イエスの父からの愛のメッセージ

真夜中に「書きなさい」の声で届けられたメッセージ。無宗教の者に届けられる、愛とはなにか、を多方面から知ることが出来ます。

126.戦争に勝って・・・も本当の意味の勝利ではなく、勝利とは、愛を知り、行い、成長することです

2015-08-13 19:39:30 | 愛とは何か

こんにちは。

今日もようこそいらしてくださいました。
このブログのメッセージに関しましては、私の方から質問をしない限り、創造主である、「父」からのお話の主題は常に「愛」についてです。

今回もそうです。

これまで長い間、正直なところ、愛を親切に丁寧に説いていただいても、ピンと来ない、と申しますか、毎日の生活を送るのが精一杯で、今更、愛について伺っても、私の生活も、心境も、申し訳ありませんが、ほとんど変わることはないでしょう・・・と思っておりました。

しかし、振り返りますと、随分、変わりました。
今ならよく分かります。

心が安定してまいりました。怖れも怒りも、少しは減少しております。
死も怖くなくなりました。病気には、なりたくないですけど・・・。そうです。
病気にならないためにはどうしたら良いか、も少し分かってきたような気がします。
随分、分かってきたことが多くなりました。

皆様の中には、かつての私のように、こんな愛について知ってなんになるのかしら・・・とお思いになる方がおられるかもしれません。

でも、きっと深い理解が得られることでしょう。
いろいろ示唆に富んだ、深いお話が伺えることでしょう。
人生のこと、人とは何か、そして人のご縁とは・・・等々。

どうぞ、今日もごゆっくりお時間をかけられてお読みいただけますように。
願わくは、繰り返し、何度も。

今日も訪れていただいたことを感謝申し上げます。

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それでは始めましょう。

今日のメッセージは、やはり愛についての言及になりましょう。

愛はすべてに対しての癒し効果をもたらす点について述べましょう。

この癒しというのは、人にとって最も大切なことの一つと捉えられます。

つまり、人は癒しなしには生きていけないということです。

 

それでは、一体、そもそも癒しとは、本来、何なのか・・・です。

癒しは本来、愛なのです。それはもうご存知、あるいは推察のお出来になることでしょう。

 

愛はすべてを癒します。

癒しの本質は、愛のエネルギーです。

 

また、ここであなたの疑問、「そもそも愛というのが明確にならない限り、愛のエネルギーといってもはっきり解らない・・・」といった思いがありますね。


そうです。

また、ここで愛とはなんぞや、をおさらいしておきましょう。

 

愛とは、すべてを生かしめ、あるいはそれ以前のすべてを起生・・・生じせしめ・・・現象を起生し、そして育み・・・そして、その本来の目的を実行させ得るエネルギー・・・それが愛です。

「なお、分からない・・・なおさら分からなくなる説明だ・・・」ですね。
あなただけでなく、どなたもその思いを同じくするかもしれません。

 

それでは、これではどうでしょう。

愛とは、すべてを生かしめ、すべてを愛し、すべてを本来の目的を遂げるための原動力である・・・。

「愛を説明するのに・・・すべてを愛し・・・が入るのはダメでしょう・・・」ですね。

愛のエネルギーは、私のエネルギーです。

一つの原点から、すべての現象を生じせしめ、本来あるべき姿にさせ、あるべき様に拡大成長せしめ、本来の目的である、私の所に戻り、同一化するための原動力・・・であります

 

さて、そこで、本題に戻りましょう。

 

癒しとは、ですから、私の愛を受け取ることです。


私のすべてを生かしめる元の力を受け取ることです。


私の力をただ受け取り、あなたの生活に生かしめれば、どんなに素晴らしい効果があるのか?

