「布袋寅泰、元BOOWYドラマー・高橋まことと24年ぶり共演へ」
まこっちゃんのブログを見たけど、色々頑張っているようです。
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2011年11月21日に亡くなった7代目立川談志。彼の天才ぶりをメディアは伝えていたけど、僕にはまったく分からなかった。それは純粋に彼の芸を見たことがなかったから。年末に立川談志の追悼番組を2時間かけて放送していた。1時間がコメンテーターとしての談志、1時間が落語家としての談志。その感想。
コメンテーターとしての立川談志は毒々しかった。僕の好みだ。しかし一般受けというかスポンサーの受けは良くないんだろうなと感じた。こんな毒をはいていた。
「この都庁っていう建物の中では、何人くらい働いているんですか?」
「半分くらいですかねぇ」
「なんで飲酒運転しちゃいけないか知ってるかい?」
「ひとりしか轢いてないのに、ふたり轢いた気になっちゃうからだね」
毒の中にユーモアがあるのか、ユーモアの中に毒があるのか。面白い人だったんだなぁという感想を持った。
そして落語家としての立川談志。演目は「芝浜」。
「…」
まったく分からなかった。そもそも僕は落語をしらない。面白い話を一人で演じるくらいの認識しか持っていない。しかし「芝浜」というのがまったく笑えない。笑うポイントが分からないというレベルではなく、笑わそうという意思が感じられなかった。何かを真面目に演じているんだなという風に思った。
落語にも色々あるのだろう。笑わせることを目的とした落語、何かを演じて感動させる落語。残念ながら天才といわれた談志の落語は僕には伝わらなかった。恐らく僕の不勉強なのだろう。素人が見てはいけないものなのだろう。それはそれで問題なのだが、まぁそう思った。
あと思ったのがひとつ。スタイルが爆笑問題の太田光と似ているという点。当然、当人同士もそう思っていただろう。太田光はどう思っているのだろうか。意識的に毒を吹いているのだろか。それともあまりに似てしまうから毒を弱めているのだろうか。まぁ良いか。
落語も一度、生で見ないといけないな。以上でございます。
そうだ、思い出した。一度、新宿ルミネで山崎邦生の落語を見に行ったら、ドタキャンしていて、代わりの演者としてピースが出演していたんだった。
まこっちゃんのブログを見たけど、色々頑張っているようです。
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2011年11月21日に亡くなった7代目立川談志。彼の天才ぶりをメディアは伝えていたけど、僕にはまったく分からなかった。それは純粋に彼の芸を見たことがなかったから。年末に立川談志の追悼番組を2時間かけて放送していた。1時間がコメンテーターとしての談志、1時間が落語家としての談志。その感想。
コメンテーターとしての立川談志は毒々しかった。僕の好みだ。しかし一般受けというかスポンサーの受けは良くないんだろうなと感じた。こんな毒をはいていた。
「この都庁っていう建物の中では、何人くらい働いているんですか?」
「半分くらいですかねぇ」
「なんで飲酒運転しちゃいけないか知ってるかい?」
「ひとりしか轢いてないのに、ふたり轢いた気になっちゃうからだね」
毒の中にユーモアがあるのか、ユーモアの中に毒があるのか。面白い人だったんだなぁという感想を持った。
そして落語家としての立川談志。演目は「芝浜」。
「…」
まったく分からなかった。そもそも僕は落語をしらない。面白い話を一人で演じるくらいの認識しか持っていない。しかし「芝浜」というのがまったく笑えない。笑うポイントが分からないというレベルではなく、笑わそうという意思が感じられなかった。何かを真面目に演じているんだなという風に思った。
落語にも色々あるのだろう。笑わせることを目的とした落語、何かを演じて感動させる落語。残念ながら天才といわれた談志の落語は僕には伝わらなかった。恐らく僕の不勉強なのだろう。素人が見てはいけないものなのだろう。それはそれで問題なのだが、まぁそう思った。
あと思ったのがひとつ。スタイルが爆笑問題の太田光と似ているという点。当然、当人同士もそう思っていただろう。太田光はどう思っているのだろうか。意識的に毒を吹いているのだろか。それともあまりに似てしまうから毒を弱めているのだろうか。まぁ良いか。
落語も一度、生で見ないといけないな。以上でございます。
そうだ、思い出した。一度、新宿ルミネで山崎邦生の落語を見に行ったら、ドタキャンしていて、代わりの演者としてピースが出演していたんだった。