坂本多聞のソフトウェア業界インサイドアウト:山形浩生氏や勘違い氏の論法に見る、学問扱いされてない経済学
賃金決定メカニズムの公理は、誰も否定していない。限界効用論自体は、有効だ。気づくべきなのは、生産性が、アニメーターの仕上げられる1時間あたりの枚数ではなく、アニメの売価(最終価格?)に依存することだ(利潤と言った方がいいかな)。
ある業界(業種、あるいは事業者)の労働者の報酬が少ないとしたら、その業界の生産物の対価が低いからである。対価が低い理由は、グローバル競争かもしれないし、アニメ業界のように、業界の慣習(虫プロ?)や士気が作り上げた、アンフェアな業界体質のせいかもしれない(具体的には「相場」となって表れる)。
逆に、売価(仕事の成果物の最終価格)が高い場合を考えてみよう。一般には、合理的には理解できない場合が多かろう。具体的にはブランド力が一例だ。日本で「現代」自動車は売れないが、TOYOTAは売れるのである。「現代」は、とりあえず採算は取れているかもしれないが(赤字かもしれないが)、日本市場での実入りは悪かろう。しかし、今の「現代」自動車の品質がそこまで差があるとは思えない。家電製品でも、同じ国産でも、売れ行きはブランドによって色々だろう。ブランド力は変わりにくいが、製品力は急速に変わるかもしれない。化粧品なんかでは、結構ブランド力は持続するのだろうか(あまり知らないが)。
ITが生産性を高めたという話があるが、これは時には事実だろう。スクリプトやデータベースで自動化できる仕事が、高い実入りになるかもしれない。ただ、それも、最後には実際の価値あるものが動く。アマゾンなら、本が動く。現場は別に高賃金ではない。確かに、システムを作った創始者が一番高い報酬を手にする。以下、それに準じていく。現場の報酬は人並みだ。高くても、佐川急便どまりだろう。売価が高いのは、その仕組みを構築した人達の仕事であり、生産性というよりも、「消費性」を高めたか、「有効な仕事を沢山作りましたで賞」性である。
#ITゼネコンには、数千億円をどぶに捨てたみたいな話があるが、それでITゼネコンは儲かったのだ。不健全な市場だが、それも計算上は生産性である。
#話は違うが、ジャパネットが売り上げ1000億円を越えたそうである。まさに、消費性向上の王者である。
一般には、高い報酬(実入り)は、創業者利得の場合が多かろう。消費性の王者でも、そういう「売り方」の創始者だったのだ。イニシエーターの利得は、普及や事業の進展につれて、だんだん目減りしていく。差がつくのは、最初のうちだけ。問題は、そのタイムラグである。
タイムラグのタイムスパンは、色々だろう。業界の進化が激しい時、創業者もイノベーションを繰り返し、新たな創業者利得を獲得し続ける可能性もある。日本には、国として、結構そういうところがある。もっとも、先進国はだいたいそうだ。
経済学は公理で語れるかもしれないが、取引は金がもらえてなんぼ。報酬は、労働者の水準や限界効用以前に、会社の儲けで決まってくる。儲けの中味は、売価の水準や販売力。それらを決める要因は、それこそ色々。
追記:付加価値を高めたのは誰か? 工員か、技術者か、営業マンか、社長か(それぞれが創り出し、影響している)。納入部品会社や広告会社の力も大いに関係する。局所的に「生産性向上」「原価ダウン」を実現しても、他がちゃんと機能してないと、意味が無い。ネットワークだからだ。それぞれの報酬はそれぞれの限界効用に従うか? それは影響する要素には違いない(タイムラグや社会的規制が介在するかもしれない)。
#工員の妻と社長の妻は、(家事)生産性は一見同じである。しかし報酬は同じではない。では、実は生産性も違うのか? 家庭単位の生産性向上(地位や報酬の向上)に社長の奥様が寄与したのなら、生産性は高いといえる。経緯はどうでもよくて、現実に報酬が違うのなら、生産性も高いと言ってしまっていいのかもしれない。ここでは、報酬と生産性はトートロジーになっている。どうやら、生産性は、多様な要素や思いが詰まった概念のようである。
関連:
山形浩生 の「経済のトリセツ」:山形より上手でていねいな説明をごろうじろ。