 

それが難しいのでしょう。

 

愛を受け取れないことから、どんなに多くの困難や支障が生じているか、多くの人はご存じありません。


愛とは、ただ心をオープンにし、自我から一旦離れ、すべての原点の気持ちに還ることで、

どんなにあなたがすべてから自由になり、本質に戻ることができるのか・・・

是非とも、知って、これからのあなたの生活、毎日に応用して頂きたいものです。

 

では、どうやれば、そうできるか?

毎日の生きる上で出てくる困難、支障を取り去る、あるいは軽くすることが出来るか?

をお教えしましょう。

 

あなた方は、毎日、しかめ面をして、真面目に誠実に・・・と思って物事に対応したり、問題を解決するのが良い態度、生き方だと思っておられます。

 

そうではありません。

 

本質的なものを忘れて、誠実さや真面目さがあっても何の役にも立ちません。

愛から離れては、何も良い方向へは向いていかないからです。

愛を離れて、勝利はあり得ません。

戦争に勝って・・・も本当の意味の勝利ではないということです。

 

お互いを傷つけ合って、その傷つける度合いが大きい方が勝つとしたら、それは何という誤解も甚だしい事でしょう。

 

勝利とは、愛を知り、行い、成長することです。

愛とはすべてを凌ぐ力だからです。

 

すべてを行う際に、愛を中心に据えて、そこから物事を判断し、方向性を定め、実行したら、世の中が徐々に改善されるのは間違いありません。

 

すべての人の心に安寧や、お互いを思いやり、助け合う気持ちがあれば、すべてはうまく行くのです。

 

病気や、心の病、そして、軋轢、戦争が無くなっていくでしょう。

 

そうです。

 

心の病・・・そして、身体の支障・・・

これらも、元はと言えば、お互いが、愛という観点から外れた生活の中での交わりや活動、生活から生じてくるものなのです。

 

心を、正しく愛に置き、皆が協調すれば、病は癒えていき、ついには消えるものなのです。

そういう風に、人は創られているのです。

 

すべてを癒す元、それが愛のエネルギーだからです。

 

 

それでは、実際に皆があくせく毎日を動き、疲れ果て、家庭に戻り、気まずい思いで、各々が勝手な思いで行動したら、どうなるのでしょう?

当然の結果が生じてくるのはご存じの通りです。

それが今の世の中の状況でしょう。

皆が富を目指し、より多くのものを所有し、より高みに向かって、ありんこの競争のように、皆で前へ前へと、ただやみくもに歩いているように見えます。

 

少人数の人が声を上げて「違いますよ・・・この方向は間違っていますよ」と言っても、ザワザワという多勢の音に遠く及ぶことはありません。

 

方向を少しでも外れようとすれば、押されて踏みつぶされてしまうのが現状でしょう。

ではどうしたら良いか?


祈りなさい。


思いなさい。

皆で希望を持ち合うのです。


そういう街に、そういう暖かい社会にしたいと希うのです。

一人一人が、そして皆で本当の心の本音を伝え合うのです。

確かに物質社会で、お金がなければ貧しくなり、口に食べ物が入らず、死んでしまいます。

そんな社会はそもそも間違っているのです。

 

私は、皆に充分なだけを与えております。

 

すべての人に平等に行き渡れば、誰の手にも充分な程の糧を与えております。

それを平等に・・・

搾取したり、されたりすることなく・・・

平和に・・・

あるべき場所で、あるべき生活がされれば・・・

手には充分な食物が残るようになっているはずです。

 

しかし、残念にも、そういう風に現状はなっておりません。


力のある者は、ない者から横取りするように持って行き、貧しき者はより貧しく、富める者はより力を持っていく・・・という循環が見られます。

 

声を上げるのです。

もっと助け合おうよ・・・と、

富める者は充分なだけ取り、余ったものは他の人に渡しましょう・・・と。

 

