イエスの父からの愛のメッセージ

真夜中に「書きなさい」の声で届けられたメッセージ。無宗教の者に届けられる、愛とはなにか、を多方面から知ることが出来ます。

83.殺戮は、鉄砲や、戦車や、大砲がやるのではなく、憎しみで征服されている心がそうさせているのです

2010-05-24 20:55:34 | Weblog

こんにちは。今日もおいでいただき、ありがとうございます。

今回の内容は、父ではなく、宇宙の友人からのものでしょう。


思い返しますと、特にチャネリングが始まった当初は、こういう他空間からのメッセージが多かった

ように思います。とても愛に溢れているのがひしひしと肌に感じられるような、暖かいものが概念と

ともに伝わってきたものです。


今回のメッセージもそんな暖かさとともに送られてきたものです。

一つ屋根の下で、争うことの無意味さ、愚かさを、あらためて感じたいものです。

自分たちが正しい、私たちの考え方、主義、主張の方が優れ、正当である…等々、つい、自分の考え

方だけを優先しがちです。ひとつの地球に居する国家同士も同じことだと、この宇宙の友人は伝えて

くれています。


今、これを読んでくださっている一人一人のこころに、この内容が何らかの響きを起こし、それが、

また、お隣の人に伝えられば、こんな嬉しいことはありません。


それでは、ごゆっくり、できましたら、何度か、お読みいただければ幸いです。

また、次回もお会いできますように。


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ありがとう 眠いあなた・・・でも、お願いするしかないのです。

