*記事下に笠井潔さんの『国家民営化論』についての注を書き加えました。
2005年8月21日産経新聞16面【断】より 堀江氏出馬と保守の変成 ライブドア社長、堀江貴文氏が、反郵政民営化・反小泉自民党の総大将、亀井静香氏の地元、広島6区から出馬することが決まった。 当面無所属とはいえ、対抗馬を立てない確約を得、かつ追加公認の含みを残した事実上の小泉自民党の候補者だ。 この「究極の刺客」に関して語るべきことはいろいろあるが、最も深いレベルの指摘をしておきたい。 自民党は郵政造反組を排除することによって、その軸足を新自由主義の方向に大きく移動させた。伝統的な社会共同体重視の保守主義から、アメリカ共和党的な個人の自律と市場競争を最重視する社会哲学にシフトしたといってよい。 これが小泉自民党の政策思想的「純化」の意味である。この保守政治の変成に気付いている人は驚くほど少ない。 ホリエモン出馬はかかる勢力変動と無関係ではない。私は以前から堀江貴文氏こそが日本におけるリバタリアリズムの象徴的存在であると示唆してきた。 リバタリアニズムとは、新自由主義をさらにラジカルにした、国家権力を最小化し、社会の粗方(あらかた)の機能を自由市場のメカニズムに委ねようという思想だ。アメリカにおける保守主義の最右翼の一つと考えられており、日本では「自由至上主義」などと訳される。 堀江氏の一連の言動を見れば、彼が自覚せざるリバタリアンであることは明らかだ。 新自由主義に「純化」された小泉自民党は、遂に自由至上主義者にまでウイングを拡げた。この政治的、思想的意味は限りなく大きい。 日本の保守の転機である。(評論家・宮崎哲弥) |
郵政民営化を推し進める小泉政権の動きが新自由主義の流れの中にあるという指摘自体には、いまさらの感じがなくもない。だけど、いつも読むところが少ないダイジェスト版みたいな産経新聞にしては、この宮崎氏のコラム記事は秀逸だ。ほとんど歯に衣を着せない発言を掲載したのもさすがだと評価する。この記事は、「保守政治の変成に気付いている人は驚くほど少ない」という文字通りの状況のほか、フジ・サンケイグループと堀江氏との間にあった軋轢を直接のコンテクストにしているんだね、きっと。
新自由主義とは、世界的な資本主義の自由市場に可能なかぎり何もかも解き放とうとする考え方だ。したがってグローバリゼーションと一対であり、国内の政治ステージでは、企業活動の規制緩和、外資系企業にも平等な競争原理の導入、公共福祉・公共投資・公共組織の解体と民営化、関税の撤廃ないし世界的平均化……etcなどの政策に直結する。国鉄、電電公社などの民営化を成功させてJRとNTTに改変し、いま郵政民営化を目標にかかげる日本だが、この延長線上には医療福祉や年金制度、公立学校、公共図書館などの廃止もある。税金はずるずると値上がりし、その使い道はどんどん国民から遠のいていく。
こんなふうにいうと、新自由主義とは、世界のトップ企業や金持ちを拘束していたいろいろな規制を解除して貧富の発生・強化にこだわらず自由に儲ければいいという「金持ち自由論」じゃないか、と考える人も多いだろう。自由は金で買えという「金持ち個人主義」、さつばつとした「拝金主義」を定着させるだけだと。
じゃあ、こんな例題にはどう答えます?
たとえば日本への外圧が高まり、キナ臭い雰囲気が漂いだしたとする。国内ではさまざまな形で防衛力・戦闘力の強化が主張され、その一方では平和勢力の根強い反対運動がまき起こったとする。この日本じゃお決まりの政治状況だ。
しかし、こんな膠着状態を一挙に打開してしまう新自由主義的方法がある。自衛隊のようには軍隊を国営で運営せず、入札を通じて軍事組織の民営化を実行するんだ。自衛隊を民営化するのもいい。その下請け会社や子会社もたくさんできるだろう。委託先の政府から軍事会社は国税を吸い上げ、軍事技術の効率化・合理化・低コスト化を図るんだな。紛争が生じて犠牲になるのは主に軍事会社の社員たち(現場作業員たち)だけだ。いっそ国家・地方の警察機構も民営化して警備会社化すればいい。暴力的な犯人を目の前にして逃走する警官などは、即リストラされてしまうじゃないか。
ねっ、けっこうイイでしょ!
