りた」から読んだという程度です。
 今の所、レディコミとBLで、「お金を払っても良い」と思える作品を、私はE社のサイトで見付けていません。


■まんがを知るきっかけ。
 最後に、私が「まんが」を知ったきっかけを書きます。上段の0.の補足のような物です。
 私は6歳になるまで、識字率のとても低い国(=本が売っていない国)で暮らしていました。帰国したのは、小学1年生の3学期です。同じ団地に住む、「トモくん」(本名は忘れた)という子が、初めて日本で暮らす私と一緒に登校してくれました。そのトモくんが、学校までの道すがら、歌っていた鼻歌がきっかけで、私はある作品に興味を持ちました。
「やーまをとーびー、たにをこえー」と歌うトモくんに「それ何なの?」と私が尋ねると、「ハットリくんの歌だよ」という答えが返ってきました。そして、夕飯の時間帯に毎晩、『忍者ハットリくん』のアニメが放映されていると私は教えてもらいました。ハットリくんのアニメは、学校でもよく話題になりました。大げさな言い方をすれば、ハットリくんは、私が初めて触れた「日本のカルチャー」でした。
そのアニメを見ている内に、私はその作品がまんがを原作に創られていると知りました。細かい経緯は忘れましたが、母に対して「ぼくはまんがを読みたい」と意思表示したことだけは覚えています。そして、『小学二年生』という雑誌を毎月買ってもらうようになりました。

 思い返せば、私自身、まんがとは、「テレビ」「雑誌」という複数のメディアを介して出会ったわけです。テレビで無料で見られるアニメがなければ私は原作に興味を持たなかったかもしれないし、雑誌がなければ他の多くのまんがと出会わなかったかもしれません。また、「トモくん」がいなければ、私はまんがに興味を持つのがもっと遅かったかもしれません。

 もしかしたら、現在、「テレビ」「雑誌」「トモくん」の中のどれか一つが、「ネット」に置き換わろうとしているのかもしれない。そのように考えると、私は「電子書籍」を否定できません。


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