それでは早速始めましょう。

今朝の話題は、戦争と平和についてです。

いつもお堅い話題なので、少々退屈なのは分かっていますが、許してください。


今、地球上では、各地であまり好ましからぬ状況が起こりつつあります。

各地で、火種が生じつつあったり、くすぶりを続けたり、あるいは消えかかったものがまた燃え盛り

そうな気配を示しております。



私達がこちらから見ておりますと・・・何という愚か(失礼を許してください・・・)なこと

か・・・と内心、とても理解できないのです。



どうして、家の中にいながら、お互い、火を燃やし合うようなことをなさるのか・・・私たちには到

底、理解できないのです。



皆様は、一つの地球という、かけがえのない場所に、同時に居を分け合っています。

生を受けて、そこに皆で同じようなチャンスを与えられて、そこに居られます。

誰が他の者と比較して云々ということのようですが、どうもそこが私達の概念と異なって、

常に上下関係や、良し悪しや、貧富の差が生じているのは、何故なのでしょうか。



勿論、神の元で望んだ体験を積んでいるのだ・・・と、主張されるのは私たちも存ぜぬわけではあり

ません。

全てにその意図と目的が秘めやかに存在するのも、私達自身の、かつてからの体験を通して知ってい

るところではあります。



しかし、そこでしっかり思い出されて欲しいのは、それらの全ての体験は、そこを乗り越えるために

生じているということです。

そういう状況を作らないためには、あるいは、そういう状況を回避したり、よしんばそういう状況に

なった時に、如何にして、愛を持ってそういう状況から脱皮するのかを体験し、学び、会得するため

のチャンスとして与えられているのです。



決して、いつまでも、同じように、お互い憎しみ合い、殺し合いを体験するためのものではあり得な

いのです。

それがどんなに無意味であり、愚かであり、宇宙の法に反する行為であるかを体得する為ではありま

すが、それは既に何世紀にも渡り繰り返されていることであり、願わくは、次のステップ、つまり、

お互いにそういった憎しみや、恨みを通して芽生える反省、自己矯正、修正の段階におられるべきな

のは火を見るより明らかでありましょう。



それでは、こういう状況を脱するには、具体的にどうしたら良いか・・・について考えて参りましょ

う。



誰でも批判するのはたやすいことです。

他者に対してとがめるのは、誰にも出来るでしょう。

私達にとっても同様です。



しかし、私達は、友人であり、隣人であり、あなたの状況を憂慮する者であるが故に、愛をもって、

ここに敢えて、失礼を承知で申し上げるのを許していただきたいのです。



私たちも、かつては・・・悠久とも思える・・・かつての時の流れの中で、同じようなことを試して

まいりました。

同じ星の上で、あちこちで、お互いを傷つけ痛め合って、ついにはその傷が再起不可能になるまで続

けたものです。


そして、私達は、大きく、

そうです、

大きく、深く、傷つけ合ったが故に、

お互い、立ち上がることは二度と不可能なまでに、自分達を追いやりました。




誠に愚かの極みと申すばかりです。


何と言う愚の骨頂でありましょう。


自分の足、健全な足を自分の手で切り落とすようなことを行ってまいりました。


そして、血を流し、肉をそぎ・・・ついに自らの手で絶えるようになったのです。



同じようなことを、この地球の皆様はやっておられるのです。



かつての私達がそうであったように、その方法しか頭に上がって来ないかのように・・・その方法の

みが解決への道であるかのように錯覚しておられます。



ただ一点を見つめ、そこに釘付けされた視点を動かしてみようとなさいません。