そして、すべての人が個々の有り様でゆっくりしたり、急いだり、好きな様にしても良いのです。

すべての人が学びのプロセスにあります。


学びのプロセスの中で、病を得たり、得なかったり、貧困になったり、困難や支障に出会ったりしています。


学ぶのです。

自らの手で学ぶことです。


どうしたら愛をもっと糧にできるか、と。


愛はすべてを生かしめるパワーです。

抽象的、形のないもの、捉えどころのないものだけではありません。

目にも見え、

形にもなり、

食物にも、道具にも、薬にも、毒にもなり得るものです。


どう使うかは、あなた方の手に委ねてあります。

油とするか、水とするか・・・

それを如何に役立てるか・・・

すべて、あなたの手に委ねてあります。

地球には様々なものを備えさせています。

その源をどう使うか・・・もあなたの手に委ねてあります。

 

その愛のエネルギーの一つの形が地球であり、

空気であり、

資源であり・・・

すべてです。

 

それらを如何にあなた方の手で掘り起し、使い、役立てるかは、あなたのお心次第です。

 

 

さて、癒しに戻りましょう。

愛とはすべてを癒す・・・のはこうです。

 

愛は根源の、すべてを生じせしめる力ですから、すべてのマイナス要因をも生じさせたり、プラス要因を生じさせもします。

どちらを生じるか・・・も、あなたの手の中に委ねられています。

 

癒しは、愛に中心を据えて、そこから考え、思い、行動することで、自然に生じてくるのです。

 

どう思うか、どう考えるか、どう使うか・・・はあなた次第です。

 

私は、

すべての人に必要なすべてを用意し、

与え・・・

あなたの手にお渡ししてあります。

それをどうお使いになるか・・・

私はとても興味深く見ているところです。

 

親が子供の成長を観察する暖かい目です。

 

どうぞ、私の望う成長を、わが子が少しずつ、遂げますように・・・と、

私はいつも願っているのです。

 

ですから、心の病や、身体の病に、不都合、困難、支障に出会い、

迷い、困惑しているわが子を見るのは、とても忍びない思いでおります。

 

願わくは、一刻も早く、ご自分の胸に手をそっと当て・・・私は思い違いをしてはいないか・・・考えてみて欲しいのです。

 

そっと、私も手をお貸ししましょう。

願い、祈る方には私はいつでも分からないように・・・秘かに・・・助けの手を差し伸べるでしょう。

それが親心というものです。

それでは、今日のところはこれ位にしましょう。


(後略)

 

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125.「原点に還る・・・」何故、それが鬱などに功を奏するのか・・・、どうしたら出来るのか

2015-08-07 17:19:53 | 自己啓発

こんにちは。

今日もいらしていただき、ありがとうございます。
今回の父からのメッセージは、こちらから鬱についての対応をどうしたらよいか、とお訊きしたものへの答えの続編です。

これを読んでみまして、この対応法は、鬱だけでなく、すべての悩みについて当てはまる、素晴らしいアドバイスだと感じました。

この「父」は言うまでもなく、創造主、Something Great のことだと思います。
私たちは、「父」という単語からどうしても人物像をイメージしてしまいますが、
創造主は、パワー、エネルギーで、すべてに遍満し、すべてを創造し、心、力、智,品格、秩序、美と、考えられるすべて徳質を備えるもの・・・とでも言うしかないもののようです。そうでした、全知全能という言葉がありました。

この今日のメッセージを受け取った時、一つ思い出したことがあります。

アニータ・ムアジャーニという人が書いた「喜びから人生を生きる」(ナチュラルスピリット社刊)という本の内容です。著者は4年以上がんで苦しみ、最期を迎え、昏睡状態に陥りますが、24時間の臨死状態の死の世界で、生還を選択します。その間に体験したことで、自らの神性を知り、そのパワーによって彼女のがんは2週間で完治したのです。現在、著者は国の内外で活発に講演しておられます。