こう考えてみると新自由主義とは、一定量しか流通していない貨幣の分配を無原則的に不均一化してホームレスと金持ちを増やすだけの貧富の拡大主義だけには留まらないことが予想できるよね。 そのうち新自由主義的に、税金さえ撤廃しようじゃないか。政府も民営化しちまうのさ。税金が欲しけりゃ、払いたくなるような政府を自由競争に基づいてつくってみろよ、って話だ。税金はNTTに払う電話料金と一緒って感じになるね。国会議員は国政会社の社員さんになるんだ。選挙も、あっちの会社のほうがいいという国民のブランド選択・人気投票になる。このため国政会社さんは、渋谷の109や銀座4丁目の巨大電子掲示板を借りて「いまこんなことをやってます。今後とも国政はわが社にお任せ!」と広告・宣伝に熱中する。
ねねねっ、面白いじゃん!?
新自由主義とは資本主義社会のとても率直な表現であり、ホリエモンの企業買収とその失敗劇はこの線上に生じた経済事件だった。いま彼が小泉自民党から出馬したとしても、それは絵に描いたような世界シナリオ通りの演出でしかないんじゃない?
ホリエモンは選挙に勝つだろうね。なにしろ世界資本と政治がバックだ。
みなさんは、どうお考えになります?
(注) 下のコメント欄を参照してもらえばいいんですけど、政府を民営化するアイデアは、十年も前にすでに笠井潔さんが『国家民営化論』(光文社、1995/11)で語っていたところだという。著者に敬意を表して、ここに注としてあげておきます。
参考:http://kaz0775.cocolog-nifty.com/kaz0775/2005/01/post_9.html
ただ、上の参考アーカイブを読むかぎり、やっぱり笠井さんとおれとは違うんです。たとえていえば、同じ風景・光景に接しても見え方が人それぞれで違うように。かな?
上のアーカイブでは、
「ホッブスの”万人の万人に対する戦い”を回避して自由競争の市場に行政をも投入するにはどうしたらよいか、その考察が本書では過激かつ根源的に語られている。真の自由競争を実現するにはスタートラインの公平性がなくしては、成り立たない。そこで著者が提唱するのが、遺産相続の停止。企業法人の寿命制。復讐を認める事など、いずれも過激な主張であるが、…(略)…」
と書かれているが、そうそう、こんな書き方がまさに笠井氏そのものだ。
ミステリー作家の笠井氏とは、現代の文化や社会、思想にも積極的にコメントしていこうとされている、いまの日本にとっては貴重な知識人のおひとりだ。だから氏をそんな点で尊敬こそすれ、否定する意図はまったくないので苦しいんだが。おれには彼のコメントのほとんどがむずかしすぎる。理解できない。ピンとこない。知的興奮かなんだかわからないけど、言葉に興奮がやってこない。たぶん、このおれがバカなせいなんだろうと思う。思わせられる。上のアーカイブにそくして、もっとはっきりいえば、
「ホッブスの”万人の万人に対する戦い”を回避して自由競争の市場に……」とくると、もうダメだ。ウサン臭い、眉唾ものだ、まえもって自分の論理展開を権威づけしようとして味の素をぶっかけている、そんな感じがしてしまうんだ。これはとっても変な感想じゃないか? だって過去の思想家たちの言葉を引用する方法は、だれだって採用している。おれが尊敬している内田樹氏もそれをさかんにしているし、そこがまた面白い。
参考:http://blog.tatsuru.com/
なんか引用の仕方が違うんだ。先人の言葉にたいする驚きや発見、反省や批評やふかい味わいがないっていう感じかな……。おれにはやっぱり笠井氏はダメなんだ。ファンになれない。
以上でエイジさんへの、一応のお答えとしておきます。
お読みになったことがありますか。
まさしくそんな話ですよ。
『国家民営化論』なんてあるんですか!? それ面白かったですか? 笠井潔さんには、いつもおれの期待はずれが多いんですが、お勧めなら読んでみようかなあ。いまさらって感じもしなくはないなあ……。
(捕)ほんとにビヤパーティーがあったら、ご一緒しません? おれ、あんまりむずかしい話はできない人なんですけど。ただのタクドラにすぎませんし。逃げてるんじゃなく、ホントのお話で。
とにかく、政府をも民営化してしまう、という
プランは、五年ぐらい前に笠井潔が著したあの本に、
そうとう徹底的に書かれていたと思いますよ。
わどさんの書いていることって、パクリかな、
と思っちゃったもんですから、茶々を入れました。
酒が飲めない子供なので、
遺憾ですがビアホールへは行かんです。
しかし5年前に、ってところはうなずけます。小泉・竹中氏の路線が新自由主義だってことは、賛否は別にしてずっと前からわかっちゃってることのはずです。
いま仕事中なんで、今日はこのへんで。またきてくださいね、師匠!