一つの道しかあたかも存在しないかのように、一つの方角へと突き進んでおられます。



そういう時こそ、他の道、他の視点、他の可能性に目を向けられる必要性があるのです。

その気持ち、抱いて、抱えたままの憎悪の荷物をよくごらんになってみることです。



「正当性」という包みの中は、どんなに嫌うべきものであるかをよく見透かすべきなのです。

その荷物をしっかり抱き抱え、離さず、力を込めて、それを取り除こうとする手を払っているのをお

止めになることです。


その荷物の中味は、あなたご自身を破壊する物に他ならないからです。



そうです。

私は、争いを手放すための具体的方法をお伝えしているつもりです。



精神論ではないか・・・とお思いでしょうか。

いいえ、私はそういうことを申し上げているのではないことを、ご理解ください、

具体的な回避方法を申し上げているのです。

精神論というのは、別の意味合いだと私は理解しております。



とりあえず、もう少し続けさせてください。



さて、そこで、この胸に抱え込んで手放そうとしないこの荷物を・・・あなたが本当に中味をご覧に

なれば、次の瞬間にも放り投げてしまわれたくなるのを、私はお知らせしたいのです。



その極めて危険な荷物は・・・一刻も早く、手放されんことを、望んでいるからです。



誰にでも、信条はございましょう。

どの国に於いても、信念や、支えられるべき先祖からの教えや言い伝えもありましょう。

しかし、それは、愛を伝えるものであって然るべきものです。



元来、それらの尊い言葉や教え、願いは、子孫や後輩達に幸せになって欲しいが故のものでありまし

ょう。

決して、自分達を傷つけ、痛ませるためのものではありません。


一つの信条や、信念を貫き通すのも、時には尊い行為であることには違いありません。



しかし、再び申し上げましょう。

それは、良きものの、善なるもの、幸せなるもの為にあるのでしょう。

それをもう一度振り返って、それらの意図とするところを汲み取っていただきたいのです。



すべては心の為せる所です。

殺戮は、鉄砲や、戦車や、大砲がやるのではなく、憎しみで征服されている心がそうさせているので

す。



憎しみや憎悪、恨みをお互いに捨てることが、銃を捨てることなのです。

具体的で、必須的、根源的な方法は、それなのです。



あなたがそれを始めるのです。

相手を待つのではなく、あなたご自身がまず、勇を持って、手を差し出し、握手を求めるのです。



お分かりでしょうか。

それが本当の勇気でありましょう。



地球が、あまりにかたくなになった我利の様相を見過ごすことが出来ず、失礼を省みず、申し上げま

した。


お許しください。


あなたを愛するが故です。


友を大切に思うが故です。


いつか、私達は、肩を並べ合い、手を握り合い、ともに活動できる日が参りましょう。

その時を、とても楽しみにお待ちしております。

それでは、今日の大切な友へのメッセージを締めくくることに致しましょう。

ありがとうの言葉とともに、愛をどっさりここに置いていくのを、許してください。



愛と感謝、そして、大きな深い友情を受け取ってください。

ありがとう 

ありがとう 

LOVE 

LOVE 

LOVE

コメント

82.人間の本質は、同等で同質、同じものを共通に分かち合っていることを思い出されてください

2010-05-19 15:50:33 | Weblog

今日もお越しいただき、ありがとうございます。


あなた様は、毎日生活をしておられて、一体、なんのために、毎日毎日、朝を迎え、夜を迎え、ま

た朝になり、生きているのかをお考えになることはあるのでしょうか?