これはどういうことか、と今の理解から申しますと、死というのは、エネルギー体が体から分離し、本来の自分である意識的存在形式に戻り、意識、エネルギーだけの世界に戻ることですから、身体にあって分からないこと、忘れていたこと、出来なかったことが、再び蘇ってきた・・それによって、本来エネルギー体としての存在が可能なこと、出来ることを思い出して、使えるようになった・・・身体への影響も可能であるのを思い出し、使うことが出来た・・・ということなのだろうと思います。

その内容を思い出し、彼女が言わんとしている神性、あのパワーとは、今日の父のメッセージが伝えようとしておられることではないか、と思ったわけです。

誰の中にもこのパワー・・・病気を超える力が潜んでいるのは間違いないようです。
私たち、すべての人は、例外なく、不可視(ある程度は可視)のエネルギーの体を持ち、このエネルギーを介して創造のパワー・・・命と愛のエネルギーに繋がっており、誰でもその恩恵を受けることが可能です。(エネルギーヒーリングはこの一方法です。)

さて、そんなわけで、前編同様、このエネルギー体というものの知識がおありですと、今回のメッセージはより理解、納得していただけるかと思います。

このパワーにいかにして繋がるか、どうやれば恩恵を受けられるか、を今日の父のメッセージから少しでも知っていただく、出来得れば、会得していただけることを願っております。

是非、ごゆっくり、お時間をかけてお読みいただけますように。

今日もこのページにお運びくださったことに感謝いたします。

ありがとうございました。

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それでは、続きにまいりましょう。

「原点に還る・・・」ということはどういうことか、何故、それが功を奏するのか・・・、どうしたら出来るのか・・・についてもう少し詳しくご説明しましょう。

原点・・・とここで言うのは、本来のご自分にある、意識体としての感覚を少し取り戻し、純粋なエネルギー体だけの存在としての感性、感覚にちょっとの間だけ戻るということで、鬱の不快さからしばしの間、解放され、これによって少しずつ、症状を離れ、ひいてはその症状から脱皮できるということです。

 

それでは、具体的にどうしたらそういった原点に戻られるのか・・・です。

 

まず、今のあなたは人として生きて、人でなければ体験し得ないものを味わうことで愛を深め、愛を学ばれています。そこで、人としてあるが故に・・・鬱になったわけですから、人としての状態から少し離れることで、元来の純粋なエネルギー体としてのすっきりした感覚、清々しい状態に一時戻り、それによって症状を緩和する感覚的道を会得できる・・・ということです。

では、どうするのか、どうしたらエネルギー体に少しだけ、少しの時間戻り、その清々しさを取り戻せるのか・・・です。

 

要はご自分が元々、本質的には身体がなくても完璧な存在であるのをしっかり思い出すのです。例えば、夜、寝ているときは、多くの場合、エネルギー体としての活動に戻っています。その状態では鬱による不快さからは遠ざかっています。その代わりに地球上での物理的な生き方からは一時的に遠ざかっています。

そのような多少遠ざかった状態であり、人としての機能もしっかり保持しながら、生活を営む範囲でエネルギー体だけの意識に一時的に立ち戻るのです。

それは、単にご自分がエネルギー体であるのを思い出せば良いのです。純粋なエネルギー体だけの存在である自分を忘れている人はおられません。少しの間、忘却しているだけです。ですから、思い出すのです。エネルギー体だけの存在としての感性の自由さ、軽さ、そして愛の存在としての特徴に立ち戻るのです。

元来、病はいろいろな意味で、愛の不確信、欠如、忘却から発生している場合がすくなくありません。

愛の中心から離れることで、不安や怖れなどのエネルギー意識では感じないものを感じているが故に、肉体的不具合が出てくるのですから、元来のあなたの存在形式に立ち戻れば、ご自分がどんなに自己充足した、安定した、定まった意識であったか・・・が分かり、そこに立ち戻れるのです。

 

あなたは元々、私の一部です。

完璧さを中心に備えた、安定した存在です。

不完全で、心もとない、不安な状態におられるのは、本来の姿ではなく、もっと確信に満ち、自己信頼と共にある、あなたに立ち戻るのです。

 