分裂勘違い君劇場:今回の生産性論争の流れを簡潔・公平・分かりやすくまとめてみた
再追記:なんと山形氏はアメリカの経済学者3人に直メールを出して聞いてしまった。そこまでしなくても... 今の情勢だと仕方ないか。
山形浩生 の「経済のトリセツ」:クイズ:経済学者3人にきいてみました。
#どうころんでも、池田氏が変に「絡んだ」以上の議論展開ではなかったような気がするが...。
最後にもう一度。生産性は、その売価(薄利多売でも一緒で、それは単位を変えているだけ)に依存する。だって、限界効用も売価に依存するんだし。
#売価が高めだと、実入りのいい仕事。低めだと、実入りの悪い仕事。昨今は、入札に晒される事業の下請の立場だと、実質時給が400~500円になっているようだ。ほんとに時給800~1000円出せている事業はまだ幸いである。日本の底辺の時給が上がらないということは、労働力は余っているという事なのか。でも購買力不足が景気を押し下げる圧力となる。デフレスパイラルというか、買い叩きのスパイラルだ。
労働者の給料を上げたいから製品(サービス)を値上げします、と経営者が言えない状況は、どこかおかしい。それが今の日本の、大きな問題。
再々追記:池田氏が再反論。もうお手上げ(TB自粛)。
そこに別の経済学者が参戦、ていうか軽くコメント。
松尾匡のページ:07年2月19日 山形・池田「生産性論争」への今頃のコメント
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集合知が集合愚になりうるという危険性を明らかにした山形氏の主張に我々は学ばねばならない。しつこい話題だが、この最後の文言は皮肉なんですか?(読解できません)
賃金決定メカニズムの公理は、誰も否定していない。限界効用論自体は、有効だ。気づくべきなのは、生産性が、アニメーターの仕上げられる1時間あたりの枚数ではなく、アニメの売価(最終価格?)に依存することだ(利潤と言った方がいいかな)。
ある業界(業種、あるいは事業者)の労働者の報酬が少ないとしたら、その業界の生産物の対価が低いからである。対価が低い理由は、グローバル競争かもしれないし、アニメ業界のように、業界の慣習(虫プロ?)や士気が作り上げた、アンフェアな業界体質のせいかもしれない(具体的には「相場」となって表れる)。
逆に、売価(仕事の成果物の最終価格)が高い場合を考えてみよう。一般には、合理的には理解できない場合が多かろう。具体的にはブランド力が一例だ。日本で「現代」自動車は売れないが、TOYOTAは売れるのである。「現代」は、とりあえず採算は取れているかもしれないが(赤字かもしれないが)、日本市場での実入りは悪かろう。しかし、今の「現代」自動車の品質がそこまで差があるとは思えない。家電製品でも、同じ国産でも、売れ行きはブランドによって色々だろう。ブランド力は変わりにくいが、製品力は急速に変わるかもしれない。化粧品なんかでは、結構ブランド力は持続するのだろうか(あまり知らないが)。
ITが生産性を高めたという話があるが、これは時には事実だろう。スクリプトやデータベースで自動化できる仕事が、高い実入りになるかもしれない。ただ、それも、最後には実際の価値あるものが動く。アマゾンなら、本が動く。現場は別に高賃金ではない。確かに、システムを作った創始者が一番高い報酬を手にする。以下、それに準じていく。現場の報酬は人並みだ。高くても、佐川急便どまりだろう。売価が高いのは、その仕組みを構築した人達の仕事であり、生産性というよりも、「消費性」を高めたか、「有効な仕事を沢山作りましたで賞」性である。
#ITゼネコンには、数千億円をどぶに捨てたみたいな話があるが、それでITゼネコンは儲かったのだ。不健全な市場だが、それも計算上は生産性である。
#話は違うが、ジャパネットが売り上げ1000億円を越えたそうである。まさに、消費性向上の王者である。
一般には、高い報酬(実入り)は、創業者利得の場合が多かろう。消費性の王者でも、そういう「売り方」の創始者だったのだ。イニシエーターの利得は、普及や事業の進展につれて、だんだん目減りしていく。差がつくのは、最初のうちだけ。問題は、そのタイムラグである。
