イエスの父からの愛のメッセージ

真夜中に「書きなさい」の声で届けられたメッセージ。無宗教の者に届けられる、愛とはなにか、を多方面から知ることが出来ます。

54.私は創造主の遣いとして、即座に、あなたに、すべての事に対して対応し、後援するために居ます

2009-10-29 16:52:54 | Weblog

今日は、内容は父からの言葉に似てはおりますが、送り主は私たちより進化した

「宇宙の仲間」のようです。


私たちは、毎日毎日、風が吹いた、だの、天気になった、だの、晩ご飯はどうしよ

うか、子供が中学生になった、うちのダンナが浮気した、どうしてやろうか、等々

思い悩むうちにいつしか年を取り、そのうち、後期高齢者になり、寝たきりにな

り、気がついたら、「死んでた・・・」ってことになる・・・そして、初めて、

「アラ、地球って、案外、小さいじゃないの・・・それにしても、ワタシって何

て、馬鹿な生き方をしてたのでしょう」と気づくのでしょうか。


とりあえず、今日の別な次元の仲間からの視点をお読みいただき、しばし、ご自分

の人生を振り返っていただければ幸いです。

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さあ、始めましょう。

愛はどんなに遠くへも届きます。どんな宇宙のすみずみへも、しっかりと届きます。


さて、私達がどれ程、地球の仲間を愛してやまないかについて、今日はお話してま

みましょう。


私達は、宇宙の仲間だと申しました。

本当にそうなのでしょうか?