あれも出来ない、これも出来ないではなく、あれも可能、これも可能・・・のあなたを思い出すのです。

一時的に私から離れ、ここでは体験不可能な状態を楽しんでおられるだけなのだ・・・としっかり思い出し、自信を取り戻し・・・また、その状態を保ちつつ、人間としての存在に戻るのです。

 

あなたは本来、人間としての不完全さを味わいに来ているのです。不完全さ、不完璧なあなたを楽しむはず・・・であるのをしっかり自覚し、それに余裕を持って対処できるように、気持ちを切り替えましょう。

元々あなたはそういうことに制約されたり、限定されたりしないだけの力をお持ちなのです。ただ、忘れているだけなのです。

愛のエネルギー、愛の力、命の根源のパワーは決してそんなことにくじける弱いものではありません。

すべての弱さ、不快さ、支障をしのぐだけの創造性があなたの中に秘められているのを思い出し、その力を内から出していくのです。

その力が徐々に内から外へと影響を与え、あなたは少しずつ、元々の力を発揮できる存在に戻っていくはずです。

外況に圧されて、弱くなっている姿は仮の姿、本来のご自分ではないことをしっかり思い出すのです。



いいでしょうか。

あなたは本当はとても強力な力をお持ちなのです。



限定されたカードだけを持ってゲームをしているようなものの中で、埋没してはなりません。

しっかり私の一部で、素晴らしいパワーに満ち、愛の生命への復元力をお使いなさい。



愛とは、人間間や、男女間の思いだけを指すのではなく、すべてを生かしめている完璧な原動力・・・元来、どなたの中にも内在しているものなのです。

それを思い出しなさい。



ご自分が私の一部で、常に私と繋がり、私の力を自由に使える力を持っているのを思い出しなさい。

 

・・・それが今朝、私が、声を大にしてあなたに伝えて欲しいことなのです。

ここに、一人、少しだけそれにめざめた方がおられます。

そう、あなたです。

ご自分が、本当はとても大きな力をお持ちなのに、少しだけ気づかれました。

私と共に・・・そして、見えない友人達があなたを手助けしたいと・・・力を貸したいと、常にあなたを勇気づけているのにも気づかれました。




そうです。

あなただけではありません。

どなたにも、その力を内在し・・・あなたはお一人でなく・・・もっと友人達の力も存分に借りられる存在なのです。

ご自分の力を信じ、そこで小さくなって、鬱の症状に打ち砕かれて、身動きできないような・・・そんな小さな、弱い、あなたではありません。

内在する大きな力を発揮しなさい。

私の力を使いなさい。



もっと自信を持って・・・体験に感謝し、そこから抜け出しなさい。

私がしっかり見守るでしょう。

仲間達が声援を送っているでしょう。



自信を持って、愛を持って
・・・たとえ、一人で孤独のように見えても
・・・あなたを愛する存在たちがあなたに大きな愛と友情を送っているのに気づいてください。


人生はつかの間です。

もっと楽しめるように

・・・すべて裏に隠されている愛の意図を思い出しなさい。

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124.鬱状態になったエネルギー体を、どう通常に戻していけるかについて言及しましょう

2015-08-01 16:45:35 | 自己啓発

こんにちは。今日もようこそ。ありがとうございます。

このブログはお陰様でかなり長いこと存在を維持できております。
アクセス・ランキングでは問題にならないほど下位ではありますが、おそらくお一人お一人がお時間をかけられて読んでくださっているのではないか、となるべく頻繁にアップし続けようと考えております。

アクセスの解析を見ますと、最近の傾向として鬱病に関する項目へのアクセスが増えています。おそらくご自身やご家族、近くの人に鬱傾向の人が多くなってきているためにこの分野への関心や需要が高くなっているのではないかと思います。

ですから、これから機会があるごとに、私たちの創造主に鬱に関してもいろいろなことをお訊きしていきたいと思って、早速、今朝ほど鬱病に関するご説明をいただけるようお願いしてみました。