タイムラグのタイムスパンは、色々だろう。業界の進化が激しい時、創業者もイノベーションを繰り返し、新たな創業者利得を獲得し続ける可能性もある。日本には、国として、結構そういうところがある。もっとも、先進国はだいたいそうだ。
経済学は公理で語れるかもしれないが、取引は金がもらえてなんぼ。報酬は、労働者の水準や限界効用以前に、会社の儲けで決まってくる。儲けの中味は、売価の水準や販売力。それらを決める要因は、それこそ色々。
追記:付加価値を高めたのは誰か? 工員か、技術者か、営業マンか、社長か(それぞれが創り出し、影響している)。納入部品会社や広告会社の力も大いに関係する。局所的に「生産性向上」「原価ダウン」を実現しても、他がちゃんと機能してないと、意味が無い。ネットワークだからだ。それぞれの報酬はそれぞれの限界効用に従うか? それは影響する要素には違いない(タイムラグや社会的規制が介在するかもしれない)。
#工員の妻と社長の妻は、(家事)生産性は一見同じである。しかし報酬は同じではない。では、実は生産性も違うのか? 家庭単位の生産性向上(地位や報酬の向上)に社長の奥様が寄与したのなら、生産性は高いといえる。経緯はどうでもよくて、現実に報酬が違うのなら、生産性も高いと言ってしまっていいのかもしれない。ここでは、報酬と生産性はトートロジーになっている。どうやら、生産性は、多様な要素や思いが詰まった概念のようである。
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山形浩生 の「経済のトリセツ」:山形より上手でていねいな説明をごろうじろ。
分裂勘違い君劇場:今回の生産性論争の流れを簡潔・公平・分かりやすくまとめてみた
再追記:なんと山形氏はアメリカの経済学者3人に直メールを出して聞いてしまった。そこまでしなくても... 今の情勢だと仕方ないか。
山形浩生 の「経済のトリセツ」:クイズ:経済学者3人にきいてみました。
#どうころんでも、池田氏が変に「絡んだ」以上の議論展開ではなかったような気がするが...。
最後にもう一度。生産性は、その売価(薄利多売でも一緒で、それは単位を変えているだけ)に依存する。だって、限界効用も売価に依存するんだし。
#売価が高めだと、実入りのいい仕事。低めだと、実入りの悪い仕事。昨今は、入札に晒される事業の下請の立場だと、実質時給が400~500円になっているようだ。ほんとに時給800~1000円出せている事業はまだ幸いである。日本の底辺の時給が上がらないということは、労働力は余っているという事なのか。でも購買力不足が景気を押し下げる圧力となる。デフレスパイラルというか、買い叩きのスパイラルだ。
労働者の給料を上げたいから製品(サービス)を値上げします、と経営者が言えない状況は、どこかおかしい。それが今の日本の、大きな問題。
再々追記:池田氏が再反論。もうお手上げ(TB自粛)。
そこに別の経済学者が参戦、ていうか軽くコメント。
松尾匡のページ:07年2月19日 山形・池田「生産性論争」への今頃のコメント
山形さんが言っている話は、モデルにすれば以上で尽きている。これは全く経済学的にまっとうな議論であり、この筋自体には異論を挟む余地はない。「未だによくわからない」という松尾さんの感想は、合ってると思う。
それに対して池田さんは、「賃金は限界生産力で決まるのだ」と言って批判している。それは全くその通りなのだけど、それがどう批判になっているのか、何が気に入らないのか、未だによくわからないでいる。
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労働者の給料を上げたいから製品(サービス)を値上げします、と経営者が言えない状況は、どこかおかしい。それが今の日本の、大きな問題。
私の場合もここが出発点でした。どう考えてもウェイトレスの自給800円を正当化するには、コーヒーが400円で売れなければならないのだから、売価の中に労働が織り込まれなければならないわけです。労働一単位のインプットを増やしたとき、コーヒーが1時間に2杯以上今までより多く売れなければ、雇う意味ないわけです。