宇宙にはどういう仲間が居り、どんなことをやって毎日を暮らしているというので

しょうか。



私たちは、根本的にあなたと同じです。

私はあなたなのです。

私はあなたと一緒なのです。


どういうことか、お分かりにならないかも知れません。

つまり、次のようなことです。



私は、多くの時間、多くの距離、多くの空間を旅してきた存在です。

実に多様なことを見聞きし、体験してきた存在です。

そして、悲喜こもごもの心をも見聞き、実体験を重ねて今にあります。


これはある意味、気の遠くなるような体験ではありました。

野を越え、山を越え、海や河を乗り越え、行き着いたところが、今在る、ここであると

いえます。



かつて、私も地球のような三次元、二元性の星に生きたこともありました。

他の様々な星で、様々なその星に特有の体験をして、やっと今にたどり着いたとも

いえます。遠く、遠くからやってきた旅人です。



しかし、これは逆説的ではありますが、実に昨日のことのようにも思われます。

つい、先程、身に起こったことのようにも感じます。

しかし、私の中には相当のデータ、情報、積み重ねが存在していることからする

と、私の旅は実に多くの時間を費やしたに違いありません。



皆様は、おそらく、私の振り返ると見える旅の道のどこかに位置しておられるので

しょう。

何かを考え、感じ、体験しておられるに違いありません。

宇宙はそんな所だからです。



私は、嫌だ・・・もう旅したくない・・・と仮に思ったと致しましても・・・旅は

続くところなのです。

しかし、勿論、休むことは可能です。

どんなに永い時間であろうと、どの旅の途上であろうと、あなたは好きなだけ休

み、好きなだけ無の状態、空の有り様でしばし居る事は可能です。



しかし、またしばらくすると、あなたは立ち上がり、歩を前に進められることでしょう。

そういうものだからです。



さて、そういう旅をしている存在が、どこにも・・・どの場所、次元にもいる・・・

のですが、その存在は皆、ある意味、繋がっており、すべてが仲間、兄妹、神の元で・・・

創造の源ではひとつであったものです。

それが多様な個として、あちこちで旅をしています。



何のために?・・・それは今までも色々な形でご説明してまいりましたごとく・・・

愛を知り、行えるようになるためです。

愛の深さを完璧に知るためです。

それが実際に可能かどうかは、私にもわかりませんが、少なくとも私はそこを目指して、

今だに旅を続けているものです。

そして、私は今、こうして、ここであなたに、地球の皆様に、愛を伝えたいという

ところまで参りました。



愛とは何か・・・すべてが一つだと知ることでもあります。

あなたは私、私はあなたであることを、身をもって体験できるようになることです。

細胞の一つ一つで、それを受け止め、筋肉のひとつひとつで愛を表現、実行することです。



愛は決して、あなたの思うように、受け取るのが重いものでもありません。

肩にのしかかって、歩くのに荷物になるようなものでは、決してありません。

愛を与えられた人が困るようなことが愛だとしたら、宇宙は大変なことになりましょう。


愛を重く感じる・・・ということは、まだ愛についての認識が充分ではないということです。

愛は受け取れば受け取るほど、あなたの心は遠くへ、深く、広く、跳べるほど、軽

やかになるのが本当です。

重く感じるのは、あなたの個の何かが、そうさせるだけなのです。

それが何なのか、を知るために、あなたは今、そこに居られます。

そこに居て、愛を勉強中といったところです。



色々な愛の形を知り、ベストな・・・純粋と申しますか、本来の、あるべくしてある形に

還るのが、その勉強の目的であります。



また、今日も、抽象的、観念的だと思われてしまいます。

しかし、こういうご説明しかできないのが、この地球の範囲なのでしょう。



この星を見回して、何か使える道具、表現できるスクリーンはないかと捜してみても、

私にはあなたを通して、この言葉を通してお伝えするしか方法が見つかりません。

あなたに、これ以上の形で動いていただいたり、作用していただくことは許されるものでは

ありません。


あなたには、あなたがここであるべき形態があり、そこに在ってこそ、あなたがあなたで

おられるのを考慮する時、私はこれ以上のことができないのです。



ご説明する時、私はご説明すべきかよく迷います。

迷うというより、選択の余地がないことに狭さを感じます。



私の慣れた世界には、多様性がもっと違った形で存在するので、この地球のものに

対応しづらいのは、お許しいただくしかありません。



さて、このことはさておいて、愛をお届けに来ている私は、この行為によって、なにを

したいと思っているのか、つまり、ここにこうして訪れている目的は何なのか、について

もう少しお話しましょう。



これまでも、述べてまいりましたが、地球は宇宙の仲間、宇宙という一つの世界の一住民、

一つの家族のようなものです。

地球は町の中の一つ家のようなものです。

そこの住民達、ごあいさつに来て、この町に住むことはどういうことなのかを、お知らせに

来た町内の世話役のようなものです。

町内にはこういうものがあり、守りたい皆のマナーを知っていただいたり、町の行政の

ようなものに少しずつご参加いただくことも視野に入っておりましょう。



地球の目覚め・・・は新しい家族が町内に入って来られ、家の中の整理に多忙であったのが、

それも一段落ち着き、引きこもりのような状態から、窓の外の世界に気づき、窓を開け、

新しい空気を内に通そうとなさるようなものです。

いつか、玄関のドアも内から開けていただけるようにもなりましょう。



私は、その窓から入る風になりたいと、欲しているものともいえましょう。

新しい、気持ちのよい、春の風・・・夏、秋・・・冬は少し敬遠されましょうから・・・

暖かい愛を運ぶ風になりたいと欲しているものです。

あなたを通して、この宇宙の広さ、懐の深さ、暖かさを知っていただきたいと訪れています。



私は、多少とも、経験を積んだ先輩かも知れません。

何でもお尋ねくだされば、出来うる限り、お答えする容易がありますし、

私には多くの善意の仲間があり、彼らはすべて私と意を同じくしています。



あなたは、皆様がその地球で色々なことを体験しておられ、夢中になって苦楽に巻

き込まれている時、もう少し目をご自分から離し、周りをご覧になることで、どん

なに展望が開け、楽になるか・・・もっと愛に満ちた大いなる世界、仲間がひかえているかを

知っていただきたいのです。



私は、いつもここにいます。

私は創造主の遣いとして、即座にあなたにすべての事に対して対応し、後援するために居ます。

お仲間・・・あなたの周りにおられる人達にお伝えいただきたいのです。

私はあなたです・・・と。

私はあなたと同一であり、ここにあなたの片割れとしてあなたを後援しています、と。

何が起ころうと、体験であり、旅のひとこまであることを、しっかり認識されることです。


愛への帰還への道・・・その途上なのです。


そこには多くの旅人が共に在り、いつでも手を貸す用意が出来ていることを

知っていただきたいのです。

それが今日の大きな目的のひとつです。

それでは、今回はこの位にしておきましょう。

コメント

53.体験に手を貸す人々は、悲しみをもたらすものであろうと、愛しているのだというのを忘れないで下さい。

2009-10-23 15:21:14 | Weblog

今日の父の言葉はどなたにも特に参考になることが伝えられています。

毎日の生活の中で、職場でとか、近所でとか、時折、「アイツにくらしいやつ

だ・・・」とか、「あの人、どうも好きになれない・・・」とか思い、悩むことも

ないことではありませんよね。


でも、今日の父の言葉を読むと、ああ、そうなのか、と思い直すことが出来そうで

す。

実際、催眠療法で、人間関係のもつれやトラブルの原因を探すセッションをするこ

とが多いのですが、カウンセリングをする時は、多分、こういうことが根にあるの

ではないか、とか、生育歴に何かあるのではないか、等々、推測しますが、ほとん

どの場合、そんなちっぽけな常識や憶測は大きくはずれ、天の摂理の深さ、愛の多

様性が、善意と愛の意図の元に展開していることを知り、言葉には表せないです

が、深い感銘を受けます。


今日もごゆっくり、お読みいただけますことを願っております。

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さあ、それでは表のメッセージは、もっと身近な人への愛、不特定多数の人達への

