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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

ソウル大学国際大学院教授のコラム

2005年10月21日 | 政治
中央日報>ソウル大学国際大学院教授のコラム(時事評論)「靖国参拝のむなしい言い訳」が、なかなか素材にしやすい。おそらく、平均的なインテリだと仮定して...

> 日本のために戦って死んだ無名勇士たちの魂を称えるために参拝するという話は生半可な論法に聞こえる。

#靖国神社には名簿が入っているので、無名の人は一人もいない(無名戦士の遺骨が千鳥が淵に入っているのは事実だが)。戦士の魂を「称える」という感覚があるかどうかは、疑問だ(千鳥が淵を含め)。「頭(こうべ)をたれる」という感覚ならあるが。

> 戦争責任を負った戦犯たちが祭られている所を参拝しながら、戦争を美化するのではないと強弁しても信じる人はいない。

#どうやら、開戦や戦争指導の責任者を問うているらしいが、「称える」が「無名勇士」にかかっているものの、「称える」が「戦争指導者」にかかっているような錯覚に陥る。

追記:参拝者の心の中、首相の心の中をどう推測するのだろう? (参拝という)外形だけで断定するのか? 戦争美化という思考そのものが説明不能だと思うが、なぜそう断定できるのか? 実際には、(参拝者の)思考を問うているのではなく、(外部から観察される)象徴的行為を問うている(首相の参拝行為は象徴的行為と見なされている)。繰り返すと、心の問題とは考えられていない。(左巻きを除いた)日本では、そうは受け取られていないが、中韓朝にとっては象徴的行為なのだ。従って、日本や首相のスタンスは関係ない。中韓朝がそう考えている内は、そう(象徴的行為)なのだ。日本が彼らの言い分を認められるか? それは無理だ。だって、日本は戦争を美化するつもりは全くないからだ(いかに理念上は忌避しようとしても、戦争は起こる時には起こるものだ…それは第二次大戦後の中韓朝が経験してきたところではないか)。

> 日本人は死ねばすべて神様になるから罪を問うことができないという話も詭弁だ。それならどうして戦犯を処罰し、どうして罪と罰を問うたのか問い返したくなる。

#一体全体どういう歴史認識をしてるのか無茶苦茶だが、戦犯は戦勝国が課したもので、日本国の行いではない。そして、主権回復と共に戦犯断罪の前提たる戦争状態が終了している。日本では、戦犯は犯罪者ではない(戦勝国によって戦犯とされた人々ではあるが)。

> リーダー個人の信念のため国家の外交に差し障りを与えるのはどの国でも避けなければならない。

#日本のことを、自分のことのように思っているのか? 外国という感覚が薄いのか?(まあ、それはあるだろう。中朝論的な世界だから)

> 戦没者代替施設の建立、在日韓国人の処遇改善、ビザの全面免除、韓日自由貿易協定(FTA)の早期締結

#これらが、取引の材料か。少なくとも前3つは応じるべきでない。ていうか、「応じる」ものではなく、全面的に日本国内の問題だが。心の問題や「宗教」に内政干渉はおかしいが、これらは確実に内政干渉に該当する。

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2 コメント

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Unknown (thyle)
2005-10-23 04:16:04
はじめまして。

どこかのブログからトラックバックに沿って流れてきました。

「追記」の内容がとても優れていると感じられました。



靖国問題は結局、参拝の意味の解釈が人によって様々であるからであり、中・韓の人々がああまで反発するのも、軍国主義の復活と看做している所為であるという意見に賛成します。

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戦没者 (worldnote)
2005-10-24 01:49:13
A級戦犯は戦没者か否か、というのも(日本の国論を二分する)分かれ目のようですね。私は、戦没者という考え方を支持します。
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