イエスの父からの愛のメッセージ

真夜中に「書きなさい」の声で届けられたメッセージ。無宗教の者に届けられる、愛とはなにか、を多方面から知ることが出来ます。

115.あなたは種々な装具、道具である身体を体験しながら、内部にある力を育てておられる途上なのです

2014-03-19 11:26:24 | スピリチャル チャネリングメッセージ

こんにちは。今日もようこそいらしてくださいました。皆様とこのページをシェアさせていただけるのは大変光栄で嬉しいことです。

今回のメッセージも素晴らしい内容です。

私は、毎朝庭に出て石の上に腰かけ、短い瞑想をして、自然の空間に話しかけ、深呼吸をするのが朝食前の日課ですが、今試みているのは、次のようなことです。

これまでは、天のエネルギーと繋がり、しっかりそれを頭頂から取り込み、次に、地のエネルギーと繋がり、こちらは背骨の底からしっかり取り込むというような意識でやってまいりました。

が、しかし、今日の「父」のお言葉にあるように、実は私たちはすでにみんな繋がっており、遍満するエネルギーの一部であるなら、敢えて繋がって取り込んだりする必要はないということに今更ながら気が付いたのです。つまり、繋がろうとする前提には、自分が天の一部であるという認識よりは、繋がることで一部を取り込む、部分的にでも同じものを受け取りたいということでしょうから、この分離意識をやめて、この愛のエネルギーの一部であることをもっと感じて、体感実感し、それから自然に導かれるものに従う、ということをやってみようと思ったのです。

エネルギーヒーリングをする時も同じ意識にしてみました。
自分のエネルギー体の波動を高めて、エネルギーが流れにくくなっている人に、「差し出す」という肉体的意識のある手を媒体として、自然界の愛と生命のエネルギーを相手のエネルギーセンターに働きかけるということを行うのですが、同じ論理で、これも自分は自然の愛の一部という意識にいたしました。まだ、これがもたらすものをしっかり分かったわけではありませんが、確実に自分の中のエネルギー体の反応の違いを感じることが出来るようです。

この一つの違いから推察するに、今日のメッセージに伝えられることをすべての人が認識し、生活に取り込むことで、大きな前向きな変化が可能ではないかと思われます。

前置きが長くなりました。

では、今日の内容も是非、お時間をおかけになり、ゆっくりと何度も読まれることで、是非、何かのご参考にしていただければ幸いです。

ありがとうございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

今日の話題は、「如何にして、愛への感性を育てられるか」について述べましょう。

愛の感性と申しますと、一見、?となるかもしれません。

生まれながらに、誰もが愛する、愛されるという、根本的に生に関わる要因に対しての感度、感受性、敏感に反応する計器のようなものを内在していると思うかもしれません。

ある程度、それは当たっています。

ある程度、と申しますのは、与えられた愛を感じるに足る、充分ではない程のもの・・・という意味では
感じる能力が備わっているということです。


どういうことかを少し詳しくご説明しましょう。

ご存知のように、人は光と身体で構成されています。
そして、それは有限なもので、一時的な形式、組み合わせで、光の部分のみが永却に続く部分であるのは、
既にご存知の通りです。

そして、その光の部分にこそ、愛の受信、交信、発信の能力がありますが、その身体には厳密な意味での
受信、交信、発信能力は備わっておりません。


アレ?とお思いですね。

身体にも、愛を感じる能力があるのではないか・・・例えば、犬にしても、人間にしても、好きな人から
背中をなぜられれば、気持ち良かったりします。犬と人間を同じくして、失礼ですね。

そういう感性はどうなのかしらとお思いです。

確かにそれを感性と呼べないこともありませんが、これからご説明する性質のものとは全く異なっているため、今回は2つを違うものとしておきましょう。

さて、それでは、そもそも愛への感性とはなにか、人は各々で、愛への感度、感受性も様々であるのは
ご承知のところです。

同じものを目にしても、涙する人もあれば、何も感じず、目を移してしまう人もあります。

そのように、人は多様多彩であります。

それは何故なのか?