愛ではなく、特定したあなたの周りにおられるご家族や友人、または知人に限った

愛について言及してみましょう。


愛とは元来、限られると言う言葉はあまりふさわしくないのですが、今回は、限

る・・・というより、特定した愛についてこちらからの見解を述べましょう。



あなたはいつもお考えです。

愛とは何だか捉えどころのない、はかない、移ろい易いものだから、愛のあるう

ち、こちらに興味が向いている時だけ、関心や行き場があるものかもしれないと、

そして、本当に・・・それも限界はあるが・・・信頼できるのはごく限られた家族のみで

はないかと。



そのお考えについては、これはご最もなことと察します。


が、私からの見解はこうです。


あなたご自身が、今、とても限られた・・・まるで節穴からすべての世界を覗き見し

ているような状態で、生きておられるのだ・・・ということは何度か以前にも申しま

した。

愛、友情についても、同様なことが言える状態です。



あなたは、まるで、大きな円いタンクの中に押し入れられ、覆いをされて、限定さ

れた人達と共に生活を共にし、その中でのみ生じる現象を味わっており、そのタン

クの外には大きな空や、美しい太陽が照っているのもご存知ないような・・・例えて

言うと、そういう状態の中にあります。



従って、愛に関して私が述べる時、私の内容が納得いかなかったり、ご理解できか

ねることがあるのは、避けられないところでしょう。


しかし、それでも尚、私は今、試みたいと思っています。


タンクの暗やみの中でおられても、いつか大空の清清しさや大きさを察するだけで

も、そこで居られるお気持ちが少し軽くなるかもしれないからです。



さて、いつも前書きが長引き、あなたは少しがっかりというか、書く気持ちを失い

かけます。


急ぎましょう。


ご家族や友人達、仲間たちは特別であるのはご存知の通りです。

この世で生活や時間、体験を共にすることで、学び、歓び、気づきを起こそうと約

束をし、予定を立てた仲間達です。

その一人一人に各々のプランがあり、その中で遂行すべき学びがいくつか決まって

おり、お互いにその実行に一役も二役も果たすようになっています。



いいえ、肯定的な言語で表されない内実も、時には憎くべきこと、体験さえ愛から

の派生であるのです。


そうです。すべてが・・・起こりうるすべてが愛から発生しています。

あなたの敵を愛せよ・・・というのはこの意味からも正しのです。

あなたを憎む人、あなたの敵は、実は友であるのです。

あなたを本当に憎んでいたとすれば、あなたの近くに寄ることはなく、遠くから関

心を寄せる事もなく、あなたに一瞥を与える事もなく、存在自体を知らないでしょ

う。



あなたの体験に手を貸す人々は、例えそれがとても悲しみをもたらすものであろう

と、あなたを愛しているのだというのを忘れないで下さい。

家族や友人としてあなたの側で声援を送ったり手助けする人達は、言うまでもな

く、あなたを愛する人達です。


彼らは、多くの場合、あなたからも愛を与えられます。

お互いに与え、与えられる関係で生い立ちます。


しかし、ここで忘れられてはならないのは、お互いの学び、成長です。



ここ地球上に降り立つ元来の意味、目的は体験の中から何かを得ることなのは、す

でにご存知の通りです。

従って、家族、友人であったとしても、あなたとの関係は、すべからく何かをお互

いに分かち合うためです。


行き違い、仲たがいを仮にする関係から何かを会得する・・・例えば、許しを体験し

たり、許さざるをもって、また許すことを学んだり・・・多くのここならではの学び

をなさいます。

その時、多くの人達は、感情的にからまって身動きできず、身を滅ぼしかねないよ

うになり、病を発生する原因を作ります。



感情は、多くの場合、あなたの身体のスイッチを入れたり、切ったりする原動力と

なります。

感情は、あなたが何をどう捉えるかに依って、右へ振れるか、左へ振れるかが決ま

ります。

あなたの考え、意識一つであなたの感じ方が変るのです。



ですから、本当に大切なのは、どうしてなのか、何故そういった感情が沸き起こる

のかを冷静に知ることです。


あなたが怒りの感情に身を捉える前に、少しの間、怒りがどこから発生するのか観

察できたら、如何に感情的に激するのが無意味かお分かりになるでしょう。



お互いがお互いのために存在し、お互いを助けているのだと知れば、例え、仲が悪

く、最悪に組み合っているとしても、その体験を与え合うかけがえのない人なのだ

と理解して、腹の底から憎み合うことは少なくなるはずです。



お互いが衣装を着あって、舞台の上で演じている時、本当に心の底からその衣装の

中にいる素の人物を憎む人がいないのと同理のことです。



今、地球上で、時には家族、親子、兄弟が悲しい事件を起こしあっています。

これらは、この演じあって、助け合っているのを忘れているからに他なりません。

愛し合っているが故に、適役、憎まれ役を引き受けてくれているのに気づかない故

の、大きな間違いに他なりません。



あなたが、その腕を使って、もっと多くの人にお伝え下さい。

人々はもっと愛し合うべきだと、知らせてください。

いいえ、これはあなたの言葉ではなく、私からの伝言だと明言なさってください。



私は父、皆様の父です。

多くの人達を愛し・・・見つめ・・・導く・・・天の主とも言える者です。


しかし、悲しいことに、ここの人達に届くのが、時にはとても難しいのです。

あなたが、その身体、手を使って、私の心を伝えてくださる時、あなたは私のため

に働き、私のためにその身体を労しておられます。

私はあなたに相分のお礼を差し上げたいと考えています。

それが何か・・・を、楽しみになさってください。



さて、話題がいつものようにそれました。

神サマは全能でなかった?・・・とあなたの心に疑問が浮かびましたネ。

私が全能か否か?


それはとてもおもしろい発想です。

何を持って能力と称するか・・・が、私の見解と少々ずれています。

能力とは~をする、~が出来るというものに限りません。

何かを包する、容する、含合する・・・という意味も併せ持つのを知ってください。


あなたは私の内に在ります。

あなたの能力は、私の能力でもあります。

従って、全ての人の能力は、私の能力でもあります。


全能・・・それはこういう意味にもなるでしょう。


さて、それでは、今日のメッセージをここでまとめますと、あなたの周りにおられ

る人達は、由あってそこにおられる・・・目的、意図、そして何よりも愛を持ってそ

こに配されているのを、思い出していただきたい・・・それが今朝の私からの伝言で

す。


そして、あなたがそうして私に協力されておられるのを、私が特に感謝しているの

を知っていただくと共に、このことを少しでも多くの人に配していただき、この世

でお互いを慈しみ合い、お互いを大切にして、毎日のそこでの体験を味わっていた

だきたいのを、お伝えください。

コメント

52.外的条件で愛が左右されるのを体験出来るのも地球ならではです

2009-10-16 21:07:31 | Weblog

今日もお出でいただき、ありがとうございます。

皆様に父の言葉をご紹介したいと思い、暇があると次はどれがいいかなと考えた

り、楽しんだりしております。

が、正直、時折ですが、ちょっと躊躇することがあります。

内容が、どう見ても現実離れしているよなぁ~・・・と思ったり、地球じゃ、そう

はいかないわ、と思うからです。

「パパは理想的すぎるんじゃない?・・・」と言いたくなります。

まあ、立場が立場でいらっしゃるから、仕方ないのでしょうか?


