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イエスからマグダラのマリアへの手紙・私は本当にかつてマグダラのマリアだったのか?

176. 苦しんでおられる人たちへの癒し方・・・その原因と理解するための情報をお伝えいたしましょう

こんにちは。今日もようこそお出でくださいました。ありがとうございます。

今回のメッセージも「自分はなんのために生きているのか」を知るためにとても参考になる内容です。

今日もまた朝が来て、あたふたと食事をし、そして、やるべきことに着手し・・・と、やっていることに差はあれ、意識しようとしまいと、誰にとっても毎日時が過ぎ去っていきます。少しずつ年を取り、身体も相応の変化をなし・・・とこれが決められた定めのように受け取っています。

世の常識と刷り込み、教育で、気づかないまま心はある方向性を進んでいるようです。

時にはふと立ち止まり、足元をしっかり見つめ直し、周りの風景をぐるりと見渡してみるのも良いかもしれません。

そんな時に、どうぞ、今日の内容がお役に立ちますように。

ごゆっくりお読みいただけますことを願って、感謝の念をお送りいたします。

 

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それではもう一度・・・今朝のお話はあなたのリクエストにお応えして・・・今・・・苦しんでおられる人たちへの・・・癒し方・・・そして、その原因とそれを理解するためのこちらからの何らかの・・・情報をお伝えいたしましょう。

 

あなたは・・・好まれてそちらに下降され、必要な、あるいは望まれた体験をされております。

そうです・・・あなたが・・・そう望まれて、そこにおられます。

もっと言うなれば・・・体験が、苦しかろうと、楽であろうと・・・それらはあなたの希望されたものであるのです・・・従って・・・あなたご自身は、本来、とても満足されているのです。

しかし、それは深いレベルでのことであり、表層的には・・・これがあってしかるべきように・・・とてもそんな余裕はなく・・・何故・・・どうしてこんなに苦しいのか・・・こんなにつらいのか・・・こんなに、云々と・・・とても否定的な言葉となるような思いを抱かれるのです。

それは、あなたが、体験してみたかったことです。
つらい思い、痛い思い、悔しい思い・・・等々、こちらにはないからです。
こちらは・・・常に暖かい春のように・・・心地良く・・・つらい寒さも雪もなく・・・暖かい太陽と優しい友情に包まれているような毎日であります。

ですから、あなたはそちらに降りられ、私は○○をして来たい・・・僕は○○を体得して・・・こちらに戻って来よう・・・などと思われるわけです。

 

しかし、実際にそれを身に感じてみると・・・・どうでしょう?

ついつい・・・苦言や・・・不満・・・不平が口について出て来ます。

人生は・・・それだから面白い・・・ともいえるでしょう。



そちらに降りられ、体験し、私におっしゃる時が来るでしょう。

「おもしろかった・・・とってもスリルがあって・・・本当にどうなることかと思ったの」・・・と言われるでしょう。

 

ですから、これからも・・・何かおつらいことがあった時には・・・今まで、私からの、こちらからのあなたの・・・お出かけの際のお気持ちをしっかり思い出され・・・何であれ、どうであれ・・・感謝し・・・味合い・・・そして、しっかりやるべきこと、なされるべき・・・すべての体得をしっかり踏んで来られますように。

 

さて、今日は、もう少し具体的なこと、もう少し踏み込んだことを言及いたしましょう。

 

あなたにとって・・・すべては移ろい行きます。

今日、明日、明後日と・・・時は流れ・・・あなたは少しずつ年老い・・・そして身体もそれに応じて動きにくく、また・・・・きしんだようにあちこちに・・・痛み・・・等々が出てきます。

仕方のないことですね・・・と思われるかもしれません。

でも、私は今日、ここでしっかりお伝えいたしましょう。

仕方ないのではないことを。

 

年老いても・・・決して・・・老いる必要はないのです。
身体も、心も・・・時に応じて・・・は必ずしも当たらないことを、ここではっきり明言し・・・老化・・・いわば、年に応じた変化を受け取ることはないこと・・・必ずしも、時に乗って、あなたも・・・年相応の変化、変容を・・・することもない・・・応じることもないことをここで・・・しっかりお伝えいたしましょう。

 

何故か・・・?