私たち誰にでも、この人生を生きている目的、意義、学びがそれぞれに特別のものがあるはずなので

すが、毎日のあれやこれやに心を奪われ、この「何のために生きているのか」をすっかり忘れてがち

です。

実際、そんな高遠な生きる目的を考えるより、仕事をなんとか続けて、生活の糧を確保する方が大切

、悠長なことは言ってられないの・・・というのが実感ではあります。


ましてや、地球に生まれてくる前に約束したことを思い出しなさい、などと言われても、「そんな~

・・・あたし、一向に記憶にございませんが・・・」と、困っちゃいますよね。

そもそも、そんな約束したこと自体、信じがたいのが実際です。


私も、多かれ少なかれ皆様と同じようなものですから、時折、これからお読みいただくように、「し

っかりしなさいよ、あの時の初心はどうしたの?」と言われてしまいます。「忘れちゃったのですか

~、しっかり思い出して、ちゃんとやるべきことをやってから還ってきなさい」ってなことです。


今回の内容は、ずいぶん、個人的なことが述べられておりますので、中略ということにしてはずすこ

とも考えましたが、この「私」個人への言葉は、内容は異なれ、一例にすぎず、お読みいただいてい

るあなた様にも言えることでありますので、誰にでもしっかり生きておられる目的ややるべきことが

おありであるのを知っていただきたく、あえて、省略せず、そのまま載せさせていただくことにしま

した。


私とて、そうか、それじゃ、一生懸命やるか・・・と思い、これからの余生をしっかり悔いなきよう

大切に、約束したことをやりましょう・・・と勇気をふりしぼって、微力ながらがんばって生きてい

こうと奮起をしております。


皆様も、よ~く胸に手を当て、静かに心の声に耳を傾ければ、おそらく、あなたがこの人生にやりた

いと決めてきたことに思い当たるかもしれません。是非、埋没しそうなそのかそけき声をお聴きくだ

さって、有意義な毎日をお送りなさいますように。


個人的なことで、お読みにくいところがあるかもしれませんが、無視していただき、これは飽くまで

も、たまたまメッセージを受け取れただけにすぎない一例であることをご考慮いただき、少しでも参

考にしていただけたらと思います。


それでは、前書きがながくなりました。それでは、ごゆっくりどうぞ。

今日もありがとうございました。

また、お会いしましょう。


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さあ、それでは始めましょう。

美しき朝にふさわしい題、内容に致しましょう。



小鳥のさえずりは私の声・・・と、お聞きください。

私はあなたの傍らに居て、あなたに常に話しかけているのを知ってください。

私は、あなたの傍で、常にあなたに何かを伝えたいと、その機会を与えられる時を待っているのをご

存知でしょうか。



あなたは、常に、そちらの物質界におられて、あれこれと頭を悩ませ、あっちへ行ったり、こっちへ

動いたりと、身体を持って活動されておられます。

それによって、あなたの心は満たされ、一杯になり、他のこと・・・例えば、私達との約束や、ご一

緒にやるべきことが、霧の彼方に忘れさられそうになるのを察知すると、私達、仲間・・・あなたの

仲間・・・は懸命になって、あなたの心、あなたの精神をこちらに引き戻そうと努力します。



こんなことを繰り返しているうちに、そちらの年月では、もはや何十年も経ってしまいました。

幸い、健康に保つことに努力されておられるので、まだまだ時間はありますが、これからは、可能な

限り、私たちと交わした約束・・・つまり、地上に愛を下ろし、愛を知らしめ、その効用と使い方を

知らしめ、人々の愛に役立つという活動にエネルギーと時間を貰っていただけるようお願いしたいも

のです。

そのために、私達はいかなる努力も惜しまないつもりです。



さて、それでは具体的に、何をどうすべきなのかについて言及いたしましょう。

あなたは躊躇されていましたが、大分、この点については解消が見られて、大変、勇気を与えられて

います。

これが解決された今、あなたのやるべきことは「進む」ことです。

この道を仲間とともに・・・地上に居られる仲間とともに力強く歩を進めることです。

あなたが、なぜ六芒星を腕に持つのか・・・を今一度思い出されることです。

そのために、その印が与えられています。



迷う時、この星をご覧になることで、あなたは道を思い出し、行くべき方向を知ることでしょう。

あなたがこの愛を知らしめることの中には、その具体的な使い方を皆さんに知っていただくことが、

含まれているのは言うまでもありません。

如何にして、このふんだんに与えられているエネルギーをこれからの「生きる」ための糧として利用

していけるかを示し、教えることです。

今、あなたが使っている方法はほんの何百分の、いいえ、何何分の一、何億分の一の使い方に過ぎま

せん。

それは多くの可能性を与えてくれます。

例えば、健康に役立てることは勿論、将来的には個人的飛行車のようなものの原動力にも使えます

し、空飛ぶばかりでなく、伝達の手段や、コミュニケーションの主なる原動源として使うことが可能

です。



この伝達は、人間同士のみならず、先に必ず生じる必要性と楽しみの為の異文化交流・・・これは