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さあ、それでは、今日の話題にまいりましょう。

今日の話題はまたまた、愛についてです。

そうです。また愛についての解説です。


愛は尊いものであると言う点についてご説明する為に、愛は得がたいもの、「有難

い」もの・・・と思われる側面について語りましょう。


愛について、これまで、どこにでも偏在し、常にあなたが受け取るべく用意されて

いるものだとお伝えしました。

誠に、そのとおりです。


すべては与えられており、それを手に取るかどうかは、すべてあなたご自身の選択

に委ねられています。

あなたが拒否するも良し、手を伸ばし掴み取られるのも良し、・・・どちらでも良

いのです。

すべては自由なのです。



その一方で、ここが私達、宇宙の仕組みを少しでも知ったものにとって興味深いの

は、宇宙は多様であり、あなたにとって自由であるものが、他方にとって自由でな

く、得がたいものであるように写る側面があるのを知り得ます。



つまり、同じものでもその受け取り方によって、得がたかったり、掴み取り自由の

ものであったりするのです。



どういうことかと申しますと、例えば、こういうことです。

仮に、あなたが異性で大変醜い容貌の持ち主であるとします。


人は、過酷な一面を持っています。

容貌の醜さを受け入れ難く、あなたに近づく人が少ないとします。

まして、あなたに心から愛を表し、あなたと愛を持って交わろうとする人はなかな

かいないとします。

この場合、愛は得がたいもの・・という風に感じ取られます。



しかし、これとて、本来は選択によって、外貌を醜くしているのですから、本来

は、このことによって、どういう体験が可能かを知りつつあるという価値あること

の中にいるだけなのですが、当人にとっては、少なくとも顕在意識の中では、愛さ

れることはとても難しい「在り難き」ものであるに相違ありません。



いいえ、・・・人は外観ではありません。・・・中味です・・・という声が聞こえ

そうです。



人には心があることはこれまで再々お伝えしてきたところです。

心が美しければ、外貌とは関係なく愛される・・・とは、ある程度、真実ではあり

ます。

しかし、この地上で身体を持ち、物理的環境に入った途端、あなたの存在そのもの

がその要因に大きく左右されることは否めないのです。



この、外的条件によって、愛が左右されることを、身を持って体験出来るのがこの

地上の特色の一つでもありましょう。



さて、この愛の得がたきもの・・・というもう一つの例を申しましょう。



あなたが仮にとても大きな傷を心に負った過去を持っている、としましょう。

愛によって、大きな失敗をした・・・と、自分で思うようなことがあった、と致し

ましょう。

この「失敗」が、本来は、純粋な失敗というものはあり得ないために、これは言う

までもなく、ご自分が与えた評価に過ぎないのですから、あなたがこの出来事を否

定的に解釈しているだけなのですが、とにかく、大きな失敗によって深い傷をもっ

ていると致しましょう。


こういう場合も、とても愛に対して臆病になることが多々ありましょう。

また、失敗する・・・また痛い目にあうかもしれない・・・という怖れが、愛を遠

ざけてしまいます。

愛が、得がたきものとなってきます。



また、もう一つの例を申し上げましょう。

あなたが子供の時から、今まで愛されることがとても少ない人だったと致しましょ

う。

つまり、愛を知らない・・・愛の良さを体験するチャンスがなかったとしましょ

う。


そういう場合、愛を何たるかを知らず、また愛の与え方、受け取り方に慣れており

ません。

目の前に愛を差し出されたり、愛で囲まれた時にも、あなたはそれに手を伸ばした

り、身を委ねる術を知らない故に、・・愛が得がたきものとして、結果的になって

くる可能性があります。



もう一つの例を挙げましょう。

もし、あなたが、私は愛される価値がない・・・と、何らかの理由でかたくなに信

じているとしましょう。

この場合も、受け取り拒否ですから、当然、得るのが拒まれて、愛は得がたきもの

になるでしょう。



もう一つ挙げましょう。

あなたが、もし、山の上にたった一人で仙人のように人と交わることなく住んでい

る、としましょう。

周りに居る人は、皆無だとしますと、少なくとも、人からの愛は物理的に通常得が

たいものとなります。

これも、ご自分の選択ですから、愛を受け取るのを必要としないか、遠ざけている

か、ですから、結果的に得がたきものとなりましょう。



こういう例には、枚挙のいとまがない程、「愛は得がたきもの」として、理解され

ることが少なくありません。



一見、これらは、あなたに無関係に思われるかもしれません。

私は、それ程、醜くもないし、隣近所もある所に住んでいるし、人とは良く交わっ

ている・・・まして、心に愛によって大きく失敗した過去もないし・・・私は愛を

