イエスの父からの愛のメッセージ

真夜中に「書きなさい」の声で届けられたメッセージ。無宗教の者に届けられる、愛とはなにか、を多方面から知ることが出来ます。

123.この世とあの世…関心の高いこの話題について言及することに致しましょう。

2015-07-15 17:44:36 | スピリチャル チャネリングメッセージ

こんにちは。今日もようこそお出でいただきました。
ありがとうございます。

今日はちょっとある体験についてご紹介いたしましょう。
実は、これまで、人にお話ししたら、「それはめずらしい、奇異ですね」と言われそうな貴重で素晴らしい体験をいくつもしてきました(現在も進行中です)。その中では、単なる夢ともとれるような、でも決してそうではない、とても印象に残ったことがあります。

まだ若くて、さらに未熟だった頃のことです。
私は、その頃、よくあるように、何がなんだかわからなくなり、疲れて、生きているのが嫌になっておりました。そのうちに物騒にも、実際にどこか適当な、簡単に旅立ちの可能な場所はないか、などと考えるようになり、長い階段があったりすると、ステップを下りきった底に届くと、自然に上を見上げたものでした。一番上からの距離はどのくらいだろうか、とか、ビルの屋上を見れば、あそこから落ちたら、どこに到着するのだろうか、とか、まあ、今思えば、どうしようもないことに密かに想像していたものです。どなたでも、そんな体験は一度や二度、おありかもしれませんね。

きっとそんな頃に違いありません。大分前に、このブログで一度かかせていただきましたように、どうやらあちらの世から、護衛つきでしっかり送り返されるべく、数人の空を飛ぶ人と共に帰されたらしき体験があります。

「どうぞ、こちらにおいてください、帰りたくありません!」と、空を飛ぶ私は、風に長い髪を拭き流されるまま、力の限り訴え、泣き叫び、自分の体に戻る最後の瞬間まで、二人か三人の私を取り囲んで一緒に飛んでいる存在に懇願しておりました。

「あなたは帰らなければなりません。まだやらなければならないことがある・・・。」

それはそれは悲しい瞬間でした。心は重く、わーわー泣きわめく声は勢いづいて、目覚めた後も容易に止めることができませんでした。

あれから早や数十年。

今や終活も楽しからずや・・・も遠からずの候となりました。
今日の父からのメッセージの後は、尚更です。

 

それでは、今日の内容はしばらく以前に受け取った内容のものですが、是非、ごゆっくりお読みいただけますように。


今日もお越しいただき、感謝申し上げます。

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 この世とあの世…皆様のとても関心の高いこの話題について言及することに致しましょう。

あなたは思っておられます。
この世とあの世はドアを一つ隔てるのみと「父」が言っておられた…と。

そうなのです。全く、その通りです。
もう一度申し上げましょう。

この世はあなたがそうして肉体の中に身を包み、活動し、やがてそれが終わりに近づく頃、何らかの形でこの世から出て行って(去って)いくことになります。

その去り方を今からあれこれ悩み、思い苦しむことは全く不必要です。
どちらにせよ、お道具は物質である限り、いつか耐久性を失う時が来るものです。


その終わり方がドスンと来ようと、じわじわ、こっそり来ようと、所詮は同じようなものではありますが、人にとっては大きな問題、関心事であるのは私も承知しております。

しかし、ここではっきり申し上げるのは、その時間が長かろうと短かろうと、それは悠久の流れからしたら、目ばたきをするほどの間でしかありません。

それを今からあれこれ悩むより、毎日を明るく、楽しく、愛をもて過ごされる方がどんなにいろいろな点で良いことをもたらすか、伝えたいものです。



明るく心を持つことで心身も明るく希望に満ちた状態を保てるのは、正に心が、ある意味、身体を作るからであります。



さて、先に参りましょう。

あの世の入り口に立つ時、あなたはどうお感じになるのだろうか…と半ば心配、半ば楽しみにしておられます。

案じることは全くありません。

すべてはお心次第ではありますが、望めば素晴らしい、明るい、楽しい世界がすぐに広がって、あなたは決めた瞬間からそこの住民に戻りたくなり、実際、瞬時にあなたがいつだったか、そこを去った時のことを思い出すことになります。



そうだった…
私はここから地上に降り立ったのだった…
と思い出すようになるでしょう。

 

美しい光に包まれ、同時にあなたはその旅のお疲れを癒すべく、暖かい光の中でしばらくお休みを必要とするかもしれません。

長かった旅路のお疲れや汚れをきれいさっぱりに洗い流し、あなたの古い衣を脱ぎ去り、しっかりもう一度そこで立ち上がり、皆が待っている仲間のお迎えパーティに招かれることになるでしょう。

あなたは主賓としてもてなされ、お話をいろいろ語ることになるかもしれませんし、後にそれをとっておくことになるかもしれません。すべてはあなたの意のまま、思うままに運ばれ、パーティが進んでまいりましょう。

私もしっかり呼ばれることになりましょう。
私は実際、あなたの後見人として常に寄り添うという大切な任務に就いていた者の栄誉を与えられるでしょう。

そして、それがすべて終わったころ、あなたはもう一度ご自分の終わったばかりの人生についても振り返り、検証をすることになるでしょう。

ご自分の本来の目的は遂げられたか、その他の御行はどうだったか、等々、人生のすべてについてご自分で振り返られ、ご意見や考察をすることになるでしょう。

しかし、これらはある意味、すべて未来のため、将来のためであり、罰や何らかの価値づけのためでは決してありません。すべて何一つ、価値のないものは実のところないのですから。

 

さて、その後、あなたは考察を終え、その中から次回へ任務、課題、やりたいこと等を自然と見つけていくことになるでしょう。

その間には、どんなに悠久の時が流れようと、それだけ休まれようと、こちらに留まろうと、それはあなたの御意志に依って決められます。

すべてはあなた次第なのです。

時は限りなくあるからです。

制限も限界も設けられていないからです。

 

 

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