「そんなことはどうでも良いことではないか。人にとって、そういうことは問題にしていられない程、
直接的な問題が大ありなのだ」とあなたは思われています。
「寒くてこごえそうな人や、食べ物がなくて餓死寸前の人たちが愛の感性について知ったとて、何になる・・・・そんな甘い余裕がないのが現実なのです・・・カミサマ・・・」と思っておられる・・・。

そうですね、全く、その通りではあります。

それでも、これからお話しするように、愛への感性は生きる上での根本的力、根源的パワーとなり得るのを
ご説明しましょう。

 

人は何故 生きるのか

人は何故 生まれるのか

人は何故 死ぬのか

人は何故 また繰り返すのか

については、すでにお話したところですが、思い出していただければ、少し私の言わんとする所も少し見えてくるでしょう。

つまり、私達はすべて愛のかたまり、愛故に生き、愛を知るために多くの困難や喜びを体験しているのだということです。



そもそも愛とは何か・・・。

そもそも愛は行為なのか、概念なのか、すべてを産み出すエネルギーなのか・・・ですが、

改めて申し上げるのは、

愛は生きる目的であり、

結果であり、

エネルギー源であり、

生そのものです。

つまり、すべては愛あってのこと、愛なくしてこの世は存在しないのです。

 

そうです。

ある意味でも、すべての意味でも、人の生きる目的であり、究極的に得る結果であり、行き着く目的地でもあります。

あなたは毎日、旅をしておられるようなものです。

時という仮想の場の中に入り込んで様々な現象を作り出すことで、愛の様々な変化を体験しているとも言えます。

 

毎日、朝起き、朝食を作り、食べ、それをエネルギーとして動き回り、身体を使っていろいろなことをやり、行動し、
感じることを繰り返しやりながら、実はすべてが虚構の中、実在ではない仮想のレベルで生じているのに気がつきません。

 

そうです、すべてはそう見えている、そう感じているだけのものです。

実相、実在、本来の真実はこのレベルには見ることは出来ないのですが、
それに似たような現象の中で、何回も何回も、繰り返し練習したり、トレーニングしたり、体得することで
あなたは本来の目的を得る準備をしているにすぎないのです。

 

仮想の世界での準備段階・・・本当の場でしっかり出来るための練習をなさっているとも言えます。

本来の本当の目的はここにはないとも言えます。

あなたは種々な装具、道具である身体を体験しながら、内部にある力を育てておられる途上なのです。

その内部が、つまり、光の部分、魂の部分であるのはお察しの通りです。


その仮想の世界での大きな、そして唯一のトレーニングのプログラムの目的は、
「愛を感じ、育てること」に他なりません。

頭がよくなったり、様々な職業を体験したり多種多様な民族になってみたりするのも、一種のトレーニングプログラムと言えます。

それらの多様さの中で、あなたは

愛の形、

愛の深さ、

広がり、

質(言葉がない!表現する言葉が見つかりません。組成、感触、質量感、微細な機能を含む何か?)

微妙な差異、

段階などを更に細かく体得していくのです。

 

困難はつきまとうかもしれません。

が、所詮、それらもこの世だけのもの、仮想に起こっているものにすぎません。

本来、すべてが素晴らしい愛のエッセンスで構成されたものでありますが、それはそう感じられないことによって、また得るものがあるが故でしかすぎません。



さて、論点が大分離れました。

愛の感性について論じておりました。

その感性とはどんなものか、どういう風に育てるのか・・・についてご説明しておりました。

愛とはすべての目的であり、行き着く先であることを述べました。

 

感性はその本来の存在の形である光の部分にあり、身体には本来、感ずる計器は備わっていないと申したところでした。
いや、好きな人に背中をなぜてもらうと、犬も人も喜ぶのでは?というところでした。

人の本来の姿は光であり、肉体を持って体得するのはこの地球場であり、ここは仮想のトレーニングセンターのようなところであるということでした。

そうなのです。

 

あなたはいつかトレーニングを終わり、元に戻り、少し休憩し、又戻ってくるのです。

その間、トレーニングの成果、進み具合等が検討され、次のプログラムが考案され、実行に移される・・・といったところです。

そして、そのトレーニングの目的は、愛の感性を育て、愛を実行できること・・・であるのです。

愛の感性が、もし身体にないとしたら、どうして地球で育てられるのか?という疑問がわいてきますね?