大いに受け取り、与える用意はありますよ・・・と。


本当にそれなら、大変、歓ばしいことです。

祝福に大いに値するところです。


しかし、まだまだ多くの人は、程度の差こそあれ、例えにあげたようなことが、心

の中に存在していることがあります。

「そう思っている」「そう信じている」だけかも知れません。


否定的に思うこと・・・だけでも愛を遠ざけてしまいます。

自分は愛される値なし・・・と、ご自分で密かに思っている人がいるとしたら、私

はここでしっかり大きな声で申し上げましょう。


あなたは愛される価値が十二分にあります!と。

あなたは神の子です。

あなたは創造主の一部です。

創造の根本は、愛のエネルギーです。

あなたは愛の一部です。

あなたは元々、愛を持ち備えた存在なのです。

どんなに外観的に美しくなかろうと、どんな深く愛に傷ついていようと、どんなに

愛に疎遠であろうと、あなたは愛される価値があり、資格があり、愛が得がたきも

のであることはないのです。


それは一見の偽りの表情にしか過ぎません。

愛は感じ取り、信頼し、流すものです。

物の様に手にとって、「あ~、愛が来た」と見るものでもありません。

そういう意味では、物理的には得がたきものではありましょう。

その、皆様の心の中に密にある思い「愛される価値が、自分にあるのだろう

か・・・という一側面は・・・それは幻影であることを、ここでしっかり明確にし

ておきましょう。



あなたも私です・・・とは、何度か表現いたしました。

私は愛で一杯です。

愛の塊のようです。

愛が放射状にどこにでも差し出されています。



あなたもそうなのです。

愛が一杯なのです。

一時的にそうでないと思い易い状況に、いま、身をおいているだけに過ぎないので

す。


お分かりになりましたでしょうか。

それでは今日はこのくらいに致しましょう。

いつものように、あなたに沢山の愛と感謝を、ここにどっさり置いてまいりましょ

う。

今も、明日も、あさっても、愛の光で照らしましょう。

コメント

51.エゴという意識を持つことで、どんなに学ぶことが多いことでしょう

2009-10-13 20:49:13 | Weblog

今日の父の言葉は、また、ほっとする楽しいものです。

なぜなら、エゴは必ずしも捨てなくてよいそうですから。 



まずは他者のために・・・と考えられない自分ってダメだなぁ~などと思わなく

てもよいようです。 「自分は、自分は・・・」と考えるのもそれなりによいそうです。



でも、年の功ですね。以前と比較すると、自己主張や、自己顕示欲は大分少なくなり

ました。目立ちたいとも思わなくなりましたし、誰にも目にとめていただかなくても、多

少なら軽蔑されても心があまり騒がなり、楽になりました。



実は、今、クラスで一番出来ない人の体験もしております。

クラスで一番の劣等生であることがが平気になって初めて、自分で「ワタシもなか

なかだ・・・」と評価できるのが面白いと思います。

運動のために何かしたいと思い、小さいときから好きなダンスなら楽しいだろうと思いまして、

地元のフォークダンスのグループに加えていただきました。みなさん、何年もなさっておられ、

新米の私は、初めから先生からみんなとご一緒にと言われ、手をつなぎ、輪の一員になったは

良いのですが、当然、ステップがわかりません。みなさんが右へ動かれるときに、私は左へ・・・前

に進むときには後ろへ・・・等、いろいろご迷惑をおかけしながら、ここ毎回、微妙な空気感を味わ

っております。


さて、余計なことを申しました。

どうぞ、今日の父がおっしゃるエゴは捨てなくても良い理由をしっかりお読みいただけますよう

に。

今回もありがとうございます。


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さあ、始めましょう。

今日はエゴ、egoについてです。


私達は何故、常に「自分」というものを意識せざるを得ないのでしょう。

エゴを沈めて、エゴの消失、意識の外へと出せたらどんなに気が休まるか・・・と感

じることも少なくありません。

しかし、同時に自分を他人と比較して、「あっと、良かった・・・自分はあの人のよ

うでなくて安心する・・・」のように感じることもあります。

エゴ・・・自意識はこのように、時にはあなたを苦しめたり、喜ばせたりもするもの

です。



あなたはよく思ったり、口にしたりなさいます。

「エゴを捨て・・・他者のために働きたい・・・働けるようにヒーラーはならなくてはい

けない・・・」


本当にそうでしょうか。


私は必ずしもそうだとは思わない・・・ということを、お伝えし、それは何故かをこ

れからお伝えしましょう。



私達は、個として旅をしている存在です。

すべてを司っている大きなものから、個別化し、固有の意識、価値観、体験、思

考、感情などを持ち、それに沿って進んできている者であることは、ご存知のとこ

ろです。