タオルの場合はどうかと言うと、関税障壁がなければ(実際にありませんが)、時給80円の人たちの作った、一枚数十円のタオルが日本に入ってくる。でも日本では時給80円じゃ人は雇えない。なぜ雇えないかというと、最低賃金法の問題は別として、そんな額じゃ、誰も暮らせないからですよ。
車の場合は、日本は世界と散々戦って、今のインプットで高いアウトプットを実現している。中国がこれを追撃するには、同じだけの投資とノウハウの蓄積が必要。だから日本は安心して車を作れる。
俺流かどうか、平均生産性という言葉が術語として正しいかは別として、このことを単に不完全競争とかいうのはおかしい。それで最初に戻ります。
「労働者の給料を上げたいから製品(サービス)を値上げします、と経営者が言えない状況は、どこかおかしい。それが今の日本の、大きな問題。」
これは、一定の条件が成り立てば言える話なのです。つまり市場における競争相手に対して、自分が優位の場合です。タオルの場合は不利。車の場合は有利。サービス業でもテレフォンアポインターの場合は不利だけど、ウェイトレスの場合は、中国の女給さんは簡単に日本に入って来られるわけじゃないから有利なんです。否、日本に入ってきた中国人の女給さんだって、多少安い可能性はあっても、時給80円なんかじゃ働きません。結局これを所得効果と言うか平均生産性と言うかは別として、限界生産性以外の何かに引っ張られて給料は上がるのです。
これは普通の国際分業の話ですし、池田さんだって了解しているはずのことです。しかしながら、池田さんが脊髄反射したのは、彼が「国際競争力」の概念にどこかで囚われているからだと私は思います。
で、山形氏が言い回しを間違えたとして、それを修正する建設的な議論でなく、頭から100%否定し、翻訳家風情が何を言うかと人格攻撃を繰り返す池田氏は、なんか異常な敵意を感じますねえ。
だいたいこんな何でも評論家が高所にたって経済学を論じているのに、かなり違和感がありますね。
池田氏は毀誉褒貶がありますが、正当な経済学のトレーニングを受けてきたこともあり、ブログは学問的に論拠があり、かつ面白いので愛読しています。
#TYPOの指摘程度は別にしてね。
> 恥をかく
私が恥をかいて迷惑するのは私なので、別に外部的問題はないような。今回の一連の論争では、池田氏や坂本氏も恥を書いてる気がします。でも、それはあまり問題じゃありません。皆、根拠をもって主張されているので、勉強になるからです。
> 氏の発言や行動の仕方は、この点、合目的的
それって、テレビでコメントする経済学者やアナリスト...
>「それこそ色々」だからといって、そこで分析をやめてしまっては
「色々」というのは、問題の所在を示したものであって、分析放棄の意味はないです。ブログなんだから、文章はどこかでまとめないと。
> 単に私怨をはらすためと、経済学の権威を借りて自分を正当化するため
それは私も感じます。でも、それにも関わらず、私は池田氏の極論が意外に好きです。私怨をはらしてるっぽいなあ、と思っても、そこはスルーして。思考がシェイクされる感じが好ましいと考えています。
>さえ学んでいないからでしょう
レスありがとう。まったくそのとおりですし、あなたもおそらくある程度詳しい方なのでしょう。問題は「あなたが大学1年生で習うレベルの経済学でさえ学んでいないからでしょう」という言い方をすることで、理解が進む人を増やしているのか、減らしているのか、というところです。
増やしているなら、あなたは合目的的です。減らしているならその反対です。
それはあなたが大学1年生で習うレベルの経済学で
さえ学んでいないからでしょう。
難解な経済学概念は今回は一つも持ち出していない。どれも、Webで検索すれば、一般人にもすぐに理解可能な概念ばかりでした。
池田氏の問題は、単に私怨をはらすためと、経済学の権威を借りて自分を正当化するために、話を変な方向へねじ曲げているということだけです。
まあ、日本の政治家が分けの分からないことを言うのと同じ。誰かへの嫌悪や恨みがあり、誰かを貶めるために屁理屈を組み立てている。
もう既に十分恥じかいてますよ。
俺俺経済学では恥をかくだけですよ。