日本語には「いう」という動詞がある。広辞苑によればその意味は、言葉に出すこと、呼ぶこと、世間でいい慣わすことなど。求婚や約束も意味し、擬音に付くこともある。
どの漢字を充てるのかは明確にされていないが、「言う」「云う」「謂う」の三つが代表的だ。
漢語林を引くと、「言う」は語ること、話すこと、述べることを意味し、文字としては辛に口と書いて、「辛」は刃物を象徴している。
「云う」は雲の古字で、云為(うんい)と書いて世態人情を意味する。
「謂う」は言と胃から成り、語ることと述べることと告げること、批評や趣旨も意味する。
私は中国語が一言もできないので、漢字を発明した中国でこの三つをどう使い分けているのかは全く知らない。だからここからは、独断による日本語に於ける私の使い分けだ。
sayという動詞として使う場合に最も馴染み深いのが「言う」だ。小学校低学年の内に習う漢字なので誰でも知っている。
「麻衣は水無月が好きだと言った」と書くのが普通なので私はそうしている。
"Mai said that she loves Minaduki."ということだ。
「云う」は「言う」に比べると、言葉を発した者である主語が曖昧で、言葉の真偽も明確ではない印象がある。
「コイーバは最高のシガーだと言われている」と書いても誤りではないが、コイーバを最高のシガーだと言い出した者が誰なのかは分からないし、最高のシガーだという評価も絶対的な物ではない。
だから「コイーバは最高のシガーだと云われている」と書くと私としてはしっくり来る。
この場合はsaidというよりcalledに近い。世間ではそう呼ばれているという意味だ。
「アメリカと言う国がある」と書くと不自然な感じがしないだろうか。ある国家が「アメリカ」「アメリカ」と口に出して連呼しているように読めてしまう。
「アメリカと云う国がある」と書けば、「アメリカと呼ばれている国がある」という意味合いに近付く気がする。
"There is a nation called America."は文法的に正しいが、"There is a nation said Amarica."と書くと何を意味しているのか分からない。
「いう」は口語では「ゆう」という発音になる。「そういうこと」は「そうゆうこと」に聞こえる。この「ゆう」に一番近い漢字が「云う」だと私は思っている。「そうゆうこと」を無理に漢字で書けと言われたら、「そう云うこと」と書くのが私の習慣だ。
ただし、「そうゆうことをゆうな」は「そう云うことを言うな」と書きたい。
「謂う」は基本的には「言う」と同じだと私は思っている。ただし語気としては「謂う」は「言う」より強く鋭い。「謂」の「胃」は、ある概念をはっきりかこみ区別して言うの意味を表している。偉そうな物言いは「謂う」と書くことに私はしている。
「教団の教祖は自分が正義だと謂った」と書くと字面が汚らしくなるのでしっくり来る。
全く以て個人的な見解に過ぎないが、「言う」は"say"に近く、「云う」は"call"に近く、「謂う」は"remark"や"declare"に近いと私は思う。
今回、漢字の成り立ちを調べていて興味深かったのは、我々が日常会話で最も頻繁に使う動詞「言う」が辛+口から成り、「辛」が刃物を象徴しているという点だ。
「仁菜子はもう蓮を好きではないと言った」ことにより蓮は傷付くが、「クラスの女子が安堂をかっこいいと云っている」ことは安堂にとってさほど重要ではないと云うことになる。
「コトバ」は大切にしてほしいものだ。
ただしこの記事はきちんと検証して書いた物ではなく、雑談から生まれた物に過ぎないので鵜呑みにしないでほしい。ネット上の情報など、所詮はいいかげんな物なのである。
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正しい日本語 |
云が、雲の古字とは知らなかったです。
この三字は、中国語にあるんですかね? それにも興味。
「峠」とかは、日本の造漢字で、中国にはない。
そういうのも面白いと思います。
全く以て独断の、思いつきで書いた記事です(笑)
一応『50音引き基礎中国語辞典』(講談社)という五十音で引けるしょうもない辞書が手元にあるんですが、
言=yan: 言う.話す.「言之有理」は「言うことが道理にかなっている」、
云=yun: 話す.言う.「人云亦云」は「人の言ったことをそのまま言う」、
謂=wei. 言う.告げる.「人謂予曰」は「人が私に言うには」、
だそうです。
図書カードがもらえる創作漢字コンテストに興味があるのに何も思い付きません(笑)
英語圏の人でそんな言い方してる人みたことないですが(笑
『とめはねっ!』の「~ゆう」が英語版でどうなっているのか気になります(笑)
「云う」を義務教育で習った記憶がない。どうやら当用漢字じゃないらしい。