そもそも、何の為に私達は個別化する必要があったのか、について、先ず考えてみ

ましょう。



天は・・・宇宙は・・・至上の大きな存在は、私達を超えてはるかに遠くに在りながら、

あなたの中にあり、あなたの側にあり、あなたそのものでもあります。

つまり、あなた即、大きな世界なのです。

あなたの中には、大きなものも、小さなものも同時に存在しているのを感じること

が出来ます。



例えば、こうしてみましょう。


あなたが静かに座して、目を閉じ、瞑想する時、あなたは至上のものと繋がってい

ます。

感じないかも知れませんが、あなたはその大きなものの一部となって、融和した状

態にあります。

つまり、あなたは大きなものなのです。



しかし、あなたが目を開け、家の中を動き回り、家事をし、玄関で靴を履き、外に

出て様々なことに接する時、あなたの意識は、あなたの身体の中に在る細切れの個

人的価値体系、行動様式などに従っています。

つまり、あなたはあなたご自身なのです。


このように、あなたには二面性があるのです。

いいえ、二面性以上に多面なのですが、ここではその自分以外と繋がった状態をひ

とつにまとめて、二面性として語りましょう。



この自分という意識を中心に動く時、あなたは様々なことを感じ、思い、考え、そ

して行動します。

これが蓄積して、いつかご自分のプランをすべて終え、私達のところに帰ってきま

す。

そして、私達と一緒に、その体験を分かち合うことが出来ます。

これが個別化ということです。


大きなものから派生して、小さなものとして皆が散在して、持ち帰って分け合うの

です。

そのために、様々な何百万、何億、何兆、何京という風な種類の多様性が可能にな

るのです。

そのための自我・・・エゴでもあるのです。



そのエゴを如何に機能させるかということに問題がある場合が出てくるために、皆

様はエゴを捨てましょう・・・エゴを無くしましょう、と自我の終焉を目指すことに

なるのです。

自我を終焉させる時、あなたはあなたでなくなります。

つまり、あなたは大きなものになるのです。

つまり、あなたという意識は存在しなくなります。



それはそれで大いに素晴らしいことではあります。

大いなるものになり、大いなるものとしての意識の始まりがスタートとするのです

から、祝すべきことであるのは確かです。



しかし、私の言いたいことは、個別化している時は、この状態を大いに尊び、楽し

まれたら良い・・・ということなのです。

個別となっていることによってのみ、体験できることが何と多いことでしょう。

あなたがあなたであることによってのみ、歓び、楽しめるものが何と多いことでし

ょう。


エゴという意識を持つことで、どんなに学ぶことが多いことでしょう。

こういう自然のプロセスを自然に通過し、気がつくと大きなものに同化してい

る・・・のが良いのです。


エゴを捨てなさい、捨てたい、捨てましょうではありません。

自然にそうなっていくのです。



愛に目覚め、自分を認め、受け入れられると、他者も受け入れることになっていき

ます。

そうです。自然に・・・です。

努力したり、無理に自分に強いることなしにそうなるのが天意です。

努力はそれなりに評価できるものではありますが、強いることで、無理が生じ、歪

むことがあります。


それをお伝えしたかったのです。

自然に・・・流れに沿って・・・愛を感じ、育てていかれますように。

それでは今日はこのくらいにしておきましょう。

ありがとうの言葉を何億回とあなたに。

コメント

50.憎しみのある所、愛がある・・・憎悪のあるところ、好意がある

2009-10-07 20:50:03 | Weblog

あなた様はアーユルヴェーダというのをご存じでしょうか。インド伝来の教えで医

学や、生命科学や哲学にも及んでいるそうですが、そのヴェーダの伝統に由来した

健康トリートメントのシロダーラとトータルボディケアを先日受けてまいりました。


人前でスッポンポン(白い布でその都度、カバーはしました)になるのも憚れま

したが、そんなことも気にさせない清潔そうで好感度の高い、草食系の二人の女性

のきびきびした、優しい雰囲気の中で、とても気持ち良い三時間あまりをすごすこ

とができました。


まず、簡単な説明の後、テクニシャンはしっかり「静寂の中で私たちの手の動きを

感じてください」とおっしゃったので、こちらとしては、ああ、黙って受けていれ

ばよいのだ、とそのつもりでその世界に没頭する覚悟をしました。



シロダーラは、白ごまのオイルを第の目辺りに上から垂らし、神経や疲労を癒す

インド伝来の健康法でした。ボディケアでは、初め、椅子に座り、頭髪から顔、

胸、背中へとマッサージを受けた後、ベッドに移り、女性の四本の手によって、身

体の左右の両側に分かれ、体温と同程度の暖かいオイルで柔らくマッサージをして

いただきました。


これをお読みになっただけでも、気持ちよさそ~と思っていただけるでしょう?