私はその『国家民営化論』の他には知らないので、
他の笠井本と比べてどうかということが
私には言えません。
『国家民営化論』を読んだのも4~5年前のことで・・・
私は
なにか純文学的な問題(笑)をいま精神に抱えているので、
それを解決するまでもうこちらへは参りません。
お仕事中(?)におじゃましました。
さいなら。
そんなに前でしたか、あの本。
ちゃんと確かめてからコメントすべきでしたね。
時がたつのは早いですねえ。
ファンにはなろうがなるまいが、
そんなことはどうでもいいです。
味わいや驚きも。
たんにプライオリティの問題ですから。
気づいたからには参照したほうがいいでしょう。
新しい自由主義社会におけるマネーゲームは、
国家原理さえ抜き取れば
人間にとって抑圧的なものでなくなる可能性がある、
ということがあの本の肝です。
そういうことを逸早く提唱した点についてのみ
わどさんの書かれていることとの関連から
リスペクトすればいいだけのことでしょう。
竹内靖雄『国家と神の資本論』でも、
警察は解体して、民間の安全保障サービスの会社に託す、
とか、
戦争は、請負業者に市場を通じて委託する、
とか、
国会はなくして、政策はシンクタンクに作成させる、
といったアイデアが
たくさん盛り込まれています。
むしろこっちのほうがわどさんの考えに近いのかな。
これも確認してみたら10年前の本でした。
10年ぐらい前って、こういう新保守主義的言説が
流行っていたかも・・・
おれって政治に関心がないほうのダメ人間でしかないのに、上の記事に掲載した産経新聞のコラムで宮崎氏はそんな無教養な人間からも「自然」に言葉をひきだしました。こんなことが可能なのは、思想家としての宮崎氏がいかに優れた人物かを暗に示しているんじゃないでしょうか。たとえば2chなどの言説をみると言葉の生産性という意味では質の低いものが多く、精神的には幼児的でまたそんな世界だと思います。肉体的には30にも40にもなってやってる者も多いらしいんで笑ってしまいますが。
こっちはまた新しい(?)記事をアップする予定。タクシーという仕事は忙しいしかなり疲労も激しいのですが、なんとかがんばってみます(小説が多くなるかな?)。そっちにもいろいろと参考意見を聞かせてやってくださいな、師匠。
*旅人さん主催のオフ会にはいらしてくださいよ。いろいろお話しましょう。おれに会ってガッカリされるんだとは想像しますが。タクドラ以上でも以下でもありませんのでね。
テレビでの宮崎の振る舞いに「審美的な不快感」を
感じることがありますが、書くものには、時折、
感心をさせられることがあります。
既に申しましたように、
酒が飲めない子供なので、
遺憾ですがビアホールへは行かんとです。
肉体的「殴り」も遠慮しなければならないとなれば、
ますます行く動機がございません。
わどさんには
タクシーの車内で会いたいものです。
そうですね、おれのタクシーに乗ってこられる偶然の神さまを信じています。なにしろ、大阪までのお客さんさえ乗ってこられた神がかり的に由緒正しい車ですから。
では師匠、今後ともよろしく!