異星間に交わされるものですが、そのために必須となるものです。

これは、ほんの一つの利用例に過ぎません。



あなたの目には認識されないけれど現存するものがあることは、既にご存知のことでありましょう

が、この私の、今言及しているエネルギー源は、これからの未来のすべての生活を大きく変えるばか

りでなく、この地球の存続にも関わる大きな恩恵をもたらすものであります。



このエネルギー源を如何にして開拓していくか・・・の入口に、今あなたは立っておられます。

その中のお一人があなたです。

いわば、科学者、化学者と呼ばれるような方もおられますが、思慮の深さはあなたも同様であり、ま

た、この道を開いていく力も同等におありです。



つまり、あなたが、科学者と称される原論や説明をされなくとも・・・その方法をご存じなくとも、

その使い方を示すことで、その人と同等、それ以上のことを実現することは、大いに可能であること

をここで明言しておきましょう。



理論や説明は、この自然、宇宙の法を明らかに説き明かすことではありますが・・・例えば、水の美

味しさや、必要性をその成分から説き明かすことより、実際に口にしていただいて、その実感を得て

もらうことの方が、時にはもっと大きく「物を言う」場合もあるのです。


あなたは、いわば、そういう役割を担っていると、お考えください。



愛のエネルギー・・・神の与えた全ての存在に普く使われるよう、役立てられるように差し出された

ものをしっかりと目的に叶った方法で役立てることが出来るように、あなたが、まず、一般のごく常

識的な方々にお示しになることです。



宗教や、セクトやグループや、信じることが何であれ、問題はないということ、それは単に、あなた

がどこの文化圏で、どんな刷り込みや継承を引き継いだかということで、決して、本質を問うもので

はありません。



人間の本質は、同等で同質、同じものを共通に分かち合っていることを思い出されてください。



その本質にとって、このエネルギーが如何に必要であるかを考えるには、今の地球の人々の現状、特

に心の問題の未解決さをご覧になることで、垣間見ることが可能でしょう。



人間の進化によって、必要となるもの、置いてくるもの、離れ手放すべきものも、異なってくるのは

当然のことといえます。

進化を歩んできた今、これから将来必須となるものは、目に見えないこのサトル(微細な)なエネル

ギーを生活や生きるプロセスに利用することに他なりません。

科学を身につけて、「さて、どうしたものか」と思案中の方には、それなりの道が開かれるように、

あなたにはあなたのするべき道が示されるでしょう。

もう既に、始まっていると言って良いでしょう。



多くの人々に、この波動となって届く確かなもの・・・さわってみても堅さはなく、指に物として感

じられないもの・・・は、あなたを通して、多くの人に知っていただくことが可能です。

勿論、あなたお一人ではなく、他にも多くの方々が同じような努力をする必要があります。

それでは、その具体的な方法についてですが、あなたが既にやっておられる方法は、まずスタートと

して充分でしょう。

あなたに多くのアイディアや、方法をこれからも随時必要な時、段階、プロセスに応じて、充分間に

合うように指示していくのはこれからも変りません。


具体的な方法や、やり方は、あなたのご協力も必要となりましょう。

どうぞ、この共同作業を楽しみにしておられてください。

それでは今日のメッセージは、この位にしておきましょう。

これからを楽しみにしています。

それではいつものように、多くの愛と深い友情をここに置いて参りましょう。

コメント

81.言葉の裏に存在する、愛の波動を感じる心を、自らの心に蘇らせることが必要です。

2010-05-11 22:04:22 | Weblog

今日も訪れていただき、ありがとうございます。

風邪の微熱のためか、もともとの頭がついていかないのか、今回の内容は自分としてはちょっと分か

りにくいところがあります。

「パパ~、お願い~…もう、ちょっと易しくして~…」とつい喉から出そうです。



「言葉」も、もともと魂の存在である私たちが、言葉あってのことを体験するためにあるのだ、との

説明に、ああ、そう言えば、そうかもしれないと思います。

情報産業が発達し、常に情報がやりとりされ、当然のように経済活動に組み入れられ、そこで力を握

ったものが、世を制す、ばかりに人々をコントロールするパワーをつけていくのを、あれよあれよと

目にしているような昨今です。でも、そうは言っても、一方で、人々はそれを賢く利用する力もつけ

つつあるのかもしれない、とも思います。


これも大きな目で見ると、地球上のみんながこういう体験をすることで、大切な何かを学んでいるの

だろうか、と思います。


「地上での体験に依って影響を受けた部分は、遅かれ早かれ浄化され、脱ぎ去られ、本来の部分に還

っていくのです。」という父の言葉が、現在の世の趨勢に一縷の望みをつないでくれます。


どうぞ、何を父はおっしゃろうとしているのか、がんばってご理解いただきたいと思います。

私ももう少し努力してみたいと思います。

(風邪も大分良くなって再度読んでみましたら、それほど困難ではなく、良く理解できました。)