ホント、気持ちよかったですよ。



いつもは、私がヒーリングをしていて、クライアントさんがす~す~、寝息をたて

ておられるのですが、今回は私の方がす~す~・・・でした。


終わってからミイラ状態でシーツに暖かく包まれ、しばしの休息をしてシロダーラ

に移った頃は、もう70%睡眠状態、残念ながら、オイルが頭部を移動する独特の

感覚は味わえませんでした。数年前、友人と行ったサイパンでインド人の方からシ

ロダーラを受けたときは、なんとも味わったことのない、不思議な感覚に浸りまし

た。



あなた様もチャンスがありましたら、一度、味わってごらんになっては如何でしょう。


さて、そんなことで、リフレッシュして、また意欲が出たところで、ブログを読ん

でいただく幸せを感じながら、父の言葉をお送りします。

今日の言葉も深く、深く、愛に満ちた教えにきらきら光っているようです。

どうぞ、時間をかけて、かなうことなら、静寂の中で!味わっていただけますよう

に。


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それでは、今日は愛と憎しみについて、言及致しましょう。

愛はとても美しいもの・・・清いもの・・・望ましいものとして、これまでず~と

説いて参りました。


その一方で、憎しみという感情はその対極にある美しくないもの、清らかざるも

の、望ましからざるものとして、比較されてきたところがあります。



しかし、・・・です。

この憎しみを通して、私達は多くのことを学ぶことが出来るのも、真実でありま
す。



例えば、あなたが実際にセッションで見るように、多くの人間関係、特に家族関係

に於いて生じるトラブルや困難、痛みが、愛し合えないこと、憎しみ合うことから

派生してきています。

それが本当に、多様な形で、起こってくるのを知る時、あなたは考え込んでしまします。

どうして、この憎しみがこんなに多くのトラブルや病さえ引き起こしてしますのだ

ろう・・・と。

愛しさえすれば、許しあえさえすれば、すべては水に流れるのに・・・し

かし、・・・それがとっても難しいのだ・・・と、ため息をつくのです



全く、愛さえ持ち合えば・・・お互いに少しだけ譲り合いさえすれば、あんなことは

起こらないのに・・・こんなことしなくても良いのに・・・という例えには事欠きま

せん。

そうして人間同士が殺しあったり、傷つけあったり、お互いに病気を作りあったり

しています。

何と、不合理なことか・・・とお思いでしょう。



ここで、私達がどうしてこういうことをしているのかを、もう一度、考えるとき、

何故、私達はそもそも存在しているのかを、振り返る必要があります。



永遠の時を超えて、何故、私は個の宇宙を学びの場として旅をし続けるのか・・・

敢えて、旅をしたいと思うのか・・・です。



この答えが、もうすでにご承知の如く、愛を知り行うために他なりません。


私達が、愛を知り、行い、許しあることは、それ程、時を要し、それ程の犠牲、痛

み、苦しみを伴うものであるのです。


しかし、それ程の価値があるものなのです。


そして、その愛の対極にある憎しみ・・・それは、怖れから生じてきます。

ご自分の中に、何らかの愛に反する心から産出されるものの中には、多くの愛の欠

けた思念、想念となり、それが怖れ、憎しみとなるのです。



さて、その憎しみ、怖れは、忌むべきものとして、多くの場合、愛と対極して述べ

られてきました。


しかし、本当の所、真実は憎しみの心も、究極の姿は愛・・・でもあることを、こ

こで明かす必要があります。


つまり、二元性のこの地上では、すべて、右と左の端にあるものも、一本の棒のよ

うなもので、中味は同一なのです。


私が右手と左手を合わせて、一つのものを持っており、それを、両手で右と左に分

けただけであると、いつか述べたことがあります。

離れて見えるけれども、実は中味は同じもの・・・なのです。


どうしてそんな必要があるのか・・・中味の同じものを、何故、違うように見せる

のかは、あなたの世界に男女があったり、高低、大小、明暗があるのを考えれば、

全く、同じことであるのが理解しやすいでしょう。


男と女を、例に取りましょう。

私達、地球の外から観察するに、男と女は全く違いが在りません。

波動として見えるからです。

単に、個として多様なのと同じ様なものとしての差しか認められません。

身体を持って地上の現象に対応する為に、そして、男女という形をとって、より良

く愛を知り、行うためのシステム、方法であるに過ぎません。


それと同じことが、愛と憎しみについても、言えるのです。

本当は愛のない所に憎しみは芽生えないのです。

愛とは、関心を含んでいます。

関心のないところには、憎しみもありません。

そのように憎しみもまた、愛を知るために在るのです。

愛を、より際立たせる為に、より明確に知るために、味合う感情であるのです。


従って、「憎しみ」を憎んではなりません。

憎しみがあってこそ、味合うことが出来るのです。



問題は、その憎しみを乗り越える為にどれ程の時間と代償が用意されねばならな

いか、にあります。

その憎しみの思いをしっかり味合うことで、気づくこと、学ぶことが多くあり、そ

の過程で、多くの困難、トラブル、病気、悲しみなど、否定的現象が生じ、またそ

の生じる中から学びや気づき、目覚めがもたらされるのですが、この否定的なもの

を出来るだけ早く、如何に小さくしていけるかも、この地上での大切な学びの教

材となっています。



学びが、中途で身体が壊れてしまうことも少なくありませんし、精神的、感情的に

も限界となり、中途で学びを手放す必要が出てくるケースも少なくありません。



従って、私達は、どうして、この両端をバランス良くするか、統合させるかが、問

われるのです。



さて、初めに戻りましょう。


憎しみが、愛のない所には存在しないことからも、憎しみが、また、愛のあること

の印であるのがお分かりでしょう。

その愛の形を、もっと異なった純粋な真っ直ぐなものに変えていく作業・・・が

大切なのです。

それを助けるのが、この憎しみの本質を知ることでもありましょう。



何故憎らしいのか、なぜ嫌悪を抱くのか・・・を知ると、愛があり、それを変

化させるだけ、もっと肯定的なあるべき姿に昇華可能なことが分かるでしょう。


そのために、あなたはここに居られます。


愛を・・・色々な愛の形を出来るだけ高めたものにするために、ここに居られま

す。


それを知ると、「憎しみ」に対する考え方、処し方も、これまでと変ってくるかも

知れません。


憎しみのある所、愛がある・・・憎悪のあるところ、好意がある・・・大きな愛の

可能性が存在するのです。

ですから、あなたが、ある人に対して憎しみの感情を覚える時、それはあなたの中

に、愛の形が、憎しみという形として把えられていると理解してください。

あなたには、憎むべきものが全くない・・・その人が100%原因である・・・の

ではないことを、知ってください。

その人は、触媒としてあなたに働きかけてくれているに過ぎません。

あなたの中に、その触媒に反応するものが存在しているのを明らかにしてくれてい

るのです。


憎むべきは、その人でなく、あなたの中にある、その反応しているものであり、プ

