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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

皇位の男系継承論

2005年06月27日 | 文化・創作・メディア
皇位継承問題が喧しい。要点は、男系の維持か否かだ。男系維持の立場でも、女性天皇は容認されるので、女性天皇拒否論は全くないに等しい(現行制度はそうだけど)。

男系維持の説明として、八木英次さんあたりから、いわばアダム遺伝子たる、Y染色体の継承が取り上げられた。これに対して、古代人はY染色体を知っていたのか、という頓珍漢な質問をする者がいて、笑わせてくれる(というか、頭をかかえてしまう思いだ)。Y染色体の科学的意味は、この際関係ないのだ(ただ、これがいわばアダム遺伝子であることは事実だ…ミトコンドリアが、女系継承の、いわばイブ遺伝子であるように…Y染色体は男になるスイッチを入れるだけの機能しかないらしいが、それもこの際どうでもいい)。Y染色体に象徴的価値を認めるかどうかなんて議論は、馬鹿馬鹿しい限りだ。問題は習俗であって、それ以外の何者でもない。ただ、男系継承という、ちょっと分かりにくい話の、いわば譬え話に過ぎない。既存の女性天皇論の殆どは、非常にアバウトだったから、八木さんの説明は戦略として分からないでもない。

#週刊文春の竹内久美子氏のコラムを読んだが、これはひどすぎる。まるっきり「とんでも系」の言説だ(ただの釣りかもしれないが、人騒がせなコラムニストだ)。

傍系の男系男子の養子論がある。不思議なことに、愛子様の人権問題や女性人権問題が取りざたされる。養子は見合いにすぎない。そもそも見合い結婚に、不道徳な面があるやのような議論は、全くおかしい。家の伝統の継承に、娘が婿養子をとる話は、(一般サラリーマンには関係なくても)世の中では特に珍しい話でもないし、そうした習俗は日本では通有のものだ。婿に条件があるのも、それ自体はよくある話であって、不道徳でもなんでもない。ただ、見合いの縁談が、成立したり成立しなかったりするだけだ。時には人間的苦悩が伴うかもしれないが、それもよくある話に過ぎない。それに、こういう問題に当事者の意思が尊重されるのは当然であって、疑問の余地が無い。

親等のやや離れた(最も近い)傍系男系男子を天皇にたてる事に、なぜ抵抗感があるのかもよく分からない(抵抗があるかどうかもよく分からない)。そんな事は、歴史上よくあったことだ(光格天皇は7親等の隔りだったという)。ただ当人が自覚し、関係者や国民が盛り立てていけばいいだけの話だ。養子縁組が必須要件かどうかも分からない(現在の皇族女子の誰かとの結婚もありうる)。

追記:(貴族制度は廃止されてしまったが)皇族を既に離脱した傍系男系男子を立てることに抵抗感があると仮定するなら、女系継承への抵抗感とどちらが強いか問うてみたい。どっちもどっちであり、あえて前者を後回しに考える必然性は乏しい。

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