それは、私がこれまでに何度も申したように・・・時は錯覚に過ぎないからです。

 

時は容れもの・・・あなたの体験や行動を、しっかり時に沿って変容するべき・・・と思われる・・・風景と、それをしっかり・・・受け止め、それに相応の、あなたは反応・・・変化・・・変容をしているにすぎません。

それは・・・まるで映画のスクリーンが、一枚の・・・ものであるにも関わらず、深さや・・・遠近・・・そして・・・まるで食べ物にも味がついているかのように、あなたはそのスクリーンに映し出されたものを・・・体験しているように思いたいが故に・・・感じているにすぎません。

そうです・・・映画には、実際の山も谷も・・・すべて、平面にある・・・絵・・・動く絵でしかないのです。

人生も・・・言ってみれば、同じようなことです。

 

時間というスクリーンに・・・あなたは言わば・・・錯覚を望まれ、それに相応する身体の変化を・・・味合っているようなものです。

あなたがスクリーンを・・・実は一枚の紙のようなものに映った・・・変化でしか過ぎないとしっかり認めて、常に・・・自覚していることで・・・あなたは今、椅子に腰かけ、ただスクリーンの動く絵を見ているのみで・・・山にも行かず、街の雑踏を歩いているのでもなく・・・悲しみや、逆に有頂天になっているわけでもないのを・・・知っています。

ただ椅子に座り、移り行く・・・創られたストーリーに入って心を動かしているだけであるのを・・・しっかりお分かりになるはずです。

それと人生も同じです・・・と申すと、あなたは「エッ!?」と思われます。

しかし、そうなのです。同じことです。

 

従って、本当は、一つ一つの出来事に一喜一憂し・・・椅子から乗り出すようにしたり、飛び上がったり・・・逆に沈み込んだりすることもなく、そこで冷静に・・・変わりゆく風景を味合う・・・こともなく、時をすごし・・・そこから身を引くようにすることも可能ではあります。

時の流れから・・・身を外し・・・あなたは・・・こちらからの下降状態から・・・少しずつ変化するのみで・・・ひどい老化・・・ひどい病・・・ひどい境遇から身を引いたような、天と地の境にいるような生き方もできるのです。

そこは・・・ひどい境遇も病も、そして、逆境といわれるようなものも無縁であります。

 

しかし、どうでしょう?

それであなたの・・・「成長したい・・・体験を通して・・・私の魂を美しい光として変容させたい」という願いはかなうのでしょうか・・・。

 

映画館へ行って・・・あなたはその映画の良さ・・・をしっかり味合うことで、何か得たり、感じたりすることが出来るように・・・同じく、人生もいろいろアップダウンもありながらも・・・楽しく、様々な体験をするのです。

 

つまり、私が、この朝、あなたにお伝えしたいのは・・・人生をしっかり生きなさい・・・しっかり味合い・・・そして、存分に泣いたり、笑ったり、悲しんだり、喜んだり・・・して来なさい・・・ということです。

 

そして、いつか・・・顔もしわくちゃになっても・・・あなたの心は・・・満足し、そして、こう言われるでしょう。

「ああ・・・よくやった・・・満足、満足・・・人生、やるだけやって・・・私は還ることができました」と。

 


今は・・・そこに居て・・・朝を迎えられました。

今日もしっかり生きなさい。

 

やるべきこと、味合うべきこと・・・感じるべきことをしっかり心に刻み・・・そして、人生を送りなさい。

こちらからは・・・私たちがしっかり・・・愛の声援を送り・・・守り・・・いざという時はしっかり手を差し伸べるのをお忘れなく。

安心して・・・そちらでの・・・今日を・・・生きなさい。

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