ロセスでもあるのです。


お分かりでしょうか。


それを知ることで、あなたの中の憎むべき人に対する評価も変化するはずです。

よ~く、その人の中味を観察してご覧になることです。

純粋になって、その憎しみを生じさせるものが、どこに存在しているのかを見極

めてみることです。



それは、その人の中にあるのか、あるいは、あなたご自身の中にあるのかを、よ~

く観察してみることです。

色々なことが分かってくるでしょう。

今まで思っていたことが、実は誤っていたことも知るでしょう。


ですから、言い換えれば、憎むべき人は、実は愛すべき人・・・見極めると、それ

が分かってくるでしょう。


二元性の意味も同時に理解できることでしょう。

あなたの、この深い気づきが早まることを願っているのを、知ってください。


それでは今日はこのくらいにしておきましょう。

いつものように、あなたに深い愛と感謝の気持ちを、沢山置いてまいりましょう。

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49.愛を求めなさい。必ずや与えられるでしょう

2009-10-02 21:03:18 | Weblog

今日も「父」のとても美しい言葉をお送りできるのが嬉しいです。

今、病気やトラブルで苦しんでおられる人に特にお送りしたい内容です。

なぜ、私たちは生きるのか、どこから来て、どこに行くのか・・・。

苦しいとき、病や痛みを感じているとき、そう思います。

どうぞ、今日の言葉も時間をかけて、噛みしめながら、お読みいただければと

思います。


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( )内の言葉は個人宛のものです。


(さあ、今日も始めましょう。愛の言葉を。今日の言葉は次のようなものです。

愛を求めなさい。必ずや与えられるでしょう。

愛を探しなさい。必ずや見つけられるでしょう。

愛はあなたの側にあるからです。

あなたの父はいつもあなたを見守り、あなたに愛を送っているからです。

神と父とは同じことです。

神という言葉は、あるいはあなたにとって遠い存在のように思えるなら、父という

言葉に置き換えてみましょう。

もう少し私があなたにとって身近に感じていただけるなら・・・)

               ・・・・・・・・・・・・

それでは、また愛について語ることに致しましょう。


あなたの身近で、もし、病に苦しんでいる人が居たなら、あなたは何と慰めの言葉

をかけたら良いか、悩むことがおありでしょう。



私が教えて差し上げることに致しましょう。



病は祝福でもあるのを、知ってください。

苦しみは神の教え、レッスンだからです。

神は、苦しみのために、病を起こすことはありません。

母親が・・・父親が自分の子を苦しめるわけがありません。

子供が叱られたり、さとされたりするとき、それは必ず、愛しいが由・・・子が愛

されている由なのは、あなたもよくご存知でしょう。

同じことです。



病の床で苦しむとき、・・・あなたも、かつて私に向かって祈りました。

天に向かって・・・空に向かって・・・助けてください・・・この苦しみを何とか

してください・・・と祈ったことがおありです。



その時、私がどう思ったか・・・それを語りましょう。



あの時、あなたはとても苦しんでおられました。

毎日毎日続く、何とも表し難い症状を抱え、あなたは孤独を感じながら、

何の為に・・・何故こんなに苦しむのか、恨みの心を抱きながらも天に向かって

必死に訴え続けておられました。

助けてください・・・と。



この言葉、この思い、この苦しみは一部始終、私に伝えられていました。

一言一言、私にしっかり届いておりました。


あなたはあの当時、私が本当に実在するかどうかは、あまり斟酌せず、苦しいとき

の神頼みにすぎないところがありました。


私にはあなたのそれまでの生活も、考え方も一つ一つ感じた思いもすべて、私が知

っておりました。

そして、いつかあなたが、苦しい思いをすることも予め分かっておりました。

何故なら、私はあなたの父であり、母であるからです。

そして、あなたが毎日を苦しみの中で過ごされている時、私はじっと側に居て、あ

なたの手を握りながら見守っておりました。


あなたはご存知ありません。

私はこうして、あなた方お一人お一人の側に居て、いつも見守り、あなたに愛を送

っている存在です。



地球上は美しい体験の場です。

病気も実は美しい体験の一つなのです。

苦しいことも、実は楽しい体験の一つなのです。

旅に出て、起こることは、旅を終えて戻ったとき、「こんなことがあった。あんな

ことがあった・・・」と、語るでしょう。


「あの時、本当に恐れて、ドキドキしちゃった」などと語ることもあるでしょう。

それも楽しい思い出の一つなのです。

地上でしか味わえないものであるが由の、身を持って味合うものなのです。



しかし、いつまでも同じ体験をしたいと思うことがないように、やがて、病も亡く

なる時が来ます。

病のもたらす意味、目的を知り尽くすと、もはや、ここからの学びはもう要らなく

なるのです。

病を通して体験する必要はないと、自ら納得する時が必ずやってくるでしょう。



あなたは、今、ずっと幸せです。

色々な苦しみの中から多くの学びを得たからです。

病の中から、いさかいの中から、苦しみの中から多くの学びを得たからです。

あなたの精神は磨かれ、あなたの苦しみは今の心の安定をもたらしました。

そして、あなたは振り返って、こうつぶやきました。

「やっぱり、神様っていたのだわ・・・」



そうなのです。

苦しみを通して、痛みを通して得るものは、大きく突出したもので、歓びも大き

く、あなたの旅を大きく前に進めるものでした。



あなたは今、大きく安堵のため息と共に、決意します。

「もう、病気にはなりたくない・・・ならない・・・」


そうです。

病気になる必要はないのです。



苦しみの中から歓びを得ることを知ったなら、もうあなたは二度と同じ選択はしな

いでしょう。

その代わりに、あなたの心には別のものがあるからです。

心の安定、感情の安定です。


愛も深まっています。

それが、私があなたの手を握り、いつか分かる時が来るからネと声をかけていたも

のです。



これからも、あなたの旅は続くでしょう。

あなたの道に、時折、いばらを見つける時もあるでしょう。

そんな時、どうそのいばらを踏み越えていくか・・・



今のあなたは、少し智恵を得ています。

上手に踏み越えることでしょう。



いつか、あなたも旅を終え、私に笑顔で語るでしょう。

旅はおもしろかった、楽しかった・・・またいつか出てみたい・・・今度は違った

所へ行ってみたい・・・と。

私も笑って答えるでしょう。

それなら、少し休んで行きなさい。ゆっくり休んでから、行きなさい。

今度も気をつけていくのですよ・・・と。



いつか誰でも私のところに還ってきます。

その時まで、苦しみがあろうと、痛みを持とうと、歩みを前に進めることです。

私を前に見据えながら・・・。

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