そうです、身体は装具です。やり投げをする際につける肩パッドのようなものです。

平行棒をする際、手につける粉や手袋のようなものです。

飽くまでも、身体能力を育てるための装具防具であるように、本来の目的は光に内在する質や量のようなものを高め、広めるためです。
深めるためのものです。

 

感性とは、愛のないところに愛を見つける能力、愛の生じえない関係に愛を産み出す能力のようなものです。

無いところに生じ、育て、味合う能力です。

愛とは本来、遍満しているとお伝えしました。

遍満しているものを、在ると知る能力、

そのエネルギーを感じ、

取り込み、

利用する能力、

その能力を相互作用として働かせる能力、

更に発展させ、

その相互作用を全体的なもの、統合的な作用に広げる能力というものです。

 

それは徐々に、自然に、喜びと共に身につくものです。

苦労して、苦しみ、痛みを感じるのも良いでしょう。

ころび、傷つき、血まみれになりながら、トレーニングをつむのも結構でしょう。


しかし、それは、一旦その必要は必ずしもない・・・苦しみや痛みのみが感性を育てる方法でないことを知っていかれると、もっと、楽しい、喜びに満ちた方法で、愛を感じ、実行する能力を育てるのもできる・・・それもとても容易に・・・というのに気づくことができるのです。

愛は喜びを運んできます。

愛はつまらないと思えることの裏にもひそんでいます。

愛は、実はすべてのものの裏にひそみ、大きな喜びの元となり得るのを見つける、感じる・・・・それが、感性とも言えましょう。

それを育てることで、すべては光り輝き、喜びに満ちたものとなりえるのです。

 

それでは、今日はこの位にしましょう。

また、このことについては再度言及いたしましょう。

まだまだ、ご説明する必要のある話題だからです。

では、今日もすばらしいことが待っています。

愛の局面をごらんになることです。

美しい愛が秘められているのを感じましょう。

(後略)

コメント

114.愛について、如何にしたら、信頼を失うことなく保てるかについて語りましょう

2014-03-03 16:45:21 | スピリチャル チャネリングメッセージ

いらっしゃいませ。

今日もようこそいらしてくださいました。

父も私も大変嬉しく、光栄に存じます。

 

昨今、私は年齢が高くなったせいか、以前より悲しいこと、苦しいこと、残酷なことなどが心に堪えるようになってきました。ニュースをつければ、ネガティブな内容がとても多く、途中で見ているのがつらくなってきます。

世の中の出来事の取り上げ方が偏っているのか、そういう出来事の方が報道するに値するのか、皆がそういうものを知ることを必要、あるいは望んでいるのか、わからなくなります。

今日のメッセージを是非、皆様にお読みいただきたいと思います。
本当は一部のスピリチュアルなことに興味のおありになる人たちのみならず、多くの人にお読みいただけたらどんなに
良いかと思います。

どうぞ、今日もごゆっくり、お時間をかけられ、何度も繰り返し、お読みいただけますように。

ありがとうございます。

***********************************************************************************

 

さあ、今日も愛のメッセージ、愛について語りましょう。

 

今日も、話題は如何にしたら、愛について、信頼を失うことなく保てるか、という点について語ってみたいと思います。

世の中は、多種多様な波動に満ち、いろいろな人の心、気持ちで溢れています。

その中には、語るにはばかれるようなものや、出来たらそれに触れずに一生を過ごしたいものもありますし、その一方で、それはそれは美しい輝かんばかりの心の移り、変化もあります。

言うまでもなく、私達のめざすところは、崇高なレベル、神の愛に近づく美しい愛を如何に持ち、保つかという観点から論じることであります。

しかし、日常に於いてよく実感するところは、いかに愛を育み、育て、常に暖かい、美しい波動、気持ちでいることが、時にはどんなに難しいかということです。

時には、相手の欠点をあげつらい、攻撃し、自分の気持ちをまぎらわしたり、逆に自分がそういうターゲットになり、嫌な気持ちにさせられたりすることもありましょう。

こうしてお互いに傷つけ合ったり、汚れたものを顔にぶつけ合うようなことをしてしまいます。

 

そして、やがて来る後悔の念、自悔の心・・・そして反省し、これからはなるべくそうしないよう努力しよう・・・と心に誓うのです。

 

そのようなことを何回体験したことでしょう。

同じような気持ちになったことが何回あるでしょう。

そんな時、人の心は乱れるものです。

何もかも嫌になったり、ご自分の価値を見出しにくい状態になり、先々のことも思いやられるでしょう。

 

しかし・・・です。

私は、実はこのような体験、このような気持ちになることも、とても重要なものだと伝えておきましょう。このような嫌なネガティブさも、実はこの地球ならでのことです。

 

