今日の社内連絡(ブログver)

sundayとかオリジナルテンポとかの作・演出家ウォーリー木下のつれづれなるままのもろもろ。

死ぬとき、人はどのくらい悲しくて苦しいのか

2017-10-08 | Weblog
1年半ほど前に一度診てもらった粉瘤が再び痛くなったので今度はきれいさっぱりとってもらう手術をした。たいしたことはない。わずか40分くらいで終わるものだ。とはいえ地元の小さな病院では無理なので、ほんの少し大きめの病院に。簡易的な手術室に通され、背中に局部麻酔。ラジカセからはマイケルジャクソンのベスト盤が流れていて、担当医と手術医、それとアシスタントの3名は、手術中もっぱら別の患者の噂話や四方山話をしている。僕の存在に気づいているのだろうか。昼休みにするオリエンテーションのようだ。折り紙でもつくっているのだろうか、と心配する。安心していいのだろう。その印だ。実際、この手術になんの不安もない。
なのに、僕は結局ずっと「死」について考えていた。このまま死ぬかもしれない。いや、こうして、死ぬんだ、と。キングオブポップの「黒と白」が小さく響く手術室で途方もない絶望感にうちひしがれていた。なんなんだろう。この病院マジック。今までに2度ほど病院で死にかけたことがあるから、その記憶がよみがえるのか、それとも単純に麻酔による酩酊のせいか、非日常を楽しんでいるだけなのか。
手術はなんなく終わり、帰り際に医者は、できあがった鶴を見せるように、摘出した粉瘤を見せてくれた。小さな塊。僕は軽くお辞儀をして、それから抜糸の予約をする。
「死」について考えるのは、年を取っても変わらず怖い。それは予想外だった。死ぬとき、人はどのくらい悲しくて苦しいのか。それを思うだけで深いため息が出る。まさか医者も目の前の患者が、そんな深いことになっているなんて思っていないだろう。でもまあ、病院ってのはそういう場所なんだよね。
僕は自分の命が一度ならず二度も助かった経験があるので、基本、今の人生は付録だと思っている。ラッキーなもうひとつのライフ。それでも、こういう暗い穴を覗きにいってしまうことがある。精神のバランスとしては良くできていると思うけど。

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