それでは、今回もおいでいただいたことを感謝申し上げます。

また、次回もお会いできますように。


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今日の話題は愛の言葉について言及致しましょう。

愛の言葉は、単なる言葉、言語以上のものがあることについて、ご説明しましょう。



何の言葉でも、その語感があります。

その語の感じさせるものがあります。

それを生じさせるもの、心に波動の反応を起させるものがあります。



それが言葉の本来の役割であるとも言えますが、物質的、身体的、意義的交換、交流が主なる目的、

いいえ、唯一の目的とさえ勘違いされている現今、言葉の奥にある本来の「心を伝える」ものが軽視

されているのは否めません。




何事にもいえることですが、進化の過程には多様の変化、経験が待っています。

この言葉の使い方にしてもそうです。



初めは、心の動きを通した物への影響を伝える為の言葉が、複雑化、多様化して、あたかも、多様な

文化内容、行動様式、種類、伝達必要性に即したもののみの為に存在するかのように使われる時期も

ありました。


そのプロセスをわずかに通過した今、人々は心について、また、考察しながらの言葉の可能性につい

て再び気を配り始めているのは、これは喜ばしい進化と言えるでしょう。



本来人間は、心の存在であり、心のエネルギーが全ての存在の本質であることをかんがみる時、これ

は当然であるとも言える傾向でしょう。



さて、愛についての言葉について、しぼって語りましょう。



心の作用には、光の揺れが関係しているのは、ご存知のところでしょう。

この光の揺れを、言葉という「音の連続」としての波動に還元して、他者に、出来るだけ正確に最小

の誤差で移行させることから、元来始まったのが伝達です。



この伝達は、他者という心、光の組成や、ゆれの形式の異なる者同志が、光のみの存在である時に

は、とても簡単で正確に伝わるべきものが、一旦、この肉体という容体、容器に入ると、この波動が

あまりに微細なために正確に受け取られなくなる故に、考え出された仕組み、工夫なのです。



この言葉は、この容器の一部を使って、容器の中に収められている波動を変化させるのですが、この

容器を使う意図と、伝えられるものの意図にずれが生じることが少なくありません。



つまり、伝えたいと思う心の内容と、口にする言葉の伝えるものの間に差があるということです。

意図的、非意図的、双方に生じる事があります。



そこに言葉の複雑性、不的確性が生じるようにもなりました。

もう一つは、言葉が容器の性格に依って、解釈が異なってきたということにも、この複雑性、不的確

性、不確実性がさらに大きくなってきました。



つまり、各人が各様の言葉についての概念、使い方、理解の仕方が少しずつ異なってきたからです。

言葉の数がごく限られており、文明が単純である時代には、この正確性も目に見える形で、皆に認識

可能でしたが、文明が深く、広くなるに従って、言葉数や意味も深く、広くなり、その組合せが膨大

になるにつれ、本当の意味からのずれや不的確性を云々するより、その流れに沿うことそのものにエ

ネルギーが使われるようになってきました。



心に関しての言葉についても同じことが言えます。



人の心の複雑化によって、心の動きや内容を示そうとする必要性が生じ、言葉もどんどん作られて、

その数は多くなる一途をたどります。

心の小さなひだや、そのゆれを正確に伝えようとすればする程、言葉もその数が増えていきます。

しかし、本来、心は同じものなのだと言えます。



本来、心は複雑化しているように見えますが、実は元来、言葉で表されるようには変化、成長してい

るものではありません。

元々、大きなものであるからです。

元来、成長も変化も含んで、元々、そこにあるものだからです。



人間の地球上での進化に伴って、言葉が複雑化したに過ぎず、魂の部分は、何らの変化もありませ

ん。

ただ、体験が増えただけです。



体験は魂を豊かに進化はさせますが、魂本来の光は、大元の源に還るための作業を続けるもので、決

して変化、影響は地上での意味とは異なっています。




つまり、魂の本来の愛の根元は、地上での体験がどうあろうと変るものではありません。

地上の在り方や、生活の中で、如何に怒り、憎しみ、怖れなどを体験したとしても、魂の本来の姿、

愛であるという究極の在り方には、変化はないのです。

愛そのものであるという本来の光の部分は、それらの影響を受けずに存在するものなのです。



地上での体験に依って影響を受けた部分は、遅かれ早かれ浄化され、脱ぎ去られ、本来の部分に還っ

ていくのです。



さて、そういう魂の本来の姿が、人の中に在るということは、言葉にもそのことが現れるのが自然な

のです。


その言葉の固有の意味や、語感、音の出す波動によって、私達の光の揺れに反応が起こる時、大切な

のは、その表面的な、作られてきた部分の裏にある、魂の愛の部分を見ることなのです。


多くの言葉が使われて、その意味を考えることや伝えることに気を取られたり、忙殺されることで、

人の持つ本来の姿、愛を見ない、愛への焦点は大きくずれ、長いこと忘れ去られて来ました。

それをもう一度、思い出すことが必要です。



言葉の裏に存在する、愛の波動を感じる心を自らの心に蘇らせることが必要です。

人工的なこと、地上でののみ通用するやり方から、宇宙のどこででも伝達可能な通信手段に少しずつ

移行することが、これからの進化のあり方です。



形式や、様式にあまりこだわらず、その中味を見据えることをお勧めしましょう。

今日の話題は、解り難いところがあったでしょう。

それでは、今日はこの位にしておきましょう。

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