ここを離れた天には、このような後悔の念、苦悔の気持ちになることはまずありません。そういう関係が存在してないが故です。つまり、身体を離れ、気持ちだけの存在として生きる時、大切になるのは身体でなく、気持ちの動き、あり様だということになります。

当然でありましょう。
気持ちのみの活動、心のみの生き様となる毎日、生活ですから。

さて、そんな時にどうして尚更ネガティブとならず、暖かい関係や思いやりや気持ちを保持できるのでしょうか。

それはこうです。

私達には元々、ネガティブな要素がないからです。プラスだけで、心が出来ているからです。

つまり、心の中に、負の要素が湧き出る素地が元々からないのです。

従って、それによる影響があり得ないのです。

 

地球は物質世界を体験する場です。

物質によってある意味支配され、大きく左右される世界とはどんなところか、物質によって心が動かされるとはどんなものか知る場所です。

天はそうではありません。
物質という要素は欠如され、その代わりにもっとプラスの要因、愛の感覚、感性、感応をさらに強く強化されるところです。そういうもので出来た地球と異なったものを感じられるプロセスの中におります。

従って、私達の感じるところは常に暖かい、穏やかな、喜びに満ちた感情、気持ちの動きになります。

従って、いかにに地球の中で愛を保ち、ネガティブな心から遠ざかるのにはどうしたら良いか・・・を論ずる時、まず申し上げたいのは

天を思い出しなさい・・・ということです。

元々あなたは愛のかたまりのようなものです。

私の分身だということは、つまりは愛の要素で構成された有機的存在であるということです。

ここではいろいろな意味で制約を受け、制限された状況の中での体験故に、あなたの愛が閉じ込められ、中からかもし出しにくい状態にあるのみで、元来は私と同様、すべて愛によって思い、行動し、判断するが故に、愛以外のものがあり得ることがないのです。

そのことを、ただ思い出せば良いのです。

この地球上で身につけた(と思っておられる)身の処し方、対応の仕方、やり方をただ忘れるだけで良いのです。

ここでの習慣、ここでのみ通用するやり方、賢いと思っておられる方法をしばし身からおろし、本来のご自身に戻られるだけで良いのです。

勉強したり、身体の使い方を習ったり、動かし方、世の処し方、対応の仕方、この社会の泳ぎ方、飛び方、造り方等々、これまで懸命に身につけたものを一旦取り去り、脱ぎ去る思いになるだけで、あなたはご自分が、本当は此処の存在、ここで永却に生きる存在ではないのに思い当たるでしょう。

いつか・・・それもそんなに遠い未来でない折に、何らかのやり方、方法で、この地を去る予定であるのに思い当たるでしょう。

一時的滞在でしかないのを思い出されるでしょう。

 

そうなのです。

あなたはただ体験に来られています。

それで、いろいろ身につけた周りの衣服のような防具や、便利な道具によって、思い誤る、誤解を余儀なくされているだけなのです。

ですから、その便利(と思っておられる)道具のような考え方、処し方、やり方から離れ、本来のご自身のやり方に戻れば良いだけなのです。

そうすれば、私と同じ愛のかたまり、愛や善意のみの存在としてまた輝けるのです。

地球で身につけた賢い処方等を忘れてみれば、あなたが何のためにここに来たのか、
元来あなたはどこに属しているのか、何を得たいとここに居られるのか・・・を思い出されるでしょう。

そうすれば、愛をこの地で保持し、いつも暖かい心でいるためのやり方も・・・自然におわかりになるでしょう。

競争や闘争はこの地だけのものです。

殺戮や、戦争は言うまでもありません。

美しい心を、それでもいかに保つか。

このような場所でも何とかして、愛の気持ちで行動したい・・・その気持ちを育てるためにあなたはここに降り立ちました。

劣悪と思える環境や状況の中で、いかに愛ある行動をとり、愛を湧き出させるか、愛なき所に愛を生み出せるか、もたらすかを為すがためのここでの毎日であったはずです。

是非、そこを思い出されて、少しでも天の存在としてのやり様、愛の使い方、出し方、本来の愛の存在のあなたとしての生活をなさってみて下さい。

ここは一時の滞在です。

いつか終わる場所です。

体験の場です。

 

あなたがどのように愛をもって生きられるか、

それが問われる場所なのです。

 

今日は少しから口になりました。

お詫びして、再びあなたの愛に心から感謝の意を表します。

(後略)

コメント