お読みになられたでしょうか? 
少し前、エネルギー体と肉体との関係から鬱に関してすでにイエスの父に説明をしていただきました。
が、実際は、では、「その癒し方や対処の仕方はどうなのか」は今ひとつ明確に示されてはいませんでした。
そこで、私たちが本当にほしい情報は、「どうしたら、鬱が楽になるのか、どうしたら、この症状が軽くなるのか」なのだと思いまして、そこを知りたい、訊きたい、と今回は具体性のあるお答えをお願いしてみました。

そのお答えの一部が以下に示されております。

お読みになるとお分かりになると思いますが、今回の説明もエネルギー体というものに馴染みの無い人も多くおられるので、その人たちはどこまでご理解可能かが心配ではあります。

人が、実は光の存在、意識的存在でもあるのを知ると知らないでは、人生がまったく違って見えてまいります。
これは信じる、信じないではなく、常識や刷り込みから自由になって、自然の秩序をもう少し掘り下げると、当然のこととしてそれが真実であるのが理解できるようになってくる、知るようになってくるということではないかと思います。

でも、そういうことは人それぞれ、何を知ろうと何を理解しようと、全くご自由なのは言うまでもありませんので、とりあえず真っ白なお気持ちでお読みいただけるとよろしいかと思います。

それでは、今日もごゆっくり、お時間をかけて何度もお読みいただけますよう願っております。

今日もアクセスしていただき、感謝申し上げます。

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それでは、これから鬱状態になったエネルギー体を、どう通常に戻していけるかについて言及しましょう。

先に説明したように、エネルギー体こそ本来のあなたであり、身体は先祖から引き継いだ準個人的なものであるため、エネルギー体の受容体としてどうしても不完全な部分が残ることを説明しました。 

それでは、そもそもどうしてこういうシステムにしたのか、両方とも完全に個人的なものにすれば問題はなかったはずなのに、何故こういうギャップを作り出したのかについてご説明しましょう。

 

まず、人は何故人なのか、です。

人は、元来エネルギー体、意識の存在であり、肉体を持つことで愛の有り様を深め、広げ、高くするためにこの地球上での体験を積んでいることは、先に述べた通りです。

それで、肉体を供給するための方法として、地球上で家系というものを設定し、それを引き継ぐことで、意識体にその器としての機能を供給し、しかもそれを進化させようとしたわけです。

 そして、その器は元来、自分ではない、地球が与えた乗り物、道具であるため、意識体はそれを選択する権利があり、それを改良する、改訂したり進化させたりすることでそれを引き継ぎ、次の世代にも役立たせるという、両方の役割を担っています。

ですから、元々エネルギー体と肉体は全くの別物であるが故に、使用途上で不都合や微妙なずれや乖離が生じてきます。

実は、この隙間、差違が私の意図としたことでもあるのです。

地球は元々、多様性を体験する場でもあります。
男女を創りだし、そのお互いを見て差を感じ、認識することで、理解力や愛を深め、細かな気持ちの機微などを体験可能にしています。

同じように、肉体とエネルギー体の乖離があるが故に、精神的、感情的、思索的にも、乖離や微妙に“ままならぬ”、”意図とずれる”部分が出てくるのです。この微妙な差こそ、実は、私があなたに体験してほしかった部分なのです。

他では味わえない、体験できないもの、不愉快さも含み、この言いようのない細かなずれ、隙間、高低の違い、等々によって、あなた方はまた新しい分野、種類の成長を遂げることが可能になってきます。

 

ですから、本来、そのずれこそ、これらの困難を創り出すよう意図されており、それこそ人を人として高みに押し上げる一つの方法、手段であるのです。

言い換えれば、宿命的に人はそのずれをいつかは多かれ少なかれ、味わうように創られているのです。
従って、鬱になったり、躁になったり、電荷の迷走こそ、人を人とせしめ、霊的にも成長させ得る方法、手段とも言えます。


