こんにちは。今日もようこそお出でくださいました。ありがとうございます。
今回のメッセージも「自分はなんのために生きているのか」を知るためにとても参考になる内容です。
今日もまた朝が来て、あたふたと食事をし、そして、やるべきことに着手し・・・と、やっていることに差はあれ、意識しようとしまいと、誰にとっても毎日時が過ぎ去っていきます。少しずつ年を取り、身体も相応の変化をなし・・・とこれが決められた定めのように受け取っています。
世の常識と刷り込み、教育で、気づかないまま心はある方向性を進んでいるようです。
時にはふと立ち止まり、足元をしっかり見つめ直し、周りの風景をぐるりと見渡してみるのも良いかもしれません。
そんな時に、どうぞ、今日の内容がお役に立ちますように。
ごゆっくりお読みいただけますことを願って、感謝の念をお送りいたします。
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それではもう一度・・・今朝のお話はあなたのリクエストにお応えして・・・今・・・苦しんでおられる人たちへの・・・癒し方・・・そして、その原因とそれを理解するためのこちらからの何らかの・・・情報をお伝えいたしましょう。
あなたは・・・好まれてそちらに下降され、必要な、あるいは望まれた体験をされております。
そうです・・・あなたが・・・そう望まれて、そこにおられます。
もっと言うなれば・・・体験が、苦しかろうと、楽であろうと・・・それらはあなたの希望されたものであるのです・・・従って・・・あなたご自身は、本来、とても満足されているのです。
しかし、それは深いレベルでのことであり、表層的には・・・これがあってしかるべきように・・・とてもそんな余裕はなく・・・何故・・・どうしてこんなに苦しいのか・・・こんなにつらいのか・・・こんなに、云々と・・・とても否定的な言葉となるような思いを抱かれるのです。
それは、あなたが、体験してみたかったことです。
つらい思い、痛い思い、悔しい思い・・・等々、こちらにはないからです。
こちらは・・・常に暖かい春のように・・・心地良く・・・つらい寒さも雪もなく・・・暖かい太陽と優しい友情に包まれているような毎日であります。
ですから、あなたはそちらに降りられ、私は○○をして来たい・・・僕は○○を体得して・・・こちらに戻って来よう・・・などと思われるわけです。
しかし、実際にそれを身に感じてみると・・・・どうでしょう?
ついつい・・・苦言や・・・不満・・・不平が口について出て来ます。
人生は・・・それだから面白い・・・ともいえるでしょう。
そちらに降りられ、体験し、私におっしゃる時が来るでしょう。
「おもしろかった・・・とってもスリルがあって・・・本当にどうなることかと思ったの」・・・と言われるでしょう。
ですから、これからも・・・何かおつらいことがあった時には・・・今まで、私からの、こちらからのあなたの・・・お出かけの際のお気持ちをしっかり思い出され・・・何であれ、どうであれ・・・感謝し・・・味合い・・・そして、しっかりやるべきこと、なされるべき・・・すべての体得をしっかり踏んで来られますように。
さて、今日は、もう少し具体的なこと、もう少し踏み込んだことを言及いたしましょう。
あなたにとって・・・すべては移ろい行きます。
今日、明日、明後日と・・・時は流れ・・・あなたは少しずつ年老い・・・そして身体もそれに応じて動きにくく、また・・・・きしんだようにあちこちに・・・痛み・・・等々が出てきます。
仕方のないことですね・・・と思われるかもしれません。
でも、私は今日、ここでしっかりお伝えいたしましょう。
仕方ないのではないことを。
年老いても・・・決して・・・老いる必要はないのです。
身体も、心も・・・時に応じて・・・は必ずしも当たらないことを、ここではっきり明言し・・・老化・・・いわば、年に応じた変化を受け取ることはないこと・・・必ずしも、時に乗って、あなたも・・・年相応の変化、変容を・・・することもない・・・応じることもないことをここで・・・しっかりお伝えいたしましょう。
何故か・・・?
それは、私がこれまでに何度も申したように・・・時は錯覚に過ぎないからです。
時は容れもの・・・あなたの体験や行動を、しっかり時に沿って変容するべき・・・と思われる・・・風景と、それをしっかり・・・受け止め、それに相応の、あなたは反応・・・変化・・・変容をしているにすぎません。
それは・・・まるで映画のスクリーンが、一枚の・・・ものであるにも関わらず、深さや・・・遠近・・・そして・・・まるで食べ物にも味がついているかのように、あなたはそのスクリーンに映し出されたものを・・・体験しているように思いたいが故に・・・感じているにすぎません。
そうです・・・映画には、実際の山も谷も・・・すべて、平面にある・・・絵・・・動く絵でしかないのです。
人生も・・・言ってみれば、同じようなことです。
時間というスクリーンに・・・あなたは言わば・・・錯覚を望まれ、それに相応する身体の変化を・・・味合っているようなものです。
あなたがスクリーンを・・・実は一枚の紙のようなものに映った・・・変化でしか過ぎないとしっかり認めて、常に・・・自覚していることで・・・あなたは今、椅子に腰かけ、ただスクリーンの動く絵を見ているのみで・・・山にも行かず、街の雑踏を歩いているのでもなく・・・悲しみや、逆に有頂天になっているわけでもないのを・・・知っています。
ただ椅子に座り、移り行く・・・創られたストーリーに入って心を動かしているだけであるのを・・・しっかりお分かりになるはずです。
それと人生も同じです・・・と申すと、あなたは「エッ!?」と思われます。
しかし、そうなのです。同じことです。
従って、本当は、一つ一つの出来事に一喜一憂し・・・椅子から乗り出すようにしたり、飛び上がったり・・・逆に沈み込んだりすることもなく、そこで冷静に・・・変わりゆく風景を味合う・・・こともなく、時をすごし・・・そこから身を引くようにすることも可能ではあります。
時の流れから・・・身を外し・・・あなたは・・・こちらからの下降状態から・・・少しずつ変化するのみで・・・ひどい老化・・・ひどい病・・・ひどい境遇から身を引いたような、天と地の境にいるような生き方もできるのです。
そこは・・・ひどい境遇も病も、そして、逆境といわれるようなものも無縁であります。
しかし、どうでしょう?
それであなたの・・・「成長したい・・・体験を通して・・・私の魂を美しい光として変容させたい」という願いはかなうのでしょうか・・・。
映画館へ行って・・・あなたはその映画の良さ・・・をしっかり味合うことで、何か得たり、感じたりすることが出来るように・・・同じく、人生もいろいろアップダウンもありながらも・・・楽しく、様々な体験をするのです。
つまり、私が、この朝、あなたにお伝えしたいのは・・・人生をしっかり生きなさい・・・しっかり味合い・・・そして、存分に泣いたり、笑ったり、悲しんだり、喜んだり・・・して来なさい・・・ということです。
そして、いつか・・・顔もしわくちゃになっても・・・あなたの心は・・・満足し、そして、こう言われるでしょう。
「ああ・・・よくやった・・・満足、満足・・・人生、やるだけやって・・・私は還ることができました」と。
今は・・・そこに居て・・・朝を迎えられました。
今日もしっかり生きなさい。
やるべきこと、味合うべきこと・・・感じるべきことをしっかり心に刻み・・・そして、人生を送りなさい。
こちらからは・・・私たちがしっかり・・・愛の声援を送り・・・守り・・・いざという時はしっかり手を差し伸べるのをお忘れなく。
安心して・・・そちらでの・・・今日を・・・生きなさい。