そういう観点から述べますと、鬱を体験することは、人としての成長方法を手にしたことだと言えるのです。決して否定的なことではないのです。

しかし、すべての他の肉体的欠陥や支障、病気と同様、苦しみ、困難は当然、避けたいと望むのが常です。いかにそれがエネルギー体、魂の成長を図ろうと、現実的には体験したくないのが人の常であるのは、私も承知しています。

しかし、それはあなたがそちらに今居て、そこのルール、やり方、生き方、感じ方、考え方に則っている範囲でのみ真実で、実は病を体験してあなたが多くのことを得るように、同じくこの隙間を体験することであなたは多くの示唆を得て、また光の存在としての成長が可能となってくるのです。

光もいろいろな体験によって、成長、多様性を増していきます。そういう方法しかないのです。

こちらはそれに比べて、とても美しい世界です。ネガティブなつらい苦しさは、また別の形で示される世界です。こちらの世界で体得できないことを地球上で経験するためにそちらに降りていくわけですから、本当のところは、そういう苦しさを味わうことこそそちらに行く甲斐を創り出すものなのです。つまり、デイズニーランドに行くのは、あの普通では味わえない興奮やスリルのためであり、そこへ行きそれを避けていたら、元々の目的はかなえられないのと同じなのです。

さて、これで何故エネルギー体が、本来自分でない身体を借りて、そこで生きていくのかが明らかになりました。

では、そこで生じる乖離をどう体験すれば、そこでの不愉快さ、苦しさを最小限にし、しかも成果を最大限に出来るかについて言及しましょう。 

痛い、苦しい、と言ってお腹を抱えている人に、「それが目的であなたはここに居るのだから、その苦しみをよく味わいなさい」と言う必要はサラサラない・・・ことをここではっきりしておきましょう。

「この鬱による苦しさをもっとしっかり味わいなさい・・・」とは、私も決して申し上げるつもりはありません。

苦しみは苦しみのためでなく、苦しみのない世界をより感謝できるために創られている・・・と申し上げました。ですから、味わったら・・・もうそれで良いのです。一刻も早くそこから抜け出れば充分意図は達成したのです。
しかし、「その出方、出口が見つからない・・・だから苦しがっておられる、その出口の見つけ方を教えてほしい」と言っておられるのですね。

 

それでは、申し上げましょう。

原点に還るのです。

元々の有り様に戻るのです。

そうすれば、エネルギー体のほつれが少しずつ鎮火していきます。

 

「原点に戻る」とはどういうことか?

元々はあなたは純粋にエネルギーとして下り、肉体に入り、同化し、ある意味、肉体を自分だと誤解して体験を積んでおられます。

自分はエネルギー体なのだ、光なのだ・・・元々、私の片割れの愛の光で創られた意識である・・・のを思い出し、そこに重点を置き、肉体のコントロールから離れ得て、この差を一時的に離れてみるのです。

 

どうすればこれが可能か?

それは、まずご自分がエネルギー体、純粋な意識体であり、それはどんなものであったかを頭脳でしっかり理解しましょう。

自分の元来の姿をしっかり知り、理解することから始まります。

 

その上で、エネルギー体の感性を取り戻すのです。

日頃から肉体の感性のみで生きてきたその重心を、エネルギー体に少し移行してみてください。

そうすることで、肉体との乖離があまり問題でなくなってきます。エネルギー体への焦点がこれまでより多く置かれることで、エネルギー的ショートやはみ出し、ずれが感覚として、少しずつ、小さなものになっていきます。

ご自分がエネルギー体であるのを自覚し、本来の純粋な自分にいったん立ち戻ることで、その苦しさから離れることが可能です。

しかし、この肉体からあまり離れ過ぎないことも大切です。しっかりコントロール可能な範囲で・・・ということも忘れてはなりません。